エピローグ
物語や日記を残している女房、私歌集を残している女房、私彰子の周りには、才能あふれた人材が集められています。他にも、名の残る方々がいらっしゃいますが、このお話はここで終了です。
あと、百人一首に採られている歌を紹介しておきますね。
実は、赤染衛門には、美人の妹がいて、一時期道長の兄の道隆と恋人になっていました。道隆がなかなか会いに来てくれないと妹が嘆くので、代作してあげた和歌
やすらはで 寝なましものを さ夜ふけて かたぶくまでの 月を見しかな
(あなたの訪れを待って寝ずにいましたら、夜が更けて月が傾いていくのを、悲しく見続けてしまいました)
紫式部の歌(本文中では、藤の式部です。)
めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな
(昔からのなじみの友のあなたにやっと会えたのに、あなたかどうかやっとわかるくらいの短い合間で、雲隠れしてしまう夜の月のように、あなたはさっと帰ってしまったのね。名残は尽きないのに。)
伊勢大輔の歌(本文中には出てきませんでした。)
奈良の都に咲いていた八重桜が、宮中で中宮である私に献上されたときの和歌を紫式部が伊勢の太夫に譲った時、伊勢の大夫が詠んだ歌
いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重ににほひぬるかな
(由緒ある奈良の都に咲いた八重桜が、ここ京の都で中宮様のもと、九重にゆかしく咲き誇っております。)
私はこの後、第三皇子も産み、国母として、女院として、八十七歳まで生きます。実に多難な人生でした。
いつか、『大鏡』の作者と彰子の対談がしたいな、(作者不明ですが)と思っています。ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。




