第十四話 魔力について③
シルフギルド内、女子寮。
すでに日は沈み、時計は九時を指し示していた。
長い廊下の一番奥にある、他に比べて大きくて重厚感のある扉。
その扉の前にフォスは立っていた。
扉の横には先ほど彼が書いた、魔方陣が刻まれている。
女子寮はシルフギルド内の二階、男子寮は一階にあるために、用が無ければまず来ることはない場所である。それに理由が無い限り、異性の立ち入りは禁止だ。
僕は小さく深呼吸すると、コンコンと二回戸を叩く。
左手には、つい先ほど急いで買ってきたケーキの入っている包み。
今日も午前中はずっとカイヤの修行に付き合い、午後はケーキを買うためにグリフォン街まで全力ダッシュ。
そうして何とか手に入れた、とてもお高いケーキだ。
カイヤから授業料という形でお金をもらっているから買えたが、普段であれば絶対に買うことはなかっただろう。
「誰だ?」
扉の奥からは、透き通った女性の声が聞こえた。
「フォスです。」
「入れ。」
その言葉を聞いて、その重い扉を開けて中に入る。
扉の中は、白を基調とした簡素な部屋であった。
木の机と二つの椅子があり、本棚には所狭しと本がぎゅうぎゅうに詰められている。
壁をすべて覆ってしまうほどの本棚、その量は驚愕すべきものだ。
僕がシルフギルドに入ってから何か月かは、この部屋に入り浸っていたので見慣れてはいる。
この片方の椅子に座って寝落ちして、よく殴られていたことを思い出す。
今となればそれもいい思い出…、なんてことはなく最悪の思い出だ。
部屋右奥に置いてある白色の基調としたベットの上で、黒髪の少女が横になっていた。
ベッドの横には、大量のプリント類が山積みになっている
その黒髪の少女は黒色のスパッツを短い黒のスカートの下に履いており、上半身は白いシャツしか着ていない。首元にかかっている風のマークが掘られた白金に輝く徽章が、ふっくらとした谷間を強調していた。
ブラも着けていない様子で、シャツの首元や脇の袖から見えそうでちょっとドキッとしてしまう自分がいる。
「フォス、何のようだ?」
首辺りまでしか伸びていない黒髪を、指でいじりながらその少女はちらりとこちらを向いた。
きわどい服装も全く気にしてないようで、何事もなく平然とした様子である。
「クリスタに、ふと会いたくなりましてね。」
「まさかフォスにそんなことを言われるとはな。師匠思いの良い弟子を持ったものだ……、それで、何のようだ?」
クリスタのの大きくて鋭い赤い目が、僕をじろりと睨んだ。
相変わらず相当な迫力だ。普通に怖い。
いきなり本題に入っては突き返されるのは目に見えているので、先ずは事前から用意していた武器をふんだんに使うこととしよう。
「前に来た、グリフォンギルドの少女のこと覚えていますか?」
「ああ、覚えている、確か……、ガイヤだったか?」
「いや、カイヤです。そのカイヤからおいしいケーキ屋の話を聞きましてね。それでそのケーキ持って行ったら、クリスタは喜ぶだろうな~と思って持ってきたんですよ。」
僕は空いている一つの椅子に座ると、机の上に持ってきたケーキの箱を置いた。
「ほう、それは良い心がけだ。しかし…、フォスはあの狐娘と随分と仲良くなったようだな。この頃一緒に食事しているのをよく見るぞ。」
「その……、実は自分とアズがカイヤの修行をしているんですよ。なんでもうちに入りたいようなので。」
「修行!?フォスが百歩譲ってするとしても、あのアズがするとは考えられないな。」
「実は、カイヤの策に嵌められてしまいまして。書状を書かされてしまったんですよ。おかげで守らないと奴隷落ちです。」
「ぷ、あはははっ、君とアズがあの狐娘に騙されたのか!?最高に面白いな。そんなやつがいるとは、今年の試験も楽しみだな。」
そう言うと、クリスタはパッと起き上がって、僕の近くに置いてあるもう一つの椅子に座った。
大きく胸が揺れ、少し目のやり所に困る。
「となると、このケーキはグリフォンギルド近くのケーキ屋のやつか?」
「はい、そうです。もしかして知ってましたか?」
「そりゃ、もちろんだ。だが、食べたいとは思っていたが、食べたことはなかった。にしても夜の甘い物は女にとっての最大の天敵。そんな物を私の部屋にまで持ってくるとは……我が弟子もなかなかに悪いやつよのぉ~。」
そう言いながらも、クリスタは机の上に置かれた包みを躊躇なく開けた。
「この本棚から魔法関係の本と、槍術に関する本借りていいですか?修行に使おうと思いまして。」
「はむはむ……、おいしい……。ん!?ああ、いいぞ。好きに持ってくといい。」
気づくとすでに、クリスタはケーキをほおばっていた。
一応六つほどケーキを買ってきたのだが、すでに二つを食べて三つ目に手を伸ばしている。
恐ろしく食べるのが早い。
最大の敵とか言っといて、このスピードはなんなのだろうか。負けるの早すぎない?
まあこのシルフギルドで一番頑張っている人は誰かと聞かれれば、間違いなくクリスタだろう。このくらいのご褒美はあっていいのかもしれない。
「少しクリスタに相談したいことあるんですけど、いいですか?」
ケーキに興味が行っている内に、そーっと本題に入る。
「え、嫌。」
どうやらダメだったらしい。
他に興味が向いているうちに、言質を取りたかったのだが……。
クリスタはそのまま、ケーキを三つほどパクっと食べてしまう。
ケーキはいつの間にか、残り一個になっていた。
だがもちろん、こうなることは最初から予想している。
「もう一度言っていいですか?一つ相談があるんですけど……、」
僕は最後の一個のケーキに手を伸ばそうとする彼女の手を、ガシッと掴む。
腕に魔力を流し、簡単には振りほどけないぐらい力を入れた。
「何故、私がフォスの相談を聞かねばならないんだ。私は疲れている。もう、弟子として面倒を見てやる期間はとっくに終わっているぞ。」
クリスタがそう言ったかと思ったときには、僕の手の中に彼女の腕は無かった。
残っていた一個をパクッと食べられてしまう。
がっちり掴んでいたのに、まるで赤子の手を返すかのように簡単にほどかされるとは……、本当にこの女は末恐ろしい。
だが、一応……一応、予想範囲内ではある。
本当は、あそこで食べるのを止めさせたかったのだが……。
「実はもう一個僕ケーキ持ってるんですよね。部屋にあるんですけど……それもクリスタ師匠が食べたそうな、高くてちょー甘ーくて、ちょー美味しいやつでしてね。」
「何!?」
クリスタの目がぎらりと光る
「クリスタ師匠が僕の話を聞いてくれたお礼に、そのケーキあげようと思ってたんですけどね……。はぁ、残念。しょうがないので、帰ってから僕が食べようかなと思います。すっごく高くて買うの大変だったんですけどね。」
これは実を言うとあげるためではなく、最初から自分で食べるために買ったものである。
せっかく遠出して、美味しいと評判のお店に行ったのだ。
さらに何十人の行列に加えて、並んでいるのは女性ばかり……。
僕がどれだけ恥を捨てて、並んだと思っているのだ。こんなに頑張った自分にご褒美を買ったって誰も文句は言えないはずだ。
一応彼女を止められなかったとき用の予備としての意味合いもあったのだが、まさか本当にこうなってしまうとは……。
辛いがここでこの話題で彼女を釣らないと、本当に頑張った意味が無くなってしまう。
そうなってしまったら本末転倒だ。
「なんだ、フォス?私を出し抜こうと言うのか?」
クリスタはそう言いながらも、じゅるりと唾を飲み込んだ音を鳴らした。
どうやら、効果はてきめんのようだ。
クリスタは甘い物は本当に目が無い人で、毎回太るだとか敵だとか言っているが…それで食べなかった様子を見たことはない。
それも大食いで、一度食べてしまえば止まらなくなるのだ。
ケーキ二十個をもペロリと食べて、全然足りないと言っていたことがあったのを思い出す。
クリスタが六個で満足するような、そんな性格ではない。
それも僕の持っている七つ目のケーキが、さっきまで食べていた六つよりも特別でおいしいとなれば……、彼女の関心は釘付けだろう。
「そのケーキつやつやしてましてね。高級感たっぷりで、それなのに口当たりがすごくいいらしいんですよ。甘いのにさっぱりしてて、すっごくくせになるんだとか。ですから、超人気商品で、売り切れギリギリのところをなんとか買った一品なんです……いやー食べさせてあげられないのがすごーく残念ですね。」
「くぅ……。」
クリスタが悔しそうに、犬のような声を漏らす。
ここで畳み掛けるべきだろう。
「クリスタのことだから僕のこと親身になって相談に乗ってくれると思ったんですけど……、まぁ、考えてみれば別にいいか。匂いを嗅ぐだけですっごく濃厚で、食べたら一生忘れないほどおいしいって言われているケーキを、わざわざ買った僕が食べないのはおかしな話しですよね。そう言えば今日からしばらく売らないって言ってたような…言ってなかったような…。なら、なおさら僕がたべないと……。じゃあ、お疲れ様です、クリスタ先輩。僕は帰りますね。」
僕は席から立ち上がり、扉の方を向いて歩き出そうとする。
その瞬間、勢いよくクリスタが背後から抱き着いてきた。
脇腹に手を回し、逃がさないようにがっちりとホールドしている。
どうやら無事に釣れたようだ。
このまま普通に帰されたら、どうしようかと思った。
「わ、私が、いつフォスの話を聞かないと言ったんだ?ははっ、もちろん今までのは冗談だ。可愛い弟子をちょっといじめたくなってしまってな。我ながら子供のようなことをしてしまった。」
「それ、本気で言ってます?」
「もちろん本気だ。最初から話を聞くつもりではいたとも。」
「そうですか。では、僕帰ってケーキ食べるので。」
「ま、待て。分かった、さっきまでのことは謝ろう。しょうがない、大サービスだ。今日は朝の二時までフォスの話を聞いてやっても構わない。どうだ?この世界に七人しかいない白金等級の冒険者に心行くまで相談すると言っているのだ。だから…、だから……、そのケーキを私に渡しなさい。」
「いや、クリスタは相談しても、適当に頷いて解決してくれなそうなので嫌です。」
抱きついている彼女の腕を、どうにかはがそうとする。
だが本当にはがれる気配が見えない。
華奢な細い腕にしか見えないのに、どれだけの魔力を流しているんだこいつは……。
魔力を体に流していないと、多分肋骨二、三本は折れているであろう力強さだ。
「フォス、なんで私の腕をどけようとするんだ?私と君の仲じゃないか。私が可愛い弟子の悩みを解決に導かない訳ないだろ?気づけばフォス、いつの間にかイケメンになったんじゃないか?それも、体もすっごくたくましくなって……。そんなかっこいいフォスに相談なんてされたら、私……頑張っちゃうなぁ。」
クリスタは擦りつけるようにして、体を自分に押しつけてくる。
柔肌だとか胸だとかの感触が、背中に広がった。
風呂上がりのシャンプーのようないい匂いが、鼻にまで流れくる。
これをわざとやってくるのだから本当にたちが悪い。
彼女の術に屈さないように、乱れそうになる心をなんとか落ち着かせる。
「本当に解決してくれるんですか?」
「ああ、必ずフォスの悩みを解決させてみせる。」
「それじゃあ、ギルドマスターに誓ってくれますか?」
「なっ!?」
クリスタは驚いたようにそう声を漏らす。
そう、ここで簡単に折れてはいけないのだ。
クリスタは狡猾なやつだ。絶対に先にケーキを出せと言ってくる。
そして自分のケーキをもらった後、すっごい適当に対応するのだ。
非常に利己的で、目的のためなら恵まれたスタイルとルックスで誘惑することもいとわない。
だが、僕はそれを誰よりも彼女の弟子として知っている。
だからこそ、分かる。
これが詰めの一手だ。
「誓ってくれますよね?」
クリスタが誰よりも実力を認め尊敬しているギルドマスター。
彼に誓うということは、すなわちこのシルフギルドに誓うのと同様の意味となる。
つまり、その誓いに背くということは、このギルドを裏切るのと同等の行為。
ましてやギルドマスターを裏切ることなど、クリスタには絶対にできない。
「そ、それは……。」
クリスタは言葉を詰まらせた。
やはりこんな調子と言うことは、まともに対応する気がなかったらしい。
誘惑に惑わされなくて、良かった。
「わ、分かった。うん、……誓おう。」
クリスタはしゅんとした表情でそう言うと、僕の腰から手を離す。
そして、回り込んで向き合うと、
「では先にケーキを持ってきてくれ。対価は先に支払う当然だろ?お願いだ……、」
そう上目遣いで言って来た。
本当に、こう見ると恐ろしいくらい可愛い。
更には自然に僕の手を掴んでいた。こういう細かな動作にこだわるところも、何というか彼女らしい。
「わ、分かりました。」
こうなっては、承諾する以外の術を僕は持ち合わせていない。
クリスタは男性キラーすぎるのだ。
あんな表情されたら、たいていの男は簡単に落とせるだろう。
僕は彼女の手を離して、扉へと向かう。
誓わせたし、ここまですれば彼女も取りあってくれることだろう。
しかし…、何というかあっさりすぎる。クリスタらしくない。
クリスタはこんなにも簡単に折れる玉だっただったろうか?
何だかお得意の誘惑術で、何か大事なことを有耶無耶にされたような気分だ。
全くもって、釈然としない。
このまま本当にケーキを渡していいのだろうか……。
そして……、クリスタ薄らと不気味な笑みを浮かべる様子を、僕は見逃さなかった。
やっぱり、何か企んでいたようだ。
「なあ、クリスタ?」
僕は彼女の顔を見ず、扉を見たままそう言葉を口にする。
「なんだ?」
「もう一回誰に誓ったか言ってくれないですか?」
「え……。」
彼女の声色が変わった。
「誰に、誓ったんですか?」
「え、誓ったよ、誓った。」
「誰に?」
「誓ったって、誓ったよ。」
「ギルドマスターにですよね?」
「……。」
クリスタは先ほど誓ったとは言ったが、あの言葉に主語は無かった。
彼女のことだ、誓ったという際に小さな声でフォスに……、とでも言ってたのだろう。
危ない、危ない……、また騙されるところであった。
「早く、ギルドマスターに誓ってくださいますか?」
僕は低い声で脅すように言うと、バっと振り返ってクリスタの顔を見る。
「ち、ち、誓ったって言ってるのに、くっ……。ああ、もう。フォスはいつの間にそんな賢くなったのか?五年前はあんなにも引っかかって可愛いらしい弟子だったというのに……。私の術にはまらないとは……あのカイヤとか言う女狐は私よりも騙すのが上手かったということなのか?」
「いえ、僕はカイヤに騙されたからこそ、こうやって見抜けたんですよ。それに僕がどれだけクリスタに騙されてきたと思っているんですか?流石に、警戒しますよ。」
僕は少し自慢げに胸を張ってそう言った。
冷静に考えれば何も自慢できるような話ではない。
「……分かった誓おう。ギルドマスターにフォスの相談を聞き、解決すると誓います!これで良いな?早くケーキ持ってきてくれ。」
「ちなみにこの部屋に入る際、ここでの会話の証拠が残るように、壁に録音魔法の魔方陣を刻んでおきましたから。では、持って来ますね。」
僕はそう言って颯爽と部屋を出た。
録音魔法とは言葉の通り、会話や音を魔術記号に変換して記録してくれる魔法だ。
かなり複雑な魔法で、扱えるようになるのは相当な時間を食うため、普及率はとても低い魔法である。
修行時代にクリスタに「えー、そんなこと言ったかなー、記憶にないや。」と言われて、滅茶苦茶ムカついたことがあったので、密かにずっと勉強してきたのだ。
こんなところで生かせるとは……、本当に覚えてよかった。
壊されないように外の壁に描いていた録音魔法の魔方陣を持っていた紙に移して回収した後、スキップしながら自分の部屋に向かっていった。
「弟子は師匠に似ると言われるがまさにこのとか……。」
クリスタは誰もいない部屋の中、そう独り言を漏らした。
ご愛読感謝申しあげます。
評価、感想いただけると幸いです。




