こうへん。
「ん? 誰って?」
「ですから、あの……脚の不自由な」
「ああ……なに、気になる? 知りたい?」
「いえ…………いいえ、はい」
「はは! どっちだよ」
幼い頃から共に過ごしてきた王太子は、周囲に口喧しい年寄り連中がいないと途端に気安くなる。
椅子に浅く腰掛け、背から力を抜いてもたれ掛かる姿はだらしないが、誰も咎める者がいない今しかそんなことはできない。
にやにやと笑いながら、王太子は難しそうな顔をして直立している男を見上げた。
「……へぇぇえ?……ああいう感じが好みなんだ?」
王太子の釣り上がっていく口の端を見ながら、これだから嫌なんだとますます眉間に力が入っていく。
気の置けない間柄でいるというのはたいへん結構なことだが、どうもこの『隙あらば人をおちょくりたい』という態度は如何なものかと思う。
まあそんな態度を向けられるのは自分だけだと、分かっているから受け入れるしかない。
王太子に甘えられ、だから甘えている自覚もある。
「でもどうかなぁ。彼女ねぇ……もうすぐにでも城を下りるんじゃないかな」
「……なに?」
「ものすごく嫌そうな顔してるからね、何するにも」
「だからと言って……」
「ま、そうなんだけどさ……え? 気付いてないの?」
「何を?」
王太子妃選定に前向きでないにしても、個人の判断で城を辞することは許されない話だ。
王族や貴族との繋がりを断ち切るような、そんな勝手も、自国や自領のことを考えれば難しいだろう。
候補姫たちはそれくらいのものを背負ってこの城にいる。
「捕まえておかないとどっか行っちゃうよ?」
「……しかし」
「心配しなくても、僕は別の子が気になってるから大丈夫」
「そういう話ではなく……」
「他の連中も気にしなくていい。彼女はそもそも……まぁ、とにかく。遠慮は要らないよ、兄上」
「……こういう時ばかり兄弟を持ち出す」
「ここで持ち出さなくて、いつ持ち出すんだよ」
「妾腹です」
「言いたい奴には言わせとけば? いつまでもいじけてないでよ」
「……誰が」
「はは。ま、牽制なんて要らないから」
「そんなつもり……」
「だったんでしょ?」
無いとは言い切れなくもないので、それ以上の言葉は継がなかった。
王城の際奥から抜けて出てまず最初に、心の底からため息を吐き出した。
あの辺りは静か過ぎて胃が持ち上がる感覚がする。何度訪れようがどれだけ経とうが慣れない。
従者たちの行き交う賑やかな場所まで移動して、凝り固まった背中をぐいと反らせて胸を張る。
冷んやりと感じている身体の中味をどうにかしたくて、無意識のうちに足は陽のあたる中庭に向かっていた。
中庭のど真ん中にある噴水までやって来ると、その縁に腰を下ろす。
腕と足を組みその上に肘を突いて、手のひらに顎を乗せる。背後で聞こえる水音に意識を寄せた。
降り注ぐ光は雲に遮られて、時々くっきりとした影が身体の表面を通り過ぎていく。
王太子より五年早く生まれた。
母は側室。
血筋は数代前の王弟の子孫にあたる。
現王妃は他国から輿入れした姫だった。
血の話になれば確かに間違いなく濃いのかもしれないが、母はそいうった野心をひとつも持たない人。
正妃に男児が生まれるや、母はその日のうちに肩の荷を降ろすことを決める。
王位継承争いなど何の益も生み出さないと、早々と我が子の権利を放棄すると宣言した。
別の側室にはもうひとり息子がいた。
兄にあたるが、病が元で幼いうちに亡くなった。なので余計に継承の放棄を周囲は許さなかった。
王太子が健やかだったこと、加えて自分が十五の歳を迎え、成人したのを機に、王陛下に改めて王位継承権の放棄を献言した。
それが十年ほど前の話。
そもそも自分が王の器だとは思えない。
国をどうにか出来る度量は持ち合わせてない。大して人を惹きつけるものも無い。
自己評価の低い王なんて自分なら願い下げだ。
それに付き合わされる民が気の毒でしかない。
国の何もかも全てを背負う気概もない。
向き不向きで言えばそうどう考えたって不向きだ。
その辺は王陛下も異論はなかったのか、献言はあっさりと受け入れられた。
王家に仕える騎士を任ぜられ、王太子の警護職に就いた。
遊ばせておくよりは、役割を与えて手元に置いておいた方が良いと判断したのは理解できる。
それなりにこなしていくうちに、上役がそっくり引退してしまい、とうとう長官を拝命することになる。
今では優秀な部下に仕事は全部持っていかれる。
長なのだからどっしりと構えて部下に任せていろと言われるが、どう見ても名ばかりの閑職なので、時々衛士に紛れたりして暇を潰していた。
のだが。
後ろの水音にも負けない、しゃらしゃらという声が聞こえてくる。
はと顔を上げると、回廊を王宮に向けて歩く姫君たちを見つけた。
思わず立ち上がって、そちらに吸い寄せられるように歩み寄る。
やはり回廊の中ほどで、ひとりの姫が立ち止まり、先を歩く姫君たちの背中を見ていた。
少し首を傾げたようにした後、しばらくするとくるりと振り返り、きた道を戻り始める。
やはり何と話をするか、考えるより先に体が動いてしまい、すっと伸びた背に向かって、とにかく呼び止める声をかけた。
振り返った姫君は、またも訝しそうにこちらを見上げている。
「……なにか不調でもあるのでしょうか」
「……貴方、王の直系?」
「…………そうですが」
公にはされていない。まして他国の姫君がなぜ自分の立場を知っているのか。
その疑問が口から出る前、浮かんだ瞬間に、大きな舌打ちが聞こえた。
「……放っておいて」
「何か困ったことがあるならと、気になって」
「貴方に気にされるようなことは何もない」
「そうですか……では何故いつもこの場から立ち去られるのかだけでも教えてもらえませんか」
「……聞けば気が済む? 放っておいてくれる?」
「それはお約束出来ませんが」
薄布の下でふと笑う気配がしたのは、きっとこちらも同じように冗談めかして言ったからだと思う。
回廊の真ん中で立ち話もよくないと思い、中庭の方を手で示し先に歩き出すと、姫君は遅れて後ろを付いてきた。
近くの四阿へ入り、姫君を長椅子に誘導する。わずかに離れた向かい側、腰高の柵に寄りかかる。
さて何から話そうか。
様子を伺っていると、肩から力が抜けたのか、少し下がったように見えた。
姫君は仕方がないといった雰囲気で話しだす。
「……最初のうちは様子見をしてたんだけど。まぁ、もう律儀に付き合うこともないかなと思って」
「……様子見……」
「そもそも人数合わせみたいなもんだったし」
「人数合わせ?」
「嫌ならそうと断ってくれれば、わざわざ来なくてもよかったんだけど……まあ、これが済んだら私は契約が終わるから」
「契約とは?」
「王家との契約」
「我が国という意味ですか」
「いいえ、違う」
「貴女の生国か……それはどのような契約ですか」
「昔に助けてもらったからね……お返しに願いを三つだけ叶えるって契約。で、姫に代わり私がこの国にくるってのが、その三つ目の願いってこと」
「……はあ」
「分かってると思うけど、私お姫様じゃないからね」
「そ……うなんですか」
「おかしいなって思わなかった?」
「……全く」
「その格好、騎士なんでしょう? 騎士がそんな調子でこの国は大丈夫なの?」
「私以外は優秀なので」
「ふふ……貴方、王陛下の何? 弟? 息子?」
「子……です」
「へぇ……王太子と似てないね」
「母が違うので」
「ああそう……でも、どうしてあの中に入っていないの?」
「あの中?」
「嫁探し」
「つ……妻を迎える気は無かったので」
「ほう……まだまだ遊びたいと」
「いや、その……妻もその子も、無駄な争いに巻き込まれかねないから」
「陛下も王太子も大して気にしなさそうだけどね。むしろいつでも来いって感じがする」
「……だから嫌なんです。暇つぶしや面白半分に争いたくない」
「平和主義」
「面倒なだけです」
あっそ、と軽く返すと立ち上がろうとするので、慌てて両手を出して止める。
「待って下さい。貴女はその……姫君ではないのなら、なんだと言うのですか」
「気にしてないんだけど」
「はい?」
「他の人に私のことは見えてないんだけど」
「は……は?」
「どうしても王の直系は欺けないんだよねぇ。そういう契約だから」
「なん……の話でしょう」
「その辺にいる人は、私のことなんて見てないから」
「……え?」
「まあ、詳しく言えば見えてるけど、認知させてないって感じかな……では? 契約に逆らえなかったり、他人の認知を歪めたり……そんなことができるのは……?」
「…………魔女」
「はい、よく出来ました」
だから本当はこんなもの要らないんだけど、と笑いながら、彼女は頭から被っていた薄布を捲り上げた。
想像していたよりも美しい色が、その下から露わになる。
思わず飲み込んだ息がぴたりと止まった。
「鬱陶しいし、息苦しいんだよね。これ」
「……そうだろうと、思います」
「なんかよく見えないし」
「私も、同じことを思っていました」
「……おっと。やめてよ、その顔」
「どんな顔ですか」
「私が見目麗しいのは認めるけど」
「仰る通りです」
「惚れないでよ」
「…………もう遅いかと」
「…………ああ、そう」
麗しの君はこういった話は余程慣れているのか、小さくため息をこぼすと、改めて長椅子から立ち上がった。
今度は押し留めることはなく、立ち去ろうとするその横に並んで一緒に歩く。
「王太子妃が決まれば貴女の契約は終わりですか?」
「うーん……まぁ、もうなんとなく決まってるみたいだから」
「正式に決定しなくてもいいという意味ですか?」
「発表まで待たなくても、心を決めてくれればね」
「うん……それでか」
「なにが?」
全て、どういうことか王太子は分かっていたに違いない。あのにやけた顔。
彼女との話はついているのだろう。
もうすぐにでも城を下りるかもと言った意味が分かる。
王太子が捕まえておけと言ったのもやっと腑に落ちた。
「契約が終われば、貴女はどうされるおつもりですか?」
「しばらくどこかに引っ込んどく。もう王家と絡むのは懲りたもの」
「……それはとても良い考えですね」
「……ひとりでね!」
「……勘が良い」
歩調が早くなるのに合わせて、歩幅を大きくした。
「……脚が悪かったのでは?」
「どこか悪そうにしてれば、候補以上にはならないでしょう? 病がちじゃ王妃は務まらない。最初にそう思わせたかったのを続けてただけ。もう止める。意味がないもの」
「なるほど、ではどこも悪いわけではないんですね。良かった」
「……どういう意味?」
「言葉通りの意味ですよ。健やかならそれが一番です。貴女が健康で良かった」
「……ありがと」
「……でもどうやって脚の悪いフリを? とても演技には見えなかった」
微妙な体軸の歪みや不安定な脚の運びは、気を付けたところでやり通せるとも思えない。
「術でちょっときつめに縛ってたの。さっきそれを解いた」
「縛る?」
「足の指……何本かまとめて縛ったら、歩き方が変になるでしょ。演技するのも忘れないし」
「……なるほど、考えましたね」
ぶれることなく真っ直ぐすたすたと歩いている姿を横目で見て、このまま走り出してしまいそうな気持ちをなんとか鎮める。
彼女の体調や気分に関して、なんの憂いも無かったのが、嬉しくて仕方がない。
本当はあるのだろうが、それはそれ。
便利な言葉でごまかすことにした。
他の憂いはそのうちゆっくりと解決していけば良い。
それはもちろん、ふたりでなら最高だと思う。
「……どこまで付いて来る気?」
「貴女が止まる所まで」
「……流石にこの中には入れないと思うけど」
いつの間にか『花園』の出入り口の手前にまで来ていた。
その門前の衛士が上司の姿に、何事かといったような顔をしている。
「あれには貴女の姿は見えてないんですよね」
「見えてるけど、気になってない」
「……そんなことが出来るのか。凄いですね」
「……褒めてる?」
「もちろん、当たり前です」
「なんなの、ほんと」
「そうだな……では、まず始めに。どこかに出かけてみませんか?」
「は?」
「ゆくゆくは常にふたりでいたい」
「なに言ってんの?」
「……うん、とても楽しそうだ」
「……大丈夫?」
「まあ、そこそこ心身共に強い方ですし。見た目もそんなに悪くないと思うので、大丈夫ではないかと思います」
「……面倒だな」
「そうですね、それは多分、貴女に対してだけですよ」
「くそ……王系の血が憎らしい」
「全く、同感です」
「意味が違う!」
「……逃がしませんよ」
「あ?……ケンカ売った?」
「貴女からなら、何でも買います」
「どいつもこいつも、勝手なことばかり。私を何だと思ってんの」
「美しい女性だと」
「……………………めんどくさ!!!!」
花園には姫君が十二人いた。
うちひとりは王太子妃となり、新王の即位に際しては王妃、そして国母となった。
ふたりは側室として召抱えられる。
残りの八人はそれぞれ王族や貴族へ下賜された。
同時期に近衛騎士、士官の長が職を辞して王城から去ったと王国史に記されている。
このお話はこれにて終わりでございます。
ここまでお読みいただきまして、まことにありがとうございます。
何といいますか、名前がなくても読んでもらえるだろうかって考えがあったりなかったり。
無いと不便だなと思いました笑。