【第2話】鏡の中で踊る魂
煉獄の中の摩天楼とはこの事か…。
閻魔庁はおどろおどろしさに満ち溢れていた。
溶岩でできた壁に、灯代わりに火炎が燃え盛っていた。
「はい最初の案件はこれね❤︎」
菫さんは今日も真っ黒なコートを着ていた。あの世でもアパレル業はあるのだろうか。
渡されたのは、黄色いオーブのようなものだった。
泡を掴んでいるかのように触感は無かった。しかし、ボーリングの球のようにずっしりとした重みが両手のひらにのしかかる。
「これは人の魂みたいなものよ❤︎生まれてきてからその命が潰えるまでの一切の記憶と感情❤︎
これを鏡の前に置くの❤︎まぁ、習うより慣れろかな❤︎」
私は、冷静な性格である自負はあったが、何から何までもが未知で言葉が出なかった。
言われるがままに、私は10メートルくらいあるであろう巨大な丸鏡の前に魂をかざした。
全身が高温なもやもやに包まれるのを感じた。ぎゅるぎゅるぎゅるっと私の体は鏡に吸い込まれていった。
ジェットコースターに乗ったかのように内臓は浮いたり沈んだり、気分は最悪だった。
気がつけば、私はとある大学病院にいた。
1人の医者が自分のであろう机の前で資料を読みながら佇んでいる。
「失礼しまーす。」
1人の看護婦が部屋に入ってきたが、私には一瞥も向けなかった。私のことは見えてないのだろう。とても可愛らしい看護婦だった。
「君か!今日は論文を読まなきゃならないと言っただろう…。仕事が終わってからだ。」
「えー先生いじわるー。私今日はもう我慢できないよー。」
ええええ…。まさかの展開に私はたじろいだ。
私は直視はできず、物陰に座りこんだ。
その医者と看護婦はかれこれ1時間程戯れていた。
病院の闇は深いな…。そうこうしてると、また体が熱くなり、内臓をゆすり振られる感覚に襲われた。
こうやって、被告人の人生を見させられるわけか…。
私は、こうしてこの医者の人生を俯瞰した。
この医者の名前は、神保拓海。法医学会のホープで優秀な医者ではあるが、欲まみれの腐った医者だった。
毎日、その看護婦と不倫しては、自身の研究は後回しにする。
極め付けには、裏では暴力団とつながって、表に出せないような者の治療を引き受ける代わりに法外な治療費をとっていた。
確かに、神保は欲まみれで最低な人間ではあった。だがしかし、医者としての腕は本物だった。法医学者としての腕を買われて、刑事事件における真相究明のための司法解剖を任されることも多々あった。
神保は女癖こそ悪いものの、動物に対する愛は本物で、家には溺愛する犬がいた。真っ白でもふもふなビジョンフリーゼであった。名前はわたあめ。実に安直な名前だ。
神保は妻がいながら、看護師との不倫を重ねていたが、愛犬の為であれば何でもするような愛犬家であった。
わたあめは人懐っこく、不倫相手に対しても猛烈なしっぽプロペラの回転を見せていた。
私は神保の生態を観察する内にあることに気付いた。
人間には当然ながら良い面と悪い面とがあるが、何をもって良い面というかのメルクマールは非常に曖昧である。人の人生の全てを覗き、その人物の人格を評価することは、この世の裁判よりずっと難しい。
この世の裁判は提出された証拠につき、あくまで法に従い、妥当な結論を出すことができる。だが、無限の資料があり、かつ、評価の基準がない場合は、物事を評価し難く困惑してしまう。
そんな思いに耽ってると私は例のごとく、体が発熱し時空が捻れる感覚に溺れていた。
「お帰りなさい❤︎初めてだときついでしょうねきっと❤︎」
菫さんの透き通った声に、私は妙な安心感を覚えた。
「映画を立て続けに1日中観させられた気分です。それで私はこの男を弁護すれば良いのですよね…?こんなやつへの刑罰を軽くできる余地はないと思いますが…。」
「あら❤︎私は刑罰を軽くできるなんて一言も言ってないわ❤︎こんなところで裁かれるような者は基本的には地獄行きは決まってるようなものよ❤︎ただ、どんな地獄に行かされるかはまた別の話よ❤︎」
「……。なるほど。確かに閻魔様に裁かれるような人たちですものね。」
「詳しい事は明日以降教えるわ❤︎鏡を使って疲れたでしょ❤︎今日はこれで切り上げていいわよ❤︎」
地獄での弁護活動は、少なくとも私がよく知ってる弁護活動とは全く違うものであることを初めて把握したのだった。