1.乙女ゲームライフ、開幕
――聖なる乙女の祈りは黒を浄化し、全てのものに安寧をもたらす――
私が天に祈りを捧げると、私を中心として白いつむじ風が巻き起こる。荒野を埋め尽くす魔物にその白い風が触れると、魔物は黒い霧へと変じていった。やがて黒い霧は色をなくし、透明な風となって舞い上がっていく。
こうして魔物は浄化された。しかし、この祈りの代償は私の命。生命力そのものが少しずつ奪われていき、身を引き裂かれるような苦痛に襲われる。その衝撃のせいなのか、私は唐突に思い出した。
うっわ私聖女様に転生しちゃってたよ!!
そんな私の叫びは、ものすごい勢いで吹き荒れる暴風にむなしくかき消された。
まずは状況を確認しよう。私には現代日本で生まれ育った記憶がある。しかし同時に、日本とは似ても似つかない謎の世界で生まれ育ったという記憶もある。そしてその謎の世界は、かつて私が日本でプレイしていた乙女ゲームの世界と瓜二つなのだ。
そして、今目の前にある私の手はほっそりと美しい白魚のような手で、風になびく緩やかに波打った長い髪は透き通るような明るい栗色だ。この姿は日本で生活していた時の私の姿とは全く違っている。
うん、これはあれだ、異世界に転生しちゃいましたってやつだね。どうやって転生したかの記憶は全くないけれど。
私が転生してしまった(?)乙女ゲーム、「純白のホーリーティア」。そのメインストーリーは、「人間に敵対する魔物、そしてその長である魔王を倒すため、教会に所属する聖なる力を持つ乙女『聖女』が王国に遣わされ、戦いの中で周囲の男性たちと思いを通わせてゆく。戦いが終わった後、彼女は誰と結ばれるのか」という、大変分かりやすいものだ。
また重要な設定としては聖女が天に祈りを捧げることで発動できる「白の浄化」があり、これは「魔物を浄化することができるが、その代償として聖女は生命力を失い、幾度も祈ることで死に至るおそれもある」という……まあどこかで聞いたことがあるような設定だ。
そして今の私はその聖女様、名前はセレスティナ。幼少の折に聖女としての能力を見出され大司教候補として教会で育てられていたが、魔物の増加を受けて聖女として王城に招致された。そして魔物だらけの荒野に派遣され、荒野いっぱいの魔物を浄化しようと生まれて初めて祈りを捧げたところ、その代償の衝撃で前世の記憶が目覚めてしまった、と。
それにしても転生先には少々不満がなくもない。正直な話、このゲームは突っ込みどころが多かったのだ。まず、主人公にしてプレイヤーキャラの聖女が強気でぐいぐい前に出る割に実際に戦いになるとほとんどずっと後ろの方で守られてるだけという、まあ分かりやすくか弱いヒロインというか……女に嫌われるタイプの女だったというか。
そして、この世界では聖女はほぼ無条件で崇拝されており、主人公はどこに行ってもいきなりちやほやされまくるのだ。みんな少し聖女に甘すぎると思う。
まあ、そんな感じでヒロインと世界観がダブルで少々合わないなと感じていて、ノーマルエンドと二人分の恋愛エンドを見たあたりで何となく攻略が止まっていた。そのせいで残念ながらゲームの知識はあんまりない。前世の記憶を生かして無双するってやつ、やってみたかったなあ。
まあいいや、ここが乙女ゲームの世界だっていうのなら、乙女ゲームの主人公らしく生きてやろうじゃないか! 魅力的なキャラ達と恋愛して、自分好みのエンディングにたどり着いてやる! ちなみに私はハッピーエンドが好きです。そうと決まればまずは今がゲームのストーリーのどの辺りなのか確認しておこう。あ、それと今後は白の浄化はできるだけ使わない方向で。そんなもので死にたくない。
さて、転生前の記憶と転生後の記憶とを合わせて考えてみると、今は「初めて白の浄化を発動したシーン」だ。ならばストーリーはまだ序盤。五人いる攻略対象の個別ルートに分岐するよりもずっと前で、まだ共通ルートの半分もいってない。うん、それなら誰を攻略してどのルートに行くかはこれから決められそうだね。
ともかく、この暴風が静まったあたりでみんな駆けつけてくるはずなので、大人しくそれを待つことにした。
「大丈夫かセレスティナ!」
顔色を変えて真っ先に駆け寄ってくるのが騎士ジーク、さらっさらの金髪に優し気な青い瞳をした、甘いマスクの美青年。すらりと背が高く、赤をベースに金と白がアクセントになった鎧姿がとても似合っている。いわゆる「ゲームのパッケージ絵でど真ん中に描かれてる攻略対象」だ。騎士なのに王子様っぽい。
ジークは私のもとに駆け寄ると、へたり込んでいる私をそっと支えてくれた。
「はい、大丈夫、です……力が入らないだけ、なので」
よし、ちゃんとセレスティナっぽく喋れてるな。ゲームのセレスティナに色々思うところはあれど、とりあえず今のところはそれらしくふるまっておくのが得策だろう。ここでいきなり素の私を出したらきっと大混乱になる。最悪、聖女様御乱心とかで幽閉エンド一直線とかになりかねない。そんなエンディングはゲームには無いような気がするけれど。
それにしてもジークまつ毛長いなあ。ゲーム中でもおもいっきり美青年として描かれてたけど、こうして同じ次元に立ってみるとさらに美しい。外人モデルとかで息を飲むような美しさの人がいたけど、ちょうどあんな感じだ。私を心配して軽くひそめられた眉も、美しくも艶めかしい。
あまりの美貌にくらっときて、このままジークルートに入っちゃおうかなという考えが脳裏をかすめる。ジークは前世で攻略済みだし、ちょっと個別ルートがどんなだったのか思い出してみようか。確か「セレスティナのピンチ、そこに駆け付けるジーク」のパターンがひたすら繰り返されていたっけ……途中から若干飽きたけれど。そしてエンディングは「未来の騎士団長の妻」だったかな。悪くはない。王道のストーリーと安定のその後。
しかしゲームの恋愛とリアルの恋愛は別物だ。経験ある人も結構いるんじゃないかと思う、二次元ではイチオシのキャラクターであっても、いざ三次元で実在してたらと考えてみると、いややっぱこいつ無理だわってなるあの現象。それを踏まえると、今ジークに突進していくのは早計だ。まずは様子見。
などと脳内で一人会話しているうちに、私とジークは数名の人影に囲まれていた。みんな心配そうな顔をしている。私は差し出されたジークの腕に手をかけ、そっと立ち上がった。ゆっくりと首を動かし周囲の人々を見渡す。
「みなさま、魔物はどうなりましたか?」
ゲームのセレスティナならこういう感じのセリフが正解だろう。彼女は使命感にあふれた少女のはずだから。
まず、正面にいる鎧姿の少年騎士がフィニアン。黒い巻き毛は長めのショートカット、深緑の瞳はくりくりとして愛らしい。着ている鎧はジークと似たデザインだが、あちこち装飾が異なっている。ジークが騎士団副団長でフィニアンが上位騎士だから、その違いを反映しているのだろう。フィニアンはゲームの攻略対象だけど、前世では未攻略。元気で一生懸命な可愛い子だなという程度の印象しかない。
フィニアンの隣の男性は騎士団長の……名前なんだっけ? がっしりした骨格で、筋骨隆々なおじさんだ。明るい茶色の髪と目の、清潔感はあるし頼れる感じでもあるがキラキラ感の無いおじさん。ちゃんと覚えてはいないけど、このキラキラ感の無さは非攻略対象だな。隠しルートで攻略可、なんてこともないだろう。
そして騎士団長おじさんの後ろにはモブ騎士が二名。ゲームと違ってちゃんとそれぞれ顔が違う。当たり前か。考えてみたらモブがみんな同じ顔ってシュールだよね。
さらにそのモブ騎士に守られるようにして立っている気弱そうな少女。編み込んでお団子にまとめたくすんだ金髪と、少したれ目気味のブルーグレーの瞳をしており、よく見ると少しそばかすが浮いている。着ているものはこんな荒野には似つかわしくない黒のワンピース。この子が主人公セレスティナの友人キャラ、ナタリアだ。幼いころから聖女として教会で育ったセレスティナの従者という設定で、身分の分けへだてなく優しいセレスティナになついている。
「セレスティナ様! 魔物は消えました、でもセレスティナ様が!」
泣きそうになりながらナタリアが飛びついてくる。勢いに押されてよろめいた私をジークが支えてくれた。
「私は大丈夫です、安心してナタリア。それに私のこの力は、魔物を滅ぼすためにあるのですよ」
すがりついて泣くナタリアの頭をそっとなでる。そういえばこのシーンにこういうスチルあったなあ、ナタリアとジークに挟まれて微笑むセレスティナ。このイベントはどうやらゲーム通りに進んだようだ。
さて、これからはどうなるのだろう、一体どこまでゲーム通りに進むのかな。できるだけゲームに沿っていてくれたほうが私としてはやりやすい。でもゲームって細かな日常の描写はそこまでないし、ゲームに描かれていないところでうっかりフラグへし折っちゃったら大変だなあ。うーん頭が痛いかも。
と、私たちを見ていた騎士団長おじさんが我に返ったように声を張り上げる。
「魔物は滅びたが、聖女様をいつまでも戦場のただ中に置く訳にはいかん。ジーク、フィニアン、聖女様を護衛して下がれ」
「「はっ、ウィリアム団長!」」
二人が同時に敬礼した。なおジークの左手はまだ私の背中を支えっぱなしである。そして騎士団長おじさんの名前が判明した。今後もちょくちょく顔を合わせるだろうし、ちゃんと覚えておこう。
「ではセレスティナ様、後方の陣地まで下がりましょう。……お一人で歩けますか?」
そう言って私をエスコートするジークに感じる違和感。なんだろうこれ? ……思い出した。さっきジークはセレスティナを呼び捨てにしてた。あれは白の浄化の直前のイベントである「心中密かに聖女を思う騎士」が発生していた場合に起こるサブイベントだ。聖女にもっと近づきたいと思っていたジークが、聖女の危機にうっかり彼女を呼び捨てにしてしまうというサブイベント。このサブイベントが起こったということは、過去のセレスティナ(イコール私)とジークが順調に仲良くなっていたということだ。
ならば私のすべきことは、とりあえずはこのままジーク攻略関連イベントを進めてしまうことだろう。最終的に攻略するかどうかはまた別の話だけど。つまりここで私がとるべき行動は。
「はい、なんとか。ところでジーク、その、先程は……」
少し恥じらいを見せながら言葉を濁すと、ジークは自分のしたことに気づいたらしく、さっと頬を赤くしながら表情をひきしめた。察しが良くて助かります。
「申し訳ありませんでした、セレスティナ様。とっさのこととはいえ、不相応な口をきいてしまい」
「いいのです。それだけあなたが必死だったのでしょう? 私のために必死になっていただけて、とても嬉しいです」
「セレスティナ様……」
「ジーク、もし良ければですが、また機会があったらまたあのような口調で話してはもらえませんか?」
「そのような恐れ多いことは」
「恐れ多くなどありません。私自身が望んでいるのです」
「……分かりました、また機会があれば」
おお、あっさり折れた。やっぱり好感度高いんだなジーク。どうだ過去の私、あなたの意志はちゃんと継いだぞ。
そうして私はジークに導かれるままゆっくりと歩きだす。ジークの反対側にナタリアが並んで歩き、さらに私とナタリアの後ろをフィニアンが守っている。みんなと一緒に歩いていると、なぜかほっとした。この感覚はきっと過去のセレスティナの記憶によるものだろう。私自身の感覚じゃないみたいでちょっと寂しいかもしれない。
いきなり記憶が戻ってかなり混乱したし、もっと好みの異世界に転生したかったと思わなくもないけど、まあこれはこれで悪くないかな? などと魔物が一掃されてさっぱりした荒野で開き直ってみる私だった。