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プライベートな諸事情


 今日の私のシフトは展示会場での接客ではなく、事業所での作業だった。

 基本的に営業部の人間は各地の展示会場へと足を運び、営業・販売を行うのだけれど。

 時々こうして事業所勤務のシフトが組まれ、その際には新商品の商品知識を学んだり、今後の予算を組んだり、自分が担当している顧客へのお礼状、ダイレクトメール等を作成したりする。

 つまりは、舞台裏の作業日なのだ。

 お客さんと顔を合わせないで済む分、普段と比べればゆったりとした、穏やかな時間が過ぎていくものの……ずっと紙面ばかり見ているせいで目は疲れてくるし、終始そばにいる上司への気遣いが正直面倒だったりする。

 まぁ新卒じゃないだけ、マシと言えばマシなんだけどね。


 どこの会社の営業部でもそうだと聞くように、ウチも例に漏れず、上下関係は決して緩くはなかった。

 特に一番下の新卒だと資料のコピーしろとか、DMの印刷しろとか、さらにはランチ時にお弁当買ってこいとかエレベーターは確実にボタンを押す役をやれとか、とにかく細かい気遣いが終始求められる。

 中には伊崎のように、タフなまでにぶりっ子キャラを通すような後輩も存在するにはするんだけど……まぁアレは、極めてイレギュラーなパターンだ。

 「接客業は、どんなお客さんにも良い顔しなきゃいけないから大変だ」なんてよく耳にするけれど、私からしたら職場の中の方が大変な気がする。

 お客さんの場合はどんなに厄介だろうと、最終的にはお金が支払われるのだから。

 公私の間の微妙なラインで、「これは指摘すべき? 見逃すべき?」なんて悩むことも無いわけだし。


 なぁんて発想からもわかる通り、私は職場内においての人付き合いがあまり得意ではなかった。

 完全なプライベートなら、もう大人だし合わない人とは付き合わなければいい。

 お客さんなら、明確なラインを引いて割り切った接し方をすれば良い。

 でも、仕事仲間の場合は……「友人」と呼ぶには、責任が伴い過ぎていて。

 だからと言って他人の如く素っ気なくし過ぎても、円滑に物事が進まなくなる。

 まったく、厄介な関係性だ。


 ということで私は今日も、周りからちょっと離れた部屋で一人黙々と作業をしていた。

 まだ気の合う同期とか、慕ってる先輩とかが一緒なら良かったものの、たまたま今日は「仕事仲間」以上でも以下でもない……と認識し合っているであろう連中とシフトが一緒なのだ。

 まぁお陰様で、今まで溜まっていたお礼状やDMを投函まで済ませる事が出来て、すごく有意義な一日だったけど。


「もう20時か……」


 腕時計を見て、最後に持ち帰る予定の資料をコピーしようと立ち上がり、事務室へ向かう。

 途中ランチ時に通り掛かった大部屋を覗いてみれば、もうバッグは一つも残っていなかった。

 そりゃそうか……事務作業の日は、19時くらいまでしか縛りが無いもんね。

 普通は皆で適当に喋りながら作業したりするんだろうし、普段接客で退勤時間がまちまちな分、こんな日くらいは定時に上がるものなのだろう。

「美味しいものでも食べに行こう!」と連れ立って出ていく女性社員の姿が、容易に想像出来る。


 私は資料をコピー機にかけながら、カチカチと携帯を操作した。

 30分前に受信した圭介からのメールには、「20時半には下で待ってる」と書いてある。

 今日は丁度、圭介も近くの会場で仕事をしていたのだ。

 だから帰りに落ち合おうと、昨日約束して。

 この事業所が入っているビルのエントランスで、待ち合わせをしていた。

 ここまで昇って来てもらうより、飲み物飲んだりして寛げるエントラスロビーにいてもらった方が、時間潰し易いだろうしね。


 20枚程の束になった資料をホチキス留めし、さっさと自分の荷物がある部屋へと戻る。

 テーブルに広げてあったファイル等を全部元あった場所に戻し、私物を片付けて。

 カジュアルな出勤スタイルに合わせて持ってきた、大きめのパディントンバッグを肩に掛けた。

 今年のアタマに、ちょっと奮発して買った某ブランドのバッグ――可愛い新色を無視し、シックなブラウンを選んだ私を見て、圭介は「亜希らしいな」って笑ってたっけ。

 そんな思い出のあるこのバッグが、私はお気に入りだ。

 変な所で密かに乙女思考な自分に、苦笑せざるを得ないけれど。


 カーディガンを掴んで部屋を出て、事業所の出口へと向かう。

 そして角を曲がった所で、思い掛けない人と鉢合わせた。


「亜希、まだいたのか」

「あ……お疲れ様です、高城たかじょう先輩……」


 思わず声が掠れたのは、まさかこのタイミングで、誰かと擦れ違うとは思っていなかったからだ――というのも、もちろんあるけれど。

 それよりも相手が「高城先輩だったから」って理由の方が、大きいかもしれない。

 何故なら彼は、その他大勢の普通の先輩とは訳が違ったから。


「久しぶりだな」

「そうですね……」

「こっちで作業すれば良かったのに」

「……DMが、ちょっと溜まっちゃってて。集中してました」


 ぎこちなく続く会話。

 正直、あと10秒早いか遅いかすれば良かったのに……と思わずにはいられなかった。

 何故なら、彼は――彼からは、以前先輩後輩以上のものを求められた事があったからだ。


 高城先輩は、それなりに人気のある人だった。

 顔はとても綺麗だし、身長も高いし……ある程度仕事も出来るし。

 だけど一方では、とても不器用な人で。

 時々自分の感情を、コントロール出来ない時がある。

 たとえば、仕事で上手く行かない時。

 後輩が、上手く動かない時……取り乱して、怒鳴り散らす事も時々あった。

 だから人気がある一方で、どこか皆から一線を引かれがちだったのだ。


 そしてそんな彼と私が深く関わったのは、私がまだ新卒の頃だった。

 彼とは2回程、食事に行った事がある。

 他愛の無い会話、当たり障りのないドライブデート。

 先輩からの強いアプローチに、私も最初は素直に従ってみたものの……結局どうしても、先輩をそういう対象では見られなかった。

 だけど先輩的には、私もその気になっているように見えたのだろう。

 束縛、というものをされた。

 仕事仲間にも、挙げ句の果てにはお客さんとの距離感までにも言及され……休みの日も必ず、何度も電話が鳴るようになって。

 それに耐えかねた私は、最終的には「好きな人がいるので」と嘘を吐いてさようならをした。

 何の運命の悪戯か、実際にその直後に私は圭介に恋をしたのだけれど……。


 それから、高城先輩とは滅多に口を利かなかった。

 幸いチームも同じになった事もないし、それでやってこられたのだ。

 いまだにあの時の事は、しこりのように私の心に残っているし……さらに最悪なことに、どうやら圭介と高城先輩は元々折り合いが悪かったらしく。

 圭介と付き合った後にこの話をしたら、あからさまに嫌な顔をしていたっけ。


「……あのさ、亜希」


 あの頃のように、私を名前で呼ぶ高城先輩。

 微妙な空気が漂い、凄く居心地が悪い。


「アイツとまだ付き合ってんの?」

「……」


 えっと……アイツ、というのは圭介の事だろうか。

 あまりにも直球な物言いに、思わず言葉に詰まる。

 ていうか、何でそんなプライベートな話をしなきゃいけないんだろう。


「あの……」

「アイツ、顔良いもんな」

「……」

「羨ましいよ。男前だと、客も女も思うがままって感じで」


 一瞬、何を言われたのかわからなかった。

 先輩は笑っているけど、その瞳には暗色に煌めいている。

 と同時に私の胸の中でも、不快なドロリとしたものが渦巻いた。


「どういう意味ですか」


 わかってる。相手は先輩だし。

 あんな事があった以上、ここは適当に苦笑いでもして「お疲れ様でした」ってさっさと帰ってしまえば良いのだ。

 エントランスには、そろそろ圭介が来てるだろうし。

 そしたら、圭介に愚痴ってしまえばいい。

 何もここで、いちいち――


「言葉通りだよ。お前だって、アイツのそういう所に惚れたんだろ?」

「な……っ」

「というか、亜希も変わったよな。キツイ性格になっちゃって……前は、もっと可愛いかったのに」

「……」

「まぁ別にいいけどさ。アイツすぐ浮気しそうだし……何か胡散臭い顧客ばっかじゃん。亜希も気を付けろよ」


 それはあまりに、酷い侮辱だった。

 圭介は、自分のルックスを生かすタイプではある。

 でもそれを利用して、誰かを欺くことは絶対にしなかった。

 それは仲間に対してもお客さんに対しても、私に対しても言えることで…… 少なくとも、こんな言い方される筋合いなんて無いはずだ。

 たかが、会社の先輩に。


「私は元々こういう性格でしたし、彼は顧客からの信頼も厚いと思います」

「なに?」

「根拠の無い言い掛かりをつけるなんて、大人気無いですよ」


 真っ直ぐに高城先輩の目を見据えてそう言えば、先輩のこめかみ辺りがピクリとした。

 弧を描いていた口端が徐々に降りてきて、感情を押し殺したような顔になる。

 まるで……まるで、あの頃のように。


「あのなぁ、亜希。俺は先輩なんだよ」

「はい、知ってます」

「ならどうして、そんなに反抗的なワケ?」


 苛立った口調で、一歩、また一歩と距離を詰めてくる。

 私は彼から視線を逸らすことなく、奥歯を噛み締めていた。


「俺のこと、バカにしてんの?」

「そういうんじゃ……」

「あの時だって、思わせぶりな態度取りやがって」


 ……あぁ、完全に色々ごちゃまぜに考えてるよね、この人。

 女の子じゃないんだから、過去にネチネチ拘らないで欲しい。


「本当は俺と食事に行ってた時から、アイツと関係があったんじゃねぇの?」

「いっ――放して下さい!」


 二の腕辺りを強く掴まれて、思わずキッと睨み上げる。

 本当に、逆恨みも良いところだ。

 振り払おうともがいたものの、その手は簡単には外れない。


「だから、お前は反抗的だっつってんだよ!」

「公私混同もいい加減にして下さい! 私は、先輩のそういう所が嫌だったんです!」


 ――後から思えば、完全にそれは言い過ぎだった。

 元々ヒステリックになり易い相手が興奮状態にある時に、さらに煽るような事を言って。

 だけど私も、それなりにアタマにきていたのだ。

 何より、圭介に言い掛かりをつけられた事が許せなかった。

 だから……普段なら冷静に対処出来ていたはずなのに、感情的になってしまったんだと思う。


 はっと気付いた時には、私はよろけた体勢のまま唖然としていて。

 ジンジンと熱を持ち始めた頬。

 いまだ激昂しているらしい相手。

 頭の奥で、警鐘が鳴り響く。


「バカにしやがって」


 また相手が一歩こっちに近付いてきたと認識した瞬間、私は弾かれたように走り出した。

 さっきまでの怒りは一気に引いていき、恐怖だけが身体を駆け巡る。

 いくら先輩とはいえ、会社の同僚に――しかも女に手を上げるなんて、普通じゃない。

 後ろから怒声が聞こえてきたけど、私はエレベーターまで一気に駆け抜けた。

 ヒールが何度かグラついたけど、そんな事には構っていられない。

 運良くこの階で停まっていたエレベーターはすぐにドアが開いたものの、閉まる前に先輩に追い付かれてしまった。

 ドアの隙間から伸ばされる手を払い除けながら、私は「閉まる」ボタンを連打する。

 先輩は重い扉が自分の腕を挟もうとするのを見て、本能的にその手を引いてしまったようだった。

 最後にチラリと見えた顔は、怒りに染まっていて。

 ぐんぐんエレベーターの高度が下がっていく間も、私は冷や汗をかいたまま呼吸を乱していた。


(こ……怖かった……!)


 アレは、関わっちゃいけないタイプだ。

 何気に男にぶたれたのなんて、初めてだし。

 普段は強気な私でも、さすがに今回は恐ろしかった。

 まだ微かに足と手が震えていて、心臓が妙なスピードで脈打っている。

 何となく気を紛らすように携帯を見れば、圭介から「着いたよ」とメールが入っていた。

 そのまま1階で停止したエレベーターを降り、無意識のうちに私は走り出す。

 必死で圭介の姿を探しながら、きっと自分は今変な顔をしているんだろうなと思った。

 そしてロビーの向こう側に、スーツ姿でソファーに座っている圭介の背中を見付けて。

 私はそのまま、走り寄って行った。

 圭介は響くヒール音に反応したのか、こちらに振り返る。


 その顔を見たら、思わず涙腺が緩んだ。

 目が、熱い。


「――は? 何……?」


 圭介は目を見開いて、慌てて立ち上がった。

 私は言葉が出てこなくて、手の甲を目元にあてる。

 嗚咽を噛み殺しながら歩み寄って行くと、圭介はすぐに私の手を握ってくれた。


「亜希、どうした?」

「……」

「なん……」


 言い掛けて、圭介はぐっと息をのむ。

 そして私の手を握っていない方の手で、そっと頬に触れてきた。


「……マジで、なに。どういうことだよ?」


 明るい圭介にしては珍しい、低い声。

 私は首を振りながら、エントランスだという事も忘れて圭介に縋りつく。

 ウチの会社の人はもうほとんど退勤した後だし、今くらいは大丈夫だろう。


「何されたの? 誰」

「……たか、じょう――」

「はぁ?!」


 先輩……と続ける前に 、言葉を遮られる。

 圭介は明らかに怒りを含んだ声で、私の顔を覗き込んできた。


「アイツに手ぇ上げられたの?」

「……」

「……チッ、マジで有り得ねぇ」


 力無く頷けば、鋭い舌打ちと共に溜息を吐いた圭介。

 けど、その怒りの矛先を私に向けるべきじゃないと思い直したのか、私の頭を撫でて「もう大丈夫だよ」と優しく声を掛けてくれる。


 それからタクシーを拾って、私は一人暮らしをしている圭介の家へと帰り……高城先輩とのやりとりを、そのまま圭介に話すはめになった。

 圭介は終始先輩に対して悪態を吐きながら話を聞き終えると、明日にでも先輩より上のポジションに就いている上司(しかも圭介を気に入っている人)に相談すると言った。

 聞けば、もう随分前から彼には、仕事でも嫌がらせをされていたらしい。

 本当に聞けば聞くほど、女々しいというか子どもっぽいというか……出来ればもう、「先輩」とは呼びたくないなと思ってしまった。


「もちろん今回は、高城のバカが一番悪いけどさ」


 圭介は頬を冷やす私の隣に腰を下ろしながら、大きな溜息を吐いた。


「お前も応戦するなよ。アイツがちょっとヤバイ奴なの、結構有名な話じゃん」

「うん……」

「俺の事庇ってくれるのは嬉しいけど、考えてもみろよ。もしそのまま逃げそびれて――もっと何かされてたらどうするつもりだったんだ?」

「……」

「俺がのん気にエントランスで待ってる間、もしお前がアイツに……」


 そこまで言って、圭介はぐっと歯を喰いしばった。

 私もその最悪のケースを想像して、押し黙る。


「……そしたら俺、多分一生立ち直れなかった」

「……ごめん」

「本当は殴られただけでも、すげぇ腹立ってるんだから」


 圭介は言いながら、ゆっくりと抱き締めてくれた。

 付き合ってからずっと変わらない――壊れ物に触れるような、優しい手で。


「マジ、仕事に絡んでない相手だったら、殴り返しに行ってた」

「……うん」

「つーか、今も悔しい」


 その声が、あまりにも真剣で。

 いつも軽口ばっかり叩く圭介からは想像もつかないような言葉の数々に、私は何だか申し訳ない気分になった。

 負けず嫌いで、ごめん。心配掛けて、ごめん。

 そんな気持ちを込めて、そっとその背中に腕を回す。

 圭介もまた、強く抱き締め返してくれた。



 ――数日後。

 圭介によって見事上司に素行がバレた高城先輩は、厳しい処分が下されることになったようだ。

 上司の計らいで、私が被害者になったことは公にはならなかったけれど。


「ありがとね、圭介」

「もう二度と御免だからな」

「うん」


 眉を寄せてそう言った圭介を見ながら、私は25歳にして、また一つ学んだ。

 よく「向上心」と結び付けて考えられる「負けず嫌い」も、時と場合によっては危険なんだって。

 相変わらず多くの人間が集まる職場に足を向けながら、

 私は「人生って常に学びだなぁ」なんて、のん気な事を考えた。



『プライベートな諸事情』

fin.

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