第三十一話:笑顔の裏の恐怖
北階段は予想通り警備が薄く、ローレンシアたちはヒューイのフォローを得て予定どおり着実に駆け上がっていった。出産、育児を経たとは思えぬほどローレンシアの剣は衰えておらず、むしろ逆、大切なものを守るための剣を振るうローレンシアはまさに戦いの女神、軍神マルスのようだった。ヒューイはそんな彼女を誇らしく思いながら、彼女を守るための剣を振るう。
あと半分――王座の間まで、永く待った瞬間まで、あと階段半分だ。ローレンシアの瞳はいつでも、進む先を見つめていた。
近衛兵が上から下からと攻めてくる。情報どおり精鋭たちの姿は見えない。近衛レベルならば慎重に相対すれば問題なく進むことが出来た。人数は多かったが、それでも北階段を上がる三人の前に鋼の壁とはなりえない。
最初に最上段を踏んだのは特攻チームの男だった。短剣と拳を操る男は接近戦を得意としており、近衛兵の懐に飛び込んでは倒していった。その男が最上階を踏む。
「ローレンシア!」
伸ばされた手を反射的に掴むと、力強く引っ張り挙げられた。思いがけず空を飛んだようになって近衛兵たちの追随が遅れる。
「ここはいい、行け!」
叫びながらも男は既に手近な兵士へ向かって駆けていた。ローレンシアは迷わずに踵を返し、その向こうにある扉を目指す。そうだ、あの扉――数年前も同じ光景を見た、と近づいてくる最終の場へと手を伸ばした。
『特攻チーム』を城内へ送り込んだあとの予備チームの仕事は退路の確保だ。テリーは的確に、予定通り正門から一時的に引き上げ、西門のチームを攻めさせる。近衛兵を退路ルートから逸らさせることが目的だ。
城を見上げる。所々から明かりが漏れてはいるが、争う音はここまで聞こえては来ない。あとテリーに出来ることはどうか無事に、と祈るばかりだった。
「――っ……!」
隙があったことはテリー自身も認めるだろう。しかし既に正門から引いた距離にあり、まさかここまで兵に追われるとは思わなかったのが油断だった。斬り付けられた左腕から生温かい液体がぽたぽたと零れ落ちている。痛みは数秒あとから襲ってきた。目の前にはその伝達を待ってはくれない兵士が次の太刀筋を振り下ろそうとしている。腰に収めた剣を抜き切る余裕はなかった。それだけは刹那で計算が間に合う。
しかし人間の脳というのは局地に立たされると素晴らしいもので、テリーの脳裏には一瞬にしてヤンやローレンシアの顔が過ぎった。そしてリンティアの笑顔も。そうだ、彼女の笑顔を守るために僕は戦うのだ――テリーの心に死への恐怖が生まれたのは、その瞬間だった。