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ある海賊の夜明け 1

■1


 人類の歴史と酒の歴史はほとんど同じだ。


 人類はその成り立ちから酒を飲んできた。


 理由は簡単だ。水は腐るが、酒は長持ちする。保存の方法さえ気をつければ何十年経っても飲める。長期保存させられるのが酒のもっとも重要な特性だろうが、それは建前で、要するに人間は酔っぱらうのが好きなのだ。


 運び屋のアスターも酔っぱらっていた。


 若い頃、まだ酒を飲みはじめたばかりの頃は、酔っぱらうことのなにが楽しいのか理解できなかった。しかしそれを飲まないと大人の仲間に入れてもらえない気がして、飲んでいた。


 そのうち酔っぱらう楽しさがわかってきたかといえば、そんなこともなかった。


 ただなんとなく付き合いで酒を飲み、ひとりのときも飲み、気づけば水分補給はだいたい酒でするようになっていた。


 いまになっても酔っぱらうのが楽しいかと言われればよくわからないが、楽しいと表現することもできなくはないと思う。快感と同じだ。痛みと快感は紙一重。不快と愉快も紙一重、だ。


「酒が好きじゃないなら、水でも飲めばいいんだよ」


 カウンターの向こうで、呆れた顔の店主が言った。


 年齢不詳だが、いい女だ、とアスターは思う。アスターがこの酒場に顔を出すようになったとき、店主はもういまと同じようにカウンターの奥に立って酒を作っていた。それから何年経つか。実際、この店主、ダリアは不老不死なのかもしれない。


「すくなくとも酒より水のほうが安い」

「まあ、そりゃそうだけどよ──でも店としては水より酒のほうがいいだろ?」

「ちゃんと金を払うなら、ね。今日のお代は払ってもらうからね。もうツケはいっぱいだよ」

「あー、それなんだけど。なんつーか、次の仕事がちょっと儲かりそうでさ。だからそのとき利子もたっぷりつけて払うから」

「ダメ。前もそう言ってただろ」

「今回こそ、マジなんだ」

「じゃあ次はどんな仕事なんだい」

「次は──だからその──まあ、そういうことだよ」

「まったく」


 ダリアはため息をつく。アスターはまたごくりと酒を飲んだ。アルコールの熱い感覚。喉から胃へと落ちていくのがわかる。ということは、まだ酔ってはいないということだ。


 まあな、ダリアの気持ちはわかる、とアスターは酒場のなかを見回した。


 そうでなくても辺境の星の、さらに辺境の町。こんなところへくるのは犯罪者か物好きかのどちらかで、酒場で飲んだくれている男たちはみんなどちらかに、あるいはその両方に当てはまる。金払いがよさそうなやつはひとりもいない。アスターを含めて。


 アスターは運び屋だった。


 個人の運び屋で、依頼を受けてものを運ぶ。


 仕事は順調とはいえない。


 そもそも宇宙宅配業者は大手から零細まで無数にあり、個人の運び屋がつけ入る隙はない。


 それでもあえて個人の運び屋に頼むような人間はワケありと決まっている。そしてワケありの人間が大金を持っていない──持っていても他人に払う気などない──連中ばかりなのは言うまでもない。


 儲かるはずのない仕事といえばそのとおりで、実際アスターはいろんな酒場にツケがあったが、まあ悪い人生ではないとも思っていた。


 自分の性格を考えれば、ひとつの町に腰を下ろして毎日同じ場所へ出勤する、という生活には耐えられそうにない。


 帰る家もなく、宇宙を放浪するような暮らしのほうが性格に合っている。


 言い方を変えれば、そういう生き方しかできないということだ。


 まともに生きるのを嫌っているのではなく、まともには生きられない──そういう人間もたしかにいるのだ。この広い宇宙には、かなりの数。


 だからこの酒場もそれなりに客がいるわけだ、とアスターはまたグラスをひとつ空にする。


 それと同時に、酒場の入り口ががらりと開いた。


 自動でもない扉を押し開け、黒いコートを着た人間が入ってくる。フードを目深にかぶり、その頭にはうっすらと雪が積もっていた。元々この町は極寒で、常に大量の雪が積もっている場所だが、いまもまた吹雪がはじまったらしい。


 新しい客は店の奥へ進み、空いているテーブルに腰を下ろした。アスターは空になったグラスをかかげる。


「お代わりはないよ」とダリア。「一人前に金を払うようになってから言いな」

「おいおい、頼むよ。あと一杯だけ。いやあ、今日も美人だねえ」

「言う順番が逆だろうさ、まったく……あと一杯だけだよ。倍の値段、ツケとくからね」

「ちぇ、ちゃっかりしてるな」


 琥珀色の液体。トクトクと注がれる。命の水。アスターはごくりと飲む。生き返ったような気はしないが、体温は上がる。この氷の町では体温こそすべてだ。


 また店の扉が開く。今度は三人組。どれも黒のコートを着ているが、フードはかぶらず、店に入ると軽く頭を振って雪を落とした。それから店内をぐるりと見回し、三人が別々に歩き出す。


 アスターはガラスのコップに写り込む映像を見ていた。

 直接振り返りはしない。怪しまれてもいいことはない。が、気にせずにはいられない。


「……あんた、警察に追われてるのかい?」


 ダリアもグラスを磨き、視線は動かさないまま言った。


「いや、おれじゃない。それにありゃ宇宙警察じゃないぜ。軍人だ」

「客ならなんでもいいけどね。犯罪者だろうが軍人だろうが」

「酒を注文する気はなさそうだ」


 三人の男たちは三方向から店の奥へ進み、先に入ってきたフードをかぶった人影が座るテーブルに行き着いた。


 会話の声までは聞こえない。しかし男たちはだれも椅子には座らなかったし、友好的な雰囲気もまったくなかった。


「ひとつ、提案がある」

「ツケをちゃらにしろってのは無理な相談だ」

「ちぇ……」

「まあ、でも──今日の分なら、いいよ」

「ふん、やっぱりちゃっかりしてるな。儲かるわけだ」


 ダリアはかすかに笑った。


 それが合図だったように、店の奥で派手な物音が響いた。


 テーブルがひっくり返り、近くにいた酔っ払いが驚きの声を上げる。


 フードをかぶっていた人物はひっくり返したテーブルを盾にして三人の軍人のひとりに体当たりしていた。男が倒れる。残りのふたりのコートが翻った。旧式の銃と、冗談のようなサーベル。いったいいつの時代からきたのやら。まるでタイムトラベラーだ。伝統的な軍人の装備、というやつ。アスターはそっと席を立ち、店の中央にある円形のカウンターをぐるりと回り込んだ。


「動くな、おとなしくしろ!」

「ばーか、だれがそんな命令に従うかっての──てめえらこそ動くな。動いたら、こいつの首を折る」


 ひとりが捕まっている。しっかりと首に腕を回し、いつでも力を込められるようにしながら、フードの人物はじりじりと店の入り口に近づいていく。そのまま逃げようという魂胆らしい。が。


「表はやめときな」


 アスターの声に、フードの人物、そして三人の軍人がぎくりとして振り返った。


「表にも軍人が待機してるはずだ。逃げるなら裏からのほうがいいぜ」

「貴様、仲間か──」

「動くなって言ってんだろ」


 フードの人物──女だ。声でわかる。腕に力を込めたのだろう、首を絞められている軍人が呻いた。仲間の苦悶の声を聞き、一瞬意識が逸れた瞬間、アスターは軍人のひとりに飛びかかっていた。


 また机がひっくり返り、酔っ払いが巻き添えを食らう。


 アスターは地面を転がった。軍人のコートのなかに手を突っ込み、サーベルを奪う。スイッチひとつで剣になる、というような代物ではない。本物の金属でできた剣だった。骨董品のようなものだ。ずっしりと手に重みが伝わってくるそれを鞘から引き抜き、構える。


 残りのひとりがアスターに銃口を向けていた。


 さすがに引き金を引くより早く剣をふるうことはできない。アスターはとっさに降参のポーズ。銃を構えた軍人が横から吹き飛ぶ。フードの女が軍人を突き飛ばしていた。


「裏口はどっちだ!」

「案内してやる。ついてこい」


 店内を走る。もう狭い酒場は大騒ぎだった。逃げ出す客もいれば、酔った勢いではやし立てる客もいる。


 アスターは正しい入り口とは反対方向へ走った。


 机を蹴飛ばし、酔っ払いを飛び越え、椅子に躓き、床を転がる。すぐ頭上でパンと爆竹がはぜるような音。鉛の塊を打ち出す銃声。床を転がっていなければ心臓あたりに穴が開いているところだった。そのまま裏口の扉を蹴り飛ばし、外へ。


 とたんに凍りつくような冷たい空気が体中を締め付けた。


 こんなことならもっと酒を飲んでおくんだったと思いつつ、アスターは空を見上げる。


 吹雪がきつい。空は見えない。おかげで軍用機の影もない。しかしどこかで待機しているだろう。


 酒場のまわりは一面雪が積もり、真っ白だった。しかもその雪はふわふわとやわらかく、足を踏み入れると底なし沼のように沈み込む。


「こっちだ、こい!」


 酒場は町のはずれにあった。


 それでも一応、道はある。そこにも雪は積もっていたが、ほかに比べると歩きやすい。


 アスター、そしてフードをかぶった女のふたりは雪の上を走り、となりの建物──罪のないパン屋──に逃げ込んだ。


「ちょっと失礼!」

「わっ、な、なんだあんたたちは──」


 香ばしい匂い。驚く店主を突き飛ばして奥へ。これもまた罪のない妻と娘だろう、ふたりの女がせっせとパンをこねている。パンを焼くための窯は熱かったが、暖を取っている余裕はなかった。


 裏口から外へ出る。また寒い。小声ながら表の通りに顔を出すと、ちょうど三人の軍人が店の前を通りすぎるところだった。踏み固められた通りの雪には足跡も残らない。


「ここは寒い。店に戻ろう」


 アスターは通りを避けて雪のなかをざくざくと歩く。フードの女もそれについてきた。ふたりは先ほど大騒ぎで駆け抜けた酒場の裏口からまたなかへ入り、アスターが座っていたカウンターの席に落ち着く。


 店内ではまだ騒ぎが続いていた。といっても兵士たちが去り、酔っ払いたちがそれを余韻に騒いでいるだけだった。ダリアもそんな騒ぎなど知らんぷりで、戻ってきたアスター、そしてそのとなりに腰を下ろしたフード女をちらりと見る。


「……なにか飲むかい?」

「体が温まるものを」

「ホットミルクにしてやろう」

「勘弁してくれよ、ダリア。子どもじゃあるまいし」

「男はいつまで経っても子どもみたいなもんだろう」


 笑いながら、本当にホットミルクが出てきた。仕方なくアスターは両手でそれを包み込み、子どものように暖を取りながら隣を見る。


 フードの女はその視線に気づき、それまで目深にかぶっていたフードをすっと後ろへ流した。


 フードの下は金髪だ。白に近いような、輝く金色。ショートカットで、肌は浅黒く、目はオレンジに近い色。


「海賊、か?」


 アスターが呟くと、女はふんと鼻を鳴らした。


「さあ、どうだろうね。海賊だとしたらどうする?」

「まあそう敵意を持つなよ。別に海賊だとしても気にしない。そんなことを気にするやつは、すくなくともこの酒場にはいないさ。あの軍人たちは気にしてたらしいが。警察でもない軍人に追いかけられてたってことは、でかい事件でもやらかしたのか?」

「まあね──強い酒を、マスター」

「金はあるんだろうね」

「あとで払うさ。そこらへんの机の修理代も含めて」

「どいつもこいつも同じことばっかり言うんだから……利子は高いよ」


 それでも結局客を追い出したりしないのがこのダリアという女のやさしさだった。あるいはこの辺境で店を維持するための作戦かもしれない。


 この酒場は居心地がいいとアスターも思う。そう思っている人間が多ければ多いだけ、この店は長くやっていける。居心地が悪い店にはだれも近づかない。店がつぶれたら困るから、ツケはするが、ちゃんとあとから払いにくる客も多いというわけだ。


 カウンターにちいさなグラスが置かれる。透明な、強い酒。女海賊はそれを一口で飲み干した。


「助かった、と一応言っとく」

「どういたしまして、と答えておこうかな。詳しい事情は聞かないよ。いまなら逃げられるだろう。表の連中も騒ぎを聞きつけてあちこち飛んでいっただろうからな」

「なんであたしを助けたんだ?」

「こちらの先生から言われてね。今日の酒代をちゃらにする代わりに騒ぎを収めてこいとさ。仕事は終わりだ。おれは飲むよ」

「飲む場所を変えるつもりは?」


 アスターは思わず女海賊を見た。


 女海賊はにやりと笑い、立ち上がって、アスターに片手を差し出す。


「あたしはピルカ。あんたの言うとおり、まあ、いろいろ事情を抱えた女海賊ってとこ。近くの宿に部屋を借りてるんだ。一夜を共にする相手としては悪くないと思うけどな」

「う、うーむ」


 酒か、下心か。


 アスターはちらりと自分のコップを見たが、結局、立ち上がった。


「いいだろう、行こう。先に言っておくが、おれには下心しかないぜ」

「潔くていいな。そういう男は嫌いじゃねーぜ」


 本当だかどうだか。


 ふたりは正面から酒場を出る。


 外はやはり寒く、アスターはぞくりと震えた。早く体を温めたいものだ。たとえば、屋内の軽い運動なんかで。

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