表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
伝承・御剣  作者: 九本麻有巣
10/18

第十章 その殺意、消えぬ怨みを晴らす為...

 窓ガラスを砕き、夜の冷気を運んできたのは、『く』型に曲線を描く、薄い投擲武器。知られる言葉で呼ぶならば、ブーメラン。大きさは全長で90[cm]と大きくも、意匠も無く何とも粗末な鉄製のく型投擲器(ブーメラン)は、しかし三津草の街に住む者達の記憶の棚に、一致する物があった。

「これ……《七葉(なのは)》……?……霖君?」

「薙葉(ねェ)ええええエエェェェェェェェェェェェェ!!!!」

 伊真が小首を傾げて呟く言葉を掻き消して、これもまた覚えのある幼い声が届いた。声の主は、水無月(みなづき)(りん)と言う。

 叢雲は、先刻までの情けない哀愁の表情を瞬間で拭うと、一足飛びで――とまではいかないが、最速で――窓に駆け寄ると、割れたばかりの窓を思い切り開き、夜の帳の下に飛び出した。

 残された四人の内、尾羽張を除いた三人が、ノロノロと窓縁(まどべり)に寄る。窓から首を出して、覗くようにして見下ろしている。因みにここは、文明の時代には総合病院として使われていた建物の四階だったりする。

 その様子を横目に見ながら、尾羽張は投げ付けられたく型投擲器(ブーメラン)が消える様子――とは言っても、音もなく、忽然(こつぜん)と消え去るのみだが――を見ていた。その現象は、それが『聖剣』である証拠だ。

 それから暫く、何もなく時が過ぎる。時間にすれば、ほんの一分にも満たない時間だが。それもすぐ、途絶える。

「八咫!!八尺瓊!!出るぞ!!!!」

 大声で呼ばれた二人。一瞬だけ軽く顔を見合わせる。それから二人、鏡合わせのように対照的に窓縁に手を掛け、躊躇無く飛び降りた。一歩間違えれば、容易に命を落とす高さを。

「伊真!!霖を頼むぞ!!オレ達はすぐに海泥麒達の所に行く!!!」

 叢雲の言葉に、伊真は短く「ハイ!!」と答えた。普通の女性――()いては普通の人間――な彼女は、四階の距離を飛び降りるような常識外れな行動は取れない。代わりに、「何があったんですか?」と、手短かに尋ねた。

 三つの靴音が重なり、冷たい闇夜に響いて聞こえた。一緒に、叢雲の返答も。

「海泥麒達が危ないらしい!!要領は得ないが、蛇の化物がどうのこうのと……」

 人並外れた駿足は、予想以上の早さで言葉を遠ざけた。言葉の後の方は、すぐに聞き取れなくなり、広い闇夜に呑み込まれていった。

「蛇の……化物……?」

 叢雲の残していった言葉に、少し遅い反応を示した脳で反芻した。

 ノソリ……と、上体を起こした。伊真は既に部屋を出ており、足音だけを残して姿を消していた。叢雲に言われた通りに、水無月を迎えに降りたのだろう。

 長靴(ブーツ)を面倒臭そうに両足に履く。カツカツと言う乾いた金属音を、床と合わせる度に鳴らしながら、窓に向かって歩み寄る。

 開け放たれた窓縁に手を掛けるなり、下も見ずに無雑作に身を宙に躍らせた。彼は、ここが四階であると言う認識を持っていなかったのだから、余りにも考え無しの行動である。

 冷たい闇が頬を撫で、長い髪が尾を引くように(なび)くのを感じながら、彼は初めて自分の陥った状況を認識した。その割に冷静なのは、たった一つの思考理念による物に他ならない。如何でも良い事だ、と言う。

 落下の途中で軽く真下を見遣り、距離を測る。視界の片隅に申し訳程度に映る少年の輪郭(かげ)は、一先(ひとま)ず気にも留めない。

 着地の瞬間、膝を頃合い(タイミング)を合わせて曲げる。早すぎても遅すぎても駄目だ。

 屈伸の勢いだけではなく、柔軟な筋肉も伴って、落下の衝撃を限界直前(ギリギリ)まで緩衝させる。言う程簡単な事ではない。ばかりではない。それは罷り間違っても、普通の種類の人間では、膝を曲げる頃合い(タイミング)が完璧であっても、間違い無く無傷でいられない事象と結果だ。

 叢雲・八咫・八尺瓊に続いて落ちて来た人影に驚き、少年――水無月霖は目を見開いていた。少なくても、彼の記憶棚の中には、先の三人以外にこの人外の行動を行なえる人物は入力(インプット)されていない。

 肩で息をすると言うよりも、既に全身の皮膚呼吸さえも完全(フル)稼動させながら、水無月は初対面の男を見上げた。尾羽張は屈んでいるのだが、水無月もだらしなく腰を落としており、且つ、圧倒的な身長差がある為、見上げる以外にその視線を合わせる方法が無いのだ。

 ゼーゼーと、荒い呼気が小さな小さな夜霧を生む。

 2[sec]と待たずに消えては失せるその靄を、握り潰そうとするかの如く尾羽張は腕を伸ばし、水無月の胸倉を掴み上げた。疲労の極限に達しているに拘わらず水無月を強引に立ち上がらせたのは、目線の高さを合わせる為だ。今仮に、尾羽張が更に高い位置に水無月を持ち上げるか、水無月が小さいかしていたら、地に足を付ける事さえままならなかったろう。

「おい、小僧……」

「……」

 尊大不遜な尾羽張の態度に反論の感情は呈したものの、今は抵抗は(おろ)か、口上の体力さえも惜しかった。相変わらず乱れた呼気を整えられずにはいるが、黙って小首を傾げる事で、どうにか苦労して返事を返してみせた。

「どこだ……?」

 前後に自分が問いて質したい事柄を明言せずに尋ねてから、彼は小さく舌打ちした。彼にとってよくある事なのだが、口を動かすのも億劫だと言う無気力感が、必要な情報を欠落させるのだ。

 仕方なく一つ息を吐いてから、今一度問う。今度は、質問の意図を明確にして。

「蛇の化物とやらだ」

 口調こそ無感情に。しかし、無気力な瞳の更にその奥、魂の底に見えて隠れる激情を――それは、不幸な事なのだが――敏感に察する水無月。熱いハズの汗が、一瞬にして夜気よりも冷下して、冷や汗へと変わる。血の脈動と心臓の動悸が、先より更に激しく打ったが、それは酸素を欲しているのではなかった。

 詰まるような雰囲気に、水無月は息を詰まらせた。

 見る者が見れば、今の尾羽張は全くの別人に見える。実際、彼女はそう見えた。

「尾羽張さん!!」

 思わず叫んだのは、水無月の身を案じての事。伊真の、屋外に出るなりの行動だった。

 彼女が叫んだ時も、彼女が駆けつけようとする時も、尾羽張は終始無言で水無月へと圧力を掛けていた。弱々しい「新た……なる……産屋……」と、言葉少なな回答を得られるまで。

 得られた回答はしかし、尾羽張を満足させるには不足であった。襟首を掴んだまま、片手で水無月を持ち上げた。苦しげに洩れる水無月の声が、呪詛のようにも聞えたが、尾羽張は一向に気にした様子はない。

「ちょっ?!霖君に何をするんで……す……か……?」

 流石に見咎め、食って掛かろうと腕を振り上げた伊真。だが、言葉は末尾で掠れ消え逝き、振り上げた腕は虚しく下ろされる。それは、静かに向けられた尾羽張の視線の為。

 底冷えする、と、伊真は思った。否、彼女の本能がそう、嗅ぎ取った。

 伊真の部屋にいた時の尾羽張の視線も、確かに冷たかった。しかしそれは、ただ暖かみに欠けるが為に、相対的にそう感じていただけの冷たさだ。しかし、今の冷たさは違った。その視線その物が確かに持つ、圧倒的な冱寒(ごかん)が、伊真の魂の熱を奪っていた。

 それこそが、伊真が感じた、以前(まえ)現在(いま)の尾羽張が持つ相違。

「案内を頼むだけだ。『新たなる産屋』とやらへの……な」

 言い放つが早いか、尾羽張が背を向けた。背負うようにした水無月の顔色が、淡い月光の下にいてさえ、悪くなっているのが解かった。

「沙……梛……母……さ…………」

 虫の息とはよく言うが、これは差し詰め虫の声か。静寂の中にあるからこそ辛うじて聞き分ける事ができる、水無月の弱り詰めた声。

「わ……(わたくし)が案内致します!!」

 伊真が言った。

「ですから、霖君を放して下さい!!」

 懇願の色が濃いその声に、尾羽張は無雑作に手を放した。水無月を軽々と持ち上げていたその手だ。その行為は、伊真に哀れんだり、水無月に同情したのではない。彼にとって、それは如何でも良い事以外の何物でもない。ただ、子供一人を持って走るより、自分の足で走ってくれる伊真を連れた方が楽であろう。そう思っただけの事。

 水無月が激しく咳き込んだ。全力での疾走、息詰まる圧迫感、絞首の束縛。酸素を激しく欠損させたこの三つの行為から開放されて尚、受身を取り損ない、(したた)かに打った激痛の為だ。

 その水無月に素早く駆け寄り、「大丈夫?」と心配げに声を掛けた。少年の本音は決して(YES)ではなかったが、健気に首を縦に振っていた。

「……早くしろ……」

 視線さえ向けず、背中越しに言葉を叩き付けた。その言葉の中には、寸分の思いやりも含まれていない。

 水無月に優しく「御免ね……一人で帰れる?」と、こちらは思いやりの入った言葉を掛けた。それから更に「(わたくし)の部屋にシチューがあるから、暖めてから食べてね」とも続けた。

 そんな伊真を気にも留めず、取り敢えず叢雲達が消えたであろう方向へを足を進める。まだ少し足取りが覚束無(おぼつかな)くはあるが、その事自体を尾羽張は忘れる事にする。如何でも良い事、だからだろう。他者から見れば、とてもそうは思えないが。

 伊真にしても、そんな微妙な尾羽張の足取りの悪さが気にはなった。しかし、それを口に出して言う事は(つい)ぞなかった。尾羽張のような非道な種類の人間に掛ける情けは無い。と言うのが理由では無い。彼女の慈愛はその程度の事――と言って捨てれるような事ではなかったが――で枯れる程浅くは無い。

 今の尾羽張に何を言ったところで無駄であろうと言う事を、伊真は理解したから。今の彼には、どのような説得の言葉、どのような脅し文句であろうと、全てを一言で薙ぎ払ってしまう、確固たる意志があった。その事実に、伊真は気付いてしまっていたから。

「……少し、待っていて下さい……」

 不満が色濃く浮かぶ視線だけで、尾羽張は自分の気持ちを伝えていた。伊真はそれに応えて言った。

「走って行くには、少し遠いんです。裏に廻って、自転車でも取ってきますので」

 自警団詰所に有るいくつかの移動用機械の内、唯一彼女が乗りこなせる物の名を口にしてから、彼女は元病院・現詰所の裏手に足早に向かった。

「蛇の輪廻……」

 呟く言葉が、夜の闇に吸い込まれて消えた。

「待っていろよ……すぐに貴様ら全員、叩き落してやるからな……」

 恐怖と、地獄の底に。

 浮かべた笑みは月の光に煽られて、凄惨な彩りを浮かべて映し出された。

 その様を、水無月は恐怖の面持ちで見ているだけしか出来なかった……。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ