第二話 降りかかるワザワイ
ルミの案内で教室へ戻ると、私は即座に同級生たちに囲まれることになった。
「サッキー、戻ってきて大丈夫なの?」
「たんこぶになってない?」
保健室に運ばれた私を、皆は心配してくれていたのだ。私は幸せ者だなと思うと同時に、全員の顔を覚えていないことに後ろめたさを感じた。感謝すべきなのか、謝るべきなのか、私は言葉に詰まってしまった。しかし隣のルミが私のマスクを指差すと、みんなはくすっと笑って「サッキーらしいね」と口々に言いながら自分の席へと帰ってしまった。ばってんマスク恐るべし。というかこれで納得されるなんて、私ってマジで何者?
五時間目の授業は数学だった。
「そういえば授業の内容は覚えてるの?」
ルミの質問はもっともだ。先生に指名された時に答えられなかったら怪しまれるかもしれない。私は恐る恐るノートを開いて確認してみた、のだが。
「ううん、覚えてないみたい」
「そっか。んじゃ大丈夫だね」
え?
「だってサキは、いっつも一夜漬けでテスト乗り切ってたから」
「それならそうと先に言ってよ! 不安になっちゃったじゃん!」
「不安になるくらいなら、普段から勉強して下さい」
「返す言葉もない……」
「ま、もしバレそうになったら私が保健室へと連れ出すふりをしてあげるさ。心配しないで」
ルミのその言葉に、私はすっかり安心したらしい。退屈な授業を右から左へ聞き流しているうちに、徐々にまぶたが重くなり、そして惰眠の世界へと没入していった。いや、決して普段から居眠りをしているというわけではない。記憶はないけれど。
気付くと私は、こぢんまりした劇場の観客席に座っていた。他に観客はいないようだ。
すぐに舞台の幕が上がった。一人の道化師が、一輪車に乗って舞台の中央で静止していた。その顔には見覚えがある。保健室で見た、あの不気味な笑顔の道化師だ。
そして両方の舞台袖からも一人ずつ道化師が出てきた。彼らも同じ顔をしていた。彼らは二本の長いロープを互いに持って、ロープを回転させ始めた。大縄跳びだ。そこに一輪車の道化師が果敢に飛び込んだ。一回、二回とタイミング良く跳ねる。思わず私も拍手しそうになったが、その瞬間、道化師は三回目のジャンプに失敗した。縄に引っかかった一輪車が飛んでいき、跳んでいた道化師は頭から床に激突した。その身体はピクリとも動かない。縄を回していた二人の道化師は、それを笑顔で引きずって、陽気に手を振りながら舞台袖へと消えていった。
その失敗劇は延々と続いた。火の輪くぐりをしようとして火ダルマになり、空中ブランコから華麗に落下した。そのたびに仲間の道化師がその動かない身体を引きずって退場する。そしてまた、何事もなかったかのように笑顔の道化師が舞台に登場するのである。
それを私は、息を呑んでただただ見守っていた。何度失敗しても再び楽しそうに現れる道化師の姿に、私は鬼気迫るものを感じていたのである。きっとあの道化師も失敗をしたいわけではないのだろう。それでも曲技に挑戦するのは一体なぜなのか。失敗しているのに、どうしてあんなに楽しそうなのか。このままじっと見ていたらその理由が分かるような、そんな気がした。
「おい、浅倉! 寝てるんじゃない!」
近くで発せられた大きな声で目が覚める。机から上半身を起こしてみれば、私の右脇の通路に教師が立っていた。戸部という名前だと、授業前にルミから聞いていた。
「ちゃんと授業を聞け。生徒会長だろうが。ほら、復習だ。1から10のうち、素数を全部言ってみろ……ってなんだそのマスクは?」
「浅倉さんは今、喋れないそうです」
すかさずルミがフォローしてくれた。これなら答えなくてもよさそうだ。ナイス!
「じゃ、黒板に書いてみろ。それくらいできるだろ」
……ですよね。なんとなく分かってました。
立ち上がり黒板へと向かう。チョークを手にとり、黒板に相対した。「そすう」なんて当然知らないが、どうせ1から10のどれかを書けばいいんだろう。間違っても笑われるだけだから、変には思われないはずだ。
……いや、私の場合、変に思われないとまずいのか? でもどうボケろと? 珍回答なんてそうそう出せるもんじゃないって。無理無理、ゼッタイ無理。ええい、もうどうにでもなれ!!
私はありったけの力を振り絞って、黒板の上でチョークを走らせた。とめはねに気を付け字体のバランスを取ることで、私は傑作を生み出した。黒板に書かれた文字、それは「そすう」の三文字である。これでどうだ!
私は「先生、できました!」と言わんばかりに手を挙げた。
「あーはいはい、いつものボケはいいから。ちゃんと書いて」
こ、これが日常茶飯事だとでも言うのかっ!!
仕方ない。もう適当に書こう。私は「そすう」の下に、1と5と10の三つの数字を書いた。
恐る恐る手を挙げて、戸部先生の顔を伺う。
「……!?」
あれ?戸部先生が驚いている。え、何?もしかして適当に書いたこれが正解だったとか?
「これは……どういうボケだ?」
そっちかー。もう私、涙目ですよ。
「あの、浅倉さんは普通に書いたんじゃないですか?……」
ルミが遠慮がちに進言する。
「何? どうした、浅倉。体調悪いのか? いつもみたいに、もっとふざけてもいいんだぞ?」
しかも心配されてるー!!
「もういいから、席に戻りなさい」
お言葉に甘えて、私は自分の席へ帰った。
「いいか。1から10のうち、素数は2、3、5、7の四つだ。素数は1とそれ自身以外の数字では割れない数字で、1ではない数字のことだ。つまりは一人ぼっちの数字だな。この素数の概念はこれから何度も使うから、ちゃんと覚えておくように」
そんな解説も頭に入らないくらい、私の心はもうボロボロだった。こんな生活が続こうものなら、何度も心が折れて、終いには折る場所が無くなってしまうんじゃなかろうか。かつての私よ、わざわざこんなことをしなくてもいいだろうに。
※本作品はフィクションであり、実在する人物などとは一切関係ありません。




