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エデンの園  作者:
2/4

2 盗賊トゥルバ

 闇夜に包まれた夜。

 トゥルバが向かったのは、あの切り離された画廊であった。

 人々に解放されている画廊。その裏では、貴族や芸術家たちとゼネット卿の癒着が見え隠れしている、というのも市井での見解である。また、貴族たちも同じ見解を持っているが、自身に影響が及ばないように黙認していると言ってもよい。

 欲しい絵は、それが誰の持ち物であっても必ず手に入れようとするゼネット卿は、お金を積むのはもちろんのこと、相手貴族の地位を逆手に取って昇進の制限や王宮への口利きまでをも行っている。

 また、絵師の生活を保護するという表向きでその技量を独占し、それが誰かのお抱え絵師だったとしても構うことはない。


 例えば、トゥルバが最後に眺めた宮廷絵師サリヴァンの作品。

 あれは本来、中流階級貴族であるブリギット=ウェントワースという青年が国王陛下から賜るはずだったものだ。

 国王陛下主催の舞踏会で、ブリギットが献上した音楽を陛下がことのほか気に入り、素晴らしいと賞賛した褒美である。ブリギットのヴァイオリンは貴族の中でも評定があり、それを聞きつけた陛下が一曲奏でてほしいと乞うたため、その腕前を披露することになったのだ。

 しかし、それを聞いたゼネット卿が黙っていない。陛下がブリギットへと示した絵画は、ゼネット卿が前から憧れていたものである。


 そこで卿がどうしたか。簡単だ。

 ブリギットが奏でた曲は、ゼネット卿の作曲したもの。それをただ青年が演奏したのだと脂汗を浮かべた顔で笑みを浮かべたのだ。もちろん、そんなことは嘘である。ゼネット卿に音楽の才はない。

 そうなのかと陛下がブリギットに尋ねた。ブリギットは唇を噛み締めてから、左様にございますと頷く。ゼネット卿はブリギットの妹の縁談を掌握しようとしていたからだ。貴族と言えど中流階級。彼の妹はゼネット卿の妹の嫁いだ先の家との縁談話が、ようやくまとまろうとしているところ。

 ぎらぎらとした卿の瞳を受けて、ブリギットはその縁談を取り潰されることを悟った。そうさせないために、すべてを飲み込んだのである。


 このように、あの画廊に展示されている絵画の半数以上が、正当な方法でゼネット卿が入手したものではない。ゼネット卿の力がなまじ強いために、下手に周りも動けないのだ。

 トゥルバは昼に画廊を訪れ、その絵が間違いなく国王陛下が褒美にと示したものだと確認した。

 また、画廊内にある絵画のどれが噂になった絵なのかを見定め、それぞれの価値をその目で確かめるつもりだった。半数以上か、市井の噂も馬鹿にはできない。彼は皮肉めいた笑みを浮かべる。


 一流の盗賊であるトゥルバは、一般人に見つかるようなヘマはしない。

 万が一にも見つかったら、殺すことは簡単だし殺すまでせずとも盗んで姿をくらますことは容易いだろう。一人でも十分すぎる。

 むしろ盗賊頭のトゥルバが出るまでもないが、絵画の価値は手下だけではわからないだろう。それに、絵画の量は多かった。手下たちを連れてきたのは運び手が必要だからである。


 真夜中の闇に紛れて、街外れに来た。

 昼間と変わることなく、閑散とした画廊はやはり緑に紛れるようにひっそりと佇んでいる。邸の境となる壁を悟られることなく飛び越え、画廊の前まで難なくやってきたところだ。

 入り口は鍵かかかっていたが、彼らにとってはあってないようなもの。音も立てずに簡単に開け、難なく画廊へと入っていった。

 一歩中に入ると、不思議な空気に包まれた。やはりこの画廊独特のものだ。

 曰くつきの絵たちばかりだ。全部いただいていくくらいがゼネット卿にはちょうどよかろう。

 片っ端から運び出せ、と言ってあった言葉に従って連れてきた二人の部下が、一枚の絵の額へと手を伸ばした。しかし――


 トゥルバは目を見張る。

 待て、と小さく静止をかけ、まじまじとその絵を眺めた。

 この場所には、サリヴァンの絵があったはず。他の絵を見渡す。壁にかけられて並んだ絵画たちは、どれもこれも同じであった。

 すべてが、真っ白なキャンバス地だけを剥き出しにしている。

 静かな、月明かりだけが射し込むこの画廊に並ぶのは、白い絵。白いそれだけが並ぶ光景は異様で、染み一つない綺麗な白さは逆に不気味ですらあった。


 毎日、絵を取り外して管理しているとは聞いたことはない。

 これだけの量の絵画を取り外し、また明朝には取り付けるとなれば必ず話は伝わってくるはずだ。ならば、なぜ?

 二人の手下がトゥルバを振り返り、それを受けた彼が白い絵画を眺めて眉を寄せたとき。

 こつりと物音がして、はっと画廊の入り口を振り返った。暗闇にランプの光が揺れる。


「……なんだ、誰かと思ったら」


 落ち着いた声がこぼれ、ランプを掲げた娘が立っていた。

 寝巻き用のドレスにカーディガンを羽織って、不思議そうに首をかしげている。

 ぱっと姿勢を低くした手下を、トゥルバが目線で制すと、画廊の娘は手近なところにランプを置いてゆっくりと息を吐いた。


「お昼の、ミゼール子爵でいらっしゃいますね。絵が欲しかったのなら言ってくれださればよかったのに」


 言いながら、彼女はそっと絵画を撫でる。絵を見せて、と小さく呟くと真っ白な絵画はもとのサリヴァン作の林檎をもいでいる女が現れた。

 手近にあったランプに灯が入れられ、控えめながらも明るくなった画廊は昼間の通り有数の画家たちの絵画が壁に並ぶ。

 娘は盗みに入った三人の男を前にしても、異様なほどの落ち着きをもっていた。騒ぎ立てるわけでもなく咎めるわけでもない。絵をもとに戻してから壁に背を預けるように佇む娘に、今まで黙っていたトゥルバ――ヒルベルト=ミゼールがようやく口を開いた。


「これは、どういうことだ」


 娘はきょとんとして瞬いた。


「絵が欲しいから、来たのでしょう。それなら、どうぞお持ちください」

「自由に持って行けと?」

「この状況から見て、あなたが名高い義賊トゥルバということでしょう? ゼネット卿がいろんな方法で絵を掻き集めていることは事実です。遅かれ早かれ、こういう日がくるのではと思っていました」


 落ち着き払った娘の言葉に、トゥルバは表情を浮かべることなくじっと視線を向ける。


「悪事から入手した絵画と認めるにしても、俺たちが盗みに入っていることに変わりはない。オルガ、と言ったな。この絵を俺がどうするとも知らずに、それでもお前は黙認するつもりか」

「お昼にここへいらっしゃったとき、あなたは絵が好きそうでしたよ。絵が好きな方だったら、ご自身で楽しむにもそうでないにしても、悪いようにはなさらないでしょうし。トゥルバさんだったら、良いように扱ってくださると勝手に思っていますので」


 それならまあ、いいかと思って。

 苦笑したオルガは、トゥルバを前にしても取り乱す様子はない。

 平凡な娘である。どこかの刺客が一般人を装っているわけでもない。戦うための筋肉は彼女についていないし、そういう世界に身を置く者の持つ独特の空気は微塵もない。ただただ、あの不思議な気配が画廊を包んでいるだけ。

 娘の言葉に逡巡したトゥルバは、視線を外すことなく口の端を上げてみせた。


「それならば、俺たちが入ってきたこと自体目を瞑る方が賢明だっただろう。盗賊トゥルバの正体が、ミゼール家の放浪息子と知られては、こちらも勝手が悪い」

「それはそうでしょうけれど。それに、先ほども言いました通り、義賊のトゥルバさんがいらっしゃることもあるだろうと、前から思っていたので。私が来なければ絵は白いまま、価値がなにもなくなった絵では意味がないのでは。――たしかに、正体を知ってしまったことは申し訳ないですが。それでは、私は殺されるのでしょうか?」


 オルガの苦笑はますます困ったものになる。

 危機感はない。また、諦めが滲んでいるわけでもない。

 この不思議な娘は、紛れもなく、この画廊の纏う空気を作っている。

 トゥルバはゆっくりと息を吐き出した。張り詰めていた空気はわずかに綻ぶ。改めて口を開いた。


「……俺たちにどうやって気付いた」

「どうやって、と言われても。どうやら私は気配に敏感らしくて、ああ誰か画廊に入ったなあと」


 手下が不審そうに身を強張らせたが、トゥルバはかまわず続ける。


「絵が白かったのは、仕掛けか何かか?」

 もっともな質問に、オルガはやはり困ったような笑みを浮かべたまま、考え考え言葉を返した。


「あれも、実はよくわからないのです。どうやら私の言葉は物に影響を与えられるらしくて。――貴族の方でもこの絵たちを欲しがっている方々はいます。防犯の意味で、夜の間は絵を隠すように言い含めていたから、それのせいなのだと思います」

「物に影響を与える……魔法か?」


 魔法。

 この世界に使い手は極僅かな稀少な力。存在さえも、あまり知られていないだろう。

 探るような視線を取り違えることなく受け取って、オルガはやはり困ったように笑む。どう答えればよいのだろうかと逡巡を挟み、ため息をついてから口を開いた。


「魔法、というものがどういったものなのか、私は知らないのでお答えできません。ただ、生まれつき、こういうことができるようです。……生みの親には気味が悪いと、放り出されました。そこで拾ってくださったのがオリバーレス公爵夫人です」

「……夫人に恩義を感じているくせに、俺たちの盗みに加担するのか」

「ミランダ夫人は、ここにある絵を早々に処分なさりたいのです。ゼネット卿がなにをやっていらっしゃるか、夫人はよくご存知で。早くトゥルバさんでもいらっしゃらないかしら、というのがこのところの口癖に」


 ゼネット卿と夫人が不仲なのは本当である。貴族たちの間でも、市井の噂でも、それは揺るぎない事実とされている。

 トゥルバは黙ってオルガという娘を眺めた。

 嘘は、ない。

 穏やかながらも率直な言葉とその表情。

 彼は自他とも認める鋭い洞察力を持っている。貴族の端くれであり、法を犯す盗賊だからこそ培われた感覚が、オルガはありのままを述べていると訴える。


「オルガ」


 名を呼ぶと、娘は自然と背を伸ばした。

 まっすぐと向けられる瞳を見つめながら、トゥルバは続ける。


「お前のその不思議な力のことを、ゼネット卿は知っているのか」

「いいえ。私は夫人だけにしかお伝えしていません。……もとより、気味の悪い力ですから。夫人も、あの様子ではゼネット卿へはお知らせしていないと思います」


 苦味を含めた笑みにはトゥルバは何も言わなかった。

 ゆっくりと上から下まで、眺めてからその瞳で視線を止め、ふうと息を吐き出す。こつりと踵を鳴らして身を翻した。


「――絵は、予定通りいただいていく。お前は部屋へ戻れ」


 画廊の入り口を明けてオルガを振り返るトゥルバ。

 それにオルガは目を丸めて驚く。じっと視線を向けて入り口を動かないトゥルバに促され、遠慮がちに外へと出た。

 夜の闇に、オルガの表情が溶け込む。それをトゥルバはやはり視線を逸らさずに捉えたまま。


「今夜、お前は画廊へは来なかった。不思議な力が知られていないのなら、それで疑われることはない。口を噤んでいろ」

「トゥルバ、さん」


 戸惑うようなオルガの声を背中に受けながら、トゥルバはもう画廊の中へと戻ってしまう。


「明日、また伺う」


 ばたんと扉が閉まる間際、小さな声が零れ落ちたのにオルガは驚いた顔のまま、それでも頷いてから闇に紛れた。

 しんと静まり返った画廊。

 手際よく額縁を壁から外し、たちまちのうちにそこは剥き出しの壁だけに姿が変わっていく。もう画廊とは呼べない部屋に変貌を遂げれば、盗賊トゥルバを意味するカードを壁に打ちつけ、仕事は終わりだ。トゥルバたちもまたこの月夜の闇に紛れて溶ける。

 するとすぐにこの画廊には、何食わぬ顔で静かな静かな夜が戻ってくるのだろう。


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