2-2.
真寛に教えてもらってはじめて知ったことだが、毎週水曜日の定例会議と学校祭期間の前後二週間を除いて、生徒会室には人の出入りがほとんどないらしい。それをいいことに、真寛は放課後、自習室代わりに生徒会室を利用しているという。生徒会執行部の特権を惜しみなく行使しているというわけだ。
今日ももともと自習のために訪れる予定になっていたという真寛は、二日連続で透子を生徒会室へ招き入れた。あいている席をすすめられたが、透子は立ったままリュックを机に下ろし、例の写真を手に取った。
「それで、俺に話というのは?」
二人きりの静寂に、真寛の穏やかで耳に優しい声が響く。透子が座らなかったので、真寛も立ったまま透子に問いかけた。
透子は胸に抱くようにして持っていた写真を真寛の前に差し出した。
「昨日の取材中に撮影したうちの一枚なんだけど」
真寛は手渡された写真を黙って受け取り、視線を落とした。プリントアウトしたことで、目を凝らすことなく例のおかしな写り込みを確認することができる。
真寛の目が見開かれる。吐き出された息がかすかに震えているのが透子にもわかった。彼の目にも、自身の背後に写る謎めいた影をとらえることができたらしい。
写真を握る手まで小刻みに震えだした真寛に、透子は言った。
「わたしはプロのカメラマンじゃないから確実なことはわからないんだけど、ただの手ブレではこんな風に、被写体がはっきりと二人に分かれて見えるように写ることは、通常ならあり得ないことだと思うの。だから、この写真は……」
その先に続く言葉を、透子はのみ込むことを余儀なくされた。
真寛の右の瞳から、一粒の涙が伝い落ちた。
「暁くん」
真寛が泣いている。驚愕に瞳を揺らしたまま、悲しみの涙とも、喜びのそれともわからないきれいな雫で、真寛は自らの頬を濡らしていく。
「どうしたの、大丈夫?」
透子は真寛に一歩近づきながら声をかけた。なにが起きたのか、どうして泣いているのかわからない。透子が戸惑っている間にも、真寛の瞳からあふれる涙の粒は次から次へと増え続けていく。
次第に視線が下がっていき、癖のない黒髪が彼の目もとを覆い隠す。震える手で握りしめる不可思議な写真を、真寛はそっと自らの胸に押し当てた。
「真寛」
彼のつぶやきに、透子は聞き間違いを疑った。彼は今、自らの名を口にしなかったか。
「泣かないで、真寛」
少し間隔があいたのち、もう一言、真寛がつぶやく。さっきよりもなお不可解なその言葉を紡いだ声は、心なしか、普段耳にする真寛の声よりもわずかに高く聞こえた気がした。
下がっていた真寛の顔がゆっくりと上がる。写真を胸に抱いたまま、どこでもない遠くを見つめるように視線がやや上へと向けられる。
「あれ」
左手で涙を拭い、あたりを見回したかと思えば、真寛の視線は透子の姿をとらえた。透子と真寛、互いに目をぱちくりさせる。
「僕、どうして……?」
「僕?」
透子の表情が険しくなった。一人称が変わっている。美弥から受けたインタビューでは体面を気にして『僕』と称していたけれど、普段の真寛の一人称は『俺』だ。
真寛は例の写真をまじまじと見つめ、おもむろに左手をグーパーさせ始めた。そのうち「うそ」とか「信じられない」とか「生き返った? まさか」とか、驚きに目を丸くしたり、嬉しそうに笑ったりしながらぶつぶつとひとりごとをつぶやいている。
「あの……?」
いったいなにが起きているのだ。おそるおそる、透子は真寛に声をかけた。真寛も真寛で嬉しさの中に同居する戸惑いを隠しきれない様子だったが、再び透子と目を合わせると、ふわりとやわらかく微笑んで透子に頭を下げた。
「はじめまして」
「……はじめまして」
透子もつられて同じ挨拶を返す。口にしてから、猛烈な違和感に襲われた。
「はじめまして?」
「僕もまだよくわかってないんだけど、そういうことでいいんだよね?」
いいわけがない。真寛はクラスメイトだ。昨日がほぼ初対面だったことは認めるけれど、今になって「はじめまして」と挨拶を交わさなければならないほどでは決してない。
しかし、やはり今透子の目の前にいる真寛は、普段の真寛とはどこか顔つきが違って見えた。立ち姿も、堂々と胸を張るように立つ真寛とは違い、今透子の目の前に立つ真寛はどちらかというと小ささを覚えさせるような立ち方で、真寛の放つ無条件に人を惹きつけるオーラのようなものも感じない。
背中に嫌な汗をかく。足先から悪寒がこみ上げてきて、透子は思わず口もとを手で覆い隠した。指先が震えて止まらない。
まさか。
まさか本当に、あの写真は心霊写真?
真寛の姿形を模して写り込んだ悪霊が、真寛のからだを乗っ取ってしまった――?
「あの、蓮見さん」
「ひっ!」
真寛に声をかけられ、透子は飛び退くように後ろへ下がった。真寛はすぐに「ごめん」と言った。
「わかってる。驚かせてるよね」
「ゆ、幽霊……!」
「あぁ、うん。そう、僕は幽霊。そのとおりだ」
真寛は手にしていた写真を顔の横に掲げ、うっすらと写り込んでいる背後霊を指で示した。
「これが、僕。薄ーく写ってる、影みたいなこいつ」
「……」
「で、こっちが真寛。きみが狙って撮ったほう。このからだの持ち主。わかる?」
こくこくこくこくと透子は小刻みにうなずいた。
うまく回らない頭で一生懸命考える。やはり、今目の前にいる真寛は真寛ではなく、透子の撮った写真に写り込んだ霊の魂が真寛のからだを操っているということらしい。
眩暈を起こしそうになっている透子ときちんと正対し、真寛に乗り移っている霊は、左手を自らの胸に添えて名乗った。
「僕は暁千寛。きみのクラスメイトの暁真寛は、僕の兄なんだ。双子のね」