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愛の形


「あー、つっかれた! 足痛ーい!」

「お疲れ。恵子けいこ、すごい長かったね」

「ホントだよぉ。微妙なラインのお客さんだったのに、部長が絶対クロージング決めろーとか言って」


 今日はウチの会社でも特に重要視されている、顧客専用の展示会だ。

 数日間に及ぶこのイベントでは、確実に8桁の金額が動くとあり、普段は日本全国各地に散っている仲間たちも一ヶ所に集結して顧客をもてなす。

 当然普段本社にいるクラスの上司も顔を出し、7000㎡近い大会場内をフラフラと歩いていて、営業にアドバイスやら激励やらを飛ばしていた。

 そして今目の前にいる同期の恵子もそんな上司に捕まり、大して期待していなかったお客さんにまで時間を割くはめになったようだ。

 商品の額は下は数万から上は数百万のものまであるため、特に高額商品を前にしたお客さんが相手だと、接客時間はかなり長くなる。

 恵子が控室のテーブルに着いたのは、掛け時計の短針がそろそろ6を指し示す頃だった。

 イベント期間中は彼女のように、ランチにありつけないまま夜を迎える者も多い。


「あーー……脳が凝り固まってる気がする。ていうか表情筋が痛い」

「あはは! わかる、私もほっぺた痛いわ」


 美人で可愛らしい顔を歪めた恵子の言葉に、私も苦笑する。

 何しろお客さんの前では、スマイルキープは絶対条件だ。

 だからといって本心からおかしいわけでもないのに、4時間も5時間も口角を上げたままだと普通に筋肉がおかしくなってくる。

 でもまぁ、お客さんからしたらこの先数年にわたって、毎月払う額についてジャッジするんだもんね。

 早く決めろなんていうのは無茶な話だし、時間が掛かっても最終的に買ってくれるのなら、むしろこっちとしては笑顔なんて安いものだ。


「ていうか会場の空調キツくなかった? 私もうパッサパサなんだけど」


 最近やたらと蒸し暑くなってきて、外に出れば夏の気配を感じる。

 そのため外から入って来るお客さんに合わせて、会場内は冷房は常にフル稼働。

 VIP向けのイベントだから、私たち営業の格好はいつもよりドレッシーなため、特に冷え症な女性にとっては辛い環境だ。

 ピンヒールで立ちっぱなし、座れてもノンストップでトーク数時間、加えて寒いし乾燥してるし……本当にどこの業界も、華やかな舞台の裏とは辛いものだと思う。


「あぁ、私フェイスミスト持ってるよ。亜希使う?」

「マジで?! さーすが恵子、最高なんだけど」

「ふふ、任せてよ」


 同期の女子内ではオシャレ番長的なポジションにいる恵子は、何においても抜かり無い。

 私はお言葉に甘えてフェイスミストを借りると、食事中の恵子にかからないようちょっと離れた所に移動し、シュッとミストを浴びた。


「あぁ……生き返る……」

「あははっ! 亜希ヤバイよ、歳いってる人みたいだよ」

「うるさいうるさい、こんだけ疲れてればそうもなるって」

「まぁねー」


 私の様子に笑う恵子に肩を竦めつつ、私は席に戻った。

 あぁ、30分後には今日最後の顧客がやってくる。

 それまでに、この疲れた顔なんとかしなくちゃ……。

 

 そんな事を考えながらホットカフェオレを飲んでいると、目の前で恵子の携帯バイブが鳴った。

 ジンジャエールみたいなシックなブラウンをベースに、キラッキラのスワロフスキーでデコられた携帯。

 恵子は万年筆も名刺入れも、とにかく全部スワロフスキー仕立てだ。

 携帯なんか、片面で数万掛かったとか言ってたっけ。 

 まったく、オシャレにはお金を惜しまない女というか……ピンクやハートを多用して可愛いアピールをするわけでもなく、一つ一つにこだわりやセンスを感じられるところが何とも大人の女だ。 

 売り上げはトップ組に入る程じゃないけど、ピンチな時に予算を組み込める救世主的な顧客……という名の彼女のファンが常に一定数いるのも、そんな彼女の魅力故だろう。

 ジェルネイルが艶めく指先で携帯を操作する恵子を眺め、私も近々ネイルサロンへ行くかと溜息を吐いた。


「あ、やば。亜希、私ちょっと行ってくるわー」

「え、もうお客さん来たの?! まだご飯食べ始めたばっかじゃん」

「違う違う、ユキト先輩が今時間空いたらしくってさぁ」

「……」


 ひらひらと手を振りながらそう答えた恵子に、私は思わず口を噤んだ。

 彼女の口から出てきた、“ユキト先輩”――私の呼び方で言えば、相沢先輩。

 彼と目の前の恵子の間に特別な関係があるなんて、普通なら考えも付かないだろう。 

 そう言い切れる程、相沢先輩は地味だ。

 ルックスも極めて平凡、オシャレには疎く、営業なのに人見知りな所も隠しきれていなくて。

 相沢先輩の同期は次々とチームリーダーとなっている今も売り上げは下~中レベルを彷徨い続け、彼は私たちと同じポジションでくすぶっている。

 それなのに……


「……ねぇ恵子、相沢先輩の事本気なの?」

「もう、それ何回目?」


 何故か私の方が呆れた口調で返されてしまう。

 同期の中では、一番仲が良い私たち。

 私が圭介と付き合う時も、ずっと相談に乗ってくれていた。

 だから私も、もちろん恵子を応援したいワケだけど……


「いや……趣味は人それぞれだけどさ。相沢先輩のこと、私はあんまり知らないから……」

「そりゃね。ユキト先輩ガード固いし、なかなか自分の事話してくれないでしょ?」

「何かそこだけ聞くと、恵子が男みたいだよね」

「あははっ、亜希やだー!」


 笑えないくらい真面目な話なのに、のん気に笑う恵子。

 私は苦笑を返しつつ、パイプ椅子に背を凭せ掛ける。

 すると恵子は化粧直しをしながら、口を開いた。


「私はさ、ちょっとオカシイんだよ」

「……オカシイって?」

「普通の恋愛とか、全然興味なくて。っていうか、満たされないんだよね」


 不意に聞こえてきた言葉にドキリとしながら、私はポーカーフェイスを決め込んでその話に聞き入る。

 恵子にどんなシュミがあるにしろ、彼女の存在は私にとって大きい。

 そう簡単に、彼女を傷付けるような反応はしたくなかった。


「たとえばさ……亜希なら、どんな恋愛にキュンとくる?」

「どんなって……」

「純愛、ちょっと切ない恋、優しい恋、人に言えないイ禁断の恋……色々あるじゃん」

「まぁね」

「私はさぁ」


 グロスのキャップを外しながら、恵子は呟くように続ける。

 その瞳はどこか諦めたような、苦さをも含んだ色を帯びていた。


「ラブストーリーの場合、本を読んでても映画を観てても……咽び泣く姿とか、憔悴しきった目とか……、そういうのにゾクッとくるんだ」

「……マジで?」

「うん。依存レベルで繋がれる恋愛以外には、興味が持てないんだよね」


 初めて聞く、恵子の好みの話。

 私は固唾をのんで、その一言一言を聞いていた。


「でもさ、実際問題、実生活で依存したり泣き喚いたりしながら生きるのって辛いじゃん」

「うん」

「だからあくまでそれをやるのは私じゃなくて、相手だったらいいなって」

「……」

「ユキト先輩は、それを私としてくれそうな匂いがするから」


 ……何てことだ。

 記憶を巡らせ、まだ数回しか見た事のない恵子と相沢先輩のツーショットを思い浮かべる。

 気まずそうにしながらも、時々はにかむ相沢先輩。

 明るく光を放ちながら、魅惑の笑みを浮かべる恵子。 

 その根底に、そんなダークな恵子の欲望が潜んでいたなんて……人間て、なんて恐ろしいんだろう。


「……事件に発展させたりしないでね」

「ふふ。もし私がいつか刺されても、同情しないでね? 結構本望かもしれないから」

「やめてよ」


 軽い口調でそう言い、立ち上がった恵子。

 その姿は非の打ち所が無く、とても美しい。

 オシャレで、美人で、社交的で。

 そのまま幸せな恋愛を掴めばいいものを……自ら、暗色の立ちこめる未来へと歩み出している。

 世の中って、そんなものなんだろうか。

 つくづく、完璧な人間っていないものだ。


「じゃ、ちょっと先輩励ましてくるね? さっき100万見込んでたお客さんが30万で留まっちゃったって、マジヘコみしてたんだよね」


 チャンス到来、とクスリと笑みを零して手を振る恵子。

 私は何とも言えない気分で手を振り返しながら、彼女の上機嫌な背中を見送った。

 

 やめなよ、と簡単に言えないのは、恵子はそれでも相沢先輩に一途だから。

 そして先輩もきっと、彼女を必要としている。

 世の中には、人の数だけ愛の形もあるだろうし……安易に間違っているとは言えなかった。 

 私にとっては、理解不能な世界だけれど。

 ぼんやりとそんな事を思っていると、不意にまた控室の扉が開く。

 入って来たのは――


「あ」

「おう、お疲れ」


 圭介の顔を見て、何だか無性にほっとしてしまった。

 その安堵感が、顔に出たのかもしれない。

 圭介は首を傾げて、さっきまで恵子が座っていた私の隣の席へと腰を下ろす。


「何だよ、上手く行ってねぇの?」

「ううん、仕事のことじゃない」

「オイオイ、イベント中に仕事以外のことで悩めるって逆に凄いな」

「あはは、確かに」


 最もな意見に頷くと、圭介は会場下のコンビニで買ってきたのであろうサンドイッチの封を切る。

 その様子を見守りながら、私はぼやいた。


「相沢先輩、幸せなのかなぁ……」

「……は、何?」


 私の言葉に、目を丸くして聞き返してきた圭介。

 うっかり声に出てたかと私が慌てるのと同時に、圭介の表情は険しくなる。


「相沢って、あの?」

「あー……うん、まぁ」

「お前何か関係あったっけ?」

「いやいや。私じゃなくて恵子だよ」

「何だ、紛らわしい言い方するなよ」


 即座に否定すれば、張り詰めていた圭介の空気がふっと和らいだ。

 私は思わず、首を傾げる。


「え、どういう意味?」

「お前が男に気ぃ遣うとか、珍し過ぎて逆に怖ぇんだっつの。ビビッた、とうとう横槍来たかと思った」

「バカじゃないの、そんなわけないじゃん」

「バカはお前だろ。お前のガードが少しでも甘くなってみろ、途端に俺はストレス生活に突入することになる」

「……買い被り過ぎ」

「自覚が足りなさ過ぎ」

「恥ずかしいから、さっさとその意味不明なフィルター外しなさいよ。ホント恋人の欲目もいいとこだと思う」

「まぁな」

「……そこは否定して欲しかったかも」

「ふはっ」


 笑い出す圭介につられて、私も笑う。

 そしてさっき恵子と話していた事を、掻い摘んで圭介にも話した。 

 ちなみに、恵子と圭介もそれなりに仲が良い。

 一見美形な二人だから、変なフラグが立つんじゃないかと不安になりそうなものだけれど、二人ともまるで恋愛対象としてお互いを見ていない。

 それは第三者の私にもわかる程だったから、いまだに良好な関係が続いている。


「まぁ、恵子らしいよな」

「え、そんなもん? 受け入れんの早いね」

「アイツが過去に社販で買った作品、思い出してみろよ。大抵病んでるっつーか、狂気と紙一重みたいなもんばっかだったじゃん」

「……」

「いんだよ、それで恵子はバランス取ってるんだろ。恋愛をどう使うかなんて、人それぞれだろうし」

「……まぁね」

「本人たちは至って真面目に恋愛してても、傍からみたらワケわかんないカップルなんて腐るほどいるしな」

「そうなのかなぁ。あんまり考えたことなかった」

「中にはきっと、俺らの事そう思ってるヤツだっているんじゃねぇ?」

「かもね」


 さらりと話す圭介の言葉は、何故か私の胸にストンと落ちてくる。

 その話がそれっぽくても嘘っぽくても、不思議と私の考えを染め上げていくのだ。

 それはある意味柔軟な思考だとも言えるし、一方では危険な傾向であるとも言える気がした。


「俺だって、亜希のこといまだにわっけわかんねーとか思う時あるし」

「嘘でしょ? それ大分私の台詞」

「俺ほど明確に完璧な男なんていないだろ」

「そういう所が一番わかんない」

「なんだと?」

「ちょ、やめてよ!」


 綺麗にブローしてある頭を掻き回され、ギャーギャーと騒ぐ私たち。

 いつもと同じような、なんてことの無い一コマ。

 だけどそれはきっと、私たち二人の間でだけ成り立っているもので……


「じゃあ私、あと一人接客してくるから」

「おう、頑張れ。客に靡くなよー?」

「お客様にそんな邪な感情は持ちません」

「ははっ」

 

 他人からしたら「理解不能」な何かを二人で共有していくことが、恋をするってことなのかもしれない。

 コツコツとハイヒールを鳴らして会場に向かう間、無駄に真面目にそんな事を考えた。

 


『愛の形』

fin.

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