歌姫
星の降る夜だった。
夜空に打ち上がる大小の花火と、七色の光を放つライトの数々に照らされながら、彼女のステージは終わりに近づいていた。
目前に浮かびあがる、顔のない数万の観衆は、曲が終わるたびに、彼女に喝采の拍手をあびせる。彼女のまっすぐな歌声は、夜の空気を裂きながらどこまでも遠くへとどき、空に浮かぶ数えきれないほどの星は、瞬きながら、とてもゆっくりとした速度で、地面にめがけて落ちてきている。重低音にうなりをあげるスピーカーと、ステージを映し出す巨大なビジョン、歓声と賞賛、彼女は今まさに、自分のあるべき場所に、その姿を見つけている。
歌だけが彼女のすべてだった。天才としてもてはやされたことも、シーンの一時代を築いたことも、彼女にとっては、さして重要な関心ではなかった。ただ、歌手としてステージに立っている瞬間だけは、自分が生きているということを全身で感じることができた。
次が最後の曲になる。やはり昔ほど上手くは歌えないだろうが、彼女はこの曲に特別な思い入れを抱いている。横では、うまく顔の思い出せないバンドのメンバーの一人が、こちらを見て微笑みながら、ライブの成功を確信している。ステージの脇に目をやると、そこには仲の悪かったマネージャーと、昔の恋人がいて、その笑顔で彼女を勇気付けている。
すべてがうまくいっていた。世界中が彼女にやさしくしていた。そして思えば、それから起こるすべての出来事は、彼女の本意ではなかった。鬱屈とした病院生活や、日を追うごとにやつれていく自分の姿には、今や何の現実性も見いだすことができない。
彼女の世界は綻び始めている。
彼女が舞台に集中しなおすと、再び夜空に大きな花火が打ち上がる。暗転したステージの上で、スポットライトは彼女一人に注がれる。青く光るサイリウムを手にした観客たちは、ふと静まりかえり、彼女の歌声を心待ちにする。
彼女はひとつ深呼吸をして、顔をあげる。
その視線の先に、真に満ち足りた自分の姿をとらえる。
そして彼女は歌う。彼女が一番良かった頃の歌を。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
人気のない夜の病院の裏庭で、彼女の澄んだ歌声は虚空へと消えてゆく。
満天の星空だけが、彼女のたった一人のステージに彩りを添えている。
きっとすべてが終わった後も、彼女は、自分の未来にだけは興味を持てずにいるだろう。
ほんの僅かでさえも。