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アイデンティファイ

作者: 霧道 歩

 事故にあった記憶はない。すっぽり抜け落ちている。あるいは最初からそんな記憶など無かったのか。


 私はトラックに撥ねられたらしい。そして生死を文字通りさ迷い、奇跡的に、本当に天文学的な確率で生還したらしい。さっきから「らしい」とあやふやなのは、ただ実感が私には無いからだ。そんな死の淵に立っていたなんて、それ以前に事故にあったことすら実感できていない。だがもしかしたら案外こんなものなのかもしれない。死ぬ時の感情なんて物は。

実感もできないくらい大きなモノなのか、あるいは実感できないくらい些細なモノなのか・・・・・・どちらでも良いわけだが、実感しようとしまいとどうやら私が死に掛けて生還したのは事実らしい(やはり実感はできないが。)

 私はそして、ある事実を知った。

 私は心臓移植を受けたらしい。これも相変らず実感がわかないが・・・・・・私の心臓は使い物にならなくなったため、他の方の心臓を頂いたという事だ。もちろん何処のどなたの心臓かは解らない・・・・・・が、いくら実感が無いとはいえこれも事実であり、そして私も実感がないとは言え感謝しないわけにはいかない。私はどこの誰か解らないその人に感謝の念を送った。果たしてこの念は届いたのかどうかは、これもまた・・・・・・どちらでもいい。




 「変わったね」と他人に言われ始めたのはいつからだったろうか。事故からまだ1年も経っていないはずだ。

 私は変わっている・・・・・・これは妙に実感してしまっていた。私はベジタリアンだったのだが、肉料理を好むようになっていた。音楽ももっぱらクラシックだったが、ロックなんて野蛮な物を耳に入れ始めた。こんな変わりよう実感しない方が難しい。そう、実感しない方が難しい。だがいつから変わり始めたのかが自分ではよく解らなかった。つい最近のような気もするし・・・・・病院を退院したあの日からだったような気もする。

 変わったことは他にもあった。これは変化というより劣化と言った方が良いような・・・・・・そんな物だ。記憶の抜け落ちが酷くなっていた。ようは物忘れではあるが、そんな生易しいものではない。記憶の空白・・・・・・その間隔は日を追うごとに短くなっていた。最近では1日に5回、酷い時は2時間以上の記憶の空白が出来る事もある。私はこのことで病院にかかったこともあったが一種の精神病だろうと診断され、自宅休養をしたのだがそれでも回復はしなかった。むしろ劣化はその速度を衰えさせる事なく進んでいった。

 遂には1週間のうち毎週金曜日の記憶が完全に無くなる・・・・・・いや、それはもう最初から金曜日の記憶など存在しないと言うくらいの勢いで、金曜日の記憶がなかった。何をしたか、何を食べたか、誰と会ったか、誰とも会っていないのか、何も解らなかった。




 ある日私は鏡を覗いた。そこにはまったくの別人が映っていた。誰だ。何故?私?を映しているはずの鏡にまったく知らない別人が居る?・・・・・・いや、私はこの人物を知っている。そう・・・・・・確か私と同じ時期に死亡した同僚の男だ。確かトラック事故で死んだと聞いた。・・・・・・そう、私はこの男を知っている。?誰よりも良く知っている?

私は口を開いた。

?やぁ、俺?

聞き覚えの無い悪寒の走るようなその声に、私の脳はぐらついた。激しく心臓は脈打ち、私は・・・・・・

 倒れたらしい。また記憶がなくなっていた。だがそれは1時間の空白ではなくほんの数十秒の空白であろう。そしてこれからは二度と記憶が飛ぶことは無くなる。

心臓は脳を完全に支配した。第2の脳は完璧に自我を形成した。

ふらりと立ち上がり再び・・・・・・鏡を見た。

 俺はニヤリと俺に笑い、そして手を振った。

 俺も俺にニヤリと笑い、そして手を振った。

?サヨウナラ、コンニチワ?


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― 新着の感想 ―
[良い点] 面白かったです。 [気になる点] 主人公の自我が常にフワフワしてる~ [一言] 素敵な小説をありがとう。
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