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スワップ・スナップ  作者: 貴堂水樹
第三章 同じ音色 〈透子〉
20/33

2-2.

「戸部くん!」

 もしかしたら、屋外にあるテニスコートを訪れたのはこれがはじめてのことだったかもしれない。三メートルほどの高さがあるフェンス越しに、透子はテニス部の赤いユニフォームに身を包む戸部の横顔に呼びかけた。戸部はなにごとかと驚くように目を丸くして、砂ぼこりを舞い立たせながら透子のもとへと駆けてきた。

「はいはい、またおれになにか?」

「忙しいのに、ごめんなさい。一つ、教えてほしいことがあって」

「うん、今度はなに?」

「暁くんの出身中学校って、どこだかわかる?」

「真寛の?」

 また真寛か、という顔を一瞬だけ見せた戸部だったが、透子の思ったとおり、彼は真寛の出身中学校を知っていた。

「それがどうかした?」

「えっと……そう。他に同じ中学校出身の人を知っていたら、教えてほしいんだけど」

「いるよ。ちょうどうちの部に」

 おーい、と戸部はその人物を透子のもとへと呼んでくれた。同じ学年だったが、透子にとっては初対面の男子テニス部員だった。

「そうそう、おれ、暁とは小、中と同じだったよ」

「小学校も?」

「うん。あいつがこっちへ引っ越してきてからの話だけどな」

「前にいた小学校がどこだったか、それも知っていたりしませんか」

「さぁ。おれ、あいつとは同じクラスになったことなくてさ。ごめん」

 そうですか、と透子があからさまに肩を落とすと、その男子生徒は「あぁ、でも」と追加情報を教えてくれた。女子バスケ部にも二人と同じ小学校、中学校を卒業した同級生がいるらしい。

「ありがとう。訊いてみます」

「ていうか」

 戸部があきれ顔で言った。

「そんな話、真寛に直接訊けばよくね?」

 正論なのだが、今の透子には「いろいろと事情がありまして」とあいまいに答えることしかできなかった。

 戸部たちに改めて礼を述べ、今度は体育館へと向かう。テニス部の男子が教えてくれた女子バスケ部員もこれまで一度も話したことのない同級生だったが、マネージャーをしているクラスメイトを頼って橋渡しをしてもらい、具体的な小学校名こそわからなかったものの、隣県の小学校から転校してきたことは突き止めた。

 そこまでわかれば、あとはスマートフォンの検索エンジンから情報を得ることができる。火災事故が発生した年、大まかな地名、暁という比較的めずらしい名字。これらのワードで検索をかければ、小学生の子どもを含む一家四人が死傷した火災事故のニュースはすぐにヒットした。ネットニュースのためさわりの部分しか書かれていないが、鎮火におよそ二時間を要した、大変な火事だったようだ。

 この記事で真寛の実家があった具体的な地名がわかり、出身小学校も判明した。透子に与えられた仕事はここまでだ。この先は美弥の手を借り、当時の様子を探る手筈になっている。

 美弥に報告のメッセージを送ると、折り返しの電話で『明日の放課後、あけといて。取材行くよ!』と指示を受けた。明日は写真部の活動日だったが、どうせ部員の出席率はよくない。毎週律儀に参加しているのは透子くらいなものだったけれど、その透子すら明日は欠席することにした。


 翌日、美弥は透子を連れて真寛の出身小学校へ出向いた。隣県といっても、JRを使えば一時間ほどで到着できる距離だった。

 栄えた駅前には高層ビルが林立し、その隙間に昔ながらの商店が軒を連ねる、商業が盛んな街だった。

 一方で、県道沿いにある駅の北側は古くから高級住宅地として名の知れた地域で、真寛が暮らしていた一軒家もその一角に建っていたそうだ。透子が突き止めた真寛の出身小学校の周辺で美弥が熱心に聞き込みをおこない、具体的な場所を割り出してくれた。

 六年も前のことだ。焼け落ちた自宅の影はなく、土地も現在は別の持ち主の手に渡っており、新しく建った立派な一戸建てには小学生くらいの子どもも住んでいるようだった。駐車場に水色の自転車が置かれている。

「かわいそうな事故でしたよ、真夜中に火が出てね」

 透子たちは、暁家のあった頃にも隣の家に住んでいたという高齢の女性を訪ね、当時の状況を詳しく聞かせてもらった。たった一人、炎から逃れた真寛は、この女性の家の庭に生えていた木に飛び移って命をつないだと聞いている。

「双子ちゃんの、お兄ちゃんだけが助かったんですよ。うちの庭の木にうまく飛び移ってね。煙を吸って、お兄ちゃんのほうも危険な状態だったっていうのだから、本当にもう、なんてお気の毒なことか」

 ご近所付き合いもあったようで、話を聞かせてくれた女性の家で飼っていた柴犬を真寛たちはたいそうかわいがっていたのだという。

「どんなご家族だったんですか、暁さんご一家は」

 美弥は慎重に言葉を選びながら質問を重ねていく。取材は美弥がほとんど一人でおこない、透子は後ろをついて歩いているだけだった。

「それはもう、立派な方でしたよ、お父さんは」

 真っ白の髪を短くしている女性は、年齢を感じさせる手で自らの頬に触れた。

「県立大学で先生をなさっていてね。ナントカ工学の准教授、だったかしら。奥さんも気立てのいい方で、すぐそこのスーパーで働いていました。双子ちゃんもご両親に似て聡明でね。挨拶もきちんとできるし、町内会の清掃活動なんかにも家族揃って参加したりしてね。本当に、あの火事さえなければ」

 惜しむように、女性は表情を暗くする。火災当日の痛ましい光景をの当たりにし、今でも忘れられずにいるようだった。

「あの」

 ここではじめて、透子が声を上げた。

「ピアノの練習の音を聞いたことはありましたか」

 唐突な質問を投げかけられた女性は、しかし丁寧に「えぇ、ありましたよ」と答えてくれた。

「上手なピアノでしたよ。弟くんのほうが弾いていたんです。毎日毎日、それはもう熱心にね」

「お兄ちゃんの、真寛くんのほうは?」

「いやぁ、お兄ちゃんは全然。お庭にバスケットゴールがあって、そっちをがんばって練習してましたから、バスケをね。うちの主人がよく褒めていましたよ、筋がいいって。バスケなんて全然やったことないくせに」

 なにかを思い出したらしく、女性は小さく笑い声を立てながら「おもしろい子たちでしたよ」と言った。

「双子なのに、性格は全然違うんだってお母さんがよく話していました。地域の草取りのときなんか、弟くんは日陰で黙々と草むしりをしているのに、お兄ちゃんは他のお友達と木登りをして遊んでいたりしてね。それでも仲よしだっていうんだから、不思議ですよねぇ。正反対だからこそ、うまくバランスが取れていたのかしらね」

 美弥は微笑ましく女性の話を聞いていたようだが、透子の胸は話が進むにつれてどんどんざわめきが大きくなっていった。

 正反対の性格。大勢の中にいることが好きな真寛と、一人を好む千寛。このあたりのことは以前聞かされていたことと相違ない。

 引っかかるのはピアノのことだ。透子はもう一歩踏み込んで、女性に質問を投げた。

「二人がどこのピアノ教室にかよっていたか、ご存じですか」

「さぁ、そこまでは。でも、お教室にかよっていたのは弟くん一人だけだったと思いますよ」

「え?」

 どういうことだ。真寛は練習こそサボりがちだったものの、レッスンにはかよっていたという話ではなかったか。

「千寛くんだけ、ですか」

「えぇ。学校から帰ってくるとすぐにお稽古へ出かけるんですけれど、見かけるのはいつも弟の千寛くん一人だけでしたから」

「そのとき、真寛くんは」

「あの子は学校の部活動に参加していたんじゃなかったかしら。ほら、バスケ部の。小さい頃には二人で一緒にピアノを習っていたみたいですけど、ぼくはもうやめたんだって、お兄ちゃんが」

「それはいつ頃の話ですか」

「そうねぇ……小学校に上がってすぐの頃にはそう言っていたように思いますけど」

 夕刻の住宅街を、帰路を急ぐ車が通り過ぎていく。風圧に揺らされた髪が、透子の下がった顔に影を作る。

 いつからだったのだろう。いや、たぶん最初からだ。第三音楽室ではじめて言葉を交わしたときから、右手一本の『ラ・カンパネラ』を聴いたときから、透子はずっと、夢を見させられていた。

 一人の高校生が描き出した幻想の中を、誰もが疑いもせず泳ぎ続けている。美しい音色のわずかな歪みに気づいた者だけが、夢から覚めることを許される。

 それこそが真実なのだと透子は気づいた。気づいてほしいと強く望む者の企みによって。

 あの人に会わなくてはならない。彼が苦しんでいる本当の理由を知ってしまった。

 戸部の言葉を思い出す。このまま走り続けたら、彼はいつか壊れてしまう。

 すべて透子が招いたことだ。透子と、あの人が引き起こしたこと。

 撮らなければよかったと一度は後悔した写真。けれど、あの心霊写真は撮られるべくして撮られたのだと今ではわかる。

 撮られなければならなかった。離ればなれになった兄弟のことを、誰かが知らなくてはならなかった。

 それがたまたま透子だった。おそらくは選ばれたのだ、意図的に。透子には、ピアノが弾けたから。

 ありがとうございました、と女性に丁寧に礼を述べ、透子と美弥は帰路についた。電車に揺られている間、透子は美弥とまともに会話することができず、美弥もそれを察し、黙って隣に座ってくれていた。

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