第二十四話:同じ道を駆ける
それからおよそ十日、ローレンシアがやっと歩けるほどまでに回復した。本当はもっとかかるはずなのに、と僅かにヒューイが眉を寄せると彼女は済ました顔で「回復が早いんだ」とそっけない。なにか理由があるようだ、と感づいてはいるがヒューイは特に聞き出そうとはしなかった。
二人の生活は快適だった。過度に干渉し合わないところだけは似ていて、そこをお互いが気に入っていた。途中、ヤンから長い手紙が届き(本当は随分と頑固に本人が行くと言い張ったのだが、テリーがぎりぎりで抑えたのだった)、ローレンシアはそれを読みながら静かに泣いた。
ヒューイはその涙に気づかなかった振りをしていた。詳しくは知らないが、どうやらヤンとローレンシアはエストレージャ城を抜けるまでは同行していたらしいことはテリーに聞いていたし、その後彼女だけが倒れて意識を失っていたということは、と考えれば自ずとそのつながりが見えてくる。ローレンシアの性格や、ヤンの立場を思えば当然の選択だ。だからこそ彼女は危険を冒して自分に頼んでまで、ヤン宛の伝言をしようと考えたのだろう、とヒューイは事実に限りなく近い推測をしていた。
「……本当か?」
抱擁を緩めるとローレンシアが珍しく驚いた表情でヒューイを見つめる。頷いて返事の代わりにし、彼女の額におやすみのキスをすると立ち上がろうとするヒューイの上着が捕まえられる。
「いいのか……何故」
よほど驚いたらしい。重ねて訊ねられ、ヒューイは立ち上がるのを諦めるとローレンシアのベッドに腰掛けた。そして彼女の長い髪を手で梳きながら「いいんだ」と小さく答える。
そのまま、手に残る髪の先をいとおしそうに押し抱いてそっと口付けを落とすと、ヒューイは今度はまっすぐにローレンシアを見つめた。
「ただし、私は国王を倒すために戦うんじゃない。――貴方を守るためだ」
まっすぐに見つめるヒューイの明るい茶色の瞳はローレンシアの心を打つ。このひとは…あたしのためだけに戦いに身を投じようとしている、と考えると胸が張り裂けそうだった。しかしその反面、同じ目標に向かって傍にいられることを幸福だとも感じている。そう、きっとリンティアが『アンシアン』にいると答えた時も恐らくはこんな気持ちだったのだろう。
「貴方のために戦う。私のすべてはもう、貴方のものだ」
そんな言葉が重い、と感じられないのはお互いがそれを原動力に出来るから――愛しているから、だ。相手のために生き、相手のものとなる。相手の喜びが自分のものになり、苦しみが同じように降りかかってくるのなら、自分が幸福になることが相手を幸福にするための必要最低条件だ。ヒューイは目的のために戦うローレンシアを愛した。もしも彼女がここで、愛するあまりに戦いを放棄してしまったらきっとそれは、ヒューイの望む姿ではないのだろう。
力が少し戻った腕で、ローレンシアはヒューイを抱きしめる。もう、傷に痛みは響かない。リンティアが来たときに彼女の限界近くまでの魔法を使って治癒してもらったことはかなりのプラスになっていた。
そうだ、生きなければ――無事に生きていなければ、こうしてヒューイを抱きしめることすら出来ない。
人間の――愛する相手の温もりというのはどうしてこう、何もかもを溶かしてしまうのだろう、とローレンシアは切なく思いながら目を閉じた。自分がヒューイを抱きしめている。そしてヒューイに抱きしめられている。今はその事実だけで充分だった。未来や明日などはもはや考えられない。今はこの瞬間、彼がいて自分がいて。同じ思いをまるで鏡のように返してくれる相手が手の届くところにいてくれる。
その事実だけで幸福の理由になるのだと初めて、知った。