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第一話 失われたキヲク

 気が付くと、私はベッドの上で寝ていた。一体ここはどこだろう?

 起き上がって辺りを見回すが、ベッドの周りは白いカーテンで囲まれている。病室か保健室だろうか。そこで自分が体操服を着ていることに気付いた。きっと体育の時間に倒れたのだ。

 そこまで考えてみるが、ここで寝ている理由はどうにも思い出せなかった。まだ寝ぼけているのだろうか。そこで体操服の名札に目が留まった。

「浅倉 早紀」

 アサクラ・サキ。頭の中で復唱する。念のためもう一度復唱してから、私は一つの結論を下した。

 ……これ、誰の名前?


 途端に、嫌な予感が走る。私は、カーテンの向こうに何かの気配を感じた。駄目だ、見てはいけない。そう思っても、視線を向けざるを得なかった。

 目の前のカーテンの隙間から、道化師の顔がこちらを覗いていた。宙に浮いた顔には、気味の悪い笑顔が描かれている。ニタリと笑ったその顔は、私に記憶が無いことを見透かしているかのようだった。恐怖のあまり、声も出ない。早くどっかに行ってしまえと、心の中で祈るしかなかった。


 その時、カーテンの向こうで引き扉の開く音がした。道化師の気配は、あっという間に消え去った。

「香取先生、サキの様子どうですか?」

「あぁ、ルミちゃん。どうかな、まだ寝ているかも」

 そう言いながら、香取先生と呼ばれた人は椅子から立ち上がったようだった。二人分の足音が近づいてきて、カーテンが開く。

「お、眠り姫のお目覚めだ」

 初めに目に入ったのは、白衣の女性だった。この人が香取先生だろう。

「サキ、大丈夫? バレーボールのネットの支柱にぶつかったって聞いたけど」

 学生服姿の女の子が私に尋ねる。やはり覚えていない顔だ。どうやら本物の記憶喪失らしい。

 だがどうすべきだろうか。ここで記憶喪失だと教えてしまってもいいのだが、さっきの道化師の顔が頭から離れない。本当にこの人たちを信用していいものかも分からない。ここはひとまず、自分ができる範囲で状況を調べてみよう。記憶喪失だと明かすのは、後からでもできる。どうしようもなくなったら、誰かに頼ればいい。

「うん、なんとか大丈夫」

 不審がられないように、精一杯の笑顔で答えてみる。これならまず怪しまれることはない……はずだった。

 しかし様子がおかしい。二人は顔を見合わせて、首を傾げている。そして決心したように香取先生が頷くと、ベッドに身を乗り出して私の手を取った。

「ああ、姫様! 私めの不注意でこのようなお怪我をさせてしまったこと、誠に申し訳ございません。どうか私めに罰をお与え下さいまし!」

 ……何言ってんだ、この人。

 その演技臭い茶番に、私は口を開けたままポカンとしてしまった。長い沈黙が流れる。この空気は、断じて私のせいではないはずだ。

「……そ、そうですか」

 引き気味の私を見て、二人は驚愕の表情を浮かべた。

「ウソだ! こんなノリの悪いサキなんてサキじゃない!」

「マジでスルーされるんだったら、こんなイタイこと言うんじゃなかった!」

 ねぇ、私って何者だったのさ?


 こうなっては隠していても仕方がない。私は記憶が無いことを素直に伝えた。ただし道化師の件は伏せることにした。さすがにそんなことまで言うと、記憶喪失という話まで嘘っぽくなってしまう。

 幸か不幸か、二人はそのことを全く素直に信じてくれた。過去の私に感謝すべきなのかもしれない。

「そういうことなら話は早い。病院に行くよ。私の車に乗りな」

「いや、平気ですよ。もしかしたら、すぐに記憶が戻るかもしれないし」

「おいおい、頭打ってるんだよ? 念の為に検査だけでもしないと」

 それは確かにその通りだ。だが、私の脳裏には道化師の不気味な笑顔が焼き付いていた。道化師は、私が記憶喪失にさせた張本人なのだろうか。あるいは、私の記憶が戻ると不都合な人物なのか。いずれにせよ、それを確かめるのが先であるように思われた。

「でも教室とか見たら、何か思い出すかもしれませんし」

「ダメです。教師として許すわけないでしょう」

 そこでルミが口を開いた。

「じゃあこういうのはどうです? 今日の放課後まで待って、それで記憶が戻らなかったら病院に行くってのは?」

「うーん、まぁ、そのくらいなら。でもくれぐれも無理はしないように。分かった?」

「はーい、先生」


 そして私にはもう一つ、道化師のことよりも気になることがあった。

「ところで、以前の私ってどんな感じだったんですか?」

「うーん、そうだな。一言で言うと、変人生徒会長?」

「生徒会長だったんですか? でもどうして変人なんです?」

「本人にそう言われても困るんだけど、例えば階段で流しそうめん大会したり」

「予算をごねる卓球部と勝負して、スリッパ卓球で卓球部を圧倒したり」

「文化祭の演劇部の劇に、急遽主演の代役として出演したり」

「焼き芋探し大会と称して、グラウンドを落ち葉で埋め尽くしたり」

 なんとまあ、随分と目立つことをしていらっしゃる。

「……もういいです。大体把握しました」

 俯き加減の私の顔を、香取先生が覗き込んだ。

「ふふーん?」

 教師にあるまじき悪い顔だ。

「何なんですか?」

「やっぱり恥ずかしいんだ」

「当たり前です!」


 そこでチャイムが鳴った。

「あれ? もう授業ですか?」

「これは予鈴。あと五分で午後の授業が始まるよ。行くなら、さっさと行きな」

「はーい」

 ベッドから降りて、私はルミと一緒に保健室を出ようとした。だが私はそこで重要な懸案事項に気付いた。

「あ! 記憶喪失がみんなにバレたらどうしよう」

「私ができる限りはフォローするけど……」

 そこでルミは何か思いついたようだった。

「そうだ、私に任せて! 香取先生、マスクもらいます」

 使い捨てマスクを用意したルミは、赤いマジックペンを手に取った。次に太い方の芯でマスクにデカデカとバツ印を書く。

「よし。これで話をしなくても済むでしょ?」

「いや、済まないでしょ。普通に怒られるって」

「そうかな~? サキなら許されると思うけど」

 ルミは香取先生と視線を合わせてニヤニヤしている。

「さすがはルミちゃん、いつも一緒にいるだけのことはある」

「いや~、それほどでも」

 さりげなく私を貶してますよね、お二方?


※本作品はフィクションであり、実在する人物などとは一切関係ありません。

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