ネコノさん、ネコノさん
「ネコノさん、ネコノさん、今日はどちらへお出かけで?」
少し年老いたその雄猫は、少年の問いかけに大きく、つまらないと言いたげなあくびで返す。
「そうですか、そうですか、今日はお屋根で日向ぼっこですか」
その雄猫は少年の返事を聞き、また、つまらないと言いたげに目を瞑る。
別に少年と雄猫は言葉が通じているわけではない。なんとなくその日の雄猫の行き先の分かる少年はこうして、毎朝彼に語りかけるのを日課としている。
「では、では、ネコノさん、僕は学校に行ってきますね」
雄猫もそうだが、少年も無表情であった。だが、つまらなさそうにはしていなかった。
ただ、無表情で変わり者の少年である。
雄猫は少年が制服に着替え、両親と挨拶を交わし、家から出るのを見届けると、雄猫は、やはり詰まらなさそうに立ち上がり、朝食を食べ終えると、猫は扉に向かい、扉にぎいぎい、と爪をたてる。そうすると、少年の母親がはいはい、といいながら扉を開けてくれる。雄猫はそうして外にでて、自宅の屋根によじ登り、昼寝を始める。
この雄猫は、子猫の時に酔っ払った父が拾ってきて、少年に、ネコノさんと名づけられた。
その当時から少年は雄猫と、こうした会話を続けていた。それからすでに5、6年が経つ。
少年の両親は最初、少年と猫がこうしたやり取りで、少年が雄猫の行き先を言い当てるものだから、本当に雄猫と会話をしているとおもい、少し気味悪がっていた。
だが、少年はそれをはじめた以後に、荷物と服装をを見ただけで両親の行き先を言い当てるようになったものだから、別に会話をしているわけではないと知った。
だからか、両親はこうした息子と雄猫の言動をみても何も思わなくなった。せいぜい苦笑いを浮かべるぐらいである。
雄猫が、しばらく昼寝を続けていると、他の家の猫が集まってくる。何を話すでもない、ただ一緒に昼寝をするだけである。
そうした会合から、他の猫たちが帰ったころ、少年も門の前で友達とわかれの挨拶を交わしている。その言葉は日によって違う。今日は「また明日ね」というものだった。
その様子を見た雄猫は屋根からシュタッっと飛び降り、毛をぱさぱさと振るい、ちょこんと正座をする。
「ネコノさん、ネコノさん、ただいま帰りました」
少年がそう挨拶すると、やはり雄猫はつまらないと言いたげなあくびをし、体を伸ばし、少年とともに家に入る。
雄猫はそんな日々を送っていた。
だが、ある日、少年が雄猫に声を掛けない日があった。
母親がどこか憂い顔で少年の部屋と台所とを行ったり来たりしていた。
雄猫は少年の声が恋しくなったのか、それとも心配になってか、少年の部屋に向かった。
少年は顔を赤くし、苦しそうにしていた。
雄猫はそんな少年を見つめてしばらく首をかしげていた。
だが、少年が起きてこず、苦しそうにしているのに気づくと、雄猫はのそのそと歩き、もぞもぞと少年の布団に入り込んだ。
「ネコノさん、ネコノさん、今日はどちらへお出かけで?」
雄猫が布団へ入ってきたのに気づいた少年は、ゆっくりと目をあけ、猫にそう問いかける。
雄猫はやはり、つまらないと言いたげにあくびで返す。
「そうですか、そうですか、今日は一緒にいてくれるのですか」
少年は少し安心したように目をつぶる。
雄猫も少年に寄り添うように寝転がり、時折大きくあくびをしている。
少年と雄猫との間に会話はなかった。
その次の日、少年はいつもの調子を取り戻し、雄猫に声を掛けている。
「ネコノさん、ネコノさん、今日はどちらへお出かけで?」
少年は少し微笑んでいるように見える。
そして、雄猫はやはり、つまらないと言いたげにあくびをする。
両親はそのやり取りを見て、笑顔になるようになった。
そして毎日、少年が家を空ける時以外は少年と雄猫とのやり取りは続いた。
そうして、時間が過ぎ、少年は青年へ、雄猫は老猫へとなっていった。
そして、そのときはくる。
「ネコノさん、ネコノさん。今日からどちらへお出かけで?」
老猫は答えなかった。ただ、幸せそうに目を瞑っている。
青年は微笑んでいた。涙を浮かべ、唇をかんで泣きたいのを我慢しているようにも見える。
後ろで青年の両親も涙ぐんでいた。
青年も、老猫もこのときが来るのは分かっていた。
家族に静かに見送られた猫は、青年の手で猫を地面に埋められ、青年が墓石を立てた。