スパイス
「亜希ちゃん、久し振り!」
「わー、優菜も久し振り! もう半年ぶりくらいだよね?!」
懐かしさすら覚えてしまう顔を見付けて、私のテンションは急上昇する。
前方から優雅に歩み寄ってくるのは、高校生以来の大親友である優菜だ。
学生の頃は頻繁に会っていたものの、就職してからは年に2、3回くらいしか会えなくなってしまった。
住んでいる家は近いものの、職場が遠いのだ。
帰り際に「ちょっとご飯食べて行こうよ」っていうのが出来ないとなると、なかなか予定が組めない。
何しろ接客業の私は平日の不定休で、優菜は銀行員だからカレンダー通りの休みだし……
「亜希ちゃん痩せたー?」
「あぁ、やつれたかも」
「えー! 大丈夫? 仕事ハードなんだ?」
苦笑すれば、すぐに眉尻を下げて心配そうな顔を浮かべる優菜。
あぁ、何て癒しなんだろう……!
私が今まで出逢ってきたお嬢様は、大きく分けると「傲慢な程に自信家で勝気なお嬢様」と「箱入りの匂いがする平和主義なほんわかお嬢様」の2種な気がするんだけど、優菜は完全に後者のタイプだった。
そこまでエグイ経験をした事が無い故に、いくつになっても心がまっさらで、他人の辛さを目の当たりにすると自分まで心を痛めてしまうタイプ。
学生の頃はこの子に、何度救われただろう。
別々の大学に進学したにも関わらず、今でもこうして仲が良いのは、互いに無いものを持っているからだ。
優菜はおおらかで優しい、純粋な心を。
私は現実主義で、目標に対しては悲観するするよりもポジティブに前進する力を……。
互いに躓いた時には、それを用いて埋め合うように励ましたり叱ったり出来る仲だった。
「皆に会えるのも、何だか久し振りだね!」
「そうだね」
今日は私たちが仲良くなったキッカケでもある、学生の頃していたバイト仲間の集まりがあるのだ。
メンバーは十数名で、男女混合・年齢もバラついているという不思議な集まり。
いまだに召集が掛かるという時点で、仲は良い方なんだと思う。
だけど――
「あー、でもちょっと気まずいな」
「……亜希ちゃんも?」
「そりゃね。優菜も彼氏よくオッケーしてくれたね?」
「実は……詳しくは話してないんだ。言えなくて」
「うっそ、ホントに?」
何しろ、多感な時期にしていたバイトだ。
若い男女が数集まれば、そりゃ色恋沙汰も多少は勃発する。
そして私も優菜もかつては、その「多少」に巻き込まれた人間だったのだ。
ちなみに私のお相手は年下が多かったのに対し、優菜のお相手は年上が多かった。
「じゃあ優菜はがっちりガードだね。ていうか帰りは一緒に抜けよう」
「うん!」
優菜と密かな同盟を組んで、いざ集合場所の店内へ。
いわゆる居酒屋ダイニングと呼ばれるそこは、比較的オシャレな女性も足を踏み入れやすいオープンな雰囲気が売りらしい。
残念ながら煙草の匂いは避けられないものの、高い天井や花で飾られたテーブルは、かなり好感を持てる空間を作り出していた。
「あ、あのテーブル!」
「本当だ」
優菜が指差したテーブルを見れば、見慣れた顔がちらほら。
私たちが奥へと進んで行くと、ある一人がこちらに気付いて大きく手を振ってきた。
「わー久し振りーっ!」
誰と会っても、やっぱり今日はこの言葉から始まるみたいだ。
私は無意識のうちに「オン」状態になって、愛想笑いを浮かべる。
大きな長テーブルを2つくっつけてセッティングされたその場所にたどり着けば、先に来ていた面々が勝手に私たちの席を指示してきた。
いや、何か優菜と端と端に引き離されたし。
そして心無しか……互いに、周りが身に覚えのある人間で固められてる気がするんですけど……?
「亜希さん、お久しぶりです」
「あ……久し振り、祥くん」
さっそく満面の笑みで声を掛けてきたのは、中でも思い出深い祥くんだった。
ちょっと垂れ目がちな瞳がチャームポイントの、人懐っこい弟タイプの男の子――多分今は、24歳になっている。
ちなみに過去のデート回数は2回。
結局どうしても弟感が拭い去れなくて、告白を受けて早々にごめんなさいをしてしまった相手なんだけど……互いに名前呼びしているところだけは、そのまま残ってしまった。
男は恋愛を引きずる・根に持つと言われているけれど、祥くんに限ってはそれはあてはまらないようだ。
何だか凄い清々しい笑みで、私に話し掛けてくるし。
……まぁ、もう3年以上前の話だからね。
しかも互いに社会人になった今、学生の頃の記憶なんて、綺麗に思い出化していると思う。
「亜希さん、すごい大人の女の人って感じになりましたね! 前から綺麗でしたけど……」
「やめてよ、おだてても何もしないからね?」
笑いながら適当にかわせば、「本当なのになぁ」と漏らしつつ、祥くんはメニュー表を広げて私に差し出してくれる。
「先にいるメンバーで、ドリンク頼んじゃったんですよ。亜希さんはどれにします?」
「えっと……サワーにしようかな」
……いや、何かもの凄いガン見されてる気がするんですが。
何? え、何?
私はオーダーを決めつつ顔を上げ、微妙な笑みを張り付けたまま首を傾げた。
「亜希さん、彼氏いますよね」
「え!?」
「いますよね? だって何かフェロモンが違うし……」
「……」
えーー……久し振りの再会で、いきなり何を言ってるのこの子! 大丈夫?
私は目を見開いたまま、しばし呆気にとられた。
けどすぐに向こうからオーダーを聞かれて、慌てて自分の分を告げる。
「ちょ、何。どうしたの祥くん?」
「はー……わかってたんすよ。学生の頃の恋が再燃して、時を経て理想の恋をゲット的なサクセスストーリーは、所詮ドラマの中だけの話だって……」
「いやいやいや、ホントに大丈夫?」
思わず吹き出しながら、両肘を着いて頭を抱えた祥くんに問い掛けた。
再燃? サクセスストーリー……?
「亜希さんが予想以上に綺麗になってて、俺テンション落ちました」
「ちょっと待って、それ上がるところだよね!?」
「何事も程々じゃなきゃダメですよ。こんだけ綺麗になってたら、今周りにいる男が放っておかないもん」
もん、って。
社会人になっても、祥くんの弟キャラは健在のようだ。
比較的大きな二重瞼の瞳や、自然な焦げ茶色の髪、さらにはチョイスしている服がまだまだ20代前半って感じの空気を醸し出している。
普段やたらと大人びている圭介といる分、やたらと懐かしさや新鮮さを感じた。
……ラブには直結しないけれど。
「亜希さんの彼氏さんって、どんな人っすか?」
「えぇ? 最初からグイグイくるね」
「そりゃそうですよ。初っ端から撃沈されたんです、責任とって下さい」
「知らないし!」
思わず笑いながら答えれば、祥くんもつられて笑い出す。
口で言う程ダメージは受けてないだろうけど、その表情を見る限り、ちょっとがっかりしているのも事実のようだった。
「亜希さんの彼氏目指せば、俺も亜希さんみたいな人と付き合えるってことですもんね」
「どうかな」
「そこはうんっていう所ですよ。で、どんな人なんですか?」
瞳を爛々と輝かせながらそう問われて、私は苦笑する。
純粋といえば純粋だし、可愛いんだけどね。
いきなり久し振りの席で彼氏の話をしろと言われても、結構気まずいものだ。
「年上っすか?」
「ううん、同い年。でも見た目は2、3コ上って言ってもバレなさそう」
「へぇ……どこで出逢ったんですか」
「会社の同僚だよ。同じ営業をしてるの」
「わ、出た社内恋愛! エロイ!」
「……」
全然エロい要素はありませんでしたけど……。
何この学生みたいな反応。
いや、おもしろいけどさ。
「告白したのはどっちだったんです?」
「それ、理想の男性像に関係無いじゃん」
「これは好奇心からですよ!」
「祥くん正直過ぎて、逆にビックリなんだけど」
「いいからいいから!」
何がいいんだ。
何でそんなにわくわくしてるんだ。
私は微妙な気分のまま、尋問に一つ一つ答えていく。
「えっと……どちらからともなく……?」
「何すかそれ!」
「いや、わかるじゃん。これ多分両想いだなみたいな気配って。まぁ最終的には、向こうから正式に切り出してきたけど……」
「うわ出た! 亜希さんやっぱすげぇよ!」
「……」
全然意味がわからないけど、楽しそうで何より。
その後も祥くんは何が楽しいのか、根掘り葉掘り私と圭介の馴れ染めについて質問をしてきた。
まるで、女の子同士でご飯に来てるみたいな気分なんだけど……。
ふと向こう側を見れば私とは逆に、穏やかな大人の男性陣と話を弾ませている優菜が目に映る。
優菜はお兄ちゃんがいて、典型的などこか放っておけない妹タイプなんだよね。
そして私は弟がいるせいか、自然と姉タイプを求める男の子が集まってきやすい。
今気付いたんだけど、その説からすると、圭介はかなりイレギュラーという事になる。
だから長続きしているのかもしれない――結局私は、弟タイプとは上手くいかない事が多かったから。
「え、じゃあ亜希さん今度デートしましょうよ」
「祥くん酔ってるの? 『じゃあ』って繋ぎ方も内容も全部オカシイよ」
「オカシくないですよ! だってちょっと横槍入れたいじゃないですか! くそっ、イケメンめ……あぁ悔しい!」
「……」
ダメだ、アルコールが回ってきて、祥くんはいよいよおかしな事を言い出している。
呆れて思わず口元を緩ませた瞬間、テーブルに置いていた携帯のバイブが鳴った。
ふと視線を落とせば、「圭介」の文字が……。
けど、今頃はまだ仕事中のはずなんだけど。
「……ゴメン、祥くん。ちょっと職場から電話」
「あ、ハイ!」
私は立ち上がり通話ボタンを押すと、店の外に向かって歩き出す。
「もしもし?」
『――あぁ、亜希。休みに悪い』
「ううん、どうしたの?」
『ちょっと聞きたい事があるんだけどさ。昨日の会場の書類で――』
電話内容は本当に仕事の事で、どうやら昨日・今日と出勤だった後輩が、イマイチ現状を正確に把握していたなかったらしい。
その子が出勤だから、私は特別引き継ぎを残してきていなくて。
それで困った事が起きて、私の元へ確認の電話が掛かってきたようだった。
『オッケ、悪いな。ありがと』
「いいえー」
『……で、合コンは楽しんでる?』
不意にトーンが切り替わり、プライベートな質問をされ、私は思わず吹き出した。
「合コンじゃないしね」
『でも男女比同じくらいなんだろ? 傍から見りゃ合コンだって』
「まぁ、周りから見ればね」
『口説かれてねぇ?』
「……うーん」
祥くんの場合は、口説くにはカウント出来なさそうだ。
ここではっきりイエスと言えたら、モテ女みたいでカッコイイんだけど……。
『何だよ、その間は』
「っていうか、圭介の事をめっちゃ聞いてくる男の子はいるよ」
『はぁ?』
「圭介目指すらしいよ」
私がそう告げると、電話の向こう側で圭介は一瞬黙り込む。
不思議に思って「圭介?」と呼び掛けてみれば、やや不機嫌そうなため息が一つ。
『何、俺宣戦布告されてんの?』
「え?」
『堂々と詮索とか、タチ悪ィ……』
まさかの反応に、きょとんとする私。
……いや、実際に祥くんを見ていない状態で話だけ聞いたら、無理も無いか。
『他には何か言ってた?』
「他?」
『お前の事は何て?』
「うーん、予想以上に綺麗になってたって」
『……チッ』
おぉ、何か知らないけど勝手に苛立ってるっぽい。
でも彼女としては、悪い気はしないわけで……。
『いるんだよな、恋人持ちにやたらと燃えるバカって』
「……」
『お前、ちゃんと今日は早めに帰って来いよ? 仕事終わったら電話するから』
「……」
『絶対オールとか無しだからな。そういうヤツって、雰囲気に乗っかって一夜限りとか狙ってくるから』
祥くんが、一夜限りを……ねぇ。
何かちょっと違うけど、まぁいいか。
せっかく圭介が、いつもの2割増しで私を彼女扱いしてくれているのだ。
祥くんには悪いけれど、ここは良いスパイス的に利用させてもらおうと思う。
「うん、分かった。一緒に来てる親友も彼氏持ちだし……一緒に早めに切り上げるよ」
『おう。もし俺の仕事より早く抜けたら、メール入れといて』
「はーい。お疲れ」
自然とニヤける口元をどうにか隠しつつ、私は通話を切った。
……祥くん、なかなか良い仕事するじゃない。
私は右手の薬指に煌めいている、仕事がオフの時は必ずつけているペアリングを一撫でする。
ちょっと恥ずかしいけど……まぁ、いいや。
そう思いながら、その指輪を右から左の薬指に付け変えて。
軽い足取りで、店内へと戻っていった。
『スパイス』
fin.




