第二十七話:愛の結晶
ローレンシアは、ヒューイと同じ黒髪をもった男の子を産んだ。ヤンがヒューイとローレンシアが住む家を訪れたのは、産まれてから一週間後だった。ベッドに並んだ小さな赤子に手を近づけると、子はぎゅっとヤンの指を握り締める。
「一度掴んだら離さない。誰に似たのだか……」
「随分と気の強えガキだ」
台所でコーヒーを淹れているヒューイの後姿をちらりと見ながらローレンシアは微笑む。ヤンは掴まれた指を離そうとしたが、その力の強さに諦めて椅子に腰掛ける。そこへヒューイがコーヒーを運んで来てベッドサイドテーブルにひとつだけ置く。そしてローレンシアの前には水のコップをことん、と置いた。
「ああ待て、お前さんにも聞いてて欲しいんだ」
席を外そうとしたヒューイをそう呼び止め、ヤンは手招きをした。ヒューイはしばし考えてはいたが、この聡明な男のことを尊敬もしていたせいもあり、ヤンの要望通り椅子に座る。このあと何を言われるのか予測出来なくはなかったが、それはすべてローレンシアが決めることだと思っていた。ヒューイ自身は、彼女を ――今となっては彼女とその子を――守るために戦うことに異議はなかった。
「単刀直入に言おう。――お前さんたち、少し『アンシアン』から離れて生活してみるつもりはないか?」
ローレンシアに子供が出来たと聞いたときから考えていたことだった。ローレンシアの戦力を失うのは厳しいが、幸い『アンシアン』には反国王の思いを抱く者が集まってくる。その中に腕利きの者もおり、次の決起を考えて鍛えればなかなかの戦力になる者も数人いる。ローレンシアの国王への思いはわからないわけではないが、産まれた子にとって両親は唯一無二の存在だ。国を変えようと思うよりも子を、家族を守って欲しいというのがヤンの正直な気持ちでもあった。
ローレンシアはいささか驚いて目を瞠り、一瞬返答に詰まった。ヤンが自分とこの子のことを考えてくれているのは充分わかってはいたが、決起を、『アンシアン』をこのままにしておくつもりはまったくなかった。かといって子を巻き込むこともしたくない――その戸惑いは僅かな沈黙となって横たわる。
「ヤン」
ローレンシアの声は、どちらかというと怒りの音が混ざっているようにヤンには聞こえた。それが彼女自身に向けてなのかもしくは提案をした自分へ向けてなのかまでは推測しかね、次の言葉を待った。
「あたしは、この子に――平和な国を創ってやりたいと思っている。この現状のようなエストレージャではなく、新たなエストレージャで生きて欲しいと。そのために『アンシアン』にいると思っている。……おまえの気持ちは嬉しいが、あたしに、その片棒を最後まで担がせてくれないか」
ローレンシアの言葉は一粒一粒が重く、しっかりとしていた。ヤンを真っ直ぐに見据える瞳はまさしく戦士のもので――ヤンは一瞬、見惚れた。女としてではなく、戦士としてのローレンシアに。
「しかし……」
そこで助け舟を求めるようにヒューイを見る。しかし彼は柔らかく微笑むと、微かに首を振る。
「私の戦う理由のすべては彼女にある」
そうだった、とヤンは思い返す。ヒューイの『理由』はすべてローレンシアにあるのだ。子が生まれてもその態度は変わらない。ヒューイが何よりも愛しているのがローレンシアなのだから。
「おまえの気持ちは本当にありがたいと思っている。……すまないな、ヤン」
その瞳の色をふっと緩め、ローレンシアは視線を隣に眠っている赤子に移した。この子が生きるエストレージャが――どうか平和な国であるように、ともう一度心の奥で祈る。
ヤンはその様子を見つめながら、それ以上何も言わなかった。そして以降、ヤンが二人の『アンシアン』参加について何か口にすることは一切、なかった。