3-1.
知らなかった。
真寛に兄弟がいることはもちろん、それが双子の弟だということも。
そしておそらく、その弟がすでにこの世を去った存在であることも。
「ごめん。びっくりしたよね」
暁千寛と名乗った真寛の双子の弟は、机の端に寄りかかるように腰を預けた。
「気持ちはわかるよ。でも、一番驚いてるのはたぶん僕だ」
千寛は声を立てずに小さく笑った。透子が見たことのある真寛の堂々とした微笑みとは少し違う、自信のなさそうな笑い方。こちらも真寛とは違い、千寛の視線はどちらかというと常に下がり気味だった。
戸惑いと混乱が頂点に達し、透子は本当に軽く目を回してしまった。からだから力が抜け、上体が傾ぐ。
「おっと」
千寛が飛ぶように透子に近づき、ふらついた背を支えてくれた。
「大丈夫?」
肩を抱くように、千寛は透子に腕を回した。頭はクラクラしているのに、五感の働きはむしろ研ぎ澄まされているようで、密着した部分から伝わる千寛の熱は心地よく、柔軟剤の香りだろうか、気持ちが安らぐようないいにおいがした。
千寛は透子のからだを支えながら手近な席の椅子を引き、透子を座らせた。軽く背中をさすってもらうと、ようやく透子は「ごめんなさい」と声を絞ることができた。
「少しは落ちついた?」
「うん、ありがとう」
これ以上心配をかけるわけにはいかないのでそう答えたが、心臓は今にも張り裂けてしまいそうなほどバクバクと跳ね続けている。現状をうまく把握できていないばかりが心音の高鳴りの原因ではなく、千寛との距離の近さもその一端を担っていた。
どうにかこうにか呼吸は整えたものの、顔の赤らみは当分引きそうにない。透子は伸ばしかけの前髪で必死に目もとを覆い隠し、ややうつむいたまま口を開いた。
「いったい、これはどういう状況なんでしょうか」
「さぁ。僕にもよくわからなくて」
千寛は困ったように言った。困っているのは透子のほうだ。
透子の座る席のすぐ脇に立っている千寛の姿を、透子はようやく顔を上げて視界に映した。
「あなたの意思で、暁くんのからだに乗り移ったんじゃないの?」
「違うよ。言ったでしょ、わからないって。気づいたらこうなってたんだ。本当だよ」
千寛は真剣な顔で主張する。彼の言うことを全面的に信用するならつまり、この不可解な現象が起こった原因は不明。今透子の目の前にいるのは本当に真寛ではなく、なにかの拍子に真寛のからだに魂が入り込んでしまった双子の弟の千寛。そういうことか。
千寛は例の写真を透子に見せるように掲げた。
「というか、そもそもの始まりはきみが撮ったこの写真でしょ」
「写真」
そうだ。真寛の背後に、真寛と同じ顔をした少年の影が写り込んだ一枚。
「本当に、心霊写真だったってこと……?」
「そういうことになるね。だって僕、死んでるから。小五の冬に」
千寛は淡々と、自らが死者であることを認めた。小学五年生の冬というと、千寛が命を落としたのは今から六年ほど前のことになる。
透子の隣の席に腰を落ちつけ、右手の親指と人差し指でつまんでいる問題の写真に目を落としながら、千寛は自らの身の上を語った。
「当時住んでた家が火事になってね。家族四人で暮らしてて、生き残ったのは真寛だけ。一階から火が出て、あまりにも火の回りが早かったものだから、父さんと母さんは逃げられなかった。二階にいた僕と真寛は、真寛のとっさの判断でベランダから隣の家の庭に生えてた背の高い木に飛び移って避難しようとしたんだ。真寛にとっては簡単なことだったんだけど、僕は怖くて、足が竦んじゃってね。逃げ遅れて、このとおり」
千寛は小さく首を振った。当時のことを思い出したようで、彼の呼吸が小刻みに震え始めた。
透子は知らず知らずのうちに両手を固く握りしめていた。この目で火災現場を見たわけではないのに、頭の中で、逃げ遅れる千寛の様子をたくましく想像してしまう。先に隣家の木に飛び移った真寛が、燃えさかる炎の中で怖じ気づき、動けなくなっている千寛に必死に手を伸ばす姿――。
千寛は軽く目もとを拭い、呼吸を整えて語り続ける。
「いつの間にか意識を失ってて、気がついた時には真寛と一緒におばあちゃんの家にいた。何度呼びかけても真寛もおばあちゃんも僕に気づいてくれなくて、真寛の肩をたたいても手にはなんの感触もなかった。仏間にはおじいちゃんの遺影の隣に僕と両親の写真が並べて置かれてて、あぁ、僕は助からなかったんだな、おまけに幽霊になっちゃったんだって、そのときようやくわかったんだ。ダイニングでおばあちゃんとごはんを食べてる真寛を見て、真寛だけでも生き残れてよかったって強く思ったのを覚えてる」
真寛のからだを借りた千寛が、その目をすぅっと細くする。複雑な感情を映した瞳は、透子の胸をしめつけてやまなかった。
「ごめんなさい。わたし、知らなかった。暁くんが家族を亡くしていたこと」
「知らない人のほうが多いと思うよ。この高校に僕らの小学校時代の同級生はいないし、真寛は誰にも話してないからね。実家が火事で焼け落ちたことも、双子の弟がいることも、そいつや両親と死に別れたことも」
「それは……やっぱり、つらい思い出だから?」
「どうだろうね。真寛に直接訊いてみたら?」
「訊いてみろって、どうやって」
「どうやって?」
「だって、今の暁くんは、暁くんじゃないっていうか」
真寛くん、と呼ぶ勇気が出せず、自分がなにを言っているのかだんだんわからなくなってきた。要するに、今の真寛は真寛ではなく千寛であって、真寛の魂とは連絡が取れなくなっているということだ。
真寛は今、どこでなにをしているのだろう。ついさっきまで幽霊だった千寛のように、目に映らない姿になって透子たちの背後を漂っているのだろうか。
「確かにね」
千寛は室内灯の光に透かすように左手を頭の上に持ち上げて見つめた。
「今ごろ真寛は、必死になって僕に呼びかけてるのかもしれないな。俺のからだを返せー、ってさ」
「あなたがそうしていたように?」
「『あなた』じゃなくて、千寛」
「え?」
「僕の名前。暁千寛」
まっすぐな眼差しを向けられ、頬が紅潮するのが自分でもわかる。とても目を合わせていられなくて、視線を下げた透子は蚊の鳴くような声で言った。
「……千寛、くん」
「僕の兄ちゃんの名前は?」
「真寛くん」
「よくできました。そうやって呼び分けないと話がこんがらがっちゃうよ」
千寛は透子に向けて親指を立ててみせた。褒めてもらえたことは素直に嬉しいと思ったけれど、きれいな微笑みで見つめられるとやっぱり恥ずかしい。治まりかけていたからだの火照りまでぶり返してきて、激しく打ち鳴らす胸の鼓動はきっと千寛にも聞こえているに違いない。
「それにしても、どうしてこんなことになっちゃったんだろう」
千寛は写真に目を落としながらつぶやいた。
「真寛、怒ってるかな」
どこか怯えるように、千寛の瞳が揺れた。突然この世に舞い戻ってきたことへの驚きが、彼の中で、少しずつ恐怖へと変わりつつあるのかもしれない。当たり前だ。一度死んだ人間が生き返るなんて、現実では決して起こり得ないことなのだから。