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ネメシアの心は常に傷口から血を流しているような状態で少しも癒える事なく日々は過ぎ去った。
そしてとうとうディアンドロと結婚する時が来てしまった。
「ネメシア・ベルトリーノ。貴女はその生涯を彼と共に支え合う事を誓いますか」
「はい(いいえ)」
彼女は神殿で誓いの言葉を口にする時に死んだ目になり心の中で拒絶していた。
しかし彼女の目はベールの下に隠れていたので誰にも気付かれる事はなかった。
そして初夜。
(…もう…義理は果たしたし…)
彼女は夫婦の寝室に向かい少しの間だけ人払いをして一人になると感情が溢れて涙を流すと次第に溢れ出る感情と魔力が止まらなくなり…ドンッ!と派手な爆発音がすると邸中が揺れて騒動になった。
「ああ、若旦那様ご無事でよかった」
「若旦那様、奥様は?」
「え?ネメシア?」
ディアンドロは嫌な予感がしてすぐに夫婦の寝室へと向かった。
「奥様!奥様ここを開けてください!」
「何事だ!」
扉の前で使用人が必死に呼び掛けながら扉を叩いていて嫌な予感がしたが念の為に状況を把握する事にした。
「あぁ若旦那様…奥様が少しの間だけ人払いを望まれましてまだこの中にいるのですが…少ししてから凄い音がして…」
「ネメシア!開けなさい!」
使用人の話に青ざめてドアを叩き開けようとしても開けられずにいたが暫くするとドアが少しだけ開いたので閉まる前に勢いよく開けるとその光景に愕然とした。
「ネメシア…一体なにを…」
彼女は魔力暴走を起こして自分を焼いている最中だった。
この世界には魔力があり魔道具も魔法も存在したが魔力を制御するのは当然だが心身にも影響するので皆は出来るだけ精神を安定させる術を身に着けていてそれが常識なっていた。
しかしストレスが溜まりすぎるとこのように魔力が溢れて暴発して本人が手に負えない状態になるので精神科医が存在していてストレスを溜めやすい職業や体質の人には必ず医師の診断で安定剤の処方が義務付けられていた。
彼はすぐに魔力が暴発したことを察して青ざめていたが、そんな彼を見て彼女は呆然とした視線を向けて言葉を紡いだ。
「…ディアンドロ様は何故此方にいらっしゃるのかしら?貴方はオーロラお姉様さえいらっしゃれは私なんてどうでもよかったのですよね。
私は貴方をお慕いしておりました…出来るだけお姿を見たくて努めて出来る範囲で会う約束をしても貴方はいつもお姉様ばかりで私に見向きもしなくなって最近では会うことすら億劫になってましたよね。
そんな仕打ちをされ続けると私も人間ですから全てに疲れてしまったんです。これからは私も自由にしますからお互いにこれで終わりにしましょうね」
「自由に…って…」
それは初めの頃とは心境が変わり今では彼の前から消えたい程に嫌っていたのだと言われた様に思えて辛くなった。
「私の望む自由はこれで貴方との長く辛い関係を終わらせて解放されること。
今まで本当に長かった…全てを奪われて何度も何度も自分を痛めつけてでも貴方との関係や全てを終わらせるやり方を探す日々だった。
私の事は何も知らないのに監視だけは付くから思考に耽るだけで実行出来ない日々はとても虚しくて無駄にも思える時間だった。
でも今日はあの地獄のように息苦しい家から抜け出せてやっと解放される時が来たので今はとても穏やかな気分ですからこれ以上は邪魔しないでほしいの」
「…」
彼女は話しながらも燃えていてその話は彼に衝撃を与えていた。
「あぁ、今まで無慈悲に私に寄り添う事すらして下さらなかった両親と妹の婚約者と知りながらも平気で奪うお姉様。私はあなた達に対して憤りと虚しさしかないわ…出来れば同じ想いをしてほしいくらいよ。
そんなにお姉様だけを大切にしたいなら何故私を産んだの?何故私を彼の婚約者にしたのかしら…こんなに辛い仕打ちをなさる方なら初めからお姉様と会わせて私は私だけを幸せにしてくれそうな別の方と添い遂げたかったわ。
…でも…ああ…そうなのね…私が家族だと思っていた両親とお姉様はきっと健康な私が憎くて仕方がなかったのね…だから彼を婚約者として初めは一緒にいさせて仲良くさせて私が彼に心を開いてから彼がお姉様ばかりを見る姿を見せつけて絶望させて…お前はこの家にも侯爵家にも相応しくないと無言で示したかったのね…そっか…そうよね…それなら私なんて初めから産まなければいいのに…きっと都合の良い捌け口の道具くらいに思って産んだのよね…」
何処か納得した声は既に感情がなかったが更に続いた。
「これでやっと理解出来たわ。だから彼も私に辛く当たるようになって冷たい態度で会わなくなったのね…全ては私が希望を奪われて心が疲弊して限界を迎えて自滅する姿を見たくて皆で待ってたのね…希望が叶って嬉しいでしょ?」
彼女は変わらず感情のない声でくすくすと乾いた笑いをしながら更に続けていた。
「そっかぁ…それなら私がこのまま朽ち果てても誰も何も思わないんだね…それなら私も皆が私と同じ苦しみを抱いて地獄に堕ちてほしいかなぁ…私には何も力がないから思うだけですけど…最後にこれだけ言えたのは良かったかも。
これで最後だからもう少し言わせて貰うとあなた達から温もりを感じなくなってから気持ちが切れたので二度と会いたくありませんから来世では二度と関わりたくないなぁ…」
ゆっくりと少しずつ燃えていき、かなり灰になったが彼女の言葉と無念の想いは関係者全員の脳裏に流れ込んでいた。
「や、辞めろ…辞めてくれ」
彼女の話が終わっても未だ流れ込んで来るものをただ眺める形で見ていたが実際に消え行く姿も見ているのでディアンドロは辛くてどうにかなりそうだった。
この時の彼女は既に意識が飛びその目は虚無を宿しており何も映して居なかった。
「辞めて!そんな目で見ないで!」
「辞めるんだ…何故こんなものを…」
「ち、違うの。貴女をそんな目的で産んだのではないのよ…愛せなくてごめんなさい…」
姉、父、母は三人同時に彼女の想いを見てその絶望に堪えられず狂いそうになっていた。
そしてネメシアの最後の時が来た。
最後の彼女は一番魔力が籠ると言われる目が残り、それは何も映すことなく雫が一滴だけ落ちて床を濡らすと残った魔力が一気に放出されて大きく燃え上がったかと思った次の瞬間には何事もなかったように静まり返った。
彼は暫くの間は涙が溢れて止まらず放心状態で邸の者達も彼女の悲痛な声を聞きやるせなく思い冥福を祈るとここまで追い詰めたディアンドロを軽蔑した。
姉のオーロラは妹の気持ち等は考えてなかったのだがネメシアの想いを知っても今更なのでどうしようもなかった。
「本当にあの方はここで過ごしていたのかしら…何もないわ…」
後日に遺留品の整理をしようとしたネメシア付きの使用人はその違和感に気付いて調べるとネメシアが燃えて消えただけではなく最後の大きな炎は関係者達が受けた彼女自身への想いや彼女自身が使用していた物にまで及び全てを消し去っていたのだが使用人は彼女の物だけが消えたのだと思っていた。
消えた私物についてはそれを主であるヴァイゼルフ伯爵一家に話すと伯爵夫妻は慌てた様子で調べて青ざめた。
改めて調べると実家の彼女の部屋にあった物で彼女が勉強で使用していた本や棚はそのままだったが報告の通り私物が全て消えていた。
それは個人的に読んでいた本やメモ、婚約者に宛てた手紙や個人的な手紙で彼女の痕跡を残す物は全く見付ける事が出来なかった。
「え?…あの子が昔よくこれ読んでってねだっていた絵本がないわ…」
この時は体調のよかったオーロラも様子を見に来ていて使用人達に頼んで調べて貰うと仲が良かった頃にネメシアがよく持って来た絵本が邸の何処にもなかった。
念の為に次に衣装部屋に向かうことにした。
「…ほぼないわね…」
そこには一度でも人前で袖を通した物は全て消えていてそれは宝飾品にも及んでいた。
逆に試着でしか着てない物は残っていて宝飾品も同様だった。
念の為にとディアンドロにも協力して貰い調べて貰った結果、結婚式で着けたドレスは全て消えており、彼女のために用意して袖を通す事のなかった服や宝飾品は全て残っていてネメシアの両親は彼女の明確な拒絶を目の当たりにした気分で特に母親のドラニエ・ヴァイゼルフは娘の言葉を思い出して今更ながらに後悔して涙した。
「エーヴェ魔法士長!」
「あなたも感じましたか。どうやら誰かが魔力暴走を起こしたかもしれんね」
時は戻り、ネメシアが魔力が溢れて自分で制御出来ずに暴走していた頃。
宮廷魔法士の長であるジョゼ・エーヴェは突然膨れ上がった魔力を感じてすぐに調べる事にした。
そしてベルトリーノ侯爵家からだとわかるとすぐに陛下に申し出る事にした。
「陛下、調査の許可をお願いします」
「わかった。すぐに挙げよ」
「承知致しました」
流石に真夜中なので先触れだけを出して翌朝に許可証を持ちジョゼが向かうと邸は静かで異様な雰囲気だった。
彼はすぐに許可証と聞き込みを始めるとなんとも切ないものだった。
「問題の部屋を見せてほしい」
「こちらです」
そこは夫婦の寝室で本当に魔力暴走が起こったのかと思う程に綺麗だった。
「本当にここで魔力暴走があったのですか?片付けたり等は?」
「いえ、お体は燃えてましたがそれ以外には全く被害はありませんでした」
彼が本気でそう尋ねたくなる程に部屋が綺麗な状態で天井も調べたが本当に燃えたのかと不思議に思う程だった。
更に話を聞くとネメシアの境遇がそうさせたのか彼女の服は結婚式で着けたドレスと着替えた服と当日に着けた宝飾品のみでその他は彼女が彼に宛てた手紙や贈り物が消えていた。
ジョゼはこれだけしか消えて無い事が不思議に思えて宝飾品については窃盗等も視野に入れたが特にそのような様子はなかったので深く調査する事にして魔力の痕跡をみる事にした。
しかし幾ら魔力の痕跡を辿ろうとしても全くなかったので何か未知の者が介入してるような薄気味悪さを感じていた。
更に彼女の実家にも訪ねることにしてこの日の調査を終わらせた。
ジョゼが帰った後の邸では死亡届を出してネメシアの葬儀の準備に取り掛かった。
本人は既におらず遺留品もないので形だけのものとなった。
この時にディアンドロの屋敷の使用人達は改めてネメシアの境遇に同情した。
ネメシアの葬儀が終わる頃にジョゼは改めてヴァイゼルフ家を尋ねてみた。
そして話を聞くとベルトリーノ家で起こった事と同じ事が起きていた。
「彼女の部屋は本当にここですか?」
「はい、結婚なさる前は此方で食事もなさっておりました」
直ぐに調べさせて貰うとやはり魔力痕はなく長い時間その部屋の主だったのにも関わらず彼女の魔力が一切感じられず驚いた。
それは使用していた本に宿る僅かな魔力も例外なく残っていなかった。
これは彼女の激しい拒絶の思いの成せる業としか思えず当事者達にもこの事を話すと彼等はやるせない表情になりジョゼは呆れていた。
「報告は以上となります」
「…御苦労」
陛下も報告を聞きながらやるせなく思いこの件はこれで終了となった。
そして時は過ぎ、彼女の残した爪痕が薄くなり消えようとした頃。
ネメシアを追い詰めた当事者達は地獄を味わう事になった。
ここまで読んで下さって有難う御座います。
予想通りのネガティブさですがお付き合い下さると幸いです。