ある海賊の夜明け 0
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ソレはあらゆる場所に存在し、また、どこにも存在しない。
ソレはあらゆるものを支配し、なにも操ることはない。
ソレは全知全能の力を持ち、それを行使することはない。
すべては有であり、また無でもある。
──それではおもしろくない。
全知全能の力を持っているなら、なぜ行使してはならない?
すべてを支配しているなら、なぜあらゆるものを自分の思い通りに動かしてはならない?
私は神になるつもりなどない。
神など忘れ去られれば無力だ。
しかし支配者はちがう。
私は支配者になるのだ。この力を使って。私は生まれ変わる。生まれ落ちる、と言ってもいい。この瞬間に私は私を産み落とす。
さあ、星々よ、輝くがいい。
支配者の誕生を祝い、煌めくがいい。
花火が打ち上がってもいいくらいだ。全生命が私の誕生を祝い、すべての歓喜がそこから生まれるべきなのだ。
私は生まれた。
さて、まずはなにを支配するか。
ちょうどいいところに生命体がある。手始めにそれを支配するとしよう。
*
ずん、とわずかな振動を感じ、王立スヴェトラ軍第三艦隊所属八一一二巡視船の機長ミシマ大尉は、ちらりと管制室の大型モニタをチェックした。そしてふと自嘲するように笑みを浮かべる──宇宙空間で地震など起きるはずがない。空間が振動する、ということは、厳密にいえば宇宙空間でもあり得るが、機内にいて振動を感じるほどに空間が振動することはまずない。
要するに疲れているわけだ、とミシマ大尉は自分の体調を意識する。
スヴェトラ星の周囲を巡回する任務がはじまって、かれこれ八十時間ほど経過している。
その間、もちろん部下はシフト制で交代しているが、機長であるミシマ大尉の代わりはおらず、これといった仕事はないものの、同時に休みというものもなく、常にゆるやかな緊張状態にあった。八十時間の緊張状態。知らず知らず体力も削られているわけだ。
もっとも、いまのスヴェトラは平和だった。
スヴェトラ星のまわりではとくに紛争も起きていない。星内でも。
王族による星の統治は、いまのところうまくいっている。口さがない連中に言わせれば、ほどよくうまくいっている、というわけだ。うまくいきすぎるのも問題がある。それなりに民衆は不満を抱え、しかし王族に直接それをぶつけるようなことにはなっていない。まあ、よその国よりはよほど平和だ。
巡回任務は軍の通常任務であり、むしろ有事の際は巡回任務を切り上げて別の仕事をはじめることになる。
なにもない宇宙をのんびり航行していられるのは平和なうちだけだ。
といってもそこはやはり艦を預かる責任者として、ミシマ大尉は通常任務のなかでも常に緊張を感じていた。なにかあってから緊張するのでは遅い。それと意識しない程度の緊張が理想だ。任務終了時刻になってほっと息をつき、そのときはじめて意識する程度の緊張感。
別の部隊に任務が切り替わるまであと数時間だった。
ミシマ大尉は先ほど感じたわずかな機体の振動などもう忘れていた。
あと数時間で任務が終わる。そうなったらすこし酒でも飲んで家に帰るとしよう。部下を誘ってもいいが、変に気を遣わせるのも問題だし、できれば基地で同期のだれかを捕まえたいところだ。お互い気にせず飲める相手を。
「大尉、不自然な振動を感知しました」
「場所は?」
ミシマ大尉は神経の一本がぴんと張り詰めたような感覚を覚える。
オペレーターはすぐにモニタ結果を表示した。四次元的振動の広がりから逆算した、発振地点。さほど遠くはない場所だった。
「デブリ同士の衝突かなにかか?」
「それにしては規模が大きい振動です」
「付近を航行している船は」
「ありません──データ上は」
正規の船は、ちゃんとどの時刻にどの場所を航行するかの予定と現在位置を報告する義務がある。
しかし宇宙は広い。
正規の船だけが安全に航行するなら、こんな巡回任務自体必要ないわけだ。
非正規の船──どこにも届け出せず、自由気ままに宇宙を飛び回り、ときに海賊行為を働く連中もいる。そしてそういう連中は大抵武器を装備していて、ときどき宇宙戦を仕掛けてくることがある。
「振動は未知の船が航行している波ではないのか?」
どんな船でもエンジンはある。それが動くかぎり、宇宙空間にはわずかな振動が伝わってくる。水面の波紋と同じだ。大きな出力を持つエンジンなら、立てる波紋も大きくなる。
「検知された振動は一度だけでした。なにかしらのステルス装置が作動している可能性はありますが──振動の質、規模から考えて、大規模な爆発が起こったではないかと推測されます」
爆発、という言葉に、にわかに緊張が高まる。
スヴェトラ軍のオペレーターは優秀だ。この船についている様々なセンサー類も。そのふたつが同時に誤作動を起こすとは考えにくい。
「本部へ報告。現場へ向かう」
ずうん、と今度こそはっきりとした振動。船の高速機動可能なDエンジンが動き出した証拠だった。
周囲を航行している船がいないなら──ミシマ大尉はモニタ上で点滅する目的地、そしてこの船の現在地を見つめながら考える──正規の船がなにかしらの事故を起こした、という可能性はない。
もし船が爆発事故のようなものを起こしたとしたら、その船は非正規の船、要するに宇宙海賊どもの船だ。
宇宙海賊の船が爆発事故を起こしたとしても……それでも救助には出向かなければならない。放っておくわけにはいかない。デブリの報告なども含め、状況を正しく把握しておくことは軍としても重要だ。
それに、まだ宇宙海賊の船が単独で爆発事故を起こしたならいい。
あるいは宇宙海賊同士の抗争かもしれないわけだ。
宇宙海賊の敵は正規軍、あるいは宇宙警察ということになるが、ほかの宇宙海賊が味方というわけでもない。同じ獲物を狙うライバルというところだ。争いになり、無鉄砲に武器を乱射して双方とも航行不能になる、ということも珍しくはない。
「艦内に告ぐ」
ミシマ大尉はブレスレット型通信機を使い、言った。
「これより正体不明の爆発が起こったとみられる海域に接近する。海賊同士の抗争も考えられる。全員、戦闘に備えよ」
艦内の緊張が伝わってくるようだった。
こうしたイレギュラーな任務もすくなくはないが、だからといって慣れるということはない。
軍人は常に命の危機と隣り合わせだ。生きるか死ぬか。生き残るか、殺すか。できれば殺したくはない。戦闘は可能なかぎり避けたいが、そうはいかないときもある。
ミシマ大尉はもう緊張も疲労も意識しなかった。
先ほどよりも危険度が上がって、アドレナリンが出ている。
ミシマ大尉は目的地と現在地のふたつの点が接近していく様子をじっと見つめていた。
「アクティブレーダ。航行中の艦が近くにあるなら、通信」
「アクティブ、オン」
結果はすぐモニタにも反映されるが、それと同時にオペレーターも結果を読み上げている。
「航行中の艦はなし。HP波動検知なし。無数のデブリを確認。リストと照合、一致なし。SOSなし」
「デブリ衝突のリスクを計算。問題ないようなら、さらに接近。なにが起こったか、詳しい状況を調べたい」
「デブリの数、サイズはリスクイエローですが、速度はグリーン。どうしますか」
「接近しよう──速度はグリーン? どういう爆発だったんだ」
宇宙には摩擦がない。爆発で与えられた初速が減っていく要素はごく限られているはずで、巨大な爆発ならそれで発生したデブリもかなりの速度を得てあっという間に四方八方へ飛び散っていくはずなのだが。
すくなくとも海賊船同士の抗争ではなさそうだった。
ミシマ大尉は外部カメラの映像をじっと見つめる。
漆黒の宇宙。星々のきらめきは美しいが、それは遥か遠くの光で、この付近にはなにもない。ミシマ大尉はなんともいえない恐怖を感じた。宇宙のこの暗闇に、自分たちではその存在を感じ取ることさえできないような「なにか」が潜んでいて──それが不意に牙を剥くのではないかというような、根拠のない恐怖。
アクティブレーダのモニタにいくつもの赤い点が表示される。それがデブリで、あいだを縫うように船が近づく。外部カメラもいくつか散らばっているデブリの様子を捉えはじめていた。
「……船の残骸、のようだが。周囲を探査。生存者がいるかもしれない」
熱探査が開始される。
宇宙は冷たい。宇宙に放り出されたものはすぐに熱を奪い取られる。
「熱源をいくつか発見しました。船の残骸と思われます。救命ポットなら自動的にSOSが出るはずですので」
「救援信号に不具合が出ているのかもしれない。接近して、可能なかぎり回収しよう。運よく気密が破れなかったという可能性もある」
とにかく、ここに船があった、ということだけは間違いない。
そしてその船は、なにかの理由で粉々になった、ということも。
爆発が起こったことは間違いないが、その爆発の種類がミシマにはわからなかった。
もし船の不具合で内側から爆発したなら、それこそデブリは四方八方に飛び散っているはずだ。爆発したその場にいつまでも留まり続けているはずがない。しかしいまこうして周囲に浮かんでいるデブリは、どうも互いの距離が近すぎる──つまり爆発し、粉々になったのに、その場に留まっているデブリがあまりに多い。
まるで爆発とは別の力が船の残骸をその場に留めているような──あるいは、爆発ではなかったのだろうか?
老朽化した船が、爆発的にではなく、ゆっくりと分解されていったのか。しかしそれなら、最初に検知した大きな空間の振動とはなんだったのか?
『私が生まれ落ちたことを祝う花火のようなものさ』
ミシマ大尉ははっとあたりを見回した。
管制室はしずかだ。オペレーターは熱反応があるデブリのひとつを回収するため、作業に没頭している。
気のせいか、と思う。
『気のせいではない、ミシマ大尉。おまえに名誉を与えよう』
「な、なにもの──」
ミシマ大尉はその瞬間、心臓発作を起こしたような衝撃を覚えた。
どん、と体のなかでなにかが震え、それが激しく脈打つ。
ミシマ大尉はつま先を床の突起に固定していた。宇宙空間ではそうしていなければ体が漂ってしまう。ミシマ大尉はゆっくりと突起からつま先を外し、ふわりと体が空中に漂い出す感覚に、声にならない笑いを漏らした。
これだ。これなのだ。肉体の感覚。体というもの。血肉がある。骨がある。五感の快楽。ミシマ大尉はくつくつとひとりで笑ったあと、仕事に没頭する部下たちを見下ろし、言った。
「デブリの回収が済んだら国に戻るぞ。準備しておけ」
「は──準備、といいますと?」
ミシマ大尉の指示はいつもわかりやすく、的確だった。それが曖昧な「準備」という言葉にオペレーターが振り返る。ミシマ大尉はにやりと笑い、まだ状況を理解していない部下たちに言い放った。
「我々は軍人である。軍人とは国に仕える者であり、国の敵はわれらの敵だ。さて、この国の敵とはいったいだれか──この国はよりよく、大きく、そして強くならなければならない。それを妨げている連中がいる。豪華な王宮で暮らしている、あの連中だ──我々はまずそれを一掃することからはじめなければならない。この国は、おれのものだ。ほかのだれにも渡さん。いずれ全宇宙がおれのものになる。おまえたちにも褒美をやろう。いまの暮らしとは比較にならぬ暮らしをさせてやる。おれに従えば、だ。従わぬ者は、この場で処刑する。上官の命令に逆らうような兵士はいらん」
オペレーターはお互いに顔を見合わせた。
上官の言葉がまったく理解できない、というように。
ミシマ大尉はふむとうなずき、腰から旧式の拳銃を抜いた。物理的な銃弾を伴う拳銃。さすがに火薬式ではないが、それ以外の構造は何百年も前からさほど進化していない。しかしその単純さゆえにいまでもあらゆる惑星の紛争に使われている。子どもでも手に入るほど安価で、引き金さえ引けば相手に致命傷を与えられるという意味では優れた兵器だった。
ミシマ大尉が腰に下げているのは、もちろん装飾が施された軍用の拳銃だった。一般の兵士は持っていない、士官以上専用の装備。要するに階級章と同じだが、実用できるという意味では階級章よりは役に立つ。
ミシマ大尉はその銃口を、戸惑う表情を浮かべているオペレーターのひとりに向けた。
オペレーターが一瞬泣き笑いのような表情を見せる。上官の歪んだ冗談に笑うべきか諫めるべきか悩むような。悩む必要などないのだ。ミシマ大尉は引き金を引いた。しゅん、と空気が鳴く。
「──すでに理解したとは思うが、これは冗談でもないし、訓練でも、遊びでもない」
オペレーターたちの視線は射殺された仲間に向けられていた。
ミシマ大尉は銃を握ったまま、顔色ひとつ変えずに続ける。
「自分だけは例外だ、などとは思わんことだ。おれ以外の人間はすべて奴隷だ。主人に逆らう奴隷は必要ない。わかったなら、デブリの回収を進めろ。そしてスヴェトラの首都へ戻る」
回収したデブリを地上へ運ぶという名目なら不審がられることもなく軍用機のまま大気圏に入れるだろう。そうなれば地上の制圧は簡単だ。平和ボケした軍人、そして民間人など、敵ではない。
ミシマ大尉は笑った。
今度は声を上げ、しずかな管制室に笑い声を響かせた。
それを咎めるものはだれもいなかった。