ある海賊の夜明け 2
■2
女海賊ピルカが借りている宿というのは、この町、ホットルヴェルでもっとも安い宿だった。
見た目は二階建ての、かろうじて屋根と壁があるだけという雰囲気。いつ雪に押しつぶされてもおかしくはないが、意外と丈夫なのか壊れずにいて、しかもほとんど常に満室という繁盛ぶりだった。世のなか、身分も事情も聞かれず一夜を過ごしたいと思う人間は意外と多いらしい。
ピルカが借りているという部屋は二階の角部屋だった。
外の廊下を通り、ピルカは部屋の扉を二度ノックした。時間を開けて、今度は三度。また二度。それでがちゃりと内側から開く。アスターはその時点で充分嫌な予感はしていたが、開いた扉から見知らぬ少女が顔を出したのを見て、いよいよため息をつく。
「ピルカ、よかったわ、無事で──」
少女はほっとした顔でピルカを出迎えたあと、その後ろに続いているアスターに気づき、警戒するように後ずさった。アスターはお手上げというポーズ。
「騙したな、女海賊」
「一夜を過ごすってことは騙してないだろう。出発は明日の朝を予定してるんだから」
「これだから海賊ってやつは。ひとを騙すことをなんとも思ってないんだからな──おれは帰るぜ。飲み直す」
「いまさら帰るのか? さっきのマスターに笑われるぜ、女にフラれたのかって」
「ふん──事情があるってことか」
「まあ、入れよ。外は寒い。だろ?」
女海賊の言うとおりだった。
アスターはもう一度ため息をつく──だいたい、そんなことだろうと思ったさ。うまい話には裏がある。今日のおれは運がいい、と思っていると、大抵あとから裏があったと知らされる。しかし自分に不都合のない罠ならいい。結果として楽しめるなら。
宿の部屋は、当然のようにワンルームだった。
それも刑務所かなにかかと思うような狭さで、壁も床も板張り。屋内だというのにまったく暖かくもない。扉を閉めてもいたるところからすき間風が通り抜け、コートなしではいられないくらいだった。
ピルカも室内に入ったが、コートは脱がなかった。
最初からこの部屋で待っていた少女のほうは白くもこもことした暖かそうな服を着ていて、相変わらず警戒心を隠そうともせず、それどころか隙あらば一刺ししてやろうというくらいの敵意を込めてアスターを見ている。
アスターはさりげなく自分が手ぶらであることを示しつつ部屋のなかに入り、冷たい床の上にどかりと腰を下ろした。
「──で、ばかな男をここまで連れてきてなにをしてほしいんだ?」
ピルカはにやりと笑い、少女のほうをちらりと見た。
まだ幼い──といっても十四、五くらいの少女。あくまで外見は、だが。外見と実年齢が伴わないことはこの宇宙では珍しくもない。宇宙を高速で飛び回っている人間は自然と年を取るのが遅いし、手術をして十代の若さを保つ百数十歳もいれば、そもそも人間ではない種族もいる。このあたりの宇宙では見かけないが、深宇宙からきた異星人。
アスターが見たところ、少女は人間で、実年齢以上に大人びた雰囲気には思えない。
だいたい見た目をごまかしている人間はわかるものだ。外見は若くとも、ちょっとした仕草や立ち振る舞い、表情や視線に老練さがにじむ。それを感じないということは、この少女はだいたい見た目どおりの年齢だろう。
いくら女海賊が破天荒とはいえ、この少女がいる前で楽しい一夜を過ごすわけではないだろう。さすがにアスターもそこまでのんきには考えられない。
結局自分はここに連れてこられたわけで、連れてこられたなりの理由がある、ということだ。
「……この男はなんなの、ピルカ?」
少女が言う。
ふうん、とアスターはうなずく。
年齢はピルカのほうが年上だろう。親子というほどは離れていないが、姉妹とも思えない。
そもそも、ふたりの外見は大きく異なる。
ピルカは金髪で浅黒い肌だが、少女のほうは燃えるような鮮やかな赤髪と透き通るような白い肌だった。着ているものも、どことなく品がある。すくなくとも女海賊には見えない。そして少女は、自分より年長者であるピルカにもまったく物怖じする様子はなかった。
「役に立ちそうな男だ、ミル。飲んだくれで下心しかないかもしれねーけどな」
「悪かったな」
「でも、身のこなしはただの飲んだくれじゃなかった。役に立つはずだ」
「……わかったわ。あなた、名前は?」
「アスターだ。で、えらそうなきみは?」
「ミル。えらそうだという自覚はないけど」
「そういうところがえらそうなんだけど、まあいいさ──で、おれは一夜のお楽しみのためにここへきたんだが」
ミルはすっと目を細め、ピルカを見た。
「下品ね、この男は」
「まあこんなもんだろ。酒場で見つけた男だからな」
「ふうん──アスター、あなたは、スヴェトラという星を知ってる?」
「スヴェトラ?」
アスターは記憶を巡らせ、ああとうなずいた。
「牛だったかなんだかが有名だったな。食ったことあるぜ。スヴェトラ牛。うまかった」
「スヴェトラ牛は最高級肉だけど──」
「おれじゃ食えそうにないって? ふん、まあな。荷物が、その牛肉だったんだ。おれは運び屋でね。でも途中で冷蔵庫が壊れてな。そのまま腐らせるのももったいないんで、食った」
「ひとの荷物を勝手に食べただけじゃない」
「そうとも言うが、まあ細かいことは気にすんなよ。で、そのスヴェトラ牛がどうかしたって?」
「牛じゃない。スヴェトラ。いま、その星は乱れてる」
ミルはまっすぐにアスターを見ていた。
気が強そうな、きっとつり上がった目。しかしそれがどことなく高貴な雰囲気を漂わせてもいる。もしかしてこの子は、とアスターは考えたが、なにも言わず、ミルの言葉を待った。
「クーデターがあったの。軍が武力で国を制圧した。星全体を」
「ふうむ……」
アスターが知るかぎり、スヴェトラはさほど栄えている星ではない。
そうした辺境の星には、ひとつの星に国家がひとつだけ、ということもままある。
惑星国家、などと呼ばれたりするが、要するに田舎すぎて覇権争いがないということだ。最初期にスヴェトラ星に移住した一族がそのまま王となり、ちいさな星を、国を率いている。ときにはその国が大きくなり、かなりの巨大権力が発生することもあるわけだが、それはあくまで星のなかの話で、よその星に暮らしている人間には関係ないことだった。スヴェトラ以外にも惑星国家は無数に存在するし。
スヴェトラが辺境の惑星でも、おそらくクーデターはある程度のニュースになっただろう。しかしアスターは頻繁にニュースをチェックする人間でもなかったし、クーデターのニュースを見ても「ふうん」以外の感想がない人間だった。スヴェトラ牛が羊になった、というならともかく。やはりラムよりはビーフのほうがうまい。
「主導したのはミシマ大尉。クーデターを成功させて、いまは国王を名乗ってる男よ。残虐で、目的のためなら手段を選ばない──元々の王族はみんな殺された。反逆罪よ。国王である自分に逆らった、って。そんなばかな話がある?」
そのくらいの出来事は人類の歴史で数えきれないほど繰り返されてきたことだ、と大人ぶって諭すことは簡単だった。
しかしアスターはじっと黙り込んでいた。
ミルは唇をきつく噛みしめ、涙を流していた。
「お父さんも──お母さんも。妹も、みんな、殺された」
「……やっぱり、ミル、きみはスヴェトラの王族なのか?」
「わたしだけが生き残ったの。お父さまとお母さまが助けてくれた。隠れていなさいって」
「なるほど……クーデターを生き延びたたったひとりの王族ね。で、ピルカはそれに付き従う兵士ってわけか」
「あたしは兵士でもなんでもねーよ。海賊だ。ちょうど運悪く──運よく、か──そのとき捕まっててね。釈放と引き換えに、ミルの手伝いをしてる。仕事が終わったらおさらばってわけ」
「軍はミシマが支配してる」とミル。「どうやったのかは知らないけど、だれもミシマには逆らえない。でもこんなこと、絶対に許せない。復讐してやる」
「ははあ……お姫さまは怒り心頭ってわけだ。わかるよ。いや、家族を殺された悲しみがわかるってわけじゃない──そりゃきみの感情はきみにしかわからない。おれがわかるのは、やりたきゃ自分でやるしかないってことだ。だれも助けちゃくれない。ミシマだかなんだかを殺してやりたいなら、きみがやるしかない」
「言われなくても、ミシマはわたしがやるわ」
「お姫さまが、ね。いいさ。がんばってくれ。応援してるよ。じゃ、おれはここらへんで──」
「金がいるんだろ?」
部屋を出ようとしたアスターだったが、ピルカの言葉に動きを止めた。
「酒場にもツケが溜まってるみたいじゃねーか」
アスターは振り返る。ピルカはにやにやと笑っていた。そういう笑みがよく似合う女だった。アスターはピルカからミルへと視線を移す。
「……もしミシマを殺してクーデターを鎮圧させたら、王宮のいろんな宝を取り出せるわ」
ミルは涙を拭い、じっとアスターを見つめた。これが交渉の大事な場面だとわかっているのだ。
彼女は、ただ温室で育てられただけの姫ではない。
すくなくともスヴェトラからこの星、インベスターまで生き延びてきたのだ。それも簡単ではなかっただろう。酒場にいた兵士たちがスヴェトラの兵士なら、すでにミルが逃げ落ちていることは気づかれている。その追っ手を振り切り、着の身着のままでここへ逃げてきただけでも充分称賛に値する。が。
「おれ、知ってるんだ。そういうエサに釣られると、大抵厄介なことに巻き込まれる」
「いいじゃねーか。いまさら。もうあんたは巻き込まれてるんだよ、アスター」
「いや、いまなら戻れる」
「あたし、言うぜ。このへんを拠点にしてる運び屋のアスターがミルをかくまってるって」
「お、おまえな!」
「下心に釣られてここまできた時点で終わってるんだよ。諦めろって。あたしひとりじゃさすがにミルのお守りはできねー。なんとかここまで逃げ延びたけど、ミルの目的は逃げ切ることじゃねーんだ。もう一回スヴェトラに戻って、ミシマってやつを殺すことだ。あたしひとりじゃどうにもできねーからな」
「う……」
協力する義理はない。
ピルカにしてもミルにしても、いまはじめて会った相手だ。さらにいえばなんの借りもない。むしろピルカを一度助けている分、こっちには貸しがある。
アスターは、自分のことを親切な人間だとは微塵も思わなかった。
ただの「いいやつ」で生き抜いていけるほど、この宇宙は甘くない。
ライバルを出し抜き、蹴落とし、自分だけで甘い蜜を吸う。ここはそういう世界だ。が。
「……金は、たしかにない」
個人の運び屋に、そう次々と依頼があるはずもない。
ダリアにはああ言ったが、次の仕事が具体的に決まっているわけではないし、その仕事で大金が入る保証などどこにもなかった。次の仕事がいつになるか──明日仕事が入るかもしれないし、数か月先まで入らないこともあるし、そうなるとツケは増えていく一方になるわけだが、それでも生きていかなければならない世界だ。
でも、だからといって復讐を誓う姫を助ける、か?
そんな仕事は、間違いなく運び屋としての仕事より格段に危険だ。
生き延びる可能性より死ぬ可能性のほうが高い。そうまでして金を稼いでも仕方ない。が、うまくやれば大金が手に入るのは魅力的だ。いままでのツケを一気に返せるかもしれない。
「あんたに選択できることはすくないと思うけどな」
ピルカは床にどさりと座る。あぐらを組み、じっとアスターを見た。
「スヴェトラの兵士たちは、もうあんたの顔を見た。あんたがあたしらに協力してることはわかってるわけだ。あたしらが捕まらないかぎり、あんたも追われることになる」
「おれひとりならどうとでもなるさ。でもお姫さまのお守りまではな。おれは正義の騎士じゃない。ただの運び屋だ。元軍人の。ほかに協力者はいないのか? 王族ならほかの惑星とも交流はあるだろう。君主制の国もすくなくない。ほかの国に助けを求めるってのは?」
言いながら、それはむずかしいだろうな、とアスターも思う。
よほど親密でもないかぎり、よその国が他国の政治に口を出すことはない。とくに君主制の国がいちばん恐れているのはクーデターだ。他国のクーデターに関わり王族の復権をもくろむようなことをすれば、自国内の反発とクーデターを誘発しかねない。そうでなくても他国の王族のために自国の軍を差し向けるようなことはないだろう。
ふうむ、とアスターは腕を組み、うなった。
「金か。たしかに金はいる。王宮にはちゃんと財宝があるんだろうな?」
「もちろん」ミルはしっかりとうなずいた。「わたしには必要ないものだから、王宮を取り戻せたら好きなだけあげるわ。全部でもいい。わたしは復讐さえできれば、それでいい」
「でも、スヴェトラに入るのはむずかしいと思うぜ。なんせきみたちが逃げ出したことは向こうの軍にばれてるんだろ? たぶん星も都市も最大級の警戒をしてるはずだ。民間船の出入りもむずかしい」
「それをなんとかしてほしいの。王宮まで行けば、あとはわたしがやるわ。わたしがミシマを殺す。必ず。ミシマさえいなくなればクーデターは収まるはずよ」
「さあ、それも怪しい。クーデターってのは本来ひとりでやるもんじゃない。現政権に対する不満が溜まって、それをだれかが爆発させるんだ。軍の内部には王族を快く思ってない連中がそれなりにいるってことだ。ミシマってやつを排除しても次の頭が出てくるだけだと思うけどな」
クーデターをなんとかしなければ王宮に眠る財宝も手に入らない。
しかしまあ、ここでうだうだと考えていても仕方ないことはたしかだった。
向こうがどの程度警戒しているのかも現時点ではわからないし、どれほどの人間がクーデターに加担しているのか、味方はいるのか、現地に到着してみなければ確認できないことがほとんどだった。
アスターはため息をついた。
まあいいさ。人生、楽しんだもの勝ちだ。どんな人生にせよ。それに、自分の仕事も果たせるかもしれない。そんな予感がある。最初からその予感があったからピルカを助けたのだ。下心ではなく。
「わかったよ、計画を立てよう」
ミルの表情がほっとしたように緩んだ。
穏やかな表情になると、たしかにまだ幼い少女だ。すこし生意気そうな、しかし根っこから悪い性格ではない、女の子。
これが王子でも、まあ同じことだ。
アスターは運命という言葉は嫌いだったが、偶然と必然の区別をなくすことを運命というなら、すべては運命に導かれる以外にない。
「楽な計画じゃないぜ。失敗すりゃ全員が死ぬ。きみたちはどうだか知らないけど、おれは死にたくない。ちゃんと計画を立てて、そのとおりに行動する。チームリーダーは、ミル、きみだ。いざというときはきみの指示に、おれたちは従う。お姫さまだし、雇い主だからな。きみがすべての責任を持つんだ。いいな?」
ミルはこくりとうなずいた。この程度では物怖じしない、というわけだ。頼もしいお姫さまではある。もともとはちがったのかもしれないが。環境はひとを変える。家族で平和に暮らしていたころのミルは、こんなふうではなかったのかもしれない。
アスターは立ち上がり、着ていたコートの襟を立てる。
「じゃあ、おれはさっそく道具の調達に行ってくる」
「道具?」
「ああ──いいものを知ってるんだ」
にやりと笑ったアスターは、そのまま安宿の部屋を出ていった。