6.予想外のお茶会
「こんなところにお客様が来るなんて思いもしなかったなあ。それとも迷子かな?」
木の扉から現れ、のんびりとそう言ったのは上品な壮年の男性だった。上質ではあるがやや質素で、そしてどこか古びた身なりである。どういう身分の人なのかいまいちよく分からない。そして彼は私たちを見ても全く動じていない。私たち、どう見ても不審者なのですが。自分で言うのもなんだけど。
「あの、私たちは落とし物を取りにきただけですので、用も済みましたし失礼いたします」
「隠し通路に落とし物? この隠し通路の存在を知っているのは私だけだと思ってたんだけどね」
「そ、それは色々とありまして、それでは改めて失礼いたします……あの、ここに私たちが来たことは、内緒にしていただけるとありがたいのですが」
「ああ、いいよ。その代わりこちらからも一つお願いをしていいかな」
「私たちに出来ることでしたら……」
「少しお茶でも飲んでいってくれないかな。お客様なんて珍しいからね」
そう言って彼は茶目っ気たっぷりに微笑んだ。さてどうしたものか……ちゃんとこの人に口止めしておきたい……しかしこの人自身が危険人物の可能性も……ううう。首飾り、お前が全部悪いんだ。
仕方なく承諾し、私たちは彼に導かれるまま目の前の木の扉をくぐった。なおナタリアはこのやり取りの間、私の後ろに隠れてぷるぷる震えっぱなしである。
木の扉の向こうは窓のない小部屋になっていて、壁の一部がぽっかり空いていた。その向こうは書斎のようだ。三人で書斎に出ると、彼が書棚を操作し始めた。壁際の書棚が動いて、小部屋への入り口を塞ぐ。こっちも隠し通路だったのか。
そうして質素な居間に通された私とナタリアに、彼は慣れた手つきでお茶を出してきた。どうやらここに使用人の類はいないらしい。
「はい、どうぞ。口に合うといいけれど」
お茶の香りを用心して嗅ぐ。ナタリアが一口飲んで、こちらを見ながら小さくうなずいた。香りOK、味OK、今のところ異常なし。
そんな私たちのやりとりに気づいたらしい彼が、苦笑して言った。
「そんなに警戒しなくてもいいと思うんだけどなあ。私はそんなに不審かな? ……そう言えばまだ名乗ってなかったね。私はレックス=ロイ、一応は王家に連なる者だよ」
いきなりの告白にお茶を吹き出しそうになった。え、この人王族なの!? 駄目だ、王様の名前さえど忘れしてるポンコツセレスティナが、他の王族の名前を覚えているはずがない。
しかし、前世の私の方はその名前にかすかに聞き覚えがある。どこで聞いたか全く覚えてないので、名前だけがどこかで出てきたとかそういうのだろう。
横目でナタリアを見ると、こちらも心当たりがないらしくきょとんとしている。
「と言っても、私の存在はほとんど表には出ないからね。帰ったら王家の系図を調べてごらん、そこになら私の名前があるはずだよ。伯父上が消していなければ、だけど。あ、伯父上っていうのは現王陛下のことだね」
えーとつまり王様の弟の息子。ところで表にでないとか伯父上が名前を消すとか物騒なフレーズが聞こえた気がするのですが。
「まあ、名前があったとしてもそれ以外の情報はおそらく残ってないだろうね。私は十五年前、十二歳の時にここに隠棲させられた身だから」
「あの、ここは一体どこなのでしょうか」
「ここは王族を幽閉するための牢獄さ。周りは崖で囲まれてる。崖に一か所だけ外に通じる下り階段があるんだけど、下で兵士が守ってるから脱獄はちょっと難しいね。必要なものは定期的に届けてもらえるから生活には困らないけれど」
改めて、レックスと名乗った目の前の男を観察する。おっとりとした笑みを浮かべた上品で整った面差しに、鮮やかな真紅の髪と瞳。声や話し方が柔らかいのと相まって、とても穏やかな印象を受ける。十五年も幽閉されていたにしては、身も心も健康そうだ。
私がひっそりとそんなことを考えていると、レックスは小さく笑っていったん話を切った。
「ああ、私ばかり話してしまったね。人とまともに話すのは久しぶりだから、楽しくて。君たちの話も聞かせてほしいな」
「ええ。まずは私たちにも自己紹介をさせてください、レックス=ロイ様。私はセレスティナ、こちらはナタリアです」
「ということは、君が今代の聖女様か! 会えて嬉しいよ。ナタリアはセレスティナの従者……というよりお友達かな? それと、私のことはレックスでいいよ」
「りょ、両方です」
ナタリアがおずおずと返事をした。まだちょっと緊張してるみたいだ。
「あの、どうして私が聖女だと?」
「セレスティナという名は今代の聖女の名前と同じだし、比較的珍しいものだろう? そして君が着ているのは教会のローブ、それもそこそこ質のいいものだ。加えてその首飾りと似たようなものを昔宝物庫で見た覚えがあるよ。伯父上から聖女に下賜されたと考えれば納得がいく」
私が正式に聖女となったのは六年前で、その時は既にレックスは幽閉されていたのにどうして聖女の名前なんか知ってるんだ?
「どうして分かるのか、って言いたげな顔だね。見当はついているかもしれないけど、私は君たちが通ってきた隠し通路を使ってこっそり王城を歩き回ってるんだ。他の隠し通路も駆使すれば、誰にも見つからずに結構あちこち行けるものだよ。できることなら城下町にも出てみたいんだけど、私の髪では目立ちすぎるからね」
ああ、それであの隠し通路に埃が積もってなかったのか。それより他の隠し通路と聞いてナタリアの目が輝いてます。隠し通路同好会とか作らないよね?
「あ、あの、ここは牢獄なのに隠し通路があるって、どういうことなんでしょうか」
さっそく隠し通路ネタに食いついてしまったな。
「この王城を作った王はいたずら好きだったって言われててね。普通こういうお城にはいざという時の脱出経路として隠し通路を作っておくものだけど、この城は不必要に隠し通路が多いんだ」
まずい、ナタリアの目がさらに輝きだした。
「この部屋も、牢獄に見せかけて自由に出入りし放題っていう洒落のつもりだったんじゃないかな。しかもその王様が隠し通路のありかを秘密にしたまま逝去してしまったせいで、この城の隠し通路の全容は闇に葬られてしまってね。実際、伯父上もここの隠し通路は知らなかったみたいだしね。私は幽閉されてから暇すぎて部屋中調べまわっていたら偶然書斎のからくりを見つけて、それから地道に調査して王城を探検していったんだよ」
「やはり隠し通路を見つけるには地道な調査ですね!」
ナタリア、すっかり打ち解けたねえ。共通の趣味があるって強いねえ。
それからは三人で和やかなお喋りに花を咲かせた。レックスは本当に会話に飢えていたようで、どんなささいな話題であっても興味津々で食いついてくる。その様が子供っぽく見えもするが、不思議と違和感は感じない。成熟した雰囲気と子供のような愛嬌とが合わさって、絶妙な魅力となっている。
そうして話し込んでいるうちに、日が傾き始めた。
「話は尽きませんが、そろそろ戻らないといけないですね」
そう切り出すと、レックスは心底残念そうな顔をした。
「こんなに楽しいのは久しぶりだよ。君たちさえ良かったらだけど、また来てくれないかな? 私は大体ここにいるから」
「はい! また来ますレックス様!」
間髪を入れずに返事をしたのはナタリアだ。隠し通路について聞き足りないらしい。なお、レックス呼び捨ての件については「絶対に無理です!!」と主張していた。
「私も、折を見てまた参ります」
「とは言っても、君たちは明後日から遠征だったか……無事を祈るしかないのがもどかしいな」
「お気持ちだけで十分嬉しいです、レックス。それでは、私たちはこれで」
「さようなら!」
「客間への帰り道も気を付けるんだよ」
そうやって私たちは、レックスに見送られながら隠し通路を抜けて帰路へついた。
しかし一つ疑問がある。レックスは攻略対象なんだろうか? ゲームでは彼を見た覚えはないけれど、私の知らない隠し攻略対象という可能性もある。というかそうであって欲しい。そうであれば、主人公たる私にはレックスを落とせるチャンスがあるというものだし。彼はちょっと変わってるけど割と好みではあるし。ともかく、今後も時々会って好感度を上げていくべきだろう。
次の日もやっぱり私たちは暇だった。今日はどうしようかと二人で話し合った結果、ナタリアは今日もレックスを訪ね、私は別行動で王城の書物庫に行くことになった。二日続けて二人とも行方不明になっていては怪しまれるおそれがあるのと、明日からの遠征についてそろそろ連絡が来そうな気がしたからだ。
そんな訳で、私はわざと人通りの多い通路を選んで書物庫に向かった。護衛も付けずナタリアも伴わずにふらふら歩くのは控えて欲しいと言われてはいたが、私が王城内で大人しくしていると周囲に印象付けることの方が大事だと判断したからだ。
書物庫は、入り口に見張りの兵士が立っているほかは誰もおらず、とても静かだった。少し埃臭い。
辺りを見回し、目的のものを手に取る。王家の系図と歴史が記された紙の束だ。この紙束は何十年分かが溜まったところで清書され、正式に本となってどこかの本棚にしまわれるのだ。
えーと、まずは家系図か。王の弟とその子供の名前が書かれていたであろう箇所が塗りつぶされている。頑張って紙をランプの光に透かしてみると、かろうじてレックスの名前が読み取れた。ちなみにですが、ついでに今の王様の名前も確認できました。ロビン=ロワ。微妙に覚えにくい名前だ。
続いて歴史が記された紙の束をめくっていく。レックスが幽閉された十五年前の記載を探し、そこから順に過去へと遡っていく。ところどころ紙が抜かれているのか、前後の紙で文章のつながりがおかしいところがあった。そしてレックスとその父のことはどこにも書かれていない。
十五年前に何があったのか、気にはなるけれどレックスに直接聞くのも気が引ける。当時を知る人にそれとなく聞いてみればいいのだろうが……王家について詳しそうな王族か高位の貴族で、二十代後半以上……一人だけあてがある、が大変使いたくないあてです、はいアルフレッドですね。
忘れていたいその名前を思い浮かべたと同時に、その人の声がした。
「おやセレスティナ殿、一人で調べものか」
噂をすれば影、というか一昨日に続いて心臓に悪い登場はやめてくださいアルフレッド様っ!
ええ、と軽く会釈を返すと、アルフレッドはそのまま書物庫の奥へ入っていった。すれ違いざまに私の手元の紙束を見てくすりと笑ったのは気のせいだろうか。
ああ、何だか悪寒がしてきた。今日はもう休もう。
私は紙束を元の場所に戻し、そそくさとマイホームたる客間に戻っていったのだった。