醍醐天皇のこと
「実は、まず書きたいのは、宇多帝の一の皇子で、後を継がれた醍醐帝の事なのです。
書き出しは、
世始まりて後、この国の帝六十余代にならせたまいにけれど、この次第書き尽くすべきにあらず。こちよりてのことをぞしるすべき。
(神様が作られた世の中が始まって、天皇様は六十代あまり続いていらっしゃいますが、その次第は私が書き尽くすべきではありません。近くに寄ったことを書き記してまいりましょう。)
といたすつもりです。」
あら、六十代までは、勅撰の国史で読んでね、ってことかしら。たしか、『日本三大実録』は、一代前の光孝帝まで記されているそうね。
「そのあと、
世の中に宇多の帝と申す帝おわしましけり。
と続きます。」
宇多帝の事、詳しいの?
「いいえ。あまりよく知らないのです。ですから、
その帝のお子たちあまたおわしけるなかに、一の御子 敦人親王と申しけるぞ、位につかせたまいけるこそは、醍醐の聖帝と申して、世の中に天の下めでたきためしにひきたてまつるなれ。
と、すぐに醍醐帝の話に移ります。」
そうなの。
「醍醐帝には、男皇子が十六人、女皇子もたくさんいらっしゃったのですよ。」
一条帝は、男皇子、今のところ二人だけね。この後どうなるのかは、分からないけれど。
彰子は、一条帝の二の宮を産んだばかり。もう一人皇子を産みますが、そのあと一条帝が亡くなるので、一条帝の男皇子は3人です。




