第98話 石火
溜めた魔力で地面の黒壁全部を、俺に向かって飛ばそうとしたが、それは無駄になりそうだ。
代わりに、41階の階段を見えなくしている、邪魔な黒壁を真横に飛ばした。
ひらけた視界に、アレンに両手を縛られ、連行されているメルを見つけた。
「あの変態め……」
「お前ら、早く武器を捨てろ! この女の髪を全部切って、町中を歩けないようにしてやるぞ!」
「嫌ぁ! やめてぇ!」
馬鹿な脅し文句だが、髪は女の命だと聞いた事がある。
アレンの脅迫に、メルはジタバタと必死の抵抗を見せている。
だけど、自力で逃げるのは不可能みたいだ。首根っこを掴まれている。
「くっ……」
何とかして俺が助けないといけないが、まずは俺を助けてほしい。だが、そんな時間はない。
アレンが左手でメルの前髪を掴んで、右手の剣をオデコに当てて言ってきた。
「早く武器を捨てろよ! 前髪だけ短くするぞ。お前もジッとしてないと、皮ごと切るからな!」
「ひぃっ‼︎」
俺よりも先にあの凶悪変質者を捕まえた方が良いと思うが、誰もそのつもりはないようだ。
俺と同じで誰も動かない。だけど、説得する気はあるようだ。
「アレン、無駄だ。コイツは悪い何かに操られている。人質なんて効かない」
「何言ってんですか! そんなの嘘に決まっているでしょ!」
ガイが俺の状況を説明してくれたが、アレンはまったく信じていない。
まあ、これが普通の反応だ。信じる方が馬鹿だ。
「おい、早く土下座しろ。この可愛い指を一本ずつへし折るぞ。3、2——」
「隊長ぉー! 助けてぇ!」
「やめろ、アレン。冗談にしてもやり過ぎだ」
「それは俺の台詞ですよ! 俺、ソイツに殺されそうになったんですよ!」
「気持ちは分かるが、本当に操られていたのなら仕方ないだろう。無関係の子供を傷つけるな」
多分、隊長違いだが、メルに助けを求められて、ヴァンが止めようとしている。
メルには悪いが状況が最悪すぎて、俺にはどう動けばいいのか分からない。
俺の中では『人質は気にせずに、一人で逃げるんだ』が正解だと思っている。
その結果、髪を切られて、指を折られるけど、それ以上酷い事はされないはずだ。
俺は逃げられ、メルは町に帰れる。結果だけを見れば、最善の手だと評価できる。
「隊長まで何言ってんですか! コイツら、仲間に決まっているでしょ! 俺が押さえている間に倒しちゃってくださいよ!」
「チッ!」
やっぱり、これ以上の良い手を考える時間はなさそうだ。ヴァンとガイが動く前に俺が動いた。
アレンに向かって、ダァンと力強く一歩を踏み出すと、そのまま向かっていく。
指が折られる前には無理だが、二本目が折られる前には助けてやる。
「ちょっ⁉︎ 人質がどうなっても——」
「アレン! 右に避けろ!」
「はい?」
人質を盾にして動揺するアレンを無視して突っ込んでいく。
コイツは口だけだから、子供の指を折るような残酷な事は出来ない。
だけど、後ろから、酷く焦っているようなヴァンの声が聞こえてきた。
ビューン——
「しまった……!」
俺とした事が完全に油断していた。
あの金髪がこんな美味しいところを狙わないわけない。
飛んでくる気配を感じて、背後を振り返ろうとしたが遅かった。
ドスッ! 左胸を何かが貫いていった。
そして、走っている勢いのまま地面に転がり倒された。
「うぐっ……!」
激痛とは言わないが、胸に空いた穴から赤い血がドクドクと流れていく。
こんな時、ゾンビで良かったと思う。普通は心臓がやられたら死んでいる。
「うわぁー⁉︎ こ、これ、俺じゃないですからね‼︎」
「馬鹿野郎! 何故、避けなかった!」
「何を言っている……」
騒がしい声に顔を上げて、何とか前を見てみた。
そこには地面に倒れているアレンと、アレンに抱き抱えられている血塗れのメルがいた。
メルの右胸からはドクドクと血が溢れている。
「メル……?」
理解は出来ないが、俺への攻撃が貫通して、メルまで届いていた。
この状況はそうとしか思えない。
「俺の所為じゃないですよ! これ、どうするんですか⁉︎ 死にますよ!」
「だったら、急げ! ホールドとリュドの二人に治療させる!」
「そんなの無理ですよ! 魔石で肉とか肺とか作れるんですか!」
「うるさい! お前が避けないからだ! さっさと回復薬を持って来い!」
アレンとガイの大声がうるさくて、静かに死ねそうにもない。
ロビンは後で殺すのは決定だが、今はその前にやる事がある。
ちょうどいい具合に血も流れているし、全部流れる前に有効利用してやる。
「あぁ……くそ……」
剣をギュッと握り締めると、ゆっくりと立ち上がった。
痛みはあるが、意識はハッキリしている。まだ動けそうだ。
「ほぉー、その状態で死なないとは、やはりモンスターにでも取り憑かれていたようだな」
「ふぅー……お前を殺すのは後にしてやる」
だけど、動けたところで、メルを奪い取るのは難しいだろう。
槍使いは大人しく渡すつもりはないようだ。
そして、俺も優しく奪い取るつもりはない。
身体から無限に作り出される魔力の圧縮を始めた。コイツ相手に下手な小細工は通用しない。
戦士として俺よりも強いと認めてやる。だから、魔力の暴力で倒すしかない。
魔力を圧縮しては、新しく作り出される魔力を再び圧縮していく。
必要なもの以外は全部失ってもいい。
「……ようやく本気になるか。ちょうどいい、俺もイラついていたところだ」
ただ意識すればいい。俺の身体は岩で出来ている。血の一滴まで岩で出来ている。
動かすんじゃない。操ればいい。それが出来れば前よりも速く強く動ける。
両手両足の圧縮した魔力を解放すると、大きな一歩を踏み出し、槍使いの胴体に剣を薙ぎ払った。
ヒュッ——
「ぐっ……!」
ギィン‼︎ 槍の赤い柄と剣の黒い刃が激しく擦れ合って、火花が飛び散った。
反応できない速さで切ったつもりなのに、まだ足りない。
「やるな!」
「……」
見える。
石突き払い右足脛打ち、槍先振り下ろし左胸刺し、槍先引き突き出し左胸刺し、間合いを取っての槍先回転払い喉切り、槍先振り下ろし脳天砕き——
ガガガガガガガッッ‼︎
「ぐっ……!」
「くっ……!」
ガイの嵐のような乱撃を剣で受けるたびに、手足にヒビが入り、赤い火の粉が身体から舞い散る。
反応も攻撃も防御も出来ているが、お互いの攻撃を防ぎ合うだけだ。
この身体で長く戦えないのは分かっている。
強すぎる魔力の所為で、身体の内側から石化した身体が燃やされ壊されていく。
これでは、石化というよりも石火に近い。
早く決着をつけないと、全身が燃え尽きて、灰のように砕けて死ぬだけだ。
「はぁ、はぁ、命を燃やす諸刃の剣か……その力で何故逃げない?」
少しは体力が落ちてきたようだ。
地面に倒れているメルを庇うように、ガイが聞いてきた。
「俺の力なら、その子供を助けられる。渡せ」
「そういう事か……断る。怪物になってまで生きたとは思わない」
時間がないから言ってみたが、大人しく渡すつもりはないようだ。
それに加勢が来ない。何故かロビンの方に集まっている。
今やる事じゃないが、メルを射ったのを責められているのだろう。
「それを決めるのはお前じゃない。助けた後に死にたいようなら殺してやるよ」
「傲慢だな。神にでもなったつもりか? 何でも出来ると思っているなら、俺を倒して連れていけ」
「はぁ……話し合いのチャンスは与えた。断ったのはお前だ。愚かな選択を後悔しろ」
時間がないのは俺だけじゃない。メルも時間がない。
説得が無理なら、どんな手段を使っても連れていくだけだ。
ドゴォン!
「何を……!」
踏み込むと同時に、左足に集めた魔力でメルの身体を岩塊で包み込んだ。
そして、岩塊を階段に向かって発射した。悪いが優しく運んでいる余裕はない。
「動くな! 中身をグチャグチャに押し潰すぞ!」
「くっ、この卑怯者が!」
「正解だよ!」
ザァン‼︎ 動こうとしたガイの身体を脅迫で僅かに止めると、その左足に即座に剣を振り下ろした。
膝下から切断されて、ガイの身体が傾いていく。戦場では優しさは捨てた方がいい。
命取りになるだけだ。