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伝承・御剣  作者: 九本麻有巣
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第十五章 その心、旧き忌憶に迷い込み...

(萩利……萩利……)

 どこか遠くから呼ぶ声が聞こえた。朦朧と闇に落ちる意識の中、(いとお)しむようなその呼び声は、掠れ、霞み、消えてしまいそう。

 誰何(すいか)(いとま)も無く、声の主が誰だか知れる。忘れるはずなどないから。忘れられない実姉(ひと)、忘れたくない女性(ひと)の声だったから。

(姉……さん……)

 力弱く呼び声に応えた。ただ、それが本当に声と成って届いたかどうか、今をもっても自信がない。それでも、必死になって唇を動かした事だけは覚えている。

 片腕だけで自分を抱く姉は、こんなにも華奢だっただろうか?両手で抱き締める事が出来れば確かめられただろうが、手に力が入らなかった。

 炎に焼かれる姉を(まも)(すべ)を、どうして俺は持っていなかったのだろうか?自分に力があればそれを護る事も出来たであろうが、力が手に入らなかった。

 悔しさだけが心の真ん中で蟠り、それはすぐに永きに渡る後悔へと形を変えた――


――――――――――――――――――――


「きゃァ!!」

 死を運ぶ炎の洗礼に身を曝す姉の姿と叫び声に、不意に意識が覚醒を果たす事を知る。

「姉さん!!!」

 咄嗟ではあったが、体が動いた。(まえ)とは違う。抱き締められるように手に力が入っている。護れるだけの力が手に入っている。

 手首を掴むなり、巻き込むようにして胸元へ手繰り寄せる。

 必死に抱き締めると、庇うようにして炎の洗礼に背を曝した。炎に焼かれる事に対する恐怖は微塵も無い。心の中にあるのは、姉の体がこんなにも華奢だったのか、それとも()()()から自分がそれだけ成長したのだろうかと言う場外れた感慨だけだった。

「あ……の……。尾羽張……さん?」

 姉が呼んだ。……姉が?

 その疑問が思考の片隅を(かす)った瞬間、全ての感覚が現在の尾羽張へと向かって焦点(ピント)を合わせた。

 訝んだ。(まや)(はぎり)を「尾羽張さん」と呼んでいただろうか?否、それよりも前提(まえ)に、『聖剣』(ちから)尾羽張(ここ)にある現在、何故に姉が腕の中(ここ)()る?

 明瞭なった意識は不明瞭に靄掛かり、いつものどんよりと沈んだ重たい思考回路に転換(スイッチ)した。

 冷静に、腕の中の柔らかい存在を見下ろした――伊真だ。前置きの無い異性からの抱擁に驚いたのだろう。顔を紅潮させて固まっていた。見上げる瞳は、驚きに見開かれて零れんばかりだ。

如何(いかが)なさいましたか?」

 尤もな疑問だったが、尾羽張からの返答は無かった。

 失笑を零して、伊真を解放する。

 抱擁の(おどろ)きから立ち直れずにヘタリと腰を落とし込む伊真には、既に一瞥すらも与える事は無かった。

 尾羽張はグルリと周囲(あたり)を見回して、現状を確認する。

 まず初めに目に飛び込んだのは、黒く焼け焦げた地面だった。夢と(うつつ)の狭間で()の当たりにした炎の洗礼の牙痕なのだろうが、二人を中心にした円内にはその(ほのお)は届かなかったらしい。それが―逆月―の恩恵だったと言う事は、彼にとっては如何でも良い事であり、原因を追求しようと言う気持ちは全く生まれなかった。

 次に把握したのは、意識を失っていた時間が僅かな物だったと言う事。10[m]程遠くでは、断ち切られたばかりの上下の半身を、緩慢に寄せ整える骸兵の姿があった。

 最後に、どうやら伊真は同胞の意志に逆らって、この戦闘の直中(ただなか)に飛び込んで来たらしいと言う事だ。後方支援の二人組から、帰って来いとの連呼が響く。

「尾羽張さん――あの、大丈夫ですか?」

 返答が無かった事を気にした様子も無く――寧ろその間を使って心の平静を取り戻した伊真は、怪我の具合の安否を問う。

 当の尾羽張はと言うと、自分自身の負傷に全く頓着していなかった。「頭から血が出てますよ?」と言われて、初めて「言われてみれば頭痛がする」と思った程度。左掌で米噛(こめかみ)に触れてみれば、確かに血の(ぬめ)りを持った生暖かさがあった。

 それにしても、本来ならば大地を叩き壊すような威力を秘めた掌骨の一撃を受けて、尚も平気で立ち上がる尾羽張の頑健さには舌を捲く。勿論それが可能であるのは、彼の体の頑健さだけでは無く、一撃が空中と言う不安定な場で振るわれた事を含めた諸々(もろもろ)要因(ファクター)が重なった御蔭だが。

 彼は服の袖で血を拭うと――借り物だ――、一言。

「問題無い」

 と答えて、大噛へと定めた足取りを進めた。フラフラと、明らかに問題ありな足取りで。

 伊真が、その足取りの前に立ち塞がった。

「問題大有りじゃ無いですか!!一先ず戻って、少しでも八尺瓊さんの治療を受けて下さい!!」

 言い張る伊真をグイと押し退()け、尾羽張は構わず歩き続ける。

 幽鬼の如く虚ろな思考で前進するその行動は、夏の薮蚊が水面(みなも)に映る灯火(ともしび)に飛び込むような、そんな愚かな本能への従属だった。それが哀しくて、伊真は尾羽張の腰回りにギュッと抱き着いた。か細い腕で儚い命を守ろうと。

 尾羽張は、伊真のその必死を気にしようとはしなかった。如何でも良い事であり、知った事ではなかったから。その瞳で冷ややかに睨下しながら、短く「邪魔だ」と吐き捨てる。

「『邪魔』じゃありません!!尾羽張さん御自身の……って、聞いて下さい!!」

 抱き着いた伊真を引き連りながら、尾羽張の足取りは尚も止まる気配を見せはしない。ズルズルと地面を引き連られる伊真が、場違いに滑稽だった。

「も~う!!どうしても治療を受けないと(おっしゃ)るのなら!!」

 そこで一瞬区切りを入れたのは、尾羽張自身に選択の猶予を与える為だったが――更に一歩を踏み出すだけで馬耳東風。気にする素振りの一つも見せない。伊真の怒りを爆発させるには、充分に足る事だ。

 伊真は、行動に移った。

「お尻に頬擦りしちゃいますから!!」

 ――説明が必要か?

 着衣の下を鳥肌で占め、尾羽張はらしからぬ悲鳴を上げた。そして、必死で伊真を振り払う。伊真は伊真で「あ~れ~」とか言う悲鳴を上げて振り払われないようにしがみ付く。

 そんな寸劇(スタンツ)を遠目に眺め、

「状況解かってんの?あの子達」

 この時ばかりは抑揚の無い八咫の口調さえ、呆れ口調にも聞いて取れた。八尺瓊はどうしようもない微苦笑で、叢雲は言い(がた)い顰め(ツラ)を見せる以外の回答を持ち合わせていない。

 喜劇じみた(コミカル)な寸劇には実際呆れながらも、八咫は(せわ)しなく変化する戦況を見落とすような失敗(ヘマ)はしない。だから、当の本人達が気付かないような危機を一早く察知する。

 《八咫鏡》の八ツ球の一つが光を灯す。それを合図にしたかのように、騒然とする戦況を割って爆音じみた音が響く。

 バガン!! その爆音に、音源から充分な距離に居る八咫でさえ肌を震わせる。ましてや音源の真下に居る伊真と尾羽張は、音を物理的な圧力として骨肉に染み込ませたに違いない。

 ―逆月―の楯に守られた二人を襲ったのは、肉()けた《大雷邪巳》の頭突き。大噛に絡み付く巨大な巳頭が、弧橋(アーチ)を描くようにして斜上から二人に襲い掛かっていた。

 力に任せた一撃を防がれながらも、《大雷邪巳》は構わず―逆月―へと(かぶ)り付く。巨体から想像される通りの巨大な力で圧せられ、鉄壁を誇る―逆月―でさえも軋みを上げている。無数の白い波紋が続け様に流れては消え、荒風に抗しきれない湖面のように揺らぐ。

「ク……」

「伽模君?」

 鉄の言葉の掠れ声に、八尺瓊が少々の驚きと想いの限りの思慮を含む声を掛ける。

「大丈夫ですか?」

「ん。何とか。これ以上の負荷が掛かれば、流石に危険(ヤバ)いけど」

 ガン!!

 言い終えるか終えぬかの間際、―逆月―を叩く音が響く。

 一度目の音は単なる皮切り。続け様に二度・三度。更に止む事無く―逆月―に重たい衝撃が加わり続ける。

「あの馬鹿」

 冷淡に唾棄された八咫の言葉は、彼女が守ろうとした尾羽張に対してだった。

 彼は、目と鼻の先にまで迫る仇敵を前に、狂的に腕を振るい続けた。牙を剥き出し唾液を垂らし、舌を舐めずり腐臭を散らす、異形の大蛇に七年越しの一刀を叩き付けたくて。彼にとって―逆月―は、それを邪魔するだけの存在でしかない。

 憎悪の炎を眼の奥に滾らせて、尾羽張は渾身の一撃で叩き続けた。

「何考えてんのよ」

 過負荷に見舞われ片膝を突き、八咫は奥歯を噛み合わせた。気合いを入れなければ完全に力負けしてしまいそうだったからだ。正直――尾羽張が死にたいと言うのなら、黙って―逆月―を解いてやりたいところだ。そのすぐ(そば)に、音圧に負けてへたり込む伊真が見て取れては、そうもいかなかったが。

「伽模君」

「大丈夫」

 八尺瓊に気丈な言葉で返し、

「嘘。やっぱ、駄目みたい……」

 すぐに手の平を返す。気持ちだけは強気だったが、日本人形のように整い過ぎた(おもて)に脂汗が滲み、体の方が正直に限界を訴えていた。

 舌打ちを一つ打って、八尺瓊が有らん限りの声で叫んだ。

「皆さん!!逆月崩壊しますよ!!」

 意味は単純に「伽模君が限界です。援護(バックアップ)は望めなくなりますから、暫らくは自力で頑張って下さい。及び、―逆月―崩壊と同時に身に危険が降り掛かるような状況なら、現状脱出に備えて下さい」。三津草自警団員にとっては周知の事実、伊真も含めた全員が八尺瓊の意志を容易に知る。

 だが、そうでない者が約一名。当然、尾羽張だ。

 "現状脱出" に備えるべき尾羽張は、その意味など知る所ではない。ただ闇雲に腕を振るい、壁を打つ。理性では無く感情に従いひたすらに。仮に八尺瓊の言葉の意味を理解した所で、果たして "現状脱出" を行なっていたかどうかも怪しい所だ。

(ファイブ)!」

 秒読み(カウント・ダウン)が始まった。八尺瓊の叫びを聞きながら、伊真は尾羽張へと必死に声を掛ける。

「尾羽張さん。逃げる準備をして下さい」

 それでも、一蔑の一つも返しはしない。

(フォー)!」

「八咫さんの―逆月―が壊れますよ?!」

 ガガン!!それを聞き、寧ろ勢いを増したようにさえ思えた。

(スリー)

「早くしないと、噛み殺されちゃいます!!」

 ピタリと、その動きを一刻み(ワン・カウント)だけ()めたが、

(ツー)!」

「貴様には、如何でも良い事だ」

 吐き捨てただけだ。

(ワン)!」

「如何でもなんて、良くありません!!!」

 叩き付けたはずの必死の言葉さえ、尾羽張の心に掠りもしない。

 そして、無情にも秒読み(カウント)は最後の一つを刻んだ。

(ゼロ)!!」

 白い細波(さざなみ)がその瞬間、あまりに唐突に立ち消える。

 ―逆月―の妨害(まもり)が失せた事を知るには、時間など必要ではなかった。

 尾羽張の心に狂喜が踊る。やっとだ、やっと斬り殺せる。あまりに永劫(なが)い時間を経て、姉の仇のその一つを。恨み(つら)みのこの人生で、出発地点(スタート・ポイント)に漸く立てる。

 いきり立つような興奮で視界が狭くなる。体内麻薬が脳を犯して時間の進行を差し止める。左と右から降り襲う腐り並ぶ異形の牙。尾羽張を食らい殺すに過剰なまでの凶悪さ。

 右から迫る下顎に向かい、右腕を振るうその瞬間、

 ドン――!

 出し抜けの衝突。背中から力強く押し出される。「あ?」と思うだけの暇も無く、胸板を突き出して弓反りに成り、そのまま突き飛ばされた。

 バグンと言うその音は、《大雷邪巳》が空気を頬張る音。

 千載一遇の好機(チャンス)――それは同時に絶体絶命の危機(ピンチ)でもあったが――に水を差された。

 怒りに燃えた瞳で振り返れば、白濁した眼球を縦に貫く赫くおどろしい瞳とかち合った。

 《大雷邪巳》がその巨体を再び上空へと持ち上げる。それに引き吊られるようにして、悲鳴も上がる。

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」

 咆哮にも似た絶叫。闇を渡り鼓膜を裂く、伊真のありったけの悲鳴。

 尾羽張を突き飛ばしたその右腕を、肩からバクリと噛み取られ、お人形のように夜空へ向かって連れ攫われる。

「伊真さん!!」「沙梛(さな)ちゃん!」「伊真君!!」

 佐土布都・海泥麒・八尺瓊による、恐慌に満ちた三重奏。それに続いた非『剣聖』の三人と、八咫の叫び。

 《建御雷神》が唸りを上げる、《鷹の衣翼》が双翼を広げる、《八尺瓊勾玉》を歯に挟み込む。

 三者の行動は迅速だった。尾羽張だけが、呆然とその様を見上げるだけ。

「あ……」

 呟きに意味は無い。瞬間の過去視(フラッシュ・バック)によって引き起こされた時相の混乱で、体の奥から空気がもれてしまっただけだったのだろう。

 尾羽張の中に埋もれた忌憶(きおく)が蘇った。


――――――――――――――――――――


 眼前に迫る火竜の口牙。過信があったのかもしれない。名刀匠に鍛えてもらった鋼の刃と、姉師匠に鍛えてもらった刃の技。それさえあれば、相手が『剣聖』だろうが、遅れを取るはずなど無い、と。

 甘かった。確かに、技量だけ取れば尾羽張の方が上だった。流れの組み立ても、虚動(フェイント)の織り交ぜ方も、姉との複合連携(コンビネーション)も。素人(アマチュア)玄人(プロフェッショナル)と言えるだけの差があっただろう。しかし、勝てなかった。

 どれだけ力を乗せた斬撃も、硬い鱗に刃が立たない。どれだけ素早い斬道も、超人的な動体視力で見極められる。常人と、神話級(ミシカル)の『剣聖』が持つ基礎能力。それが雲泥以上の差で開いていた。技量の差を埋めて、その上に山を盛れる程に。

 手にした剣は、《火雷邪巳(ほのいかずちかみ)》の牙によって砕かれて、鋼の重さが半分に減っていた。

 それでも、恐怖を金繰(かなぐ)り捨てて立ち向かった。姉の為に―― 一族の宿命なんぞと言うあまりにくだらない掟から、一秒でも、一瞬でも、一刹那でも早く、姉を解放する為に。

 不恰好な剣を火(上段)に構えた。避けようと思えば避ける事も出来たが、蛇自身が持つ力に乗じる事が出来れば、巧くすれば「相打ち」と言う一握の希望が見れると思ったから。姉の為なら "死" など怖くない。

 (ポイント)を失った剣をその鼻面に突き立てようとした瞬間、横合いから腕が伸びて――押し出された。

 バグンと言うその音は、《火雷邪巳》が空気を頬張る音。

 驚きの瞳で振り返れば、白い眼球を縦に貫く赫くおどろしい瞳とかち合った。

 《火雷邪巳》がその巨体を上空へと持ち上げる。それに引き吊られるようにして、血飛沫も上がる。

 四肢を三肢に減じた姉の、激痛から生まれた悲鳴が耳と心を劈いた――


――――――――――――――――――――


「おおおおおおおお!!!」

 佐土布都が放つ気合いの絶叫に、一瞬の夢から引き戻される。

 爆音を倶人(ともびと)に、巨大な弾丸と化した雷撃が撃ち出される。

 青白い閃光の尾を引いて、雷撃弾が《大雷邪巳》を叩く。爆煙を巻き起こし、巻き込まれた腐肉が四散して、咥え捕えた伊真を思わず()離す。

 夜空に放り投げられる伊真の体を奪い返そうと《鷹の衣翼》がその身を伸ばすが、爆撃から素早く身を持ち直した《大雷邪巳》が、それより早く伊真の体を奪い捕る。

「伊真君!!」

 連れ攫われる伊真を目の前に、何も出来ない八尺瓊の悲痛の叫びが木霊した。

 《大雷邪巳》から伊真の体を受け取ると、大噛は彼女の左腕を片手で掴み、吊り下げた。

 強奪に成功した戦利品を高々と掲げ、大噛は叫んだ。

「さァ、どうする?!人質交換といこうじゃ無いか!!」

 ダラリと垂らした細い右腕を(したた)り落ちて、赤い色が地面を染める。

 尾羽張は、その光景を呆然と瞳に映す。昔見た光景。悪夢の中で思い出す惨劇図。

 赤鱗の大蛇に、無理矢理立たされる姉の姿。右腕から確実に抜け落ちる命の残滓(ざんし)。姉が呟いた小さな声は、今でも耳にこびり付いて離れない。

――萩……利……

 耳を打つ呟き。聞こえるはずが無い。ここからは、あまりに離れ過ぎている。距離が――そして、時間が。

 それでも……囁くような呟きが、責めるように耳打ちされる。

「うわあああああああああああああ!!!!!!!」

 尾羽張は、叫んだ。

 恥も外聞も投げ棄てた、子供のような泣きじゃくりの咆哮が戦場を駆け抜けた。それを追うようにして尾羽張の両脚が地面を蹴った。

 絶叫が耳を打つと、大噛の肌に鳥肌が沸き立つ。それを警鐘と感じたのは、大噛の本能か?それとも、別な何かの意志だろうか?答えを出す間も惜しみ、骸の兵隊に命令を下す自分が居た。人質交換の思考など、真っ先に霧散する。

 あの男を止めろ、全勢力で!!

 海泥麒・佐土布都、非『剣聖』の三人に群がる手勢さえも、たった一人の男へと差し向け始めた。信じられないが、それ程までに心を侵食する恐怖を感じ取っていた。

 行く手を遮るように立ち塞がる三体の骸を前に、接敵目前で右腕を振るう。斬撃を三つ、電光石火の勢いで解き放つ。

「あああああああああ!!!」

 銀の残滓を瞳に灼き付け、骨を砕き、土を割り、朧な弧月を形作る。

 弧月の先に長く伸びるは、超長尺の両刃剣。《天尾羽張》神話の剣。破邪と斬蛇の神の剣。

 長く尾を引く泣き声止まず、波寄る骸をひた屠る。

 間合いを詰める骸を我楽汰(ガラクタ)に変え、休む間も無く次骸が襲う。

 一の逆袈裟、返しの袈裟掛け。胴薙ぎ唐竹十文字。諸手突きては三方切り分け、行連(ゆきつれ)連立(つれたち)惣捲(そうまくり)。銀の残光乱れ舞い、雁字に搦む蜘蛛の糸。

 悪鬼羅刹の獅子奮迅に、並居る骸は骨片(ゴミ)と化す。

 見る間に手勢が減じて逝くが、黄泉帰り来る手駒はまだ尽きない。だからと言って無尽蔵では無い事もまた事実。ただ手を(こまね)いていても無駄だと悟り、大噛は自らも戦線に加わる事で意を固める。

()れ、《大雷邪巳》」

 命令の言葉も少なめに、その大顎で噛み砕こうと身を躍らせる。手駒が尾羽張に対する都合良い死角(ブラインド)を作り、(つい)でとばかりに巻き込み砕く。

 ガシャガシャと骨を頬張りがてら襲撃する大顎に、尾羽張は対応し切れない。避けようにも多勢の骸が退路を塞ぎ、迎え撃とうにも切迫する骸が邪魔になる。

 状況(タイミング)としては完璧だった。如何(いか)神話級(ミシカル)の『聖剣』だろうと、この状況(タイミング)を避け得るものではない。

 ガゥン!!尾羽張の危地を救ったのは、横合いから見舞った青白い光撃の爆発。今度こそ残った底力を使い果たした《建御雷神》の全力投球。

 屍蛇の頭部に捩じ込まれた一撃で、狙う軌道が大きく反らされる。尾羽張を噛み潰すはずだった大顎の弾道は、掠水寸前(ギリギリ)彼を襲うに足りず、暴れる風を送るだけに終わった。

 見も知らぬ、しかも身を強張らされる程の殺気を叩き付けられたばかりの青年への助力が無駄で無かった事だけを確認して、佐土布都は絞り(かす)程度に残った力で()じ開けておいた瞳を閉ざした。

(何でだろうな?別に、死なれようと殺されようと関係ないはずなのに、最後の力を振り絞ってまで助けてしまうのは……?)

 意識の糸が闇に紛れて消えてしまう直前に、フとした疑問が生まれていた。

 何でだろう?答えは自分の中ではない、しかし自分の中の何処かから返って来た。

――初めて会った気がしないからだろう?

(うん。多分ね)

 薙葉と初めて会った時と似たあの感覚が、心の何処かに生まれていたからだなと、妙な答えに不思議と納得している自分が居る事にこそ、彼は不思議の気持ちを向けていた。

 などと気を失う佐土布都もどこ吹く風で、戦況は時々刻々展開され続ける。

 皮肉にも尾羽張の為に道を開く形と成った攻め痕を、尾羽張は一気に駆け抜ける。大噛の腕に囚われる、伊真へ向かって一直線に。 その距離をあと10[m]程度まで縮めた時、

「動くな!!」

 制止を求める火端の号令。尾羽張は、それに従順に従った。

 《Muspells Heimr》の波打つ刃が、伊真の顎下に添えられていた。言いたい事などすぐさま知れる。「動けば死面の出来上がり」だ。

 人質に効果がある事を知ると、火端はニヤリと野卑して笑う。

「ッたく……手間掛けさせやがって」

 吐き棄てる火端の腕が、微かに震える。尾羽張の手の中で威光を放つ《天尾羽張》の強烈な剣気に()てられての事。

 それでも人質(たて)が出来た事で内心安堵を漏らす。安堵すれば、恐怖も自然と(やわ)らぐ。心が落ち着きを取り戻すと、蒼白なった顔色の顔に、道化師(ピエロ)じみた笑みが蘇える。

「大噛様。どうするッスか?」

 波打つ刃を油断無く伊真(たて)の顎下に差し込んだまま、火端が上司の意向を問う。

「尾羽張……さん……」

 伊真の呟きに重複(ダブ)る忌憶の(かす)れ声。


――萩……利……


「ね……えさ……」

「あん……?」

 振るえる唇が細かく紡ぐ言葉の糸に、火端が耳聡く反応を示す。

 それに言返すのではなく、忌憶の中にいる自分の言葉が重なった。

「姉さああァァァァァァん!!」

 絶叫し、一度は止めた走駆の足を大きく踏み出した。姉を助けたい、姉を蛇共から取り返したい。強烈な欲求が歯車となって空回りする。

 たった10[m]。尾羽張にしてみれば、1[sec]2[sec]もあれば0に出来る距離だった。だが、それだけの時間的猶予があれば、彼の足を止める術にも事欠かない。

()つ……!」

 命の残量の目安計(バロメータ)とでも言わんばかりの、小さな呻き声。《Muspells Heimr》が放つ緩い炎の熱に喉を炙られ、伊真の顔が苦痛に歪む。

 尾羽張と伊真(ふたり)の距離を半分だけ縮めた所で強制停止を余儀なくされ、

「ガッ……ハ!」

 胸板を《大雷邪巳》で強打さる。縮めた距離だけ地面を滑って止まった。

「おいおい、動くんじゃねぇよ。俺だってこんな美人さんを不本意に(ムザムザ)魔女裁判にかけるみたいな真似ァしたくねェんだからよォ」

 ニヤニヤニタニタ、嫌味ったらしい笑みを張り付けたまま火端。

「ケ、ド。醜女(ブス)(ヤロー)を焼き殺すのァ大好きなンだよ」

 火炎の形(フランベルジュ)を尾羽張へと振り被る。大上段の火の構えに、ゴウと揺れる炎が形成す髑髏。

「短かったけど鬱陶しかったぜ。死ぬ時くらいは素直に死んでくれや」

 振り下ろしを引き金(トリガー)代わりに、炎の人頭が解き放たれる。

 仰向けに倒れ臥して激しく()せ込む尾羽張(エサ)を啖らおうとするが、餌は尾羽張(エサ)で立派な生餌。踊り食いにはちと不向きだ。

 熱気より先に殺意を勘取ると、痛覚を捻じ伏せ、呼吸を矯正し、崩れる体を引き立たせる。

「あああああああああああ!!!!!」

 裂帛の気合いに、渾身の斬撃を乗せる。


    斬!


 立ち上がりの勢いさえ利用した、真一文字の逆風(さかかぜ)。気合いと剣圧だけで炎を()ち割る離れ業。

 炎の髑髏が四散する。大輪に裂く炎の桜を掻い(くぐ)り、殺意の照準を火端に合わせた。独楽のように身体に回転を加えると、銀に渦巻く剣の軌跡が螺旋を描く。勢いを乗せた大振りの一刀は、大袈裟なまでの袈裟掛け斬り。

 あまりに予想外の反撃。人は知性を得て火を御する事を知り、本能が持つ無条件の火への恐怖を拭った。とは言え、あの火量の中へと躊躇いも無く身を躍らせる事や、ましてはそれを一刀両断に斬り捨てるなどとは、誰が思おう?

 辛うじてとは言え、《天尾羽張》の斬道に合わせて火紋の刃を()たせた反射能力は驚嘆に値する。敵ながら天晴(あっぱ)れ、と言う奴だ。

 全体重を乗せた斬撃の勢いに真っ向から受けて立つのは愚の骨頂。噛み合わせ(インパクト)の一瞬を狙い、刃を(はす)に傾けつつ力を流し――そして、反撃だ。

 全神経を衝撃の一瞬に合わせる。だが結局、火端はその衝撃の一瞬を知る事は無く終焉を迎えた。見逃したのでは無く、起こらなかったから。勿論、それに疑問を抱く事さえなかった。彼は、そのまま星屑となって消えたのだから。構えた火炎の形(フランベルジュ)を無視して、超長刀の刃は火端の身体を一刀両断に叩き斬っていた。

 噛み合いの一瞬だけ《天尾羽張》はその()(さや)納刀(おさ)め、斬道が《Muspells Heimr》との噛み合いを越えた直後に素早く抜刀(ぬい)ただけ。

 仕掛け種(カラクリ)証明(バラ)してしまえばただそれだけの事だった。言うに易いその(ネタ)も、実際にその一瞬の時間(タイミング)を見計らうには超越的な感性が要求される。地味な事この上無い離れ業を、尾羽張は二度に渡って遣って退()けた。それも、事も無げに。

 吹き荒れる火色の星屑の乱舞に背を向けると、刃物のように鋭利な眼光が大噛へと睨みを利かせた。

 一瞬だけの怯怖(タジ)ろぎを見せたが、すぐに気を取り直して伊真の細首に右手を掛ける。動けばこの首を()し折ってくれると、そう言うワケだ。

 クッと悔責と苦渋に満ちた空気を喉の奥から絞り出すが、大噛に対して「卑怯者」と(そし)りを入れるような愚行はしない。卑怯とは、(のっと)るべき規則(ルール)が存在しない場には、結局存在し得ないのだと知っているからであり、例え謗ったところで状況が好転するようなものでもないから。

「動くんじゃねぇぞ。そのまま喰い」

 中途(さえぎ)り、目の端に捕える飛来物。咄嗟に頭を左に反らすと、耳元で唸る風斬りの音。鉄を骨組む一差しの扇子が、大噛の太首目掛けて襲い掛かっていた。

 誰だ?!と思ったのは、単に身体に染み付いた習慣じみた反射思考。例の赤い髪の舞闘家による奇襲であるとは、一瞬の後には思い到る。

 その舞闘家がほんの30[sec]前にいたはずの場所に目を向ければ、配下の四人が死屍累々に(まぎ)れながら悶絶打って倒れ()しているだけだった。たかが四人では千年級(ミレニアム)の『剣聖』への枷にもならなかったらしい。既に、彼女の姿は無い。

 何処に居るかと勘だけを頼りに気配を探り、すぐに上へと視線を上げる。

 大噛よりも高い場所。天女のように月を背にして、宙より舞い降る海泥麒麟。

 反撃(かえ)して討つべきか、防禦(まも)って硬まるべきか。それとも、人質(いさな)を楯にするべきか、一思いに殺してしまうべきか。四者択一の選択に与えられた時間は僅かに1[sec]。

 頭頂部を叩く(したた)かな打撃。視界が眩み、思考を断たれ、筋肉の力を奪われる。一羽の扇子の羽撃(はばた)きにだけ気を取られ、もう一羽の扇子にまで気が回らなかった。

 大きく旋回をして背後から急襲する "白百合" が、上を向いた大噛の頭を強襲していた。

 生じた隙は僅かな時間だったがそれを見逃すはずも無く、海泥麒は蹴りを放った。見えない鉄棒ででも遊んでいるかと錯覚する程見事に前方へ空転をし、勢いを加えた踵の一蹴。伊真を喉輪に拘束する右腕に打ち下ろし、その戒めを外す。同時に、《鷹の衣翼》の左袖で大噛の左腕を叩くと、伊真の腕を捩じり上げる戒めからも解き放った。

 支えを失い前のめりに倒れようとする伊真を抱くと、真っ先に呼気の有無を確認する。

(大丈夫。息はある)

 束の間、海泥麒の心を安堵が満たす。

「おのれ……!!」

 人質を奪われ吠える大噛。従属する蛇が二人を襲うが、身軽く飛び退かれて捕まえられない。

「捕まえろ!!」

 木偶(デク)人形如きに捕まえられるわけがないと理解はしていたが、怒りに任せて叫んでいた。そこに割り込む、

「あああああああああああ!!!!」

 子供じみた叫び声。

 虚を突かれ振り向いた時には、上段に振り上げられる銀刃(はくじん)の一刀。

 叢雲を相手取った時と同じく、《大雷邪巳》の腐肉(よろい)があるから斬り殺される心配など無いとは思っている。だが、頭の上から殴られては殴殺されかねない。

 舌打ちの間さえ惜しみ、丸太のような右腕を楯にする。骨に亀裂(ヒビ)の一つ二つ入るだろうが、奇稲田(エモノ)を目の前にして殺されるよりは良事(マシ)だ。

 筋肉を張り、重たく鈍い衝撃に備える。勿論、先刻見たばかりの納抜刀もきっちり頭の片隅に置いてある。

 ズ!!骨まで届いた。(しん)まで響いた。

 グ……と悲鳴に栓する苦悶の呻きは一瞬だけ。その直後。

「ガアアアアァァァァァァァ!!!!」

 勢い良く吹き出す、断末にも似た絶叫。振りすぎた三鞭酒(シャンパン)のように辺り一面に散らして濡らす祝いの酒。闇の中に広がった。

 膝を折り、巨体を(ひざまず)かせる。神の雷をその身に受けて尚、僅かに(かし)いだ程度の大噛の巨体が、たった一本の剣の、ただの一振りで崩れた。

 《天尾羽張》が、大噛の腕を裂いている。太すぎる大根を最後まで切り終えれなかった包丁のように、二の腕の中程までに喰い込んでいる。

 分厚い腐肉をまとめて斬られた。それはつまり、(からだ)『聖剣』(たましい)を同時に傷付けられるのと同義。複数の拷問を同時に受けたようなものだ。

「ちっくしょう!!」

 思いの他に太いその腕を切り落とせなかった事が悔しかったのだろう。子供のような俗語(スラング)を唾して力任せに剣を引き抜くと血の勢いが増して、借り物の服を更に赤く染める。

 血と脂に塗れても斬れ味を鈍らせる事の無い剣を、再び天に構えた。

 「今度こそ、その腕ごと叩き斬ってやる!!」と言う意気込みが強過ぎる。そこに見付けた隙を、決死の反撃の好機(チャンス)と見て取った。血を撒き散らし、魂を欠き削がれながらも大きくその場を跳び退(すさ)ると、大噛は意志の伝達だけで《大雷邪巳》へと命令を下す。即ち、噛み潰せと。

 ガアと迫る《大雷邪巳》に対し、尾羽張は躊躇無くの踏み込みを合わせて、剣を振り下ろす。

    惨 ! !

 天から地までに、大きく鮮やかな銀の扇が開かれた。それは、凶牙の並ぶ蛇の頭を、脂粘度か豆腐のように事も無げに両断した。

 剣鋩(ポイント)が土を打つ勢いを利用して大きく空へと身を躍らせる。眼下では二つに割れた腐蛇が暴走しながら土を削っていた。

 トッと地に足を突くまでの数秒。その頃には既に《大雷邪巳》の姿は無く、先端を二股に別けて地面を抉った牙痕だけが残っている。

 着地点から十数歩程離れた所では、大噛の巨体がのた打ち回っていた。大雷邪巳(ペット)の代わりに大きく開けた口から悲鳴を上げる事さえ億劫そうに、悶絶打って転がり回る。全身を鎧っていた腐った鱗も剥がれ落ちて、生身の姿は一回り小さく見えた。

 一刀の下に両断された魂が伝える痛みは、意識を根こそぎ奪って尚余りある程の苛烈な激痛。その中にありながらも意識を繋ぎ止めておけるのは、敵にしておくには勿体無い屈強なる精神力の賜物。

(馬鹿な……!!)

 グニャグニャと歪む視界。混濁する意識。大噛が考えられたのは、ただそれだけだった。

(馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な、そんな馬鹿な!!)

 鋼鉄の大剣(グレート・ソード)を打ち下ろされても耐え抜いた《大雷邪巳》が……!!

 我等が邪巳の別れ巳である《大雷邪巳》が……!!

 あらゆる死を与え続ける権利を持つはずの《大雷邪巳》が……!!

 儂から全てを奪い去り、唯一残った儂自身を守り続けるはずの《大雷邪巳》が……!!

(あんな『聖剣』の一撃如きで、何故こうも簡単に?!!)

 あらゆる定形物が不定形生命体(スライム)のように蠢く視界。それでも辛うじて《天尾羽張》の威光を探し出し、撫で斬りの一閃をゴロゴロと全身を砂で汚しながらも避けた。

 さらに追い討ちを掛ける《天尾羽張》。迎え撃つ大噛も『聖剣』を抜く。土気色の星屑の乱舞の後、全身を鎧う腐肉と、熟し過ぎて(ただ)れる蛇身が生まれる。心無し、その蛇身は小さく見えた。

 雑音(ノイズ)のように耳に響いたのは、きっと尾羽張の泣き叫びの声。それに合わせる一刃を受けようと、両腕を交差した。

 !!

 音は聞こえなかった。痛みさえも感じなかった。魂の痛みがそれを奪ったのか、それとも拒否したのか。しかし、結果だけは知ってしまっていた。

 交差させた両腕が、音も無く落ちた。いや、ボトリと言う音は鳴っていたのだが、大噛の耳には届かなかった。

貴様(ヌシ)は……何者だ……?」

 歪む視界では見えはしない尾羽張へと、返るかどうかも解からない質問を投げ掛ける大噛がいた。

「昔、昔の物語……」

 囁かれる言葉。回答には程遠く、ただ恐怖を先延ばしにする為だけの語りの(ことば)

老翁(おきな)老婆(おうな)の娘を守ると約束を交わした素盞鳴は、八つの酒盃(しゅはい)を用意させた」

 心を恐怖が侵食していく。しかし、恐怖(それ)は身近に迫る『死』ではない。彼にとって『死』とは、邪巳と魂を同じくし、殲滅の道を共に歩む事が許される最後の祝福。甘受すべき甘い誘惑。

「酔い潰れた八岐大蛇の八つ首を斬り落とした一振りの刀」

 彼を恐怖に縛るのは、あり得ないはずの現実。『死』を与え続けるはずの腐鱗(よろい)を斬り裂く威光の刀の存在。ただ一振りの『聖剣』があるだけで、彼の邪巳が恐怖に震える。

「『天』は尊称、『羽々』が蛇、『斬』がKilling、斬蛇の刀」

 恐怖は鉄鎖となって全身を縛り付け、蟻地獄のような流砂となって大噛を捕える。この恐怖からは、もう逃げられない。

「神代の時代、貴様らが邪巳と盲信する爬虫類の王様を、斬って落とした神の聖剣」

 顎の下に、冷やりとした金属質な感触を得た。

「万死に価値(あた)うる恐怖は()たか?」

 確認の言葉に、返事は出ない。尾羽張は、今はそれで満足する事にした。

「ならば、充分だ。今――死ね」

 淡々とそう宣言された後には、大噛の思考は断ち切られた。あまりにも呆気無く。

 たった1[sec]間の血桜花火を打ち上げて、醜い土気色の星屑を一斉に散らして――消えた。

 失った主人(マスター)の後を追うようにして骸の兵隊もガラガラと崩れ落ちる。結局、残ったのは血桜の残香(のこりが)と、散った血色の花びら。あとは、白濁色の燐酸塩(カルシウム)の山だけだった。尾羽張の胸には、喜びも、哀しさも残らないクセに……

瓊輝(たま)ちゃん!!早く!!」

 一瞬の沈黙の時間を感慨に耽る為に使う間も無い。海泥麒の声に釣られて、ハッと我に返らされる。

 そうだ、姉さんは?

 振り帰れば、赤髪の女の膝元で横たわる姉の姿。遠目にも解かる程に血を失い、痛々しい事この上ない。

「姉さん!!」

 ダッと駆け出せば、辿り付くのに物の2[sec]も掛からない。

「姉さん!!姉さん!!!!」

 海泥麒を力任せに押し退けて、姉の身体を抱き起こす。耳元で起こる「What?! 」の声は、耳に全く届いていない。

「姉さん!!死んじゃイヤだ!!姉さん!!姉さん!!!!」

 イヤだ。離れたくない。もっとずっと、死ぬまでずっと一緒に()るんだ。毎日のように体を鍛えたのは、死んでも(あなた)を守る為。それが僕を残して先に死ぬだなんて、絶対に間違えているんだ!!

 恥も外聞も無い。抱き上げた姉の身体に縋りながら、心の奥底で願い続けた望みをブチ撒ける。

「姉さーーーーーん!!!!!!!!!!!!!」

「Shut up!! 」

 ゴッ!!石を叩きつけられたような強烈な拳撃が、泣き叫ぶ尾羽張の顔面――右頬――を叩き飛ばした。

 頭蓋が一瞬歪んだと思うのは、錯覚か、事実か。どちらであれ、背中から地面に倒される。抱いた姉から無理矢理引き剥がされて、怒りが瞬時に沸騰する。

 視界の半分が鮮やかな赤に染まった僅かな秒間を縫うようにして

「And, one more.」

 胸座(むなぐら)を掴まれたかと思うと左の頬にももう一つ、熱く激しい痛みが刻まれる。

 右の頬から地面へ突っ込み、そのまま地擦りの後を引いた。

 彼女はそれに罪悪の念を抱く事無く、もう一度胸座を掴み直して強引に上体を引き起こす。右手に握り込んでいた拳大の石ころは、差し当たって背中に向かって放り出した。

 視界に広がる鮮やかな赤髪。腫れた両頬の尾羽張を碧く映す二つの瞳。乱暴に二人の距離を狭くすると、海泥麒は一語一語を確かめる時間を与えながら捲くし立てる。

「彼女は沙梛(さな)ちゃん。伊真、沙梛。彼女がまだ12歳の愛くるしい少女だった頃に貧しい村からこの街に移住を決意。でもこの街までの道中、運悪く野犬の群れに襲われて、父君は沙梛(さな)ちゃんを命懸けで守るも死去、母君も同じ時に行方不明。偶然通りかかった旅人に助けられて、結局一人でこの街に住む事になった。彼女の身柄は当時の自警団団長である叢雲重護(じゅうご)氏に引き取られた。残念ながら一人っ子だった沙梛(さな)ちゃんには、生き別れた弟君はいない。(自分)の姉君がどんな人だったかは知らないけど、沙梛(さな)ちゃんは別人。簡単に言うと赤の他人。ぶっちゃけちゃうと(自分)の姉君じゃないの。Are you all right, Boy?」

 ()くし立てられる説明を前にして、惚ける尾羽張の反応は無かった。焦点の合わない瞳が、海泥麒の向こうに広がる夜空を見詰める。

 訝むようにして尾羽張の眼前で掌をヒラヒラと揺らしてみるが、それに対する反応も無かった。ちゃんと聞いているのだろうか?と、試しに左腕を振り上げる海泥麒。

「もう一発、イっとく?」

「いいや……遠慮しておくよ」

 漸く、尾羽張が反応らしい反応を返した。その声には、先刻までの取り乱していた童幼(どうよう)さは無く、使い慣れた無気力感で包まれている。

 らしくないな、と。尾羽張は思った。悪夢(ゆめ)忌憶(おもいで)の混在で、自分の時間が混乱していたようだ。

 本当に、らしくない。思わず、苦笑も洩れる。どうしてこんな「らしくなさ」で取り乱したのだろうか?

 理由に、心当たりはある。伊真だ。あの女に重な(ダブ)って()えた磨夜(あね)幻影(おもかげ)が、(むかし)現実(いま)の境界を曖昧な物にしてしまったからだ。

 知らず、足が伊真へと向かっていた。治療は既に―誓約―を終え、―繋璽―へと移行している。衣服もベットリと血に塗れている。――因みに叢雲は、治療に関しては門外漢の八咫を付き添いにして倒れ臥している。激痛が呼ぶ悲鳴を抑える呻き声が、時折り耳に届いている。

 力無く(うな)垂れる伊真は、一目見てそれと解かる程に血を失っていた。雪色だった肌はすっかり蒼褪め、赤色だった唇も紫色に染め上げられる。不幸中の幸いか、傷は肩口から手首に掛けての範囲に留まっており、止血さえ急げば命に別状は無さそうだ。傷痕に関しても、一週間程度は痣のようになって残る事は覚悟しなければならないだろうが、八尺瓊の治療を根気良く続ければ、(じき)消える。

「……似てない……な」

 一言、呟いた。今日だけで何度となく重なり続けた、伊真と磨夜。しかし、落ち付いて見比べれば、どこをどう関連付けようとそれは「赤の他人」以上の何者でもなかった。"他人の空似" の言葉さえ、二人の関係を取り持つ事など出来そうに無い。結局、夕刻に思った事を再確認した以上の事は得られなかった。

 では、何故……?疑問を胸に抱いてすぐ、苦笑混じりの顔を夜空に向けた。そして、呟いた。「如何でも言い事……か……」と。疑問を、斬り捨てるように。

「お……」

 尾羽張の呟きを聞き付けたのか、単なる偶然か。意識を取り戻した伊真の紫色の唇が微かに震えた。

 殆ど反射的に目を遣れば、何らかの意志を宿すその瞳で、尾羽張を突き刺していた。

「尾羽……張……さん……」

 別段、如何と言う事も無い。ただ、喋る事さえ苦しそうにして、彼の名を呼んだだけの事だ。如何でも良い事だと無視を決め込む事も造作無かった。無かったが、らしくなさついでに聞いてやるのも悪くはないかと、伊真の胸元の辺り――丁度、―繋璽―に意識(ちから)を注ぐ八尺瓊の対面だ――に腰を落とした。

 無言のままの尾羽張に、掠れ切れそうになりながらも伊真が()う。

「何か……言うべき事……が……あるのでは……ないですか……?」

 一瞬、何の事を言いたいのだか咀嚼しきれずにいた。

 言うべき事……?茫洋とした思考で考えてみる。思い返してみる。そして、

「ああ……」

 合点した尾羽張の、棒読みの相槌。

――そう言えば、助けられたかもな。

 僅かに記憶が蘇る。既に色褪せた、伊真の姿。頼んだわけでもないのに身を呈して、彼の事を危地から救った、奇特な女の色褪せた記憶。

 そんな如何でも良いような一言を期待して、今の自分の状態も(かえり)みずに喋っている、と言うワケか?クツクツと、喉の奥で笑い声が洩れていた。

(こんなヤツと姉さんとを混同してしまうとは……な……)

 本当に……本当に、どうかしている。苦笑で微笑みを浮かべながら、機械のように、ただ如何でも良さそうに字面だけを並べ立ててやった。

「ありがとう、ございました」

 パァン!!

 張り裂けるような――音。鳴ったのは、突然に。誰もが一瞬目を丸くする。

 発条(バネ)仕掛けの人形のように撥ね起きて、思ったよりも小さな掌で頬を張った。尾羽張の頬に、小さな桃色の紅葉が咲いた。

 特別大きな音だったわけではないのに、鳴った音は夜闇に響き、余韻を残して耳の奥で尾を引き続けていた。

 上体を起こしただけで、力を使い果たしたのだろう。後はフラと、仕掛けた発条(バネ)を失った、糸切れた人形のようにして横に倒れてしまう。

 自分に向かって倒れてくる伊真を、尾羽張は受動的に抱き止めていた。彼女を見下ろすその瞳は、張られた頬の痛さに憤るではなく、呆然としている。

「そうじゃ……無いでしょう……?!」

 辛うじて残った気力で、伊真が言葉を成していた。身が触れる程に近いからこそ聞き取れる程度の声で。

 そうじゃ……ない?どう、そうじゃない?気持ちがこもっていない、とでも言うつもりか?

 混乱を呈する思考に割り込んだのは、八尺瓊だった。あっと言う間も無く伊真の体を尾羽張から奪い取ると、もう一度土の上に寝かせ付けた。

「ったく!一体何を考えているのですか?!止血もまだ完璧ではないのですから、あまり無茶されては、助かる命も助かりませんよ?!」

 舌打ち混じりに叱責しながら、八尺瓊は治療を再開した。ただ、伊真がその叱責を聞いていたかどうかは、少々怪しかった。

「何で……『ありがとう』……です……か?(わたくし)が……聞きたいの……は……そんな……言葉じゃ……ありません……!!」

 途切れ、途切れる。歯切れ悪く、聞き取り難く。

「ならば……いったい……」

 忘我のままに聞き返す。如何でも良いはずの疑問が、今は心を囚えて放さなかった。

 一度、苦しそうに呻きを上げてから、伊真は己が望むべき言葉を答えた。

「謝って……下さい……」

「謝……る……?」

 何を……?思い当たる節など、ただ一つしかない。

「あの、蛇どもを斬り殺した事……か?だとしたら、謝るつもりなど毛頭無い。奴らを斬り殺す事に対する罪悪の念など、俺にはただの一握も無いからな」

「違います!!」

 勢い付いて叫んでから、体の方が自分の状態を思い出したようだ。ゲホ、と、一つ苦しげに呼気を乱した。

 それでも、目の奥の意志は挫けなかった。だが、僅かな葛藤は、覗き見えた。

「違うんです……(わたくし)が怒っているのは……その事じゃ……ないんです……!!」

 左腕で、尾羽張の上着の襟元を掴んだ。掴み掛かろう、とでもしたのだろうか。だがそれ以上の力は入らず、ズルと尾羽張の身体を滑って落ちる。慌てて、尾羽張がその小さな掌を掴み取っていた。

人間(ひと)である以上……命を奪いながらでないと生きていけない事くらい……(わたくし)だって知っています……。生きる為に獣を屠殺して……隣人を守る為に疎遠な命を奪い……自分の保身の為に目前の暴漢を殺す……」

 言いながら、涙を流していた。

 口上した事が正しいと首を縦に振るつもりはなくても、それらが嘘だと首を横に振れるだけの強さも持てない。昔も、今も、そしてきっと、これからも……。

 求め続ける理想と、届かぬ現実との落差(ギャップ)の激しさ。息苦しさと物悲しさが、(かたち)と成って流れた。

「尾羽張さんの生きる糧が復讐だと言うのなら……許したくはありません……でも、認めざるを得ません……」

 本当なら、認めたくもない……。言葉を紡ぐその都度、細い針が伊真の心を幾重にも傷付け、苦しめ続けた。

 でも――

「でも!!」

 涙に濡れる瞳のその奥、最後に残る挫けぬ意志は、消える事も弱まる事もなく、確かに輝き続けていた。

「御自分の命を投げ出すような……そんな行為だけは、絶対に許せません……認めません……。許したくありません!認めたくありません!!」

 譲れぬ最後の第一線。尾羽張は、その一線を踏み越えた。自分の命を「如何でも良い」と吐き棄てた。

「御自分の命を大切に出来ない方に……他人の命を大事に出来るはずが御座いません……」

 グッと、僅かに残った力を右の掌に注ぎ込んだ。尾羽張の手を握り返すその掌は力強く、そして儚かった。

「ですから……尾羽張さん」

――だからさ、萩利。

「御自分の命を、投げ出さないで下さい……」

――自分から『死』を選んじゃ駄目よ。

「例え他の命を散らしてしまう結果になったとしても……」

――極論、他人を犠牲にしても良い。

「ただ……自分が『人』であると言う意志を……(なげう)つような真似だけは、絶対にしないで下さい……」

――自ら生きる事を貫く事こそが、人が人であり続けられる理由だから。

「約束……して下さい……」

――約束して欲しい。

 まだ――夢を見ているのか……?

 また――夢を見ているのか……?

 息が詰まりそうな緊張感。しかし、息苦しくはなかった。寧ろ、懐かしさに心が緩み、気持ちをスッと(なご)ませるような……。

 重なる二人の面影(シルエット)。重ね聞こえる姉の声。

 (かす)かな姉の面影が、チラリチラリを見えていた理由(ナゾ)が、やっと解かった。似ているのだ。容姿ではなく、心根の根幹が。

 だから、だろうか?その言葉が、口からスルリと滑り落ちるように、ごく自然に声に成っていたのは。

「ごめんなさい……」

 自分でも信じられないようなしおらしい声に、伊真はフッと笑顔を零した。

「解かれば、よろしい」

 一瞬だけの笑顔を残して、彼女の意識の糸は摺り切れた。

 あ、と。落ちそうになる伊真の掌を、大事に抱いている自分に、驚きを隠せない。

「大丈夫ですよ。張り詰めていた緊張が切れただけです……一晩もすれば、目を醒ましますよ」

 疲弊しきった表情に、八尺瓊がニコリとした笑みを浮かべて尾羽張の心配事を杞憂にした。




 こうして、長かった一夜が明け――神話の時代の因縁が、回り始める………。

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