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向上の法則


「……」

「……」


 真っ直ぐに注がれている視線が痛い。非常に痛い。

 むしろ怨念すら感じる勢いで、非常に気分が悪いんですが。

 私は一つため息を吐くと、仕方無く……ほんっとーーに仕方が無く、チラリとそちらに視線を遣った。

 瞬間、ぱちりとかち合う視線。


「……伊崎さん、なに?」


 時は、麗らかな平日の午後。

 私は今、綺麗めなひざ丈のワンピースに白のジャケット、同じく白のハイヒールパンプスという出で立ちで受付カウンターに座っている。

 今日の私のシフトは、都内某所の展示会場での営業・販売だった。

 会場はそれなりに広く、人通りが多い道沿いのビル内に入っているということもあって、客入りは比較的良い。

 私たち販売員は順番にカウンターに座り、 やってきたお客さんの受付記入を促した後、会場に入ったそのお客さんの接客を行っている。

 つまり、現在私は待機状態なのだ。

 隣は運悪く――とか言っちゃダメか、とにかくあまり馬の合わない新人である後輩・伊崎だった。

 お客さんが来るまで手持無沙汰だというのはわかるが、だからと言って先輩をガン見するのはどうなのだろう。

 もう伊崎に関してはジェネレーションギャップを飛び越えて、文化が違うから理解出来ない。

 もはやカルチャーショックのレベルだ。


「……いえ、別に何でも無いです」


 ……いやいや、マジでか。

 それだけ人をガン見しておいて、「別に」なんてよく言えたものだ。

 というか聞くまでも無く、本当はわかっているんだけどね。

 彼女が見ていたのは、確実に私のピアスだと思う。

 数日前、年に数回の大奮発をして購入した、ブランドのロゴが付いたピアス。

 新作があまりにも可愛いから、思い切って買ってみたのだ。


 ここに来るまで忘れてたけど、伊崎も確かこのブランド好きなんだよね。

 新人の中では、このブランドイコール伊崎みたいなイメージ付けがされているとかいないとか……。

 私は別に固定のブランドファンでは無いから、服にしてもアクセサリーにしても小物にしても、いくつかあるお気に入りブランドの中から、納得したものを買って長く使うタイプだ。

 だから伊崎のように、Aイコール私、みたいなイメージ付けをするために、こまめに新作をチェックする事も無いわけで……だからこそ、今回のような事態も起きてしまった。

 そう、NGだったのはこのピアスが、「新作」だったということなのだと思う。

 きっと、私に先を越されたのが許せないのだろう。

 

「……」


 伊崎はそれはそれは、不機嫌丸出しだった。

 付け睫毛通常装備な瞳は伏せられたまま、艶やかに光るピンク色の唇は微妙に尖らせられている。

 いやいや、ここカウンターだからね。

 どんだけ嫌な顔してんだよ、たかがピアスくらいで……。

 呆れて溜息を吐いた瞬間、目前の自動ドアが開いた。

 現れたお客さんに、即座に作った営業スマイルで「いらっしゃいませ」と声を掛ける。

 伊崎もいつも通りの猫被り声を出したけれど、微妙にローテンションなのが隠しきれていない。

 必要事項を記入しているお客さんを値踏みするように見つめている伊崎を横目に見ながら、私はつくづくこの女が苦手だと思った。

 お客さんも男も、自分の好みで態度をコロリと変えるタフな女……まぁ上手く転べば、営業向きとも言えるのかもしれないけれど。

 お客さんにパンフレットと会場案内図を渡し、私たちは一度その背を見送る。

 その後10秒程の間を置いてから、伊崎は何も言わずに、カツカツとヒールを鳴らしながらお客さんの後を追っていった。


「……はぁぁ」


 私は大きな溜息を吐きながらカウンター裏に顔を出し、「次の人どうぞー」と待機していた同僚たちに声を掛ける。

 そしてさっきまで伊崎が座っていた場所には私が、私が座っていた場所には同期の恵子が座った。


「どうしたの、亜希。何か疲れてる?」

「伊崎にガンつけれられた」

「あははっ! 何それ」


 相変わらず私にとっての厄介事を、まるで面白いネタとばかりに大ウケする恵子。

 私はカウンターの下で恵子を小突きながら、さっきの事を掻い摘んで話した。


「あぁ、なるほどねー」

「マジ面倒臭い。伊崎って、女の先輩怖いとか思わないのかな」

「むしろ虐められたら、喜んで男に泣き付くんじゃない? 私が悪いんですぅーとか言ってさ」

「うわ、超想像つくんだけど。恵子台詞のチョイス上手過ぎ!」

「伊崎の手練手管程度なら、お見通しですから」

「さすが……」


 恵子に苦笑して肩を竦めれば、相変わらず隙の無い完璧なメイクをほどこした恵子も、ふわりと微笑む。

 今日の口紅は、少しベージュがかったピンクだ。

 ゴールド系のラメが綺麗なアイシャドウや、シックなシャンパンカラーのドレスワンピースともよく合っている。

 年中コーディネート関係無く、男ウケの良さそうなピンクグロスを定番としている伊崎とは格が違う――って、悪口はダメだよね。

 あぁ私ってば、大人気無い……。


「ていうか思ったんだけどさ」

「んー?」

「多分それ、新作だからって理由だけじゃないよ、きっと」


 目の前にあるパンフレットの角を、ツヤツヤしたジェルネイルで弾きながら、恵子は口端を上げた。

 私はパイプ椅子に凭れながら、どういうことかと首を傾げる。


「それ、確かこのくらいするでしょ?」

「え? あ、うん。まぁ」


 さすがは、オシャレな恵子だ。

 目の前で立てられた指の数は、後ろにゼロを4つ付ければ、ピアスの金額とほぼぴったり合っている。


「亜希さ、つい最近バッグも買ったじゃん」

「やだ、よく知ってるね」

「私が見逃すと思う?」


 くすりと笑いながら、恵子は肩を竦めた。

 私はいまだ疑問が解けなくて、「それで?」と先を促す。


「伊崎は新人だし、亜希に比べたら月々の給料も貯金も無いわけでしょ」

「え……」

「だからこの時期に、バッグと新作ピアスを両方買えちゃう亜希が妬ましかったんだよ。ほら、今月出張も多かったし、新人は多分あんまりお金使えなかっただろうから」

「あぁ、なるほど」

「しかも同じブランドでも、伊崎と違って亜希はクールに使いこなしてるし? あのブランドイコール、可愛いわ・た・しっていうイメージが崩される気がして、伊崎は脅えてんのよ」

「へぇ……」


 恵子の裏読みは、本当に凄いと思う。

 私そこまで全然気が回らなかったよ……。

 恵子が自分の味方側で、本当に良かったとしみじみ思ってしまった。


「そんなこと言ったって、実際私の方が稼いでるんだからしょうがないじゃんね」

「まーねー。でもそこで割り切れないのが、女ってもんなんじゃない?」

「そういうもの?」

「そういうもの。伊崎、圭介くんのこともお気に入りだしね」

「あー……それ聞いたことある」

「あははっ、亜希顔! すごい嫌な顔してるから!」


 不意に出された彼氏の名前に、私は思わず顔をしかめる。

 そうなのだ。社内でイケメンと呼ばれる類の男は他にもパラパラ存在するのに、よりによって伊崎は圭介がお気に入りらしく……何人もの男からアプローチを受け、それを拒むこと無く受け入れているにも関わらず、隙あらば圭介にも媚びているらしい。

 しかも圭介は圭介で、私が苛立つのが面白いとかいうフザけた理由で、適当に伊崎をちやほやするし。

 そのくせデートには絶対応じないし、プライベートなメールにもほとんど構わないから、伊崎はますます私にその苛立ちをぶつけてくる。

 逆恨みも良いところだし、一応私は先輩だというのに……酷い話だ。

 うんざりしながら今日何度目かの溜息を吐いたところで、再び自動ドアが開いた。

 恵子と私はにこやかに「いらっしゃいませ」と声をそろえ、さっきのようにお客さんに必要事項の記入を促す。

 そしてお客さんが会場内に入っていくと、私も席を立ち、恵子にひらひらと手を振った。


「じゃ、行ってくるね」

「はいはーい、頑張って!」


 だだっ広い会場内に入れば、既に接客をしている販売員が、4組程それぞれ離れた場所でモーションを掛けている。

 チラリと視界に入った伊崎はいまだ不機嫌そうな表情を浮かべたまま、お客さんから目を離していた。

 いやいや、お客さんの興味のリサーチもせずに自分の爪眺めてるとか。

 あーいうオジサンに限って、趣味が合えば簡単にぽーんと大金出して一括購入とかしてくれるのにね。

 相手がイケメンの場合は、見込みの無さそうな通りすがりでも愛想振りまくくせに……。


 私は伊崎から視線を逸らし、自分がついたお客さんを見つめた。

 清楚な格好に、つるんとした天使の輪が見える黒髪の女性は、食い入るように絵を見ている。

 花が咲き乱れた橋の絵を、余すところなく……近くで見たり、離れて見たり。

 あぁ、きっとこの人は、本当にアートが好きな人だ。

 私は新たな良い顧客さんとの出逢いの予感に、胸を高鳴らせる。

 接客業である故、プライベートでは関わり合うことが無いであろう人と知り合えるのも、この仕事の楽しみの一つだ。

 しかも趣味を共有出来るとあれば……こんなに素敵な事は無い。


「……綺麗な絵ですよね」

「え」

「舞台は、フランスの静かな田舎街だそうですよ」

「そうなんですか……」

「はい。もしかして、お花がお好きですか?」


 そう問い掛けると、清楚な彼女は一瞬目を見開いた後、にこりと微笑んで頷いた。

 ……うん、好感触。上手く行けば購入、悪くても今後DMを送らせてもらえるくらいの関係にはなれそう。

 穏やかな彼女の空気を邪魔しない程度に、私はぽつりぽつりと作品の説明し、彼女との会話の中からニーズを探る。

 数分後には、私の軽い冗談に声を上げて笑ってくれるまでに彼女の警戒心は緩んだ。

 彼女が気になっているという作家の名前を聞き出すことができ、私はバックヤードに眠っている彼女に合いそうな作品を取りに行こうと、その場を離れた。

 作品に触る為に白手袋をはめ、会場を出ようとした瞬間。

 悔しそうにこちらを見ている伊崎が、視界の端に入った。

 案の定、伊崎がついていたお客さんは会場から出ていくところで。

 私は一瞬合った目をさっさと逸らしながら、さっさとバックに入った。


 本当に欲しいものを手に入れる為には、自分がすべきことをしっかりとこなさなければならない。

 たとえば本当に良い男が欲しいなら、自分だって良い女の部類に食い込まなければならないし。

 良質な物が欲しいなら、それ相応の額を稼ぐ必要がある。

 つまりは、より良い顧客を求めるのなら……自分の好みとは切り離した客観的な目で、正しくお客さんを見極めるべきなのだ。

 なぁんて、親切に教えてなんてあげないけどね。

 伊崎みたいなタイプは一度壁にぶち当たって、自分で藻掻いて手にした答えしか信じなそうだし。

 欲しいものは、自分で掴めってね。


 私は一人小さく笑うと、奥に置かれていた小ぶりな絵画を箱から取り出した。

 本当に好きな人でない限り、あまり目にも留まらなさそうな……控えめでちょっとマイナーな作品。

 だけど彼女の隣にあれば、きっと輝きを増す気がするんだ。

 この手にある作品が、彼女の「欲しいもの」に変わるかどうかは……そして彼女が私の顧客になるかどうかは、私の力量次第。

 私は思わず笑みを零しながら立ち上がり、足早に会場へと戻っていった。



『向上の法則』

fin.

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