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秋の探し物

作者: hajimemasite

今年も四季が巡って秋がやってきた。夏の暑さから解放されて、過ごしやすい気候だ。人々は活動的になり、食欲の秋や芸術の秋などを掲げて動き出す。そして、この紅葉が美しい田舎街にも全国から多くの観光客が訪れている。そんな街の賑わいを他所にして、ある男は古ぼけたアパートの一室に1人篭って机に向かっていた。机の上には履歴書があり、名前の欄には宮下治(みやしたおさむ)と書いてある。この男の名前だ。

履歴書には空白が目立った。同じ仕事を長年勤めてきたから職歴は1つ。そして最も男を困らせていたのが自己PRの欄であった。宮下には全く何を書いていいかわからない。自分とは何であるのか、そもそも自分のことを深く考えずに仕事一筋に生きてきた。宮下はおもむろにスマートフォンでsnsを開くと成功者たちが華々しい生活を送っている写真がたくさん飛び込んでくる。きっと仕事で成功して、悠々自適な生活を送っているのだろう。こんな片田舎ではなく、刺激に溢れた大都会で。思わずため息が出る。

玄関のチャイムが鳴る。ドアを開けるとアパートの大家のおばさんが立っていた。

「おさむさん。今年も中庭の掃除頼めるかしら」

毎年秋になるとこのアパートの中庭にある木々のおかげで、たくさんの枯れ葉が積もる。その掃除を宮下は毎年のように大家さんにお願いされていた。何を隠そう、宮下という男はこの街の清掃員として長年勤めていたからだ。勤めていたというのは、この間クビになったのだ。元々小さな会社ではあったが、街の人口減少に伴いその小さな掃除会社は潰れてしまった。それで転職を余儀なくされたのだ。

「おばさん。ごめんなさい。今年は手伝えそうにない」

いつもお世話になっている大家さんだが、今年は事情が違う。職を失った今そんな余裕はない。

「そうよね。おさむさん、新しい仕事を探すのに忙しいものね。ごめんね」

そう言って大家のおばさんは去って行った。

宮下は罪悪感を感じたが、しょうがないことだと自分に言い聞かせた。

狭いアパートの部屋を見渡すと、本が山積みになってた。自己啓発本や、ビジネス書、小説から何まであらゆるジャンルの本が雑多に置いてある。およそ清掃員という仕事をしていたとは思えないほど宮下の部屋は散らかっていた。最近は転職活動のことで手一杯で、部屋の掃除もろくにできていない。

 秋は実りの季節である。冬に備えて食糧を蓄える。それができなかったら、厳しい冬は乗り越えられない。宮下にとってこの秋は転職の秋。新しい仕事に就くという実りがなければこの先どうなるかわからないという瀬戸際にいた。何か行動を起こさなくてはと思うと焦りが増してくる。ここ最近は狂ったように、何かを求めて本を読んでいたがそれだけではダメだと感じていた。

 思い出したようにスマートフォンのチャットを開く。

宮下は転職活動に必要な自己PRのヒントを得ようと数少ない1人の友人にチャットで自分のことを尋ねていたのだが「お前の集大成を送るから楽しみにしていろ」とだけしか返事がなかった。我慢できずに「オレの集大成って何?」と返事を送ってから音信不通となった。その友人は同じ地元の同級生であった。

生まれも育ちもこの紅葉の美しい街だった。

その友人は昔から画家を志し、そして今や著名な画家となって大都会で活躍している。彼なら何か有益なヒントを与えてくれるかもしれない。宮下は目を瞑って、頭の中でsnsで見た華々しい生活をする人たちの姿を思い浮かべた。そして、いつの間にかそれは自分が大都会で生き生きと働いている姿の想像に変わっていく。目を開くと宮下は自分に言い聞かせるようにつぶやいた。

「東京に行こう」

 翌朝、東京に向かうために宮下は大きな荷物を抱えてアパートの階下に降りる。中庭の方に目をやると、大家のおばさんが1人で落ち葉集めをしていた。1人では少しずつしか作業は進んでいないようだった。しかし、今の宮下は手伝ってあげられない。「ごめんね、おばさん」宮下は心の中でつぶやいて、アパートを後にした。

 電車に乗ると宮下の住み慣れた街の景色が過ぎていく。長年清掃員として綺麗にしてきた街だ。東京に行けばきっと何かヒントがある。そして、もしかすると何かのきっかけで東京で働くことになったらこの街に戻ってくることもないのかもしれない。ここから長旅になる。少しでも身体を休めようと過ぎ去っていく街の景色を見るのをやめて宮下は目を閉じた。

 半日かけて東京についた。目的は2つ。東京の雰囲気を味わい、刺激を得ることと、音信不通となった友人にチャットで言っていた自分の集大成は何であるかを直接尋ねるのだ。

 初めての東京。すごい人の数だ。聳え立つビルの群れ。その1つ1つのオフィスで人々が仕事をしているのだ。そう思うと宮下は興奮を覚えた。自分もいつか、この大都会で働けるのだろうか。街中を歩いていく。多くの人だけでなく、たくさんの店が並んでいる。自分の故郷とは比べ物にならない数だ。

最初こそ嬉々として都会の雰囲気を楽しんでいたが、しばらくすると刺激が強すぎたのか疲れてきた。

なんとなく人の少なそうな路地に入ってギョッとした。表通りの都会的なな華々しさに反して、裏を回った路地は小汚く、そこかしこにゴミが落ちている。宮下は呆然とした。地元の綺麗な街並みを思い出しながら見比べる。snsで見た東京はもっと美しかったが、あくまで良いところを切り取ったものに過ぎなかったのだ。

 宮下は見なかったことにするように、足早に、実際は駆けていたかもしれない。もう大都会の刺激を味わうなんて余裕はなく、友人のいるであろうアトリエを目指して人混みをかき分けて行った。

 閑静な住宅地の一角に友人のアトリエはあった。自宅兼アトリエなのだろう。都会に似合わず、木造の作りだった。アトリエの外回りで1人掃除をしているおじさんがいた。

恐らく友人に雇われた清掃員だろう。宮下は親近感を覚えたが、先にすることがある。

友人のアトリエの玄関のチャイムを鳴らした。しばらく経っても返事がない。出かけているのか。そう思っているとさっきの清掃員のおじさんが話しかけてきた。

「ここのご主人は出かけてるよ」

「いつ頃戻って来ますか」

宮下は尋ねた。

「しばらく、戻ってこないんじゃないかな。

忙しい人だからね、今朝地方の個展があるからって出かけて行ったよ。」

宮下は愕然とした。ちょうど友人と入れ違いになったのだ。はるばる田舎から出て来た初めての東京。期待を膨らませてきたが実際の街の様子を知ってがっかりした。そして頼みの綱の友人とも入れ違う。自分に必要な何かを求めてやって来た旅は何も得られなかった。

少しでも何か、せっかく東京に来たのだからと、宮下は清掃員のおじさんに話しかけた。

「清掃員のお仕事は長いんですか」

おじさんは予期せぬ質問に少し驚きながら答える。

「もうかれこれ30年はしてるかな」

宮下は驚いた。自分よりもずっと長い。

「大変じゃないですか」

宮下は自分も清掃員であったことを隠して尋ねた。

「まあ、大変なこともあるけどね。でもここのアトリエのご主人はワシの仕事をとても素晴らしいと言ってくれてね。いつも感謝してくれてる。だから続けて来てよかったと思えるんだ。」

おじさんはそう答えるとそのまま掃除を再開した。宮下はその後ろ姿をしばらく眺めると、地元のアパートで1人枯れ葉集めをしているおばさんを思い出した。

「帰ろう」宮下は自分に言い聞かせるようにつぶやいた。半日かけてきた初めての東京での滞在時間はほんの数時間だった。

 東京から地元に帰ると宮下は死んだように眠った。ものすごい疲労感に襲われたからだ。今朝起きると1番に大家のおばさんの部屋を訪ねた。

「おさむさん。おはよう。どうしたの」

おばさんはいつものようにニコニコとして宮下に接してくれる。宮下が東京に行っていたことは知らない。

「謝りたいんです。中庭の掃除手伝えなくてごめんなさい」

窓から覗く中庭をチラッと見るとおばさんは1人で頑張ったのだろう、綺麗に片付いていた。

おばさんは最初少し驚いたような顔をしたが、すぐにニコニコしてこう答えた。

「いいのよ。おさむさんも忙しいだろうし。それにおさむさんの清掃員ってお仕事のことが少しわかったかも。綺麗にするってこんなに気持ちいいのね」

宮下はハッとした。自分が忘れていたこと。

長年誇りを持って自分は清掃員として働いてきたのだ。その日1日宮下は自分の部屋の掃除をした。いらなくなった本を処分し、散らばった転職活動の書類を纏めていく。清掃員をクビになってからの久しぶりの掃除だ。

あれから状況は1つも良くなっていない。

相変わらずまだ仕事は見つかっていないし、

頼みの綱であった東京旅行も空振りに終わった。でも、今こうして部屋の片付けをしていると心まで綺麗になっていくようだ。すごく楽しい。今を楽しむとはこの感覚のことなのだろう。

「あれ」と思わず宮下は1人声がでた。

見知らぬ封筒が書類の山から滑り出て来たからだ。自分宛ての手紙だ。差出人を見ると、例の画家の友人からだ。

手紙にはこう書かれていた。

「宮下へ。今訳あってスマートフォンを持ち歩いていない。どうもスマホを持ち歩くと創作活動の邪魔になるんだ。芸術家だからな、許してくれ。だからしばらく手紙でのやり取りになる。清掃員の仕事をクビになったそうだな。素晴らしい仕事なのに残念だ。宮下が地元で頑張っているから、オレも東京で頑張れている。今度そっちに帰って個展を開く。地元の街並みの絵の個展だ。実は宮下に秘密で絵のスケッチでそっちにしばらく帰っていた。宮下の仕事のおかげで相変わらず綺麗な街並みだったよ。おかげでオレの仕事も上手くいった。だからぜひ個展にも来てくれ。お前の集大成だ。」

手紙と一緒に個展のチケットが入っていた。

 個展に行くと流石有名な画家である友人の個展なだけあって、多くの人が来ていた。東京からの取材陣もいる。宮下は友人の作品を1つ1つ見ていく。見慣れた街並みも絵になるとまた見え方が違ってくる。どれも繊細で美しいタッチで描かれていた。

「あっ」と宮下は声が出た。

1つの絵に釘付けになった。作品名は「街を掃除する男」美しい紅葉の街並みを1人の男が掃除をしている絵であった。個展の回廊の1番目立つところに展示してある。

解説のところを見ると、長年この街の美化に努めた宮下治に感謝を込めて。と書かれている。

宮下は溢れてくる涙をぐっと堪えた。オレのしてきたことは無駄じゃなかったんだ。

自分本来の良さはどこに求めるでもなく、この街で働いてる姿そのものだったのだ。

まさしく、宮下治の集大成だった。

 宮下は友人がこの個展のために帰って来てるだろうと、受付に彼の所在を尋ねると、個展での用事を済ませると今朝東京に帰ったらしい。また入れ違いだ。結局会えなかったが、これでいい。

 宮下はしばらくして転職活動が成功し、また別の仕事ではあるが地元に就職した。履歴書の自己PR欄はびっしりと埋まっていた。秋は実りの季節。1人の男の人生が実ったのであった。


              〜終わり〜

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