1.
昨日のように早く登校したい気持ちと、真寛に会うことを怖いと思う気持ちがせめぎ合った朝だった。
双子の魂はもとに戻っているだろうか。もしも千寛の魂が真寛のからだに宿ったままだったら。真寛の魂が戻らないままだったら、真寛は、千寛は、この先どうなってしまうのか。
同居する祖母のことは千寛が真寛を演じてごまかすと言っていたけれど、一晩でもとに戻る保証などない。例の写真は今、透子の手もとにある。もとに戻れなかった場合、千寛は学校へ来るだろうか。みんなの前でも真寛を演じ続けるつもりなのか。
一晩じゅうそんなことを考え、悩んでいるうちに、朝一番の教室で真寛、あるいは千寛と二人きりになるのがどんどん怖くなってしまった。千寛の魂が真寛のからだに宿ったままなら、もう一度千寛に会いたいと願った気持ちは叶う。けれど、これから先の生活を考えると、今回の怪奇現象のきっかけを作った透子にとっても決して他人事ではない。責任が心に重くのしかかり、昨日と同じ時間の電車に乗る勇気は時間を追うごとに小さくなっていった。
結局いつも乗る時間の電車で登校した。この時間でも混雑していることに違いはないのだが、同じ人混みでも、客層が変わるだけでずいぶん快適なのだと透子は無駄に感動しながら朝の電車に揺られていた。サラリーマン群と学生群では、車両を漂う雰囲気が違う。
「おはよう、透子ちゃん」
駅からとぼとぼと坂を上り、たどり着いた二号棟の昇降口で上履きに履き替えていると、ちょうど廊下を行く美弥と出くわした。透子たち二年生の靴箱が並ぶ出入り口を入ってすぐ左手に、新聞部、文芸部、映画研究部、写真部が合同で部室として使用している多目的教室がある。美弥はどうやら朝から学校新聞生徒会特別号の作成に勤しんでいたらしい。
「おはようございます」
「ねぇねぇ、例の写真の件だけどさ」
朝からテンションの高い美弥は、さっそく暁兄弟の心霊写真の話題を切り出した。
「あれ、現像してみた? どう、やっぱり写ってた?」
おとといの生徒会への取材以来、透子は美弥と顔を合わせていなかった。美弥が発見者であるくだんの写真について、彼女はその後の経過を聞きたくてうずうずしているようだった。
上履きにきちんと足をとおし、透子は正直に答えた。
「写ってました。ばっちり」
「うそー!」
好奇心で瞳をキラキラさせる美弥に、透子は今日もリュックに入れてきた写真を見せた。美弥の目はさらに輝き、「やばいね」と興奮気味に言った。
「これこそ記事にしたい内容だよ。『激写! イケメン生徒会長の背後霊!』」
「ダメです、絶対」
「なんで」
「ダメなものはダメなんです」
透子は美弥の手の中から写真を奪い取り、目を落とした。何度見ても、美弥のインタビューに答える真寛の背後には千寛の影が写っている。魂が表に出たことで、もしかしたら写真から消えてしまうのではないかと考えたりもしたのだけれど、千寛はちゃんと、今日も真寛に寄り添い続けていた。
「暁くんから聞きました。後ろに写り込んでいるの、暁くんの双子の弟さんなんだそうです」
神妙な面持ちで透子が言うと、さすがの美弥も表情を変えた。
「弟?」
「六年前、ご両親と弟さんを火事で亡くしたって言ってました。おばあちゃんに引き取られて、今でも二人で暮らしているって」
そうだったんだ、と美弥は表情を暗くする。安易に記事にするなんて言ってしまったことを悔いている雰囲気も見て取れた。
「知らなかった。暁くん、双子だったんだね。ご両親も亡くしているなんて」
「自分からは話さないようにしているみたいです。話せば嫌でも思い出しちゃうだろうし」
「そうだよね。でも、だとしたらこの写真、素敵だね。亡くなった弟さんが、こうやって暁くんのことをいつもすぐそばで見守ってくれてるってことがわかってさ」
美弥が透子の手もとを覗き込んで微笑む。美弥の言うとおりだ。心霊写真と言ってしまうとゾッとするけれど、死に別れてもなお仲睦まじい兄弟を写した一枚だとわかれば心がほんわかとあたたまる。
写真の件と真寛の過去について美弥に口外無用とお願いすると、美弥は「もちろん」と快諾してくれた。口の堅い彼女だからこそ、本当のことを話したのだ。未来の敏腕ジャーナリストを透子は心から信頼している。
校舎の二階へ上がり、二年四組の教室に入る。始業まで十五分を切った教室内にはすでに半数以上の生徒が顔を揃え、明るくにぎやかな雰囲気に包まれていた。
教室の中を見回して、真寛の姿を探そうとした。けれど、透子が行動を起こすよりも早く、真寛のほうから透子のもとへやってきた。
「ちょっと」
「え?」
真寛が透子の腕をつかむ。引きずられるように二人揃って廊下へ出て、真寛は透子の腕をつかんだままずんずん教室を離れていく。
二号棟と三号棟、二つの校舎をつなぐ渡り廊下の真ん中で立ち止まる。ようやく手を離してくれた真寛だったが、今度は透子の両肩をつかみ、真剣そのものの顔でまっすぐに透子を見た。
「昨日のことを教えてほしい」
「き、昨日?」
「昨日、気づいたら家に帰ってた。生徒会室できみに千寛の写った写真を見せられたところまでは覚えてる。そこから先、家に帰るまでの記憶がないんだ。なにがあったのか、きみならなにか知っているんじゃないかと思って」
口ぶりから、今透子と向き合ってしゃべっているのは真寛であることがわかる。昨日、千寛の魂はあのあとすぐに再び真寛と入れ替わってしまったようだ。
「いちおう、確認させてほしいんだけど」
「うん」
「あなたは、真寛くんですか?」
真寛は強い衝撃を受けたような顔をし、一歩退いて透子から距離を取った。やはり、今透子の目の前にいるのは真寛だ。千寛じゃない。
千寛の言ったとおりだ。昨日起こった不可思議な現象は、やはりあの一瞬だけの奇跡だった。心が沈んでいくのがはっきりとわかり、透子はため息をつきそうになるのを必死にこらえた。
「やっぱり、そういうことだったんだな」
落ち込む透子のことは見ず、真寛は廊下の窓から外の景色を見つめながらつぶやいた。なにもかもを悟ったような横顔が、窓の外に目を向けたまま透子に尋ねる。
「蓮見さん、昨日生徒会室で起きたこと、包み隠さず教えてくれる?」
透子はうなずき、昨日体験したできごとを余すところなく真寛に話して聞かせた。例の写真を見た真寛のからだに、火事で亡くなった千寛の魂が突然宿ったこと。千寛と直接言葉を交わしたこと。真寛だけでも生き残れてよかったと言っていたことも忘れずに伝えた。真寛は大きく驚きながら、透子の話に真剣に耳を傾けていた。
「そっか、千寛が」
最後に写真を手渡すと、真寛はすぅっと細めた目で写真を見て、背後にうっすらと写る千寛の影を指でなぞった。
「いいなぁ。俺も会いたいよ、あいつに」
真寛の瞳が潤み始める。笑っていない。笑えるはずもない。大切な家族を失って、ずっと一人で生きてきたのだ。
「あの、真寛くん」
透子の決心は固さを増す。なんとしてでも、真寛を千寛に会わせてあげたい。
写真から顔を上げた真寛に、透子は言った。
「もう一度、真寛くんの写真をわたしに撮らせてもらえませんか」
真寛が不思議そうに首を傾げる。
「どういうこと?」
「昨日千寛くんの魂が現れたのは、わたしが撮ったその写真がきっかけだったでしょ。つまり、真寛くんと千寛くんが同時に一枚の写真に写ったことで、千寛くんの魂が真寛くんのからだに宿った。そういうことだったんじゃないかなって思ったの。だから」
「なるほど。あり得ない話じゃないな」
突飛な発想だと笑われるかもしれないと心配していたけれど、真寛は透子の意見を一笑に付すどころか、真剣に向き合ってくれた。
「おととい生徒会室で撮ってもらった写真の中で、千寛が写っていたのはこの一枚だけ?」
「うん。二十枚ぐらい撮ったけど、他には写っていた写真はなかったよ」
「二十分の一か。単なる偶然だったのか、なにか千寛が写り込むタイミングや、あるいはロケーションにポイントがあるのか……。いずれにせよ、もう一度千寛の写る写真が撮れれば、俺のからだに千寛の魂が宿る可能性はありそうだな。一度起こった不思議が二度、三度と起きることだってないとは言いきれないわけだし」
真寛は考え込むような顔で腕組みをする。一生懸命なにか考えている横顔には、やはり千寛の面影はない。
細く開けられた渡り廊下の窓からやや湿った風が吹き込んでいる。つい先日雨が降ったばかりなのに、朝から曇天の空模様は夕方には雨になるらしい。
やがて顔を上げた真寛は、そこになにがあるわけでもない斜め上を見上げて言った。
「どうせ撮るなら、昨日と同じシチュエーションがいいよな」
「昨日と同じ……。つまり、生徒会室で撮るってこと?」
真寛はうなずき、写真を透子にも見えるように顔の横に掲げた。
「昨日は生徒会のみんなで集合写真も撮ったけど、千寛が写ったのは俺一人を撮影したときの一枚だった。同じ時間帯、同じ構図で撮影すれば、同じように千寛の影が俺の背後に写るかもしれないだろ?」
「そうだね。試してみてダメだったら、別の方法を考えればいいもんね」
「そういうこと。蓮見さん、今日の放課後、なにか予定は?」
「写真部の活動という意味なら、火曜日以外は自由参加だから、今日は特に決まった活動予定はないよ」
「だったら、さっそく今日の放課後に決行しよう。問題ないよな?」
もちろんだ。透子ははっきりとうなずいて返した。
ついさっきまで、真寛の協力を得られるかどうか不安に思っていたはずが、気づけば真寛のほうが率先して透子の案をより詳細に練り上げてくれた。さすが、暁真寛。全校生徒の憧れの的。圧倒的なリーダーシップはまさに生徒会長にふさわしい。
透子の一歩前を歩きながら教室へ戻っていく真寛の背中を、透子は不思議な気持ちで見つめながら自らも足を動かした。
昨日も感じたことだけれど、やはり、真寛と千寛では歩き方も全然違う。堂々と胸を張って、足音高く歩く真寛と、わざと足音を立てないように静かに歩く千寛。真逆の性格を映し出すようななにげない二人の仕草の違いに、透子はますます千寛に会いたい気持ちが強くなった。
今、千寛はどうしているだろう。透子の目には見えないけれど、同じ廊下にいるのだろうか。真寛のすぐ後ろを追いかけているだろうか。
今日の放課後、また千寛に会えるだろうか。
そんなことばかり考えていたら、一日じゅう、授業に集中できなかった。




