第159話 人魚
岩板に乗ったまま、水の円形闘技場を見回したが、何も見つからない。
十二メートル程の高い水壁の上には、緑色の樹木が並んでいる。
澄みきった青空に白い雲が流れている。
とりあえず予想を確かめたい。斜め上空に向かって全力で弾丸を発射した。
ここが闘技場と同じならば、すぐに神の結界にぶつかるはずだ。
予想通りに見えない壁にぶつかって、岩の弾丸が森に落ちていった。
「間違いなく、闘技場だな」
森の結界までは水壁から約五メートル、上空の結界は約二十五メートルぐらいだ。
滝の水によって、泉の水位は少しずつ増えている。
地下五十階の開かずの扉を思い出すが、竜人の姿は見えない。
状況的に考えて、水壁の中に隠し通路があると見た方が無難だろう。
水壁の頂上に岩壁を作って、水が横に流れるように誘導する。
泉は直径百五十メートルはあるが、岩壁は高く作らないてもいい。
すぐに調べ終わる。
「ラララ~!」
「んっ、何だ?」
即席の堤防を作ろうとしたが、その前に声が聞こえてきた。
鳥の鳴き声ではなく、若い女が歌っているように聞こえる。
「綺麗な声ですね」
「そうだな。グレッグ、戦闘準備だ。降りて周囲を警戒しろ」
「ゔゔっ!」
闘技場に歌を聴きに来たわけじゃない。
ゾンビ剣士に雷蛇黒剣と氷竜黒剣を抜かせた。
宙に浮かぶ岩板から飛び降りて、グレッグは水面に着地した。
Aランク冒険者だから、水上歩行は習得済みだ。
「ラララ~!」
「あそこか」
謎の歌声は水壁の中から聞こえてくる。黒い影が見えた。
何かいるのは間違いない。問題は歌っているだけの相手を攻撃していいかだ。
泳ぐのと歌うのが好きな、女冒険者や町の住民の可能性がある。
女冒険者ならば、倒してゾンビにすれば問題ない。
町の住民ならば、倒してゾンビにすれば問題ない。
どちらにしても相手が一人ならば、倒してゾンビにすれば問題ない。
町の住民相手でも三対一なら勝てる。
「一分で終わらせてやるか」
製造業で鍛えた俺の技の出番だ。
両手を前に突き出すと、右手で弾丸を左手で青い魔石を作り出した。
左手の人差し指に嵌めた雷の指輪と、武器製造、人工魔石を使って、弾丸に雷を付与していく。
金色に変わった弾丸がバチバチと音を鳴らしている。
【魔石武器製造『死雷岩』】——
大魔導師の称号は得られなかったが、雷、氷、炎の弾丸を作る事には成功した。
弾丸が直撃すると、広範囲に付与した属性が炸裂する魔弾丸だ。
水壁の影に向かって、雷を放つ金色の弾丸を全力で発射した。
対住民用に用意した特別製を食らいやがれ。
「⁉︎」
ドパァン‼︎ 直撃した死雷岩が水壁を吹き飛ばして、直径百五十センチ程の空間を開けた。
水壁の後ろに植物の根が張っている岩壁が見えた。黒い影が別の場所を泳いでいる。
上手く躱したようだ。
「一発では足りないようだ」
魔弾丸は普通の弾丸と違って、連射には向いていない。
一秒一発ぐらいが限界だ。片手で撃てるように練習しないといけない。
「ティル、お前の出番だ。逃げられないように何とかしろ」
死雷岩を撃ち続けているのに、歌声と影が止まらない。
普通の弾丸に変えてもいいが、今更変えられない。
隣の泳げない役立たずに仕事を与えた。
「何とかと言われても……すみません、何とも出来そうにないです」
「だったら上に投げ飛ばすから、燃えやすい木を大量に作れ」
「それなら出来そうです」
「じゃあ、行ってこい!」
五歳の頭では名案は思いつかないようだ。簡単な仕事を与えてやった。
岩板を水壁の上に向かって発射すると、俺だけ飛び降りた。
「うわああぁー!」
悲鳴を上げるだけの邪魔者が消えて、これで接近戦が出来る。
♢
「お前の動きは見切った。もう終わりだ」
水壁の影に向かって教えてやると、両手から黒い弾丸を発射した。
俺は臨機応変な男だ。勝つ為にはこだわりを捨てられる。
新しい岩板を操って、逃げる影に並走して、三メートルの距離から弾丸を連射する。
すぐに水壁から、俺に向かって何かが飛び出してきた。
「ラーッ‼︎」
「おっと! 何だ、コイツは?」
素早く岩板から飛び降りて、水色の塊を回避した。
水面に着地すると、宙を泳ぐ魚を目で追った。
【名前:ローレライ 性別:メス 種族:空魚魔人 身長:181センチ 体重:72キロ】
上半身は人間で、腰の辺りから魚に変わっている。
細い右手には、水で作られた三つ叉の槍が握られている。
濡れた長い金髪に透き通る白い肌、膨らんだ胸は隠すつもりはないらしい。
水色の鱗を持ち、腰の左右に小さな腰ビレが見える。
つま先の部分に三つ山の大きな尾びれが付いている。
「ただの露出狂か」
左腰から緋色の剣を抜いた。
半裸は姉貴で見慣れている。俺には効かない。
左手を向けて、宙を泳ぐ人魚に弾丸を連射した。
「なっ⁉︎」
三発の弾丸が人魚の身体に命中したが、柔らかい肉を押し潰して、滑るように通過していった。
「ニヒィー!」と人魚がいやらしい笑みを浮かべて笑ってきた。俺の弾丸は効かないらしい。
随分と柔らかく頑丈な肉を持っているようだ。
「キャハハハハ!」
「刺し身にするか」
振り回される水の三叉槍の矛先に、泉の水が水蔓のように伸びて集まり出した。
巨大な水球が出来上がっていく。
ダンジョン主と同じ強さの魔人と思った方が良さそうだ。
手加減して勝てそうにない。
でも、グレッグは遠距離攻撃を使えない。
ティルは大木を作って遊んでいる。
まともな戦力は俺一人だけだ……仕方ない。
俺は手加減しないが、女人魚だからハンディをくれてやろう。
これで一方的な戦いにならずに済みそうだ。
「ラーッ!」
人魚が叫ぶと、三叉槍を地上に振り下ろした。
集まった水蔓が逆流するように、水面の俺とグレッグに落ちてきた。
「無駄だ」
「ゔゔっ」
ドパァン‼︎ 振り下ろすたびに二十本近くの水蔓が、追尾するように上から落ちてくる。
水面を走って躱して、岩板を作って空中に飛んだ。年齢不詳の女と水遊びする趣味はない。
胸の脂肪を切り落として、オスかメスか分からないようにしてやるよ。
「ラーッ、ラーッ!」
接近する俺に人魚は三叉槍を振り回して、無数の水蔓を放ってくる。
放物線を描いて、指先で包み込むように向かってくる。
「くっ、面倒くさい女だな!」
人魚が宙を逃げ回りながら、三叉槍を振り回してくる。
二百近くの圧倒的な水の矛先が、絶え間なく飛んでくる。
水の補給を断たないと、迂闊に近づく事も出来ない。
「ティル、木を燃やせ!」
遊びは終わりだ。森で遊んでいるティルに新しい仕事を与えた。
ティルが動き出すと、緋色の剣を鞘に納めて、人魚に両手を向けた。
そして、左手の中指の氷の指輪を使って、『死氷岩』を発射した。
青白い弾丸が直撃して、水の矛先が凍りついていく。
だけど、弾丸は途中で破壊されてしまった。
「アハァ?」
『何、それ?』……みたいな表情で人魚が軽く笑った。
直撃すれば笑う余裕がないと、教えてやりたいが、狙いはこれじゃない。
炎剣を刺された木が燃え始めた。消化活動してもいいぞ。
「ラーッ!」
「でしょうね」
人魚は火事を無視して攻撃してきた。
余計な事をするつもりはないようだ。
飛んできた水槍を回避して、お返しに死氷岩を発射した。
お互いの攻撃が躱され続け、泉の水位が上がり、小さな森が燃え広がる。
「そろそろいいな……」
十分に燃え広がった森を見て、紫色の剣を抜いた。
【リベンジ・ドラゴンベイン:魔剣ランクA】——紫竜の怨みが篭った紫色の剣。炎を紫氷に、氷を紫炎に、紫炎と紫氷は両方に変えられる。使用者は紫氷と紫炎を自由に操れるが、使用中は激痛に襲われる。
呪われた魔剣だが、不思議な事に使用中に激痛に襲われた事はない。
ちょっとチクッとするだけだ。森に向かって飛ぶと、燃える木に剣を突き刺した。
一瞬で炎が凍りつき、紫色の氷に変わった。
「ラーッ!」
「もう遅い」
人魚が三叉槍を振って、水蔓を飛ばしてきた。
こっちも剣を振って、木にくっ付いている紫氷の塊を飛ばした。
空中で水と氷を激突させて、水蔓を一瞬で凍りつかせた。
「ラ……」
三叉槍を振った状態で、人魚が啞然とした表情で停止している。
ここから全ての水を凍らせて、お前を冷凍人魚にしてやる。
その後はしっかり焼き人魚にしてやるよ。