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醍醐帝の皇子たちのこと
「醍醐帝には、基経様の娘藤原穏子様が女御になられ、第二皇子を産まれて東宮になられたのですが、21歳の若さでお亡くなりになります。幸い、時平様の娘が男君を産んでいらっしゃったので、皇孫として後を継がれたのですが、なんと5歳でお亡くなりになります。これは、菅原道真公の祟りに違いないと、公の位を戻し、祟りを抑えられようとなさいましたが清涼殿に雷が落ち、祟りは鎮まらず帝は病に倒れられるのです。
前にも申しましたが、醍醐帝にはたくさんの皇子がいらっしゃいましたので、どなたが東宮となられるか、都の人々は騒いだものですが、そこは、基経様の権勢と穏子様へのご配意から、第十一皇子の朱雀帝が、8歳で天皇となられます。朱雀帝の御時にはかの平将門の乱や富士の山の噴火などさまざまな出来事がありまして、やはり同母弟の第十四皇子、村上帝に譲位されます。まあ、乱や噴火のような不吉なことは、物語には書かないつもりでおります。」
そうね。なんでも、書けばいいというものではないでしょうね。




