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スワップ・スナップ  作者: 貴堂水樹
第三章 同じ音色 〈透子〉
18/33

1-2.

 開け放たれたままの扉を、透子は呆然と見つめることしかできなかった。追いかける勇気が湧いてこない。

 去り際の一言。苦しみの中で必死に絞り出すように紡がれた声。

 透子の前から姿を消したのは、本当に真寛だったのだろうか。それとも以前のように、写真をきっかけに入れ替わった千寛の魂だったのか。

 カメラのモニターに目を落とす。演奏に集中する真寛と、彼の紡ぎ出す美しい音色にうっとりと耳を傾けているような千寛の影。

 当たり前だが、二人は瓜二つだった。相違点を挙げるとするなら、千寛は小学生の頃に命を落としており、よく見ると真寛よりも若干幼く見える。もともと大人びた顔をしていたのだろう。二人が今もこの世界で同じ月日を生きていたとしたら、一目で見分けるのは困難だったかもしれない。確か真寛は、父親でさえ騙すことができたと話していた。

 その頃の写真を透子は見たことがない。真寛の虚言だとは思わないが、暁兄弟が同じ時間を生きていた頃を透子は知らない。

 それだけではない。真寛のことなど、結局なに一つ知らないのだ。火事に見舞われたという家がどこにあったのか。どんな環境で幼少期を過ごしたのか。

 ろくに知りもしないくせに、これまでただやみくもに千寛の影だけを追い求めてきた。一度言葉を交わしただけでわかったつもりになっていた。

 知りたいと思った。暁真寛とは、暁千寛とはどんな人なのか。どんな兄弟だったのか。あの二人の話ではなく、客観的な事実が知りたい。

 二人のことをもっとよく知り、理解することで、あの不可思議な入れ替わり現象が起きた原因を突き止めることもできるのではないかと思った。真寛だって、なぜ自信の身にあのようなことが起こったのか、ちゃんとした理由を知りたいはずだ。

 カメラの電源をオフにし、ピアノの鍵盤蓋を下ろすと、透子は駆け足で二年四組の教室に戻った。ここにいるとは思わなかったが、案の定、真寛の姿はなかった。

「あの」

 ありったけの勇気を振り絞り、透子はクラスメイトの一人に話しかけた。真寛と話している姿をよく見かける戸部とべというテニス部所属の男子生徒は、はじめて話しかけられた透子のことをものめずらしそうな顔で見上げた。

「ん?」

「暁くん、教室に戻ってきていませんか」

「いや、見てないけど」

 立ち寄りもしなかったということか。となると、向かった先は生徒会室か、あるいは保健室あたりだろう。彼が逃げ込みそうな場所といえばそれくらいしか思いつかない。なにせ透子は、彼のことをよく知らないのだ。

「なぁ、蓮見」

 廊下側の一番後ろの席に座っている戸部が、心配そうな表情を浮かべて透子に言った。

「おまえさ、なんか知ってんの、真寛のこと」

「え?」

「いや、別にたいしたことじゃないんだけど。あいつ、今日は朝からちょっとヘンでさ」

「ヘン?」

「うん。なんていうか、心ここにあらずって感じで。なぁ?」

 一緒にいた別の男子に戸部が同意を求めると、戸部の他に二人いた男子も「そうそう」と大きくうなずいた。

「なんか、ぼーっとしてんだよな、今日は」

「呼んでも一度じゃ返事してくんなかったりね」

「そうそう。上の空ってやつ?」

 男子たちが、いつもどおりではなかった真寛について次々と証言を重ねていく。戸部がそれらをまとめるように透子に言った。

「めずらしいだろ、あいつには。なにかあったんだろうなとは思ってたけど、まさか蓮見が絡んでたとは驚きだよ、正直」

「わ、わたしは……」

 全然気がつかなかった。真寛はいつもどおりなのだとばかり思っていた。昼休みになるまで真寛の存在を意識しないようにしていたせいもあるかもしれない。少しでも意識すると、コンサートの帰りにかけられた真寛の言葉を思い出してしまいそうだった。

 わたしのせいなのだろうか。

 透子は自分の心に問いかける。

 きっとそうなのだろう。すべての発端は、最初に生徒会室で撮ったあの心霊写真にある。あの写真が、いろいろなことを狂わせた。真寛の心が揺らいでいるのも、亡くなった家族の存在を強く感じすぎているせいに違いない。

「おれ、前から思ってたんだけど」

 戸部は椅子の背に深くもたれかかり、真寛のことを頭に思い浮かべるような顔をした。

「あいつ、ちょっとがんばりすぎだよな。すべてのことに完璧を求めすぎっていうか。もうちょいテキトーに生きてもいいと思うんだ。じゃないとあいつ、そのうちぶっ壊れちまうよ」

 戸部の私見に、透子は胸がしめつけられるのを感じた。彼の言うとおりだ。ただでさえ他人のために一生懸命な真寛に、やはり自分が余計な無理を強いている。

 ありがとう、と戸部たちに礼を述べ、透子は生徒会室へと急いだ。昼休みも残り十分を切っている。

 一号棟の一階、職員室の真下にある生徒会室を覗くと、真寛が一人、机に両肘をついて頭を抱えていた。照明のついていない、窓から差し込む光だけが視界を生み出している教室に、かすかに震える真寛の呼吸がただよっている。後ろ姿を見ただけでは、真寛なのか、千寛なのか、どちらとも判断がつかなかった。

「真寛くん」

 いつもよりずっと小さく見える背中に声をかける。真寛は静かに顔を上げ、「ごめん」とよく聞こえないくらいの声量でつぶやいた。

「ダメだな。やっぱり、冷静ではいられなかった」

 ギギ、と椅子の脚が床を鳴らした音に、真寛がはなをすする音がわずかに混じって聞こえた気がした。立ち上がった真寛は、無理やり作った笑みを透子に向けた。

「ありがとう、蓮見さん。きみの写真のおかげで、あいつがいつでも俺のそばにいてくれるんだってことがよくわかったよ」

 瞳がうっすらと潤んでいる。何年経っても薄れることのない悲しみと、彼は必死に闘っていた。

「真寛くん」

 一歩分だけ距離を詰め、透子は言った。

「あなたは、真寛くんなんだね」

 千寛の魂が乗り移ったのではないか。音楽室でのつぶやきを聞いたとき、そうかもしれないと期待した。

 けれど、違った。今透子と向き合っているのは千寛ではない。真寛だ。

 認めるように、真寛は堂々と答えた。

「暁千寛は、もうこの世界にはいないよ」

 死んでしまった。六年前の冬の日に、不運な火災の犠牲になった。

 予鈴が鳴る。無言で透子の横をすり抜け、真寛は生徒会室を出ていった。

 透子は慌ててその背中を追い、廊下に出る。少し先、廊下を東へゆっくりと遠ざかっていく足音に、透子の胸がざわついた。

 まさかと思った。そんなはずはない。

 廊下に響き渡る足音が、普段の真寛がかかとで鳴らす音とは明らかに違って聞こえた。その音とまったく同じ響きを、透子は以前この耳で確かに聞いた。

 千寛の魂が、はじめて真寛のからだに宿ったとき。

 あの日千寛が響かせた音が、廊下に大きく反響している。

 あり得ない。一歩踏み出した透子の足音が混ざり、耐えがたい不協和音になる。

 角を曲がった真寛の背中が、透子の視界から消える。

 聞こえるはずのない音も同時に、ひとけの失せた廊下から消えた。

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