十月のころ
八月には、石山もうでを思い立ち、帥の宮様とはすれ違い、十月にはいらっしゃったものの、泣いてばかりで十分なお返しもできず、この恋は実を結ぶことがあるのやら、憂き世の身の苦しさばかり増して行くのでした。
すると、心が通じたのか、しばしばおいでになって私の様子をご覧になるにつけ、
「こんなふうに物思いされながら暮らしていらっしゃるのですね。お訪ねして、門も開けていただけず、むなしく帰った思いや、ほかの男が通っていると聞いた時の思いが重なるのに、宮という身分で思うように出歩くことができず、私のほうも思いが重なっているのです。まだ、準備はできていませんが、私のところへいらっしゃい。」とおっしゃってくださいました。
私は、そんななれない暮らしができはしないと思いながらも、帥の宮様以外に頼れる方はいない、お言葉に従おう、と思いました。
それでも、本当に宿移りをするとなると、そう簡単にできることではありません。
宮様より
見るや君 さ夜うちふけて 山の端に
くまなくすめる 秋の夜の月
(あなたはご覧になっていますか。夜が更けて山の端に曇りもなく澄んでいるこの美しい秋の夜の月を)
と、歌を送ってこられました。
私も、
ふけらんと 思うものから 寝られねど
なかなかなれば 月はしも見ず
(夜が更けただろうと思うのに、寝られません。でも、月を見ると、かえって憂き世のつらさが身に沁みますので、月だけは見ないようにしています。)
と、お返しいたしました。
(まあ、月を見ることもできないだなんて。宮さまは、さぞ、意表を突かれてますます和泉式部を恋しく思われたことでしょう。)