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伝承・御剣  作者: 九本麻有巣
16/18

幕間 ―1―

 ――"死" は嫌いだった。与えるのも、押し付けられるのも。あの時までは、そうやって信じていた。もうかれこれ、30年以上前。それは彼がまだ7歳の、年端もいかない時分。

 しかしあの日を境に、"死" を欲する衝動が彼を襲うようになった。それは、幾百回に及んだだろうか?それとも、幾万回?幾億回――?

 全部(すべて)、"(いな)"。見当外れな数え歌。

 ()き動かすそれは、数えてしまえば呆気無い。何故なら、衝動はたったの一度きりだったから。

 切っ掛けは、5歳の時の、祖母の "死"。「人は一人じゃ生きて逝けん」「人と共に生きんしゃい」。謡うように諭すように、祖母は彼と彼の双子の妹に、"生" きる事の大切さを教えてくれた、祖母の "死"。

 息を引き取る間際に(のこ)して言った。「彼女が(いざな)甘言(ことば)に負けんやないで?」。わんわんと泣きじゃくる彼と、ぐしゅぐしゅと酌りを上げる彼の妹に、飛び切りの笑顔を手向けて常世へ向けて旅立った。

 その時からだ。彼の心を()き動かすような(なにか)が生まれたのは。その(なにか)は、彼の耳元で囁き続けた。飽くる事無く、明くる事無く。


――(コワセ)  (イタメヨ)  (コロセ)  (ホロボセ)  (ミナゴロセ)  ソシテ  (シネ)――!!


 嫌だった。逆らった。"死" が嫌いだったから。しかし、殺戮の誘惑は決して消えなかった。

 寝ては夢で見知らぬ女が、殺せ殺せと囁いた。起きては(うつつ)の見知った女を、殺せ殺せと囁いた。

 妹の柔首(やわくび)に、幼いその手を回した事は、一度二度ではない。望みたくも無い(もの)を渇望し続けて2年の歳月が経った頃、6歳になったばかりのたった一人の妹は、薄い紺色の首巻(マフラー)を手放さないようになっていた。細首に浮かぶ紫痣を隠し続ける為に。

 歯止めが利かなくなった両手が、いつ妹の細首を縊り折ってしまうのか……。彼は、長い間――しかし、今にして思えばたったの2年間――苦しみ続けた。

 苦しみから解放された日の事は、よく覚えている。昼まで続いた土砂降りの雨が嘘のように引いた春の夕刻。視界の大半を、剥き出しの土が茶色く染め、背の短い雑草が申し訳程度に緑色を塗る。辛うじて雨風を防げる程度の役には立つ、粗末なあばら屋の奥。彼はそこで、勝てるはずの無い誘惑に抗っていた。ブツブツと何かを呟いていたが、何を呟いていたのかは覚えていない。もしかしたら、その呟きにはどのような意味も込められていなかったのかもしれないが、今となっては栓無き事。

 その日も、妹が夕食を運んできてくれた。頼んでもいない、寧ろ普段から「近付くな!!」と怒鳴り散らしていたにもかかわらず。

 その日も、彼は癇癪(ヒステリック)に同義の言葉で当たり散らした。妹の事を嫌いになったのではなく、妹の事を好きだったから、近付いて欲しくなかった。

 妹はいつものように少し寂しげに微笑んで、少し離れた所に夕食を乗せた盆を置いた。そして、一言の気遣わしげな言葉を語り掛けて、いつものように背中を見せて立ち去ろうとした――その時だった

 それは、唐突に遣って来た。魂の器の中に、不意に紛れ込んできた。

 右腕に茶褐色の星屑が乱れたと思った次瞬には、星屑と同じ色の鱗を持つ巨大な蛇が絡み付いていた。見た事も聞いた事もなく、幼い少年の記憶にはただ「蛇」であるとしか認識出来ないはずのそれの名前を、彼は驚きも無く悟っていた。そして、それが「蛇」では無い事も。

 その名前は《土雷邪巳(つちいかずちかみ)》。震災を(かたど)る『聖剣』。その程度の記憶、彼では無く、彼女が刻み込んでいる。

 《土雷邪巳》と目が合った時――渇きは満たされ、望みが叶った。そして、苦しみから解放された。

 彼は本能が刺激するままに、《土雷邪巳》に命令を下した。

 大地が割れた。油粘土のように抵抗無く真二つに割れ、割れた端が高く競り上がる。それは不恰好ながらも、大地が一つの(あぎと)を形成したかのようだった。

 大地の大顎は、目の前を歩く少女に貪り付いた。悲鳴は聞こえなかった。その代わり、骨と肉が擦れ、潰れ、砕ける音が、1[sec]に満たずして幾十にも重なり、耳障りに音を立てた。

 大地が常の姿に戻る頃、水に濡れていた土の上に、無雑作に据え付けられる小さな置き物(オブジェ)。短い雑草に混じって、妹の頭が生えていた。支える根っこは未成熟な体、吸い上げる水の代わりに抜け落ちる血液。

 少年は、自分が仕出かした神の如き所業(わざ)に呆然としながらも、妹の眼前へと廻り込んでいた。そして、その表情を覗き込む。その表情は――

 その時からだ。少年の心が、『死』を()でるようになったのは。


――――――――――――――――――――


♪ ()なさい 此処(ここ)(みこと)(おわ)します

  (さか)反語(ほこ)平安(へいあん)()つる 楽園(らくえん)()(もう)します

  ()なさい 此処(ここ)(かみ)()しまする

  (ちび)(いわ)(まえ) 永久(とわ)(あい)千切(ちぎ)(もう)します

  今際(いまわ)(むか)える千人子(ちびとご)(たち)

  千代(ちよ)八千代(やちよ)()()(たも)

  (おんな) (いざな)(たも)う (ねた)みし(おとこ)所為(ため)

  (あに)(もと)()る ()れし(いのち)(いざな)(たも)


 熱の篭もった大唱和に、男は閉じていた目蓋を押し上げる。玉座から長く伸びる花道の両側で燃え盛る、巨大な松明(たいまつ)が何本も並ぶが、その光では天井と床までは照らせても、そこに描かれる模様までは見て取れない。それ程に巨大な、只広(ただっぴろ)い大堂の奥で、知らぬ間に寝入っていたようだ。

 少し丈の大きい(ダボつく)白色の法衣(ローブ)姿。銀に混じって淡い黒を持つ髪色が非常に印象的なその男。彫りの深い面は、穏やかさと厳しさが同時に()い混じり、20代後半と言っても通る若々しさを持つ。しかし、実年齢は40代前半。言われてみれば成る程、若造には持ち得ぬ自信と威厳で満ち溢れている。

 眠たく霞む視線を正面に向けたのは、そちらから――(しつら)えられた観音開きの巨大な鉄扉の奥から、(くだん)の大唱和が洩れ聞こえていたから。

 重量感に溢れる鉄扉の表面には、一つの()。赤と黒が乱れ彩る地獄のような背景に、一人の女と八匹の大蛇。一糸纏わぬ女の首より下(からだ)は、()れ過ぎた果実のように醜く爛れている。その肢体(にく)を喰い皮膚(かわ)を破り、踊るは八色(やくさ)雷邪巳(いかずちかみ)。苦境に曝された女の顔は、悶えるような悦楽に歪み、ただ美しかった。

 男は、深く玉座に座り直し、軽く頭を左右に振った。まるで、異様な彫刻画から視線を外すように。

「お目覚めですか?黄泉津(よもつ)様」

「……黒心(くろこ)か……」

 仰々しい青年の声に、大仰に応えた。先の青年が黒心、『蛇の輪廻』八首魁が一人。返したのが黄泉津氷雨(ひさめ)、『蛇の輪廻』の教主にして八首魁の頭首を務める人物だ。

「そのようなお姿を信者に見せるわけにはいきませぬよ」

 燃え盛る炎を支える柱に凭れかかりながら、黒心が言った。こちらは漆黒の髪を短く刈り揃えた、野性的な印象さえ持つ優男。赫い色を持つ両の瞳には、激しい暴力性と理知の光が宿る。そしてさらにその奥には、何かを憂う闇が、隠れるように宿っていた。

「教団の長たる者、常人にとって常である行為さえ、常としない必要があるのですから」

 黒心の言葉に、黄泉津は答えない。

「……まぁ、私の他には、信者も首魁も居りませぬ故、目くじらを立てる程の事でも御座いませぬが……」

「……」

 無言のまま、黄泉津は黒心を睨下した。その瞳はしかし、蛇教の教主に足り得ぬと(おぼ)しき、黒き人瞳。

 不意に、黄泉津が星屑に包まれた。朱色・茶褐色・緑色、そして、土気色。

 統一を成さない四色の星屑が、我先へと存在を主張し合い、凶々しく乱れ舞う。

 『剣聖』達が一様に行なう乱舞の後、黄泉津の体には四色四匹の蛇達が絡み合っていた。黒心のそれと同じく、縦に穿たれた赫い瞳を持つ『聖剣』達。

 朱色の鱗持つ蛇――象るは火災。胸部には《火雷邪巳(ほのいかずちかみ)》居り。

 茶褐色の鱗持つ蛇――象るは震災。右腕部には《土雷邪巳(つちいかずちかみ)》居り。

 緑色の鱗持つ蛇――象るは風害。陰部には《析雷邪巳(さくいかずちかみ)》居り。

 土気色の腐鱗持つ蛇――象るは飢餓。頭部には《大雷邪巳(おおいかずちかみ)》居り。

 蛇の数を無言で確認する黄泉津の体は、醜い蛇鱗で覆われたりはしなかった。しかし、光に包まれていた。黄金色(きんいろ)の、凶神凶神(まがまが)しい光に包まれていた。

「……やはり……」

 黄泉津を見詰める《大雷邪巳》の瞳に魅入りながら、黄泉津は呟いた。

「大噛が……?」

「はい。逝きました」

 黄泉津の後を継いで、黒心が答える。あっけらかんと、そこには何の感慨も無い。

「きっと、彼は自分の "死" に後悔などせず旅立った事でしょう。彼に限らず、火緒(ほのお)析夜(さくや)も。そして、残った若牙(わかげ)も、鳴長(なるたけ)も、伏儀(ふせぎ)も。皆、黄泉津様に絶対的信頼感(カリスマ)と称される威厳を感じ、心からの忠誠を誓っていますから。黄泉津(あたな)様が『死ね』と命じられれば、喜んでその命を差し出すでしょう――《土雷邪巳》を宿していた『剣聖』も、黄泉津(あたな)様に会われていたのでしたら、きっとそうなさるはずです――。もっとも、黄泉津(あたな)様は、そのような割りに合わない命令を下したりはなさらぬでしょうけど……」

()れは違う……と?」

 黒心は、微かな笑みを浮かべて、嗤った。

「はい。私は、他の首魁達のように、記憶を手繰れぬ程惚けてはおりませぬ。声も聞き取れぬ程耳も遠くありませぬ。命運も見えぬ程盲目でもありませぬ」

 紡がれる言葉には、皮肉が織り込まれる。作られた微笑みは、自虐で塗り固められる。黒心は、自分と相手を同時に嘲り嗤った。

 身を預けていた柱から離れ、コツリコツリと足を踏む音を立て、黄泉津の正面まで遣って来た。

黄泉津(あなた)様から受けるこの感覚が、絶対的信頼感(カリスマ)ではない事くらい、存分に心得ておりますとも。この感覚は、そう……」

 言ってから、クツクツと喉を鳴らした。可笑(おか)しかった――あまりにも滑稽で馬鹿げた言葉を吐き出そうとする自分が、あまりにも滑稽で馬鹿げていたから。

「"運命"……。思い出させられますよ……聞かされますよ……見させられますよ……。そう、全てを《黒雷邪巳(くろいかずちかみ)》から教えられています。『聖剣』が、全てを覚えているのです……」

「……知って尚、何故に我れに従う?我れに従わず、汝れが見る "運命" に、抗えばよかろう?」

 四匹の蛇を消し、黄泉津が呟くようにして応じた。冷たい視線には、あまりに複雑な感情が複雑に絡み合い、何を含んでいるのかを窺い知る事が、(およ)そ不可能であった。それは、あらゆる色が混じり合うと、黒くなる事に似ているのかもしれない。

 一頻(ひとしき)りの笑みを抑えると、黒心は向き直る。

「抗ってみて、抗え切れなかった時……私は、自分の矮小さに耐え切れ無くなってしまうでしょう。だから、『抗わぬ』のです。『抗えぬ』のではなく『抗わぬ』事で、自分を幾分かでも騙し続ける事が可能であるのなら……私は甘んじて其方(そちら)を選びましょうぞ」

 それはつまり、自分でも『抗えぬ』事を知りながら、その事実から目を逸らそうとする――自虐の笑みは、それにさえ気付きながら、耳を塞ぎ、目を瞑り続ける自分に対する、最大の侮蔑なのだろう。

「それに、運命に抗う事が出来ぬ事は……黄泉津(あなた)様御自身が、一番理解しておいでではないですか?」

「我れ……が?」

 思い掛けない言葉に、黄泉津が首を傾げる。

「何故に我れが一番良く知ると?」

「いえ……過ぎた言葉でした。お忘れ下さい」

 腰を折り、慇懃に非を詫びてみせる。黄泉津も、深くは追求しない。

「運命に逆らう……かつてそれを為し得た者は、只一人だけです。こちらに関しては、黄泉津様もよく知っておいででしょう?」

「当然だ。我れが知らぬわけがあるまい。『神身(かみ)』を宿す『神居(かむい)』たるこの我れが」

 小さく、息を整える行為には、特に意味はない。ただ、僅かな静寂の間を取り繕う為だけの、意味のない行為だ。

「大いなる禍津(まがつ)の邪巳でありながら、『神身』にさえ逆らった者――数奇なる命運にありし蛇。奇稲田(くしなだ)姫」

「そうです。彼女の裏切りにより、八首魁と『神身』とは、永きに渡り封印された。蛇でありながら蛇に敵した、奇妙な蛇。草薙(くさなぎ)の剣」

 『蛇の輪廻』においてその2つの称で呼ばれる者の末裔。今は「叢雲」と姓を変え、その血と魂を、永きに渡り護り続けている。

「我らが『神身』、八岐大蛇(やまたのおろち)を黄泉帰らせる為に、《草薙剣》が不可欠だ」

 叢雲の話が話題に上った時、黄泉津は思い出したかのようにそう言った。

「時間は有り余っているとは言え、急ぐにこした事はない。早急に、この件に関しては決着(カタ)を付けよ」

(おお)せのままに」

 腰を大きく折り、黒心が受諾する。

「それと、大噛に同行した信者が数名、奇稲田の手の中に落ちましたが、いかがなさいますか?」

「……処理は、汝れに一任する」

 『処理』とはつまり、『処置』ではない。

 その意図を余さず読み取った上で、「御意」と言い残すと、黒心は部屋を出た。その数秒後、黄泉津が一人残る大堂に仕付けられる鉄扉が巨大な軋みを上げて押し開かれ、3桁を越える信者が「ワッ」と押し入る歓声が響いた。

 すぐに静まる歓声と、続く説教を始める黄泉津の声を分厚い壁越しに聴きながら、彼は小さく呟いていた。

「貴男様は従属の中にあっても、抗い続けるつもりですか?いつまでも……いつまでも……」

 勿論――その呟きは、誰の耳にも届かない――

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