第四話 二人をつなぐキズナ
「あれ? どうしたの、サキ。もう病院行かないと」
生徒会室の扉を開けると、ルミは一人で作業をしていた。西側に向いた窓からは夕陽が差し込んでいる。そのせいで、部屋中の壁は燃えるような橙色に染まっていた。
「その書類の確認は、生徒会長の仕事でしょ。私がやるよ」
「!?……じゃあ」
「思い出したよ、全部。私が流しそうめん企画したことも、男子の頭に墨汁かけたことも、それからルミの名前が瑠美瑛流だってことも」
ルミはその目に驚きを浮かべた後、少し名残惜しそうに私を見つめた。
「そっか。記憶が戻ってよかった」
そう、あの下駄箱に書かれていた彼女の本名は、高木瑠美瑛流。ルミエールはフランス語で光を意味する言葉だ。悪い意味ではない。でも日本人としては珍しい名前だ。まして彼女はハーフでもクオーターでもない。そういう子はいじめの対象となるのがこの国の悪しき慣習であり、ルミも中学に入学した当初はそうだった。
私はマスクを外しながら、空いている席に座った。
「このばってんマスク、一年の頃に私がルミをいじめてた男子に無理やり付けさせてたやつだよね。『ルミをいじめる奴はもう喋るな』って言ってさ」
「それを真似してみたんだ。思い出すかなって思って」
そう、私は何も考えずに奇行に走っていたわけではなかった。全てはルミをいじめから守るため、私が率先して目立とうとした結果だった。男子を墨汁まみれにさせたのも、ルミの名前の横にカタカナで「ルミエール」と落書きしていたからだし、「愛しのルミエール」を替え歌したのも、その歌のことでルミが傷つかないようにしたかったからだ。ルミを生徒会に誘ったのだって、いじめられていて部活には籍を置いているだけだったルミに友達ができるようにと考えた末の行動である。
もちろん、ルミのために変なことをしているなんて誰にも言ったことはない。でも掃除の時間の一件を考えると、それが私の道化であることに気付いている人は多いのかもしれない。
考えてみれば、いつも楽しそうに道化を繰り返すというのは簡単なことではない。慣れればなんとかなるが、すっかり記憶をなくしてしまうと、授業に指名されたりした時にいつも通りにはできなくなってしまう。その努力を見ていた人物であれば、ずっと前から私の真意に気づいている可能性は高い。でもそれはあくまでも不確かな推測でしかない。
失敗をしても楽しそうに挑戦し続ける道化師に、ルミは何を感じていただろうか。笑顔の下に隠していた素顔を見せてしまって、ルミを傷つけてしまっただろうか。
「私ね、気付いてたよ」
ルミはそう言うと、微笑みを私へ向けた。
「いつも私の代わりに目立とうとしてくれてたんだって。私、小学校ではずっといじめられてたから、中学生になったらいじめられなくなるかな、なんて淡い期待を持ってたんだ。でも中学って結局、周りの小学校から人が集まってきただけだから、いじめられるのに変わりはなかった。正直、もう学校行きたくないなって思ったこともあったんだ。でもそんな時にサキが助けてくれた。友だちになってくれた。庇ってくれた。だからね、サキが記憶喪失になったって聞いて、初めは驚いたけど、今度は私がお世話してあげる番なんだって思ったんだ。今までお世話になった分を取り返せたとは思えないけど、でも私、本当に感謝してるんだ。
ありがとう、サキ」
夕陽に照らされたルミの頬には、光るものが一筋あった。
「そんな、むしろ私の方こそ、バレないように手伝ってもらって嬉しかったよ。本当にありがとう」
いつの間にか、私の眼にも涙が溜まってきていた。
それがなんだか恥ずかしくって、可笑しくって、二人で笑ってしまった。
「さてと。それじゃあ、ちゃっちゃとお仕事片付けますか?」
「私も手伝うよ」
「いいの、いいの。この生徒会長にどーんと任せなさい!」
早速、私は書類の山を一束手元に寄せた。
「じゃあお言葉に甘えて。……ねぇ、甘えるついでにサキに一つお願いしてもいい?」
「いいよ。なんでも聞いてあげる」
「これからは、二人だけの時にはそのままのサキでいてほしいな」
私の答えは、もう決まっていた。
「もちろん」
※本作品はフィクションであり、実在する人物などとは一切関係ありません。