真昼のイルミネーション
真昼のイルミネーションほど味気ないものはない。光が灯ってこそ輝くものなのに、その光がないだけで無個性の電球の塊と化してしまう。そんなこれらにいつから俺は冷たい目線を送るようになったのだろうか。小さい頃、冬の夜にこのイルミネーションとはじめて出会った時、俺は繋いでいる母の手のぬくもりを忘れるほどそれに見入っていたそうだ。時が経ち、色々なことを経験していく中でこのイルミネーションは俺の記憶の中から消えていった。ようやく思い出して暇だし行ってみようと思ったのに、いつしか輝きの灯を失ってがれきと化していたイルミネーション。真昼だから光が灯っていないのは当然だろうが、きっと夜でもこうなのだろう。俺はひとつ、ため息をついた。
そのとき、不意にポケットの中の携帯電話が細かく振動し始めた。慌てて手に取り内容を確認すると、それは高校時代の友人からの一通のメールだった。今夜の合コンで一人急用で来られなくなったから来てほしいらしい。ちょうど今夜はアルバイトも無いし、いわゆる暇だ。それに彼女もいない。俺は自分より年齢が上の大人の女性が好きなのだ。テレビでよく未婚の女優さんが、モテないモテないと自虐しているが、俺から言わせてみれば可愛いものである。今すぐ俺と知り合えば俺がアプローチするというのに。さっきまで見ていたお昼の情報番組に出ていた女優さんの顔が不意に頭をよぎる。俺は途端にもうひとつ、大きめのため息をついた。
そのままの足取りで会場となるおしゃれな店に向かうと、その駐車場付近にさっきメールしてきた高校時代の友人が立っていた。早足で向かうとやけに緊張した面持ちであいさつしてきたので、肩を数回叩きリラックスするよう促す。それでも表情は固まったままなのでどうしたのかと聞いてみると、友人は意外なことを言いだした。
「実はさ、今日の合コン芸能人くるんだ」
「うそ、まじで?」
つまり、テレビでいつも見ている人が今から目の前に現れるということだ。それを早く教えてもらえたらもう少しマシな服装をしていたというのに。友人が言うには、大学で仲良くなった女子学生の友達に芸能デビューした人がいて、その人繋がりで呼んだのだそうだ。よくやった、と友人の肩を強めに叩き、二人で笑いあった。集合時間まであと三十分もあるのだが、待ち遠しすぎて一時間にも二時間にも思えてくる。五分もすると二人の男性メンバーが顔を見せてあいさつを交わしたが、肝心の女性メンバーが来ない。仕方がないからその二人となんでもない世間話をしたり友人と思い出話をしたりしていると、何やらそれらしい女性たちの集団が歩いてくるのが見えてきた。集合時間まであと二分と少し。たった三十分間なのに新幹線で博多から東京まで乗り続けたようなこの疲労感。これでお酒が入って最後までもつだろうか。不安な気持ちを唾と一緒に飲み込むと、友人の友達らしき派手な女子大生が駆けてきた。
「ごめんごめん、オッキー達けっこう早かったんだねぇ」
オッキーとは俺の友人のことだろう。
「何時間待ったと思ってんだよぉ。てかさ、芸能人連れてきた??」
「もうバッチリよ。ほら、そこの“ちょっと大人びた”方、誰だか分かるよね!」
男性メンバーが一斉に女性メンバーの方に目線を向ける。お世辞にも可愛らしいとはいえないものの純朴そうな方、派手めで化粧が濃い方に次いで、明らかに年齢が離れていると思われる“ちょっと大人びた”方が高そうなバッグを両手で持って立っていた。紛れもなくテレビで見たことのある芸能人だ。それも、今日のお昼に情報番組に出ていた四十路間近の。その瞬間、俺以外の男性メンバー三人が凍りついた。たぶん、もっと若い同い年ほどの方を予想していたのだろう。だが俺だけは違った。俺だけは、ライバルがいなくなったと確信したのだった。一気にテンションが下がった男性メンバーをよそに俺だけがまっすぐにその芸能人を見つめていると、不意に目が合って会釈された。年齢なんか関係ない、十分綺麗な方じゃないか。世の男の大半は目が節穴である。この方の魅力に気付いた自分に惚れ惚れするくらいだった。
ぞろぞろと店の中に入り席に案内される。四対四で対面するように座った。いきなり目の前にはその芸能人が座り、やっと俺はさっきまでの友人と同じ心境となった。続々と自己紹介が進んでいく中、その芸能人の方はとても丁寧にそして静かに自己紹介し、柔らかく座った。俺にとってはそれだけで十分満足だった。俺の目の前に芸能人がいる。そして好みのタイプで年上。さらにライバルはいない。ターゲットを絞るには十分すぎるほどだった。
その芸能人にむかって一直線に伸びている俺の気持ちが届いたのか、フリートークに入ってからは俺とその芸能人の方は他のメンバーを差し置いて自分たちの空間を作っていた。その芸能人は十年前までは売れないアイドル歌手で、当時としてはパッとしない方だった。最近、映画やバラエティ番組に出だしてからは、独身女性のありのままの姿をうつす鏡として一目置かれる存在となっていた。そんな方が今俺の目の前にいる。もしかしたら明日からは決め台詞の『私はただ彼氏がほしいだけなのよ!』が聞けなくなるのだろうかと考えると、心の中でニヤけが止まらない。単に面白おかしく話すだけの関係だと思われているのかもしれないが、そんなことは今はどうだっていい。とにかく目の前のことで精一杯で他のことなど考えてはいられなかった。まさに無我夢中。何杯もお酒を飲んだせいか、はたまた目の前に綺麗な年上の芸能人がいるからか、完全に出来上がってしまった俺。一応意識だけははっきりしているものの、ろれつが回らないのが自分でも分かる。するとどうしたことか俺の口が勝手に動いた。
「あ、あろ、一緒に酔い覚ましに行きましょうよ。ちょっとだけぇ。ねっ」
自分でも情けない姿だということは重々承知している。だが止まらないのだ。絶対引かれたと思いきや、案外嫌々でもなさそうにその芸能人は受けこたえてくれ、俺らは結局二人きりになってしまった。
店内に比べて涼しい風が吹いている外はやはり居心地がよかった。俺と同じくらいの身長のその芸能人はバレないようにサングラスをかけているが、俺に言わせてみれば蛇足以外の何物でもない。もうバレているだろうと思うものの、通り過ぎていく人々に全く気付かれていないのには驚いた。気配を消すというか、俺の横にいながら一般人のオーラというものを出しているようだった。パッとしない方の芸能人オーラからちょっと綺麗めな大人っぽい女性のオーラに切り替えるその技はまさに女優という感じで、感心させられる。夜風に吹かれて少しは回復したようで、心地よく温かい状態まで来た時、俺は思い切って誰もいない公園のベンチに誘導して一緒に座ってみた。
夜空がやけに綺麗に見える。昔見たあのイルミネーションのように散らばっているその一つ一つが主役として輝いていた。北斗七星やオリオン座など小さい頃はすぐに分かったのに今ではその形さえ思い出せない。幼いころの純粋な気持ちに戻りたいと思うと、急にアルコールが恋しくなってきた。芸能人の方を残して近くのコンビニに向かい、缶チューハイを二本選ぶ。何味が好きなのか聞いておけばよかったと気付いた時には遅く、まぁいいかと適当に選んでレジに持っていく。中身が淋しい財布からお金を取り出し購入。すたすたとさっきの公園まで戻ったが、やはり人影は見当たらない。いたずら心からキスをしてみようかとも考えたがやはり理性がそれを押さえる。早く酔ってしまいたい。その一心で隣に座りなおした。
隣に座る芸能人の方からはやけにふわふわしたクッションのような香りが漂ってきている。缶チューハイを一本手渡しまた乾杯すると、俺は二口半ほどで飲み干してしまった。お互い真っ赤になった顔を見合って色々な話をした。その中で一瞬だけ間が空き、俺は勢いだけで肩を抱き寄せ、磁石のようにその人の唇に吸い寄せられた。半ば強引で力ずく。自身の欲望のまま被りつくようにしていると、時間は無限のように感じた。今、俺はこの人をもはや芸能人だからという目で見てはいない。一人の女性として本当に自分のものにしたくてたまらなかった。抵抗してくるものの、衰えを知らない俺を前にその芸能人の精一杯の抵抗は悪あがき以外の何でもない。ただじたばたしているだけだ。若さは怖い。今みたいに手がつけられなくなる。まさに暴走状態である。しばらくすると向こうも抵抗するのをやめたようで、それがつまらなくなったのか俺は唇から離れると、勢いそのままにこれからどこか泊まらないかと提案してみた。こういう時に一人暮らしのやつが羨ましくなる。実家暮らしの俺は、こういうときどうしても家には誘うことができない。するとホテルという単語に何か察したのかその芸能人の方は躊躇し、また改めてという意味で連絡先を教えてくれた。もっと大人になってから出直して来いということなのだろう。俺は素直にそれを受け取る。一人暮らしをはじめたらそれこそ家まで呼び出してやる。どうしても俺の女にしたい。また会いましょうとあいさつをして帰っていくその芸能人を見ながら、俺は静かにチューハイの缶を置いた。
もしかしたら俺は、ただ焦っていただけだったのかもしれない。一方通行で独りよがりで自分勝手なひと時を過ごさせてしまったとしたら申し訳ないことだ。酔いがさめた途端にそうしたネガティブ思考がどんどん押し寄せてくる。勢いだけで突っ走った結果がこれだ。テレビでうまく笑い話になってくれれば俺にとってはせめてもの救いなのだが。酔ってしまってほとんど思考が停止しているからだろうが、パパラッチに狙われてもおかしくない状況だった。まさにカメラのフラッシュで輝きを取り戻そうとするようなものだ。だがそんなことを考える余裕などなかった。とにかく若さだけで突撃しただけの一方的な恋だった。
帰り道の途中、偶然あのイルミネーションの前を通った。味気なかった真昼のイルミネーションは夜になってもやはり味気ない。時間が経つということは純粋さを失うものだと思っていたが、そうではない。現に俺はさっきまで純粋にあの芸能人を愛していた自信がある。そして、これからも。周りから見たら不純なのかもしれないが、当事者が純粋だと思えばそれは純粋なのだ。真昼のイルミネーションも、だれかが味わいがあると言えばそれは味わいがあるものなのだ。俺はひとつ大きめのため息をついたが、それはこのイルミネーションに向けてのものではなかった。街灯の無機質な光を反射する小さな電球は、十分すぎるほど輝いていた。