表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
スワップ・スナップ  作者: 貴堂水樹
最終章 二つの願いが重なる場所 〈千寛〉

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

28/33

1-2.

 祖母にはいつか、なにか大きな恩返しをするつもりだ。祖母が元気なうちに、心から喜んでもらえるようなことをしてあげたい。

 電車に揺られながらそんなことを考えて、またついウトウトしてしまう。もう着なくてもいいだろうと思いつつ、結局着てきてしまった学校指定のニットベストに熱がこもり、いい具合に眠気を誘われる。

 ここ最近、疲れてきているなという自覚はあった。生徒総会を終え、文化祭に向けた準備もいよいよ本格化し、生徒会の仕事は日に日に忙しさを増している。予算の件、当日のタイムスケジュール決め、文化祭準備期間におけるゴミ出しの特別ルールの策定、教職員の配置についてのすり合わせなど、やるべき仕事は盛りだくさんだ。文化祭に先駆けておこなわれる体育祭の運営も同時進行でやっていかなければならず、今週からは毎週水曜日の生徒会定例会に加え、毎週木曜日に開かれる学校祭実行委員会の定例会にも参加が求められている。どちらも主体になるのは千寛たち二年生だ。最後の文化祭にかける三年生の気持ちに精いっぱい寄り添いながらの活動は、生半可な覚悟では務まらない。

 加えて、週末には透子の家でピアノのレッスンを受けている。千寛の場合、ピアノのない自宅でできる練習には限りがあるため、これまで朝一番の学校で勉強に充てていた時間をピアノの練習に使うようになった。音大受験に切り替えたことで筆記試験の科目が大幅に減り、勉強時間はこれまでよりも少なくて済むようになるが、その分実技試験の練習に時間を割く必要があり、結局忙しさは変わらない。受験まで一年以上あるとはいえ、スタートの遅れをカバーするだけの動きが当然のように求められる。日々の生活がハードになることは承知の上だ。それだけ大きな覚悟を持って、千寛は音大受験に臨もうとしている。簡単にを上げるほどやわじゃないし、考えを改めるつもりもない。

 こうして強くいられるのは真寛に背中を押してもらったおかげでもあるけれど、それ以上に、透子の存在が大きかった。一緒にがんばってくれる人がそばにいなかったら、あるいはあきらめてしまっていたかもしれない。

 見た目は小さくて細いのに、透子は案外芯のしっかりした女性だった。誰よりもはりきっている彼女の父親から出される鬼のような課題の山にも弱音一つ吐かず立ち向かい、自分の演奏に納得するまで、指や腕が疲労で動かなくなるまで、何時間でもピアノを弾き続ける。一度折れたという彼女の心は、修復の過程で、二度と壊れることのないような強さを手に入れたようだ。あまりにもまっすぐな彼女の目に、千寛のほうが焦りを覚えるほどだった。

 午後一時から透子が二時間ほどレッスンを受け、その後千寛が透子の父からピアノを教わった。現役教師というだけあり、クラシックに関する知識は豊富で、解説も端的でわかりやすい。おまけに透子の母が「お夕飯、食べていって」と毎回夕食をごちそうしてくれて、至れり尽くせりも度を超えるとだんだん申し訳なくなってくる。

 という話を先日透子にした千寛だったが、「いいの。お父さんもお母さんも、千寛くんが帰っちゃうと急にさみしそうな顔になるから。うちの子になったつもりでいればいいんだと思う」と返された。優しい両親のもとに生まれた透子は幸せ者だと千寛は心から思った。自分の両親も優しかったことを思い出してしんみりしたりもした。

 最初から飛ばしすぎかもしれないと思う瞬間がないわけではない。けれど、おもいきりピアノが弾ける現状が今は楽しくて仕方がなかった。人生をかけてピアノに関わり続けられたらそれでいい。そう思う一方で、真寛の夢を叶えようと必死に医学部進学を目指していた数週間前の自分を忘れてしまいそうになるのもまた、千寛は心の片隅で怖いと思い始めていた。ピアノに没頭する日々が、いつか自分に真寛のことを忘れさせてしまうのではないか。それだけは絶対に嫌なのに、そんな日が来てしまうような気がして恐ろしかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ