表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「 夢の続きが始まりました 」  作者: 石川善一
79/162

「 夢の続きが始まりました【番外編 (学童保育) 】」

2023/1/25

石川善一52才です。


●1991~1999年 (21才~29才まで)

8年務めた学童保育の主題歌 「おいちゃんのうた」を作った。


● 現在では学童保育の認知度は高いが当時は存在せず、

日本で初の学童保育と聞いている。

● 株式会社としての民間学童保育 第一号で、私はその初期の職員だった。


● 夫婦で起業し、

社長の愛称は 「おいちゃん」。

奥さんは 「K子先生」

● 生徒は200人前後。

● 卒業と入学で毎年50人くらい入れ替わったので接した生徒は500~600人。

● 当時は中型犬5匹と、勝手に住み着いた猫が10匹以上いた。

● 送迎用のワゴン車が1号車~7号車まであり、16校の生徒が集まっていた。


● 新1年生が入ると 「おいちゃんのうた」 を歌おう会というイベントがあった。

● 教室の壁には歌詞が書かれた模造紙が貼ってあった。

● 「おいちゃんのうた」 なので、

おいちゃんが歌うと勘違いされるのは、あるあるだった。

● 低学年が聴きたいと言うと6年生が曲をながした。

● 60分カセットに繰り返し録音した歌が流れた。


● 夏には祭りがあり10分テープを原価で販売した。

● B面には学童保育と関係ない私のオリジナル曲をいれた。

● 自宅で100本のカセットに録音していたが、毎年必ず完売していた。

● 1つ持っていればいいものをB面の曲を目当てに毎年買ってくれる生徒もいた。


● 冬には忘年会があり生徒の出し物や、ゲームをしながらお菓子を食べた。

● 最後に必ず「おいちゃんのうた」とB面の歌のライブを行った。

 毎年、大合唱になっていた。

● 生徒で歌えない子はいなかったと思う。

 私の最大のヒット曲である。

● 当時はカセットテープだったので、もう持っている生徒はいないだろう。


● 3年前に学童保育に久しぶりに顔をだした。

● 驚く事においちゃんもK子先生も的確に私の時代の生徒の話をした。

● その中の生徒の一人が一時期、先生になっていて、私が居ない時期の

 学童保育でも「おいちゃんのうた」がアカペラで歌われていたという。

● 後日CDを渡しに行くと、

 K子先生は再び学童保育の主題歌として流すと言ってくれた。


● 私は「石川先生」・「イッシー」・「監督」と3つの呼ばれ方をしていた。

● ドッジボールチームを作り、3ヶ月に1度の検定で1軍、2軍を決めていた。

● どうしても1軍に入るのは5、6年生になる。

● 運動神経抜群のお兄ちゃんに憧れる1年生は、自分はドッジボールしていないのに

 お兄ちゃん達のまねをして私の事を「監督」と呼ぶようになった。

● いつしか「監督」は男の子の呼び方で、

「イッシー」は女の子の呼び方というルールになった(笑)


● とにかく楽しかった学童保育時代。

私は今も昔も生徒達を友達であり弟、妹と思っている。


挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)


#学童保育 #主題歌 #犬 #ネコ #1年生 #小学生 #生徒 #イベント #低学年 #6年生 #カセットテープ #祭り #オリジナル曲 #忘年会 #大合唱 #ヒット曲 #アカペラ #CD #ドッジボール #監督 #1軍 #シンガーソングライター

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ