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緋き追憶  作者: castella
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四/帝都狂騒/夏/殺陣(中)

四話です。


二十玉の報酬に釣られて、綾は夜の御上を歩いていた。西側区画で起きた事故の原因調査。その報酬、二十玉は仕事のない綾にとってとても魅力的な物であった。


原因不明の事故の原因調査という依頼だが、其れが事故なのか事件なのかすらも分からない物である為、夜の路を歩く綾の腰には、刀が非常時には何時でも抜けるように納められている。これを抜かない事が最善であるのだが、用心に越したことはない。


綾は静葉と別れた後、少しではあるがこの事故について調べていた。


何でも、事故現場には大型機械でも付けられないような傷跡が付けられていて、まるで龍が暴れた跡のようであるらしい。


そんな事前調査もあってか、夜道を歩く綾は常よりも周囲に気を配りながら歩いている。

最も、龍が暴れた跡と言っても、龍なんてものが現れる事などあり得ない。現場を見たという作業員は大袈裟にも程があると綾は思ったが、夜道というものは其れだけでも危険であることに違いはない。綾は気配を殺しつつ歩を進める。


西側区画の夜は御上の中で取り分け静かな場所だ。工事は明るい時にしか出来ない為、人はいない。電灯を付ければ出来ないこともないのだが、其れでは経費がかさんでしまう為余程納期が切迫した状況にならない限り、夜中に工事をすることはなかった。


夜にも活気のある街に取り残されたように此処には静謐が満ちている。


左右に並ぶ建築途中の建物へ気を配りながら綾は問題の事故現場へと歩き続ける。

夜の空には、満月とそれに照らされた叢雲が流れている。殆ど電灯の無い道は月明かりだけが頼りだ。

しかし、立ち並ぶ建物によってその殆どは差し込まず、夜の闇に覆われている。建設途中の建物は外壁が無く柱や基礎が剥き出しで佇んでいる。薄暗い闇の中に居て、立ち並ぶ造りかけの建物は、ぽっかりと空いた空洞の中に何かが潜んでいるような錯覚を起こさせる。


まるで地獄へ続く門のようだと綾は思った。


吹いてくる風さえ薄ら寒く、死者の囀りの様にも聞こえてくる。夏である筈なのに、夜は何時になく冷たく冴えていた。

その中に、一つ甲高い鉄の音を聞いた気がした。



————あっちか。


注意深く周囲に気を配っていた綾は音の出所を推測すると、やや速足で其処へ向かう。

調査一日目にして、好機が巡ってきたと弾む心を抑えながら静かに駆ける。



————上手くいけば二十玉か。世話になったし、静葉の為に何か奢ってやるか。


幾つもの建物を抜け、角を曲がり音のした方へ走る。音を立てずに走れるのは綾が鍛錬によって身に付けた体重移動のなせる技だった。腰に下げた刀も飾りではなく、実際に使った経験もある。向かった先に、仮に何か危険があれば対処する術もある。

僅かな心の余裕からか、綾は静葉の事を知らず気に掛けていた。


あと少しで音のした場所へ近付く。綾は速度を緩め、慎重に建物の陰からその場所へ近付いていく。どうやら其処も造りかけの建物の中の様だ。周囲は高い建物が多く、月明かりはほぼ入らない。問題の場所は今綾がいる通りに面している建物の隣。其処へ行く為に、道路から建物の中へ踏み込んだ。中は暗い。打ちっ放しのコンクリートの地面を音が立たないように気を付けながら進んで行く。分かってはいたが、天井に阻まれている為道路よりも格段に暗い。正しく一寸先は闇。目の前すら殆ど見えない程の闇は踏み入れる度にその濃度を増して行く。


そしてその先に微かな光。音のした場所は僅かに月明かりの入る所なのか、暗闇の中で其処だけがぼんやりと浮いている。


其れが却って不気味だった。此処まで来たからには何かを得て帰りたい。薄気味悪さを感じつつも綾は一歩、また一歩と近付いて行く。

じっとりと背中は汗ばんでいる。これは夜の暑さのせいか其れとも違うものなのかわからないが、気分が悪いことに変わりない。


じりじりと、近付いていく。徐々に徐々に、闇が解け、近付いてく。


一歩、また一歩踏み出す。


鼓動が速くなる。息が荒い。


跳ね上がりそうな心臓を抑えながらまた一歩進む。


けれど、その鼓動は期待から速まっているのではない。では何故速まるのか。


————この先にあるのは、お前が今、求めているモノではない。引き返せ。其処にあるのはお前が置いてきたモノだ。


身体は確かに警告していた。これ以上近付いてはいけないと。だが、其れさえ気付かず綾は進んで行く。


自分が今向かっているのは、悪鬼が潜む地獄とは露知らず。



そして、建設途中の建物の柱の陰から、様子を伺った。








「ただいま」


誰もいない部屋に声だけが虚しく消える。別に誰も居ないなら言う必要のない言葉だが、其処が確かに帰る場所だと実感したくて静葉は茜音が居なくなってからも帰る度に声に出して言っていた。


まるでこの世から茜音が居なくなってしまったかの様な物言いだが、そういう訳では勿論なく今は御上から離れたところへ行っているだけだ。


玄関で靴を脱いで、框を越える。静葉はもう一週間はこうして一人で過ごしているので慣れてはいるが其れでも一人というのは寂しかった。

二人で生活していた分、余計に孤独を感じてしまう。

けれど、今日は茜音が居なくなってからの日々の中で静葉は一番寂しいとは感じなかった。


何故だろうと考えて、直ぐに答えに辿り着いた。


今日は綾という人と長い間話していたからだと思い至る。

久しぶりの人とのまともな会話だったと静葉は思った。

昨日知り合ったばかりだというのに、話すのに気遣って疲れたりはせずに、話していて楽しかったと今日のことを思い返す。


ただ一つ心に残るのは、彼が聞きたかったという刀の話をする事が出来なかったという事実だけ。その事に関して申し訳なかったと思った。いつか話せるように自分が強くなろうと静葉は思う。


しかし、確かに心残りのあった一日だったけれど、それ以上に楽しくて充実した一日だった。暫く楽しいという気持ちさえ孤独の中で忘れていた。


根拠の無い予感の様な物だけれど、彼になら自分の話をする事が出来るかもしれないと静葉は思った。今日は出来なかったけれど、またいつかの日に。

彼は別れ際にまた明日と言ってくれた。その言葉で胸の内が温かくなったように感じた。

久しぶりに触れた人の優しさに随分と救われたように思う。


だから、この恩を返したい。今すぐに自分の事を話せるか自信はないが、帝都にいる限り何時でも会える。時間を掛けてでも伝えられたら良いな。急ぐ必要は無いのだから。


一人では少し広い部屋の中で、また明日、そう思い返す度に胸の内が温かくなる様なそんな気がした。








暗がりの中で何かが動いた。その後に、金属音が鳴り、建物の中で反響する。


僅かな音の直感は今此処に確信となった。


綾は見逃しまいと、柱の陰から薄闇を見つめる。空が遮られていない少しの空間に意識を向ける。月が雲に隠れたのか景色は明度を落とす。


だが、この時綾は分かっていなかった。事前の段階でもっと警戒するべきだったのだ。あり得ない傷跡が残る現場。

大金と目的の為に焦る気持ちによって思考が麻痺していたからあっさりと流してしまったのだろう。

御伽噺のような不可解な話にはそれ相応の理由がある。

あり得るのは唯の嘘。或いは常識を超えた超常の何かの諸行。


綾は今、龍の巣へ転がり落ちる餌でしかない。龍の顎へと、自ら飛び込む哀れな被害者だった。いや、其処にあるのは龍の顎ではなくそれ以上に最悪の物だった。



斬、と何かが切れる音。その中に佇む仮面を付けた男。その手には闇の中で一際目を引くのは不気味に脈動する赤い刀。地面に流れる朱色すら気にならない。綾の目はその刀に釘付けになっていた。


「————ッ」


思わず息を呑む。脳裏には盗まれたある刀の特徴が思い出される。

その刀は、血のような紋様を浮かべるらしいというが、今綾の眼に映る刀は確かに闇夜に血のような紋様を輝かせているではないか。


暫し、我を忘れて刀を見ていたが唾を飲んだ音で我に返る。そして、其処で目の前の惨状に頭が回る。

薄闇に佇む仮面の男の足元には、確かに人の様なものが転がっているではないか。地面を血に濡らし倒れている。


恐らく、此処で殺し合いが行われていたのだと綾は理解する。

初めに聞いた金属音は刀の打ち合う音だったのだ。

となると、事故原因は刀による殺し合いになるのだろうか。綾はそう思うが如何にも腑に落ちない。何故ならば事後現場の惨状が唯の刀傷とはかけ離れているからだ。

けれど、と綾は思考を一旦打ち切る。もとより自分の役目は事件の解決ではなく、原因調査。確かに此処で行われていたことは事実である。報酬さえ貰えれば、事故の審議は関係ないのだ。


後はこの場を離れて、朝辺りにでも依頼元へこの事を話せば其れで終わり。随分と簡単な仕事だと、そう思って、


「————ッ!」


ジロリ、と仮面が此方を向くのが分かった。


気付かれた。綾の鼓動が急激に加速する。知らず気が抜けていたのか、闇の中にいて安心していたのかは分からないが仮面の男は確かに此方を見ている。


綾は一瞬縫い付けられた様にその場から動けなくなった。

顔は見えないが、あの仮面の奥底に何か得体の知れない物が潜んでいると滲み出る気配から予感する。


じり、と砂礫の擦れる音がした。仮面の男が動いたのだ。


瞬間、束縛が解けた。


綾はなりふり構わず駆け出した。もう見つかっているのだから今更隠れてやり過ごすことは出来ないと、立てる音など気に留める余裕も無く全力で駆け出した。


闇に包まれた建物の中を駆ける。綾と仮面の男との距離は目測で二十七歩以上はあった。全力で振り切ればあの男が綾に追いつける距離ではない。


しかし、今走っている場所は建設途中の建物の中。それも視界の悪い闇の中だ。最大限の速度で走っているも、基礎や鉄筋に脚を取られないように気を付ける分速度が落ちる。


それでも綾は驚異的な速さで駆けていた。前方、月明かりに照らされた道路が見える。もう少しで、道路に出られる。そうすれば全力で走ることが出来る。道路まで抜け出たのなら後は容易に逃走出来よう。幸い、まだ仮面の男は綾に追い付いていない。

背後を確認する余裕は無いが、追い掛けてくる足音が無い事から彼我の距離は、 。

何かが可笑しい。綾の思考が急激に冷めていく。一度も振り返っていないから仮面の男が何処にいるかは分からないが、足音が聞こえていないのなら、追い掛けて来ていないのだろうか?

違う、綾は即座に否定する。そんな筈はない。確かに気配で伝わって来たのだ。仮面の男からの殺気を感じなければ、弾かれるように駆け出したりはしなかった。

であれば、何故追ってくる音がしないのか。綾の頭の中に疑問が浮かぶ。

ならば、背後を振り返って確認すればいい。道路まではあと少し、まだ追い付かれてはいない。だから少し後ろを向いて確認すればいい。それくらいする余裕はある筈だ。確認してまだ遠くにいると安心すればいい。それだけで胸の中に上がってくる不安は解消される。 一瞬だ。一瞬振り返って、仮面の男を確認したら直ぐさま道路まで駆けて、逃げれば良い。綾は湧き上がる嫌な想像を振り切るように背後へと振り返った。


其処には何もいなかった。仮面の男はいない。綾は胸を撫で下ろす。胸中にせり上がってきた不安は霧消した。仮面の男が自分のすぐ側まで迫ってきているのではという嫌な想像が自分の恐怖が生み出した妄想だと知って安堵し、前へと向き直り、

ゾッと、綾は全身の毛が逆立ち、身体の芯まで凍える感覚がした。


振り返った綾の眼前には刀を振り被る白い髑髏が笑っていた。


「ハハハ、」


仮面の内から愉しげな声が聞こえてくる。まるで死神。


なんで、綾の頭の中が疑問で埋め尽くされる。足音は聞こえなかったのに。足音、と其処で一つの可能性に思い至った。

其れは自分でも行っていた事。単純に音を立てずに此処まで走って追いかけて来たという可能性。あり得ない、全力で走る人間に音も立てずに走って追い付くなど出来るのか。

しかし、それ以外考えられない。目の前の仮面の男はそれを行ったからこうして目の前で刀を振るいこの瞬間に首を薙ごうとしている。

まずい、と思った瞬間には既に身体は動いていた。横に薙ぐ軌道を死ぬ気で後ろに身体を逸らして辛くも回避する。

そして直ぐさま、後退して刀に手を掛ける。

息が苦しい。呼吸すら忘れている事に綾は気が付かない。

目の前の仮面の男が、音も立てずに全力で走る自分に追い付いて来たという事実。得体の知れない仮面の男が余計に不気味に見えてくる。闇の中で浮かび上がる白い面が髑髏の様に笑っている。


—–——此奴は何者だ。


綾は腰に下げる刀を抜くタイミングを計るが、あの面に見つめられると、そんな猶予すら無いと感じてしまう。


相手は既に刀を抜いている。今から斬り合いになるのは明白だが、この距離で納刀状態の自分と抜刀してある相手では、明らかに自分が不利だと確信する。

しかし、そんな常識さえ今の綾にとっては如何でもよかった。仮にそんな状態であろうとも、綾は冷静に相手の隙を伺い、呼吸を捉え、僅かな意識の間隙を突いて不利な状況を打破できたであろう。綾には並みの相手なら気押されずに相対出来るだけの経験はあった。

だが、目の前の男からはそういった人間らしい弱点が全くもって感じられなかった。

其れが益々不気味だった。


綾は冷静を務めようにも、速まる鼓動を抑えられない。

何故この男と会ってしまったのか。まるで災厄だ。出会ったら最後、人が太刀打ち出来るものではない。

綾は自分の愚かさを恨んだが、今更後悔して遅い。

地獄の底、自ら降りてしまった綾は唯目の前にいる仮面の男から如何に逃げるか考える他はなかった。















頑張ります。

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