第五話 恋人について⑤
「グオオオオオオオ」
耳をすんざくほどの凄まじい唸り声が、洞窟内を鳴り響く。雄叫びだけで地面が震えているかと錯覚するような迫力と轟音。耳がおかしくなりそうだ。
「あれどうやら、女の子のようね。胸があるわ。それにグリフォンギルドの徽章をかけてるわね。」
「まじか…よく見えるな……。」
キンググレートボアなど気にすることも無く、アズは奥の死骸の山を見ている。
彼女にとっては目の前の猪より、生きているあの獣人が何者かの方が気になるらしい。
「グモオオオオオオ!!」
無視されているのに怒ったのか、キンググレートボアが僕らに向けて突進してくる。
その巨体故か走った後の地面は大きく凹んでおり、地響きがうるさい。
「はぁ……どうすんのよ、この猪?」
「とりあえずプランBだ!。」
「はいはいプランBねプランB……って何それ?初耳よ。」
「プラン何とかっ!ってかっこいいじゃん?」
「あんたの感性はガキから止まってるわけ?やばっ!変なこと言ってる間に来ちゃったじゃない!」
僕とアズは双方向に走って、突進を難なく交わす。
ズドンッ
という音が洞窟内に響いた。
キンググレートボアが壁に衝突したのだ。
その衝撃でパラパラと天井から小石が降ち、地震かと錯覚するほど地面が揺れる。
かなりの威力の突進だ。
先程まで立っていた場所はすでに大きく抉れており、そこからも突進の驚異性が伺える。
アズは走ってキンググレートボアから距離を取りながら、弓を構える。
「クソデカ猪!とりあえず1発くらっときなさいよっ!」
彼女が矢を放つと、それは通称クソデカ猪のお尻の上辺りに命中する。
当たった場所は大きく抉れ、勢いよく血が吹き出した。
この威力は、もちろんただ弓を引いて出せるような代物では無い。
アズは弓矢に風属性の魔力を流し込んでいるのだ。
前にも言ったように、魔力は流し込むことでその流し込まれた物の性質を向上させる。
彼女の弓矢の威力は、故に強力になっているのだ。
それに加え、彼女は矢を放つ際に10何個かの魔法陣を展開させている。瞬間的なので分かりずらいが、弓のスピードを上げる加速魔法や、弓に追い風が吹く風魔法、矢の威力が上がるように飛翔中に回転する風魔法など、弓矢の性能を引き伸ばす魔法が多く発動しているのだ。
この魔法陣のカスタマイズが非常に重要で、使う本人の実力を如実に表す。
カスタマイズするに当たって魔法陣の重複も可能で、加速魔法を20個ぐらいつけることもできる。
僕は昔それをやって弓を射ったら矢が空中分解した挙句、制御出来なくなって顔面に飛んできた。
最悪の思い出である。
また、人によって瞬間的に展開できる魔法陣の量や、集中して展開できる魔法陣の量の限界、それに加え魔法陣の質、組み合わせの順番……と、風属性の魔弾を放つだけの魔法でも、性能は人によって大きく変わる。
さらに複合魔法を使うならば、呪文まで加わるとなると……完全に他人と一致することはまず無い。
自分の実力を把握した上で、使える魔法に使える魔法陣をどの量で、どのぐらいの質で、どの組み合わせで、いかにオリジナル魔法を作り上げるか……、
それが魔法の面倒くさいところでもあり、面白いところでもある。
「グモっ!?モオオオオオオッ!」
キンググレートボアはアズの弓矢が痛かったようで、悲鳴のような叫び声をあげた。
素早く振り向き、アズに向けて突進しようと姿勢を構える。
ただ……遠距離が得意なアズに突進されても困るので、面倒くさいが自分にタゲを持ってこさせねばならない。
ちなみにタゲとはターゲットの略で、要は相手が敵意を向ける相手のこと。
僕は地面に手を付くと、魔法陣を展開する。
手の着いた周りの地面を変化させて槍を何本か作り出し、キンググレートボアに向けて射出する。
まさに土属性と風属性のを融合した、僕だけの魔法だ。
ちなみに異属性同士を掛け合わせた魔法は、合成魔法と呼ばれる。
違う属性同士が混じりあうと魔法の性能が大きく上昇するという効果があるため、多属性を扱えることは想像以上に恩恵が大きい。
複合魔法に合成魔法と、名前がややこしいことだけが欠点だ。
「グオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!」
見事に命中し、キンググレートボアの鋭い目が僕の方にギラりと向く。
そして僕のいる場所に向けて勢いよく、走り出した。お得意の突進である。
真正面から見るとやはり、その迫力は圧巻の一言だ。
僕は走って突進の軌道から逸れつつ、足元の地面を槍に変化しては飛ばす。これを一歩一歩地面を足で蹴る度に繰り返すのだ。
これぞ、逃げながら攻撃する超姑息戦法。
気持ちはさながらモンゴル帝国のチンギス・ハーンだ。
キンググレートボアはまたも壁に衝突し、放った土の槍で血だらけである。
さらにアズが遠方から弓矢で連射しているために、体は所々抉れ貫通している。
完全にこちらのペースだ。
だが流石、危険魔獣と言うべきか……、一筋縄の魔物では無かった。
キンググレートボアは怒り混じりに勢いよく振り向くと、地面に数個の魔法陣を出現させた。
地面が隆起し、何本もの土の槍が自分たちに向けて勢いよく伸びてくる。
それはさながら触手のようであり、津波のようでもあった。
「魔法使えるのかよ……」
苦笑いしながら体に風属性の魔力を大量に循環させる。
素早く走りながらステップを踏んで伸びてくる槍をできるだけ交わした。
避け切れない土の槍は、剣を抜いて切り落とす。
気付くと、アズの傍にたどり着いていた。
ドーム状の部屋は広いと思っていたが、走り回っていると意外と狭い。
アズは矢を無数に放って、伸びてくる槍を破壊した。ただ1、2本残っている。
「はい、後は任せたわよ。」
「何で、僕がやるんだよ……。」
渋々伸びてきた槍を、切り落とす。
「あの猪倒すの面倒くさいわね。丈夫な上に魔法使えるし……フォス、何か倒す良い案はないの?」
「ないの?と言われても、耐久戦するしかないだろうね。時間かかるけどそれが一番確実に勝てると思うよ。」
「やっぱ、そうよね。面倒くさいけどやるしかないか……。日が落ちるまでに終わるといいけど。じゃないと、この洞窟で野宿することになるわ。私そんなの嫌よ。」
「それは僕も嫌だ。できるだけ早く倒せるよう努力しますか。」
「そうね。あと言っておくけど、あの死骸の山の方向には逃げないでよ。クソ猪の巻き沿いくらってあの獣人死んじゃったりしたら、後味が悪いわ。」
「りょーかい。」
キンググレートボアは魔法を全て防がれたことを察すると、僕らに向けて走り始めた。
ただ、その突進はいままでの攻撃とは少し違う。
走りながら魔法を発動させてきたのだ。
大量の土の槍や壁が、自分たちの退路を塞ぐように迫って来る。
さらに先ほどまで以上に魔力が体を循環しており、突進のスピードも上がっていた。
ただの脳筋かと思ったが、少しは知能があるらしい。
「フォス!こっち来なさい!」
アズは突進を避けようと右方向に走り出す。
僕も彼女の言葉を聞き、背中を追うように走った。
案の定彼女の目の前には、大量の土の壁や槍が迫ってくる。
アズにはこれを切り抜ける術があるのか…?そう疑問に思ったが、それは完全な杞憂であった。
アズは短剣を懐から取り出し魔力を大量に込めると、迫りくる土の壁めがけて投げ放ったのである。
短剣は眩い光を纏い、残像が一本の線を描く。
そして土の壁に大きな風穴を開けたのだ。
その穴はすぐに塞がろうとするが、その間にアズと自分は通り抜ける。
キンググレートボアの突進を無事、避け切ったのである。
「アズって、短剣でこんなこともできたんだな。」
「当然でしょ。私はフォスと違って日々努力し成長してるのよ。」
「よくもまあ、朝から酒飲んでる人がそんな大層なこと言えたね。」
「一日何もせず、ぼけ~としているあんたよりましよ。」
「それは一理というか百里あるね。」
「それ、自分で言ってて悲しくならないわけ?」
アズはやれやれ系主人公みたいな、やれやれ顔でそう言った。
キンググレートボアは、相も変わらず壁に衝突する。
だが、今までに比べスピードを出していたこともあり、壁への衝突による衝撃は過去一番で大きかった。
壁は大きく凹み、天井から小石が雨のように降ってくる。
元々傷を多く負っていたこともあり土の凹凸の激しい壁が深く食い込んだため、血しぶきが飛んだ。
「グモォォォォォォ!!モオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!」
キンググレートボアは今までに聞いたこともない声量の咆哮をあげる。
勢いよく暴れ出し、体を地面や壁に叩きつ地面を何度も踏みつけていた。
その姿を見てると、スーパーなどで『ママ~買って~!』と床にごろごろしながら暴れる小さい子供を思い出す。
子供だからしょうがないと思えるか、こいつ邪魔だなと思うかで、その人の人格形成がどのくらいか分かる訳だが、キンググレートボアが暴れている姿を見ても狂気しか感じない。
魔法までもがでたらめに発動し、大量の魔方陣が壁や地面に展開された。
眩い光がキンググレートボアを包む。
洞窟と言う比較的暗い場所であるがために、その光が眩しくて鬱陶しい。
土で形成された槍や壁が全方向に、濁流のごとく凄まじい迫力で押し寄せて来た。
もちろんそれは僕らが立っている所だけでなく、キンググレートボアの食料となる死体の山も例外ではない。
「アズ!獣人の方が危ない!」
「そんなの分かってるわよっ!」
僕とアズは魔力を大量に足に流すことで脚力を上げ、加速魔法などを使い更にスピードを上げる。
何とかキンググレートボアの魔法が到達する前に、死体の山の前にたどり着いた。
魔方陣を展開し、土の壁を後ろの獣人まで守れるように生成する。
アズは僕の魔力に波長を合わせ、風属性の魔力で防御魔法を重ね合わせた。
合成魔法による強固な防御壁が誕生し、二人で大量に魔力を流し込む。
激しい魔法同士の衝突。
ビリビリと少し手が痺れるような感覚を味わいながらも、何とか攻撃を防ぎ切った。
だが今の攻撃は、まだ終わりではなかったのだ。
再び、キンググレートボアの下に魔方陣が展開されたのに気づく。
「やっぱり魔物の魔力量は馬鹿にならないな。」
「あのクソ猪、連続で魔法使い過ぎよ!少しは休ませなさいよね。とりあえず、双方向から攻撃するわよ!」
アズが再度走り出すのを見て、彼女の指示に従い逆方向からキンググレートボアに向けて走る。僕は右から、アズは左から、大きくドーム状の部屋を回るようにして高速で走っている状態となった。
瞬時の指示であったが、この作戦には大きく三つの利点がある。
一つ目に、再び今いる場所から離れることで死体の山に埋もれている獣人の少女に攻撃が向かなくなること。
二つ目に、互いが離れることでキンググレートボアの攻撃を散らせること。まとまっていては魔獣から見れば攻撃目標が追いやすく攻撃もしやすい。
三つ目に、双方向からの攻撃は防ぎ辛い。
ただ、不利な点があるとしたら互いが離れてしまうためカバーがし辛い。
それを分かっていたのか、キンググレートボアが作り出した大量の土の槍はアズに向かって一斉に直進した。
だが、それを防げないアズではない。それに自分の方から見ればキンググレートボアはがら空き。
これは大きなチャンスだ。そう思っていた……。
アズは弓を走りながら構え、向かって来る槍を破壊するため弓を放つ。
土の槍など彼女の弓の威力をもってすれば、木の槍とさして変わらない。
だが……
ミシッ
と音が弓から鳴った。それは彼女にしか聞こえないほどの小さな音。
だが、それは大きな綻び。アズの放った矢はあらぬ方向に飛ぶ。
「嘘っ……このタイミングでっ!」
アズの弓には小さな亀裂が入っていた。
これでは、魔物の攻撃を防ぎきることはできない。
短剣を先ほど使ってしまったため、攻撃を捌くことも難しい。もちろん予備はあるが瞬時に出せる場所には無かった。
迫ってくる槍を、瞬時に弓を盾にする形で受け止める。
防御魔法や風魔法を駆使するも、唐突なことだったため完璧ではない。
「くっ!……がはっ!」
アズは攻撃を抑えきれず、後方に突き飛ばされた。
高く宙を舞い、壁に激突する。体全体を強打し、肺からは空気が強制的に漏れた。
体は激しい痛みを主張し、体が思うように動かない。
反射的に歯を噛みしめてしまうほどの痛みが、脳を正常に動かすのを許さず魔法を起動することができなかった。
そして……それを見逃すほど、キンググレートボアという魔物は甘くない。
フォスなどには目もくれず、キンググレートボアはアズに向けて勢いよく突進を始める。
勢いよく地面を蹴り、高く土埃が舞い上がる。
明らかに、今までの最高速度。
「アズ!」
僕はその状況に戸惑い、そう声を上げた。
だがアズは立ち上がれる様子ではないらしく、もちろん返事なども帰ってこない。
「くそっ、まずい!」
走り出すキンググレートボアの背中を追うようにして、足を踏み出す。
だが魔物の想像以上のスピードから鑑みるに、追いつくことは明らかに厳しい。
さらに、追いついてもあの突進を止める手段はあるのだろうか?前に出ても自分一人の力では受けきるのは酷く困難だ。
ただ、キンググレートボアに追いつき突進を止める……それが完全に不可能と言うとそれは違う。
一応方法はあるのだ。ただ、その手段では魔力消費が大きく自分の体への負担も大きい。
だが……、どうやらやる以外の手段はないようだ。
「僕の体もってくれよ……。」
地面に手をつき、二十個以上の魔方陣を展開する。
すると地面が自分を乗せたまま勢いよく隆起し、アズの場所に向けて高速で伸びていく。
スピードを出すため、加減など気にせず大量の魔力を流し込む。
下から見れば、それは竜に乗っているようにすら見えるだろう。
細長い土でできた竜が、アズに向けて飛翔する。まるで日本昔話だ。
キンググレートボアがアズの前に到達するのと、フォスが到達するのはほぼ同時であった。
僕は天井すれすれの高い場所からキンググレートボアの背中に向けて、剣を振り上げて飛び降りる。剣は土と風の魔力を宿し、七色に輝いた。
大量の魔力は空気は震わせ、剣を握っている自分の手すら静電気のようにピリピリと痺れる。
「止まれええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!」
この一撃でキンググレートボアを仕留められなければ、アズはきっと儚い命を手放すことになるだろう。絶対に失敗できない、絶対に成功させなければいけない瞬間。
緊張からか、手は少し汗ばむ。それでも僕は全力で剣を振り下ろした。
アズから見ると、フォスの姿はキンググレートボアの影となり見えていなかった。
彼女の瞳に写るのは、容赦なく突っ込んでるキンググレートボアの姿のみ。
心なしか、そのクソ猪の顔はニヤリと笑っているように見えた。
アズは自身がこの突進を受けきることなどできないことくらい、分かっていた。
魔法を発動するのは難しく、魔力を体に流すのが精一杯。
それでも痛みからか、はたまた恐怖からか…足は震え踏ん張ってくれなかった。
「死にたくない……」
彼女の口からそう言葉が漏れた。
だがどうしようもない。自身にできることは残っておらず死を待つだけの状態。
恐怖は迫ってくる地面のうなりを聞くたび、どんどんと増していく。
一握りほどだった不安は、両手で掬える量を等に超えてあふれ出してくる。
視界が暗くなり、体の震えが止まらない。外から何も聞こえなくなり、声が出なかった。
走馬灯だろうか?不意に昔のことを思い出す。
死んでしまった母の姿。殺されたときの父の顔…決別した妹の……
嫌だ、死ぬなんて嫌だ。私はあの地獄を超えてここまで来た。
絶対に…死ぬなんて……、ここで死ぬなんて嫌だ!
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ………
そう思っても現実は何も変わらない。
無慈悲にもキンググレートボアは彼女の寸前にまで迫っていた。
迫力が肌を震わせ、衝撃が髪をざわめかせる。
「フォス…助けて……」
アズの瞳から、一筋の涙が流れた。
その瞬間……
彼女の眼に飛び込んできたのは、七色の虹であった。
虹に輝く剣がキンググレートボアのお腹を真っ二つに切り裂いたのだ。
キンググレートボアの巨体は彼女の目と鼻の先で止まり、彼女の恐怖と絶望は眩い光に溶かされるように薄れていく。
「ウガアアアアアア、ウウウウウゥゥゥゥゥゥ………ゥ…………。」
キンググレートボアの咆哮は小さくなり、数秒後には完全に沈黙する。
アズは何が起こっているのかが、良く分からなかった。
恐怖の対象はいつの間にか絶命し、潰れるはずの体は何の怪我もなくピンピンしている。
死を目前に見えなかった景色は、天井から漏れる夕焼けの光に照らされる洞窟を見せた。
何も分からず呆然としていると、空中から落ちてくる青年の姿を捉えた。
そのときアズは全てを理解した。暖かい感情のようなものが心を駆け巡る。
動かなかったはずの体は動き、魔力は体を循環して足は走り出す。
アズはフォスの体を完璧に受け止めた。
「ふう、やべぇ。体いってえ……、アズ大丈夫か?受け止めさせてごめんな。」
彼はいつもの締まりのない笑みを浮かべていた。
その表情を見て、心から安堵している自分自身にアズは驚いた。
緊張は消え、こわばっていた筋肉が緩む。
どうやら私にとって、彼はどうしようもなく日常に溶け込んでいたらしい。
「助けるの遅いのよ……。怪我人に動かせるとかどういう神経してるのよっ!もう…本当……、本当に…馬鹿なんだからっ……。」
アズは瞳から涙をこぼしながら、満面の笑みを浮かべた。
ご愛読感謝申しあげます。
評価、感想等頂けたならば幸いです。
第六話以降は、毎日一話21時投稿となります。よろしくお願い申し上げます。