第十七話:見知らぬ男
まるで自分の身体が鉛になったような重さだった。意識が浮上したのはわかったが、全身が固まったように指一本動かせない。瞼ひとつも、だ。自分が生きているのか死んでいるのかもわからない。
しばらく閉じた瞼の裏の世界でゆっくりと考える。呼吸は浅いが落ち着いている。身体を動かせないのはもしかしたら、麻痺でもしてしまったか? そう考えて力をこめた右腕が唐突に宙に浮き、ぱたりと上掛けの上に落ちた。
そう、そこでやっと右のてのひらが上掛けに触れたことを感じる。骨を通して冷たい痛みがツキンと身体を貫き、「う……」と微かな呻き声が口をついた。
傍で誰かが身を起こす音が聞こえる。衣擦れの音。ああ、生きているんだ――と、ローレンシアがやっと感じたとき、まるで魔法が解けたかのようにゆっくりと瞼が上がった。
「――やあ、おはよう」
視界がそのピントを合わせた先には黒髪があった。声は男。その黒髪がゆるく波打っていることが見えてそして、明るい茶色の瞳がにっこりと笑っていた。
知らない男だった。記憶を手繰るが、『アンシアン』のメンバーでないことは確かだった。ローレンシアは用心してただ瞳を男に移すだけに留めた。
「気分はどうかな」
穏やかに続ける声に悪意はなく、男は急かす風でもなく微笑んで上掛けの上に置かれたローレンシアの右手をそっと取り、ゆっくりとした動作で脈を測る。その仕草から傷が痛まぬように、と気遣ってくれているのがわかってローレンシアは僅かに安堵した。
どうやら敵ではないらしい、というのがその理由だった。しかしすぐにふと思う。もしも自分がここにいることがわかれば、匿ったとしてこの男も一緒に処刑されるだろう。『アンシアン』メンバーだと知らなかった、などとそんな訴えが通るわけがない。――あの男、ロサード=エストレージャにおいて。
あたしのことを知らずに助けた、と言えばきっと、ロサード王は逆にそれを利用するだろう。なんと言ってくるか目に浮かぶようだ。『愚かな反逆軍よ、貴様たちのために善良な国民が犠牲になることをどう考えるのだ?』――と。
「何か食べられるといいのだけど――ああ、スープなら飲めるか」
ローレンシアが声を発するよりも早く、男がそっと彼女の右手を上掛けの中へ仕舞い、そしてにこやかに言いながら立ち上がる。咄嗟に体を起こそうとしたローレンシアを見咎めて、男は笑みを浮かべたまま彼女の頬に右手を触れた。
「起き上がらないで待っていて?」
何も聞かず、ただ自分のことを思いやってくれる見知らぬ男にローレンシアは安堵を覚えた。オフォス内にあの騒ぎの噂が駆け巡るのにそんなに時間は必要ないはずだし、その騒ぎのあとに刀傷を負った死にかけの人間がいれば想像は容易だろう。
深く肺に呼気を吸い込み、目を閉じる。鈍い痛みが右腹に響き、ローレンシアは自分が生きていることを再認識する。
ヤンは――酷く気落ちしていることだろう。最善の策とはいえ仲間を見捨てる選択をさせたのは彼にとって酷だったかもしれない、とローレンシアは目を閉じて信頼する友を思う。いや、ヤンだって怪我をしていた、無事にアジトに着いただろうか。
一度仲間のことを思うとローレンシアの思考は止まるところを知らなかった。リンティアは大人しく逃げただろうか。まさか城へ向かうなんて馬鹿なことをしていなければいい。テリーは無事に逃げただろうか。あの男の性格上、チーム全員が引き上げたのを確認しないうちは自分が退路を取ることなど考えもしないだろう。
「大丈夫だよ」
唐突に男の声がすぐ間近で聞こえ、ローレンシアは自分が涙を流していることにも気付く。拭おうにも腕はなかなか思うとおりに動かない。彼女自身の手がその雫を拭うより早く、温かな掌がそっとローレンシアの頬を滑る。
「まずは貴方が自分自身の身体を治すことを考えるのが先だ。――さあ、ゆっくり」
男の腕がローレンシアの首の下に差し込まれ、ぐっと力が込められる。まるで抱き寄せられるかのようにローレンシアの身体は男に寄り添うように起き上がった。その背にクッションを幾つか差し込まれ、半身起こした身体を支えてくれる。