第106話 森のバラ園
フェンリルと比べると、氷竜は楽な相手だった。背中に乗っても凍結しなかった。
激突した衝撃で、空中でゴーレムが七回破壊された事以外は特に問題なかった。
「さてと、強化するぞ」
「あうっ」
必要な氷竜の鱗十枚が集まった。
45階の階段の中に入ると、剣に青白く輝くしずく型の竜鱗を吸収させていく。
素材集めは結構苦労したけど、終わってみたら案外早かった。
二年以上かけて一回も強化できなかった剣を、たったの数日で二回もやり遂げた。
「今度は何色になるんだ?」
鱗を十枚吸収させると、剣が光り輝いて形を変え始めた。
輝きが消えるまで待って、茶色の鞘から剣を抜いてみた。
「チッ……銅色かよ」
両刃の剣の白銀の刀身に、輝く銅色で三日月の模様がたくさん入っている。
高貴な雰囲気や年代物の雰囲気がして、俺の趣味にはちょっと合わない。
基本的に無地が好きだ。
【エンシェント・ストーム:長剣ランクB】——持ち主に素早さ上昇の加護を与える。
【強化素材:???】
「ここまでか……」
俺の調べるLV6では、これ以上の強化素材は分からないようだ。
分かったとしても、45階から先に行かないと素材は手に入らない。
また、命懸けの素材回収はしたくない。
でも、ここまで来たんだから、45階まで行くという選択がある。
虹色魔玉を七個集めれば進化できる。もしかしたら、凄い力が手に入るかもしれない。
この階段を下りれば、すぐそこが45階だ。
「どうする、メル? 45階に行くか?」
「あうっ」
「危ないんだぞ。それでも行くのか?」
「あうっ」
「分かった。行かないんだな?」
「……」
どうしようかとメルに聞いたら、理解して頷かれてしまった。三回目の引っ掛けには頷かなかった。
おそらくヴァン達は宝箱を放置して、一直線に50階を目指している。
50階まで体力を温存して、余裕があったら、帰り道に宝箱を回収するつもりなんだろう。
だとしたら、45階に戻るまで時間がかかると思う。
その間に虹色魔玉を七個集めて、俺が進化すれば、待ち伏せ作戦の成功率がアップする。
万が一にもヴァン達と45階で遭遇した場合は、分散している相手を一人ずつ倒せばいい。
倒した相手が虹色魔玉を持っていたら、遠慮なく使用させてもらう。
それが出来れば、俺とメルの二人が進化できる。
俺の場合は進化に時間がかかるから、その辺だけは注意しておこう。
「確かに悪くはないな。よし、じゃあ行くか」
「あうっ」
次の作戦を考えた。悪くはない作戦だと思う。
武器は強化したし、オヤジ狩りの成功率は高い方だと思う。
やられたらやり返せ。盗られたら取り返せだ。
♢
地下45階……
階段の安全を確かめると、メルを連れて『森のバラ園』にやってきた。
一般的には異なるバラの花色と、バラの茎にある棘のイバラから、『異薔薇の森』と呼ばれる事が多い。
明るい森の気温は、二十四度ぐらいと少し暑いが、氷海からやって来た冒険者には天国だ。
赤、白、ピンク、黄、青、紫、緑、黒色のバラが、木に巻きついた状態で咲いている。
モンスターさえ出なければ、緑色の大地に寝てしまいたい衝動に襲われる。
「うえっ……香水みたいに臭いな」
だが、花の匂いが強烈なので、ここでは嗅覚は使いものにならない。
まあ、そのお陰で俺の身体の臭いも誤魔化せるからちょうどいい。
気づかれずに奇襲しやすいだろう。
「メル、宝箱はあるか?」
「あうっ!」
「よし、じゃあ案内してくれ」
「あうっ!」
頭を縦と横に振るような単純な質問なら、メルにも理解できるのは分かっている。
宝箱がある事を確認すると、早速案内を頼んだ。
太った背の低い木が立ち並ぶ、綺麗な緑の森の中を警戒しながら進んでいく。
ヴァン達が既にいる可能性もある。十分に気をつけないといけない。
「確か……『ウッドエルフ』だったな。使役できるのか?」
ここにいるモンスターは、姉貴情報ではトレントの最終形態らしい。
人間サイズの緑色の身体に、茶色い蔓で出来た弓を持っているそうだ。
その弓で、身体から作り出した毒、睡眠、麻痺の三種類の矢を射ってくるそうだ。
だが、残念ながら、ゾンビに三種類の毒矢は効かない。
純粋に矢の威力だけを警戒すればいいだけだ。左手に黒岩の丸盾を装備した。
頭を射ち抜かれなければ大丈夫だから、久し振りの散歩を楽しませてもらう。
ずっーとゴーレムの中だったから、いい加減に自分の身体で歩きたい。
「んっ?」
ゆっくり散歩を楽しんでいると、前方に緑色っぽい三人組が見えた。
メルを静かに止めると、太い木の後ろに隠れた。
モンスター探知があればいいのに、それが使える黒髪の女はもういない。
「間違いないな」
敵を確認した。いや、味方は最初から誰もいなかった。
緑人間達は茶色いねじ曲がった弓矢に、黄色い枝の矢を番えて歩いている。
黄色は麻痺矢だから、刺さった獲物は動けなくなるらしい。
「さて、どうしたものか……」
別に無理して倒す必要はない。
剣の強化素材でもないから、倒す意味があるとしたら、一時的な安全確保ぐらいだ。
しかも、それも瞬殺できた場合のみだ。
長期戦になったら、他の仲間が応援にやって来るかもしれない。
「うーん、ここは見逃すか」
よく考えた結果、見なかった事にした。
狭い森の中をゴーレムで動き回るのは面倒そうだし、ウッドエルフは素早そうだ。
それにヴァン達の為に気配を消す練習もしたい。派手に暴れ回るだけが戦いじゃない。
「よし、行くぞ。宝箱を見つけても、静かに指で指して教えるんだぞ」
「……」
ウッドエルフが遠ざかったので、散歩を再開する。
メルに新しい散歩方法を小声で教えたら、無言で頷いた。
理解力がついてきたのか、俺の本気度が伝わったのだろう。
そう、これは遊びは遊びでも、人生を賭けた命懸けの遊びだ。
敗者には何も残らない。忘れ去られるだけだ。
「……」
「どうした?」
ウッドエルフから隠れながら森を進んでいると、メルが急に俺の腹を右パンチで殴ってきた。
痛くはないけど、連続で殴られるような事をした覚えはない。
「あうっ、あうっ」
「あの果物がどうかしたのか? ああ、食べたいのか。ちょっと待っていろよ」
何を言っているのか分からないが、木になっている卵型の緑色のデカイ実を指差している。
多分食べたいから、俺に取ってくれと言っているんだろう。
仕方ないから背の高い俺が取ってやるしかないな。
鞘から剣を抜くと、ジャンプ斬りで枝ごと切り落としてやった。
「見た事ないな。食えるのか?」
「あうっ、あうっ」
緑色の実には白い斑点がついていて、縦の長さは15センチはある。
剣で半分に切ると、中まで緑色をしていた。色的には熟してなさそうだ。
果肉と果肉の間に白い壁があるから、おそらく柑橘類の仲間だろう。
「うわっ、すっぱ⁉︎ これは駄目だ、食べない方がいい!」
メルに変な物を食べさせる前に、自分で軽く舐めてみた。
口の中に強烈な酸味が広がっていく。明らかに人間が食べたら駄目なヤツだ。
「ゔあっ、ゔあっ!」
「いや、本当に不味いから……」
俺の的確な感想はどうでもいいみたいだ。果物を渡せとメルがまとわり付いてくる。
人形遊びに飽きたから、今度は食べ物に手を出したいみたいだ。
やれやれ、仕方ないヤツだな。
口で言っても分からないなら、お前の口に搾りたてジュースを流し込んでやろう。
自分の口なら分かるだろう。
「分かった分かった。口をあーんしろ。飲ませてやる」
「ゔあー」
俺の言う事を無視すればどうなるか、後悔させてやる。地面をのたうち回れ。
口を開けて待ち構えているメルの為に、半分に切った果物を両手でギュッと押し潰した。
すっぱそうな果汁がメルの中に落ちていく。
「んっ? 大丈夫なのか?」
「ゔあっ、ゔあっ!」
「まだ飲むのか?」
だが、予想外の事が起きた。普通に飲んでいる。
それどころか、もう一個飲むと要求してきた。
ゾンビになったから、俺の味覚がおかしくなったのだろうか。
いや、下級ゾンビだから味が分からないだけだろう。
上級ゾンビの俺のような繊細な舌を持ってないだけだ。
可哀想なヤツだ。不味いものを不味いとも思えないなんて。
「ほら、自分で食べろ。休憩は終わりだ。案内しながらでも食べられるだろ?」
「あうっ」
「よし、じゃあ行くぞ」
他にも果物がありそうだが、すっぱ緑三個もあれば十分だろう。
半分に切った果物を渡すと、森の宝箱探しを再開した。