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それはラブレターのはずだった~愛を込めたら、事件になりました~

作者: kooy
掲載日:2026/10/27

 晴天。吹く風は、無駄に肌寒い。


 桜子は、赤いバラがギラギラと刺繍された振袖をまとい、式典会場の扉を開けた。


「桜子、おはよう!」

「おはようございます。皆さん」


 同級生たちが、次々に声をかけてくる。


「今日は頑張りましょうね、委員長!」


 そう。桜子は曽無市「二十歳の集い」の実行委員長。

 誰もが式典の成功を願い、適度な緊張感に包まれている。

 しかし、委員長の脳内は別の意味で緊張感に満ちていた。


(涼太さん……来るかしら)


 桜子は、会場の入り口をちらりと見た。


(私との運命のプロポーズを断る勇気、あるかしら)


 まだ告白すらしていない。

 しかし、桜子はふっと不敵な笑みを浮かべた。交際も結婚も、彼女の中ではすでに決定事項だった。

 片思いの相手、尾崎涼太。

 視界に入ると、なぜか目が離せない。


 桜子は今回、実行委員長という立場を最大限に利用し、彼を壇上に引っ張り出して、皆の前で盛大に告白する計画を立てていた。

 もちろん、涼太に拒否権はない。

 いや、あるにはある。

 ただし、桜子はそれを想定していなかった。


 そして、式典が始まった。

 桜子は特等席ともいえるステージ上から、会場を見渡す。

 右。左。後方。

 しかし、いない。

 どこにもいない。


(……なぜ?)


 桜子の笑顔が引きつった。

 やがて、代表スピーチの時間がやってきた。

 桜子はマイクを握りしめ、今日のために用意した原稿を広げた。


 涼太の心を揺さぶる、愛と情熱に満ちたスピーチ。

 そして最後には、彼の名前を呼ぶはずだった。

 完璧な計画だった――。

 涼太さえ、会場にさえいてくれれば。


「私たちは今日、新たな一歩を踏み出します!」


 桜子は力強く語り始めた。


「これまで支えてくださった皆様への感謝を胸に、未来へ向かって――」


 言葉が詰まった。

 涼太の姿が、どうしても見つからない。


(どうして来ないのよおおおおおおっ!)


 桜子の目から、涙があふれた。


「私たちは……私たちは……っ!」


 声が震える。


「これからも、決して……決して、諦めずに……!」


 何を諦めないのかは、本人にもわからなかった。

 ただ、涼太が来ない。

 それだけが、桜子の胸を引き裂いていた。


「皆さんと一緒に……未来へ……!」



 そして、最後までスピーチをやり遂げた桜子は、マイクを握ったまま肩を震わせた。

 会場が静まり返る。

 次の瞬間、盛大な拍手が巻き起こった。


「桜子、すごく感動したよ!」

「立派なスピーチだったね!」

「私、もらい泣きしちゃった!」


 ――違う。

 その涙は、式典の感動によるものではない。

 ――ただの私情である。

 しかし、桜子は誰にも訂正しなかった。

 泣きながら、心の中で誓った。


(涼太さん……絶対に、逃がさない)


 その頃、当の涼太は自宅にいた。


     *


 鏡の前に、全身黒ずくめの男が立っていた。

 尾崎涼太、二十歳。

 彼は今、人生最大級の決断を迫られていた。

 前髪の角度を、右に三ミリ修正するか。

 それとも、左に二ミリ戻すか。


「……違う」


 涼太は鏡を睨んだ。


「これでは、ただの黒い服を着た男だ」


 彼は黒いジャケットの襟を立て、首を傾けた。


「もっと……闇をまとえ」


 それは、誰に見せるための闇なのかも分からない。

 涼太にとって、ファッションとは自己表現であり、自己表現とは世界への挑戦だった。

 前髪の一本一本にまで、彼の美学が宿っている。


「ふっ……完成だ」


 時計を見た。

 式典開始時刻を、とっくに過ぎていた。


「…………」


 涼太は静かに目を閉じた。


「俺はいつの間に……、未来に転移したんだ……」


 涼太は決して自分のミスを認めない。

 しかし、それはそれ。これはこれ。

 涼太は慌てて玄関を飛び出し、会場に着いた。

 だが、式典はすでに終了していた。


「……遅かったか」


 涼太は拳を握りしめた。


「この俺が……人生の節目を逃すとは……!」


 そして、涼太は真剣な眼差しのまま、前髪のミリ単位のズレを微調整し始めた。


     *


 式典終了後の控室。

 桜子は美咲を壁際に追い詰め、顔のすぐ横で壁をドンッと叩いた。


「涼太さんは!? どこにいるの!」

「って、壁ドン!? 古っ! ……ちょっと苦しいよ」

「涼太さんよ! 尾崎涼太!」

「だから、来てないんでしょ!」

「なぜよ!」

「私に聞かないで!」


 桜子は美咲の振袖を名残惜しそうに伝い落ちながら、そのまま糸が切れたように床へと崩れ落ちた。


「そんな……私たちの運命は……」


 床に両手をつき、うなだれる。


「まさか、彼女でもいるの……?」


 桜子の目が、すっと細くなった。


「……許せない」

「何が!?」

「彼女がいるなら、なおさら会わなきゃ」

「どうしてそうなるのよ!」


 美咲は頭を抱えた。

 桜子は、涼太のことになると、どこまでも前向きだった。

 いや、前向きという言葉では足りない。

 本人の中では純愛のつもりらしいが、客観的に見ればどう見ても犯罪スレスレの不審者だ。


「そうだわ」


 桜子が顔を上げた。


「同窓会を開きましょう!」

「……はい?」

「二十歳の集いの次よ。みんなで集まれば、きっと今度は涼太さんも来るでしょう?」

「え、いつやるの? 会場は? 連絡は? そもそも、みんなの予定は?」

「大丈夫よ」


 桜子は胸を張った。


(私と涼太さんは、ストーカー防止法をも超越した赤い糸で結ばれているのだもの)


「……今、何を考えてるの?」

「運命の話よ」

「あっ、そう……」


 美咲は深く息を吐き出すと、これ以上何かを言う気力すら失った。


     *


 数日後。

 桜子は、招待状の作成に取りかかった。

 タイトルは、


 『愛の同窓会♡ ぜったい来てね強制状』


 かわいらしさと情熱を兼ね備えた、完璧なタイトル。

 本文も、心を込めて書いた。

 筆記具は油性ペン。

 文字は太く、力強く。

 最後には、念押しの一文を添えた。


『絶対来てね! 来ないと呪うよ。夜道に気をつけて』


 桜子は満足げに頷いた。


「完璧ね」


 美咲は、完成した手紙を見て固まった。


「……これ、本当に、涼太くんに送るの?」

「決まっているでしょう?」

「それで、ほかの人にも送るの?」

「送りません」

「同窓会なのに!?」

「だって、涼太さんに来てほしいんですもの」


 美咲は呆れたように一つ溜息をつき、問題の招待状を突きつけてみせた。


「桜子。差出人の名前くらい書きなさいよ」

「えっ……それは恥ずかしいわ」

「そこは恥ずかしいんだ!?」

「それに、書かなくてもわかるでしょう?」

「わからないわよ!」

「大丈夫よ。お年寄りだって、電話一本で大金を振り込む時代ですから」

「それは特殊詐欺! あなた、何を参考にしてるの!?」


 桜子は美咲の叫びを聞き流し、手紙を封筒に入れた。

 宛先は、尾崎涼太。

 差出人欄は、空白。


 こうして、曽無市に新たな事件の種がまかれた。


     *


 その日の夕方。


 尾崎家の郵便受けから一通の手紙を取り出した涼太の母親は、血相を変えて家の中へ戻ってきた。


「涼太! ちょっと来なさい!」

「何だ、母さん。俺は今、髪型の最終調整を……」

「それは後! これを見て!」


 母親は、手紙を突きつけた。

 表には、涼太の名前。

 差出人欄は、空白。

 手紙を覗くと、そこには黒々とした油性ペンで書かれた文字が並んでいた。


『愛の同窓会♡』

『絶対来てね! 来ないと呪うよ。夜道に気をつけて』


「…………」


 母親の顔から血の気が引いた。


「涼太……これ、同窓会の案内っていうか、完全に脅迫状よ!」

「ふむ……」


 涼太は手紙を受け取ると、興味深そうに眺めた。


「差出人は不明。日時は指定。拒否すれば呪う……か」

「警察に相談しましょう!」


(ふっ……二十歳の集いに参加しなかった俺への、痛烈な当てつけか)


 涼太は、手紙の文字を指でなぞった。


「待って、母さん」

「この筆圧……尋常ではない」

「……えぇ?」

「しかも、俺の名前だけは何度も書き直した形跡がある。愛情が深すぎて、筆が震えたのだろう」

「どうしてそうなるのよ!」


 涼太は不敵に微笑み、腕を組んだ。

 そしてもう一度、手紙を見つめる。


『あなたを待っています』


 桜子が、本文の最後に書き加えた一文だった。

 涼太は静かに目を細めた。


(だが、これほどまでに俺の不在を惜しむとは……。これは、ただの当てつけではない)


 口元に笑みが浮かぶ。


(ラブレターだな)


「涼太……?」


 母親は息子を見つめた。

 息子は、脅迫状を大切そうに抱きしめていた。


「……警察、呼ぼうかしら」


     *


「はい、曽無警察署です」

「うちの子が、怪しい手紙を受け取って……!」


 母親は、電話口で必死に事情を説明した。

 電話を受けた若い警察官は、手元のメモに目を落とした。


「『来ないと呪う』『夜道に気をつけろ』……ですか」

「そうです! 差出人も無記名で!」

「なるほど……。ひとまず、無理に返信などせず、手紙を保管しておいてください」

「それで、うちの子は大丈夫でしょうか?」

「今のところ、差し迫った危険があるかは判断できません。何かあれば、すぐに通報してください」


 警察官は、冷静に対応した。

 電話を切ると、窓口の若い警察官は、すれ違った先輩に軽い気持ちでその報告書を差し出し相談した。

「先輩、こんな相談が……。『来ないと呪う』なんて、昭和の恨み節の手紙か何かですかね(笑)」

 だが、その報告書を目にしたのが、最近の平和すぎる街の治安に激しい退屈を覚えていた鬼警部だった。


「……『逃げても無駄』?」


 鬼警部は、眉間に深いしわを刻んだ。


「『夜道に気をつけろ』……」


 部下が、おそるおそる口を開いた。


「警部、ただの同窓会の案内という可能性も……」

「差出人不明の手紙に、脅迫めいた文言。しかも、特定の日に特定の場所へ呼び出そうとしている」


 鬼警部は報告書を強く握りしめた。


「犯人が被害者を誘い出そうとしている可能性があるな。現場を確認するぞ」

「は、はい!」


 鬼警部は、報告書を机に叩きつけた。


「事件の匂いがプンプンするぜ……!」


 なお、実際に事件が起きる予定はなかった。

 少なくとも、桜子の脳内では。


     *


 四月一日。

 曽無シティホテル、エントランス。


 桜子は、壁の時計を何度も見上げ、ソワソワしていた。


「……遅いわね」


 隣に座る美咲は、引きつった笑顔を浮かべた。


「来るといいね、涼太くん」

「ええ。きっと来るわ」


 桜子は胸元のバラを整えた。


「だって、私たちは運命で結ばれているもの」

「運命って、まだ告白もしてないのに?」

「告白なんて、ただの通過点よ」

「あっ、そう……」


 二人が待つ宴会場の外では、私服警察官二名が、植え込みと廊下に分かれて張り込んでいた。


「現場に女性二名を確認」


 警察官が、小型無線機に囁いた。


「うち一名は、落ち着きがありません。頻繁に時計を確認し、身体を震わせています」

『了解。被害者の可能性がある。慎重に監視しろ』

 鬼警部の指示が飛ぶ。

「了解」


 警察官は、恐怖に震える桜子を見つめた。

 しかし、実際は恐怖ではない。

 涼太に会えるという、期待と興奮によるものだった。

 だが、警察官にそんなことがわかるはずもない。

 そのとき、無線が鳴った。


『本部より連絡。不審者一名、会場へ接近中。全員、警戒せよ』


 ホテルの入り口に、ひとりの男が現れた。

 全身黒ずくめ。

 襟を立てたジャケット。

 鋭い眼差し。

 そして、完璧に計算された前髪。

 尾崎涼太である。


(ふっ……)


 涼太は、会場の入り口で一度立ち止まった。


(俺のダークでミステリアスな装い……。今日の主役にふさわしい)


 彼は、誰もいない空間に向かって小さく頷いた。


(さあ、俺を待つ運命の相手よ。姿を見せるがいい)


 警察官は息を呑んだ。


「不審者を確認。全身黒ずくめ。周囲を警戒するような動きを見せています」

『了解。警戒体制!』


 涼太は、宴会場の扉を開けた。

 桜子が、顔を上げる。


「……涼太さん!」


 その瞬間、桜子の世界から音が消えた。

 来た。

 本当に来てくれた。

 桜子は立ち上がった。


「涼太さん……! 私、あなたに――」


 涼太も、満面の笑みで歩み寄った。


「桜子さん!」


 彼女が自分を呼んだのだと、疑いもしなかった。

 そして、桜子の脳内で、アドレナリンが限界を突破した。


「いやあぁぁぁぁっ!」


(涼太さん、かっこいい……!)


 叫び声が、エントランスに響き渡る。

 もちろん、恐怖ではない。

 恥ずかしさである。

 しかし、警察官にはそう見えなかった。


「被害者の悲鳴を確認!」

「不審者が接近!」


 次の瞬間。


『確保!』


 背後から二人の警察官が飛び出し、涼太を床に押さえ込んだ。


「なっ……!?」


 涼太の頬が、床に押しつけられる。


「おい、髪型が崩れるだろ!」

「黙れ! 抵抗するな!」

「ちょっと! 何をしているんですか!」


 桜子が駆け寄った。


「その人は私の――」

「被害者の方、離れてください!」

「被害者!?」


 美咲も立ち上がり、近寄る。


「えっ、ちょっと待って! 何がどうなってるの!?」


 床に押さえつけられた涼太は、必死に顔を上げた。


「桜子さん……! これは、いったい……!」


(俺を騙したのか……)


 桜子は真っ赤になって叫んだ。


「だ、誰か助けてー!」


(涼太さんが、知らない人に押さえられているの……!)


 駆けつけたもう一人の《《私服》》警察官が、半狂乱になった桜子を宥めた。その手には警察手帳が掲げられていたが、号泣する桜子の視界に入るはずもなかった。


「被害者は精神的に不安定な様子! 救急車を要請!」


 警察官が無線を入れる。

 美咲は、床に押さえつけられた涼太と、必死に助けを求める桜子を交互に見た。


(……説明するの、面倒くさいな)


 そして、涼太は警察に連行された。


「桜子さん……、どうして……」


 涼太は思った。『二十歳の集い』に参加しなかったことをこれほどまでに恨んでいたのかと。


 こうして、曽無市の二十歳の集いから始まった恋の騒動は、幕を閉じた。


     *


 桜子はその後、同窓会の案内状を作り直した。

 差出人の欄には、自分の名前を大きく、丁寧に書いた。

 その下に、赤い文字で一言。


『今度こそ、絶対来てね♡』


 しかし、涼太が現れることはなかった。


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