表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/13

ある海賊の夜明け 7

■7


 ミルは、自分でも自分のことを世間知らずの箱入り娘だと思っていた。


 自分に限らず、王族はみんなそうだ。


 たとえばミルには三人の姉とふたりの妹、ひとりの弟がいた。ミルを残してみな処刑されてしまったが──ほかの姉妹、兄弟たちも、同じように世間知らずだっただろうし、王宮という箱のなかで大切に育てられてきた。そうした状況に違和感すら覚えないのが王族の暮らしだった。


 しかしミルは執事ロボットを通じ、外の世界を知っていた。


 王族も当然学ぶべきものはある。基本的に歴史や数学、文化などを執事ロボットの教育で教わるのだが、ほかの兄弟に比べてミルは好奇心が旺盛で、教わること以上のたくさんのことを執事ロボットに質問し、外の世界への憧れを深めていた。


 実際にミルは何度か父、つまり国王に、留学させてほしいと頼んだことがある。


 王宮の外の、一般国民が通うのと同じ学校に通わせてほしい、と頼んだこともあったが、警備の問題もあって、答えはいつも同じだった。「おまえの気持ちはわかるが、それはできない」。父親の決まり文句。


 ミルには、王族の暮らしは退屈だった。


 もっとたくさんの場所へ行きたかったし、たくさんの人間と知り合い、たくさんのことを知りたかった。


 同時に、自分がそう思うのは王族だからこそだとも思っていた。日々の生活になんの不自由もないからこそ、そうやって好奇心を優先して生きたいと思うのだ。ふつうの人間は日々働き、その日生きていくだけの金を稼ぎながら生活している。その必要がない自分は、結局のところ生まれ落ちた瞬間から死ぬ瞬間まで王族でしかないのだろう。


 世間には自分が知らないこともたくさんある。


 執事ロボットはネットワークを通じて様々な知識を持っていたが、だからといってそのすべてを教えてくれるわけではなかった。


 たとえば不健全なことやミルに悪影響を与えそうなものを「ミルさまは知る必要がないことです」と突っぱねるくらいの知性は執事ロボットにもあるわけだ。


 そういうわけでミルは、歴史などは詳しかったが、一方で世俗的なことはほとんど知らないままに育った。


 だから、ここは風俗店だ、と言われても、具体的になんの店なのかわからないままだった。


「とりあえず、面接は適当に答えろ。そうすりゃいける。あとはこっちでなんとかする。内部に潜入するにはこれしかない。いけるか?」


 これはそもそもミルの復讐だった。


 ピルカやアスターには協力してもらっているだけで、いちばん働かなければならないのは自分だから、そう言われるとミルにはイエス以外の返事はなかった。


 そうしてミルはその風俗店なるものに入り、受け付けで責任者を呼んでもらい、事務所で面接を受けることになったのだった。


「ふうむ、なるほどねえ」


 責任者というのは派手な格好をした女だった。


 全身ピンクの服で、肌もピンクだし、髪も、瞳もピンクで、遠くから近づいてきたときは巨大なピンク色の物体にしか見えなかったくらいだった。


 女はつま先から頭の先までまじまじとミルを見つめる。さすがにミルがもじもじと気まずそうに体を揺らすと、ははあ、となにかを納得したようにうなずいた。


「ま、素材は悪くないね。まともな格好をすりゃ、それなりには見える。美人じゃないが、こういうのが好みの人間もいるにはいる」

「は、はあ……」


 褒められているのかけなされているのかよくわからなかったが。


 まあ、どちらにしても、とりあえずここは相手の思うようにしかならない。


「金がいるのかい、小娘」

「え、ええっと……はい、そうです」

「理由は聞かないよ。聞いても仕方ないことだ。すぐに必要なのはいくらだ」

「あの……三万とすこし、でしょうか」


 適当に思いつく額を言ってみたのだが、女はすっと目を細めた。しまった。怪しまれたかもしれない。ミルはわずかに体を緊張させる。女は踵を返し、引き出しからなにかを取り出すと、それをぽいとミルに投げた。茶色い封筒。中身は確認するまでもない。


「あ、あの、これは?」

「十万入ってる。好きに使いな。給料の前払いだ。その分働いてもらうがね。さあ、奥の部屋に着替えがある。好きな服を着て、いちばん端の空き部屋で待つんだ。そのうち客がくる。客の言うことすべてに従う必要はない。とくにおまえが痛いと思うこと、不快だと思うことを客が強要したら、そのときは枕元にあるボタンを押しな。すぐ番犬が出ていって客を追い出す。ここじゃキャストのほうが客より上だ。まあ、それもおまえ次第だ。客がよろこんでおまえに従うようになれば、いま渡した金の百倍でもすぐに稼ぎ出せるだろう」


 言うことだけ言って、ピンクの女は事務所を出ていった。


 ミルは無人になった事務所でそっと封筒を開けてみたが、女の言うとおり、十万とすこしの大金が入っていた。


 王族の暮らしは豪勢だし、着ているもの、食べるもの、扱うものはすべて高級品だが、一方で自分でお金を払って買い物をするということはまずない。ミルはしっかりとその封筒を抱きしめ、言われたとおり事務所の奥にある部屋に入った。


 そこはどうやら衣装室のようだった。


 壁際にずらりと、何百着という服がかけられている。


 種類も系統も様々だ──豪勢なドレスのようなものがあれば煽情的な露出度の高いものもあり、尻尾がついたものだとか、どのように身に着けるものなのかすらわからない紐状のものだとか、とにかく部屋のなかにはあらゆる種類の衣装が並べられ、唯一鏡の前の空間だけが空いていた。


「……着替えればいいのかしら」


 どんな服を着ればいいのかよくわからなかったが、とりあえずまだ見慣れている白いドレスを手に取る。それにしようかと鏡の前に引っ張り出して体に当ててみて、はじめてドレスの上半分、つまり上半身の部分がレースになって透けていることに気づいた。インナーを着てからこれを着るのだろうかとも思ったが、そんなインナーは見つからず、結局露出度がいちばん低い長袖のドレスを見つけ、それに着替えた。


 鏡の前で自分の姿を確認する。


 王族としての自分。


 逃亡者としての自分。


 いま鏡に映っているのは、どちらだろう?


 ここへくるまでに町のなかを歩いたが、クーデターが起き、王族がすべて処刑されたというのに、町の様子はとくに混乱したふうでも王族の死を悼んでいるふうでもなかった。


 ひとびとにとっては、王族の状況など知ったことではないのだ。


 王族が皆殺しにされようと、そんなことは一般国民には関係がない。国のどこかで起こっていた残虐な殺人事件が王宮とはまったく関係ないように。


 王とはなんだろう?


 この国にとって、ひとびとにとって王とはなんだったのだろう。


 正当な国王だろうと、クーデターを起こして勝手に王を名乗っている軍人であろうと、国民の大半にとってはどちらでもいいのかもしれない。


 この国には、もう王がいる理由などひとつもないのだ。建国当時ならともかく。


 衣装室を出て、廊下を歩く。


 風俗店というのがなにを意味しているのかはミルにはわからないが、店内の様子はかなり派手だった。床の絨毯は血のように鮮やかな赤で、各部屋の扉にはそれぞれ金文字で名前がつけられている。高級ホテルのような、しかしそれにしては雰囲気がおかしいような、そんな廊下を突き当たりまで進んで、一応ノックをしてから部屋に入った。


 室内にはだれもいない。


 ただひとつ、ベッドだけがぽつんと部屋の真ん中に置かれている。


 ミルはそのベッドに腰を下ろし、ちいさく息をついた。


 ここへくる客とはなんだろう? ここでいったいなにをするのか。カウンセリングのようなものなのか。だとしたら風俗という呼び方はおかしいし、そもそも風俗という言葉の意味は──ぷるる、と部屋のどこかで電子音が鳴った。


 部屋のなかを見回すと、扉のすぐ横の壁に受話器があった。それが鳴っているのだ。


「──はい、もしもし?」

『客だよ』


 ピンクの女の声。しかし言葉はそれだけで、すぐぶちっと切れる。受話器を戻し、ベッドに座ると、部屋の扉がノックされた。


 扉に鍵はない。それでもこちらから開けたほうがいいのだろうかと迷っているうちに、勝手に扉が開いた。


「よっ、お嬢さん」

「あ──アスター」


 見知らぬ男ではなかったことにミルはほっと息をつく。アスターはちらりと部屋のなかを見回したあと、無言でベッドに近づくと、前触れもなくミルをベッドに押し倒してシーツの奥に押し込んだ。


「きゃああっ、ちょ、ちょっと──!」

「しずかに──カメラがある。扉の右上だ」


 シーツで屋根を作るようにしてミルに覆いかぶさったアスターは、囁くように言った。


「さっきざっと建物のなかを調べてみたが、どうも地下への通路はなさそうだ。ここが本当に墓の真上なら、だが」


 ミルは至近距離にあるアスターの体にドギマギしながら、この風俗店なるものにたどり着いた経緯を思い出した──警備が厳重な王宮をぐるりと回り込み、ふたりは王家の墓、ジンライ陵がある場所を探して歩いていた。


 頼りになるのはミルの記憶だけだったが、そのミルにしてもジンライ陵に行ったことがあるのは数回だけだったし、地下通路をひたすらまっすぐ歩いたという思い出しかなかったから、正確な場所はわからなかった。


 それでもなんとか「たぶんこのへんだと思う」という場所に建っていたのが、この風俗店なのだ。


 王宮の裏手は、しばらくは住宅街だったが、町のメイン通りから離れていることもあり、比較的下町のような雰囲気が強かった。そこの風俗店の真下に神聖なるジンライ陵があるというのも皮肉な話ではあったが──どちらにせよ、やはり地上から直接ジンライ陵へ行く道はないのだ。


「店の場所はピルカにも伝えてある。別行動のピルカがなんとか地下へ行く方法を見つけてくれればいいんだが──それまで時間を稼がないと。しばらくここで寝たふりをしよう。もし時間いっぱいにピルカがこないなら、出直す。きみも店の裏口から逃げるといい。二度目の面接はさすがに受けられないだろうが」

「……わたし、この国のこと、なにも知らなかったわ」


 仰向けで寝そべり、ドームのように広がった白いシーツを見上げながら、ミルはぽつりと言った。


「ここへくる途中、はじめて町のなかを歩いたの。ずっとこの国に、この町に暮らしていたのに、王宮以外の場所を好きに歩いたこともなかった。どんなひとたちがどんな暮らしをしてるのかも知らなかった」

「お互いさまさ。国民は王族の暮らしを知らない。ま、そんなもんだろう。別にだれも気にしちゃいない」

「そう、だれも気にしてない。王族が皆殺しにされても、クーデターが起きても。自分の生活に直結することしか、みんな気にしないのね──でも、わたしだってそうだわ。もし軍が好き放題に民衆を管理していても、たぶん気づくことすらなかった。自分たちの国に暮らしているひとがどうなっても、わたしたちには関係ないから──いつからそうなったのかしら? 建国のころはそうじゃなかったはず。国王は国民のために働いて、国民は国王を尊敬してた……それとも、そんな時代はなかったのかしら」

「おれは、きみが思うよりも長生きしてるつもりだけど──それこそいろいろさ。うまくいった時期もあっただろうし、いまよりひどい状態だった時期もあっただろう。いまがいいか悪いかはわからない。だれにとって、というところも重要だ。国によっては、国民が国王によって苦しめられてるところもある。ここはそうじゃない。どっちも無関心ってとこ。ま、よくも悪くもね」

「だからミシマはクーデターを起こしたの?」

「……そのミシマってやつと、クーデター以前に面識は?」

「ないわ。軍とは……たぶん、えらいひとたちとはなにかの行事で顔を合わせることくらいはあるけど」

「ミシマはクーデターを起こしかねないような要注意人物だったのか? いや、ちがうだろうな──そんな人物だとわかっていたら、軍である程度の地位が与えられるはずがない。だれもミシマの思惑には気づかなかったわけだ。気づいたときにはもう遅かった。でも疑問は残る。クーデターはミシマひとりではどうしようもない。協力する兵士たちが必要だ。ミシマは彼らをどうやって説得したんだ? それほど兵士のあいだに王族に対する憎悪があったのか──」


 アスターはひとりごとのようにぶつぶつと呟いた。


 それを遮るように、すぐ真上に雷が落ちたような轟音が響いた。


「きゃああっ──!?」


 ミルは思わずベッドのなかで体を縮める。ミシマはむくりと起き上がり、扉を開けて外の様子をうかがった。


「あ、ピルカのやつ、なるべく目立つなって言ったのに……! ミル、出るぞ!」

「な、なにがはじまったの?」

「解体工事だろう。まったく。とんでもない女海賊だ」


 アスターに手を引かれ、部屋を飛び出す。


 裏口へ回り、建物を迂回して正面を見てみると、まさしく解体工事に使うような巨大な重機が一台、そしてその前に立ちはだかるピンクの女がひとり。


「あんた! なんのつもりだい! あたしの店を──あっ、こら、やめないか!」

「うるせーばあさんだな。そんなとこにいたらあぶねーぞ」


 重機の作業腕が建物の屋根をがっしり掴む。そしてそのまま力任せに引っぺがし、ひしゃげた屋根の一部を路上に投げ捨てた。集まっていた野次馬が悲鳴を上げて逃げ去り、店主らしい女は怒りのあまりその場に倒れ込む。


「あ、くそ、邪魔なとこで倒れやがって」

「おい、ピルカ! おまえな、目立つなって言っただろ!」

「おーアスター。通路の入り口は見つかったか?」

「いや──」

「だろ。入り口がねーならこじ開けてやるよ」


 重機の運転席でピルカはにやりと笑い、作業腕を一気に建物の中央に突き刺した。またばりばりと空を引き裂くような轟音。あたりに砂埃が立ち込め、支えを失った建物がすさまじい地響きを立てながら倒れていく。


 一軒の建物が残骸に変わるのに、ほんの十分もかからなかった。


 しかしピルカはそのまま重機の作業腕を地面に突き刺し、ぐりぐりと無理やりに動かす。


「うーん、穴、開かねーな。ミル、ほんとにこの真下なのかよ?」

「た、たぶんだけど──で、でもこんな無茶しなくても──」

「急いでるんだ。しょうがねーさ。お姫さまがやることだ。みんな許してくれるって。ひっひっひ、いやあ、ぶっ壊すのは気分いいぜ」


 重機がぎしぎしと軋んでいる。これが穴を開けるための重機ならそんなことはないのだろうが。地面に穴が開くのが先か、重機が壊れるのが先か。


 ミルはその騒音を聞きながら、目的のためなら手段を選ばないというのがどういうことなのかすこし理解できた気がするのだった。



     *



 風俗店「メリー」の女主人、マナカが目を覚ましたとき、すでに騒音は止んでいた。


 マナカは近くの居酒屋の主人に介抱され、水を一杯飲んだあと自分の店の様子を見に戻って、また意識を失った。


 それも無理はない──店は跡形もなく崩れ去り、近くのは重機が乗り捨てられ、そして地面には大きな穴が空いていたのだから。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ