朝来野さんは今朝も明るい
――今朝の君は、どんな顔をしているだろう。
『朝来野さんは今朝も明るい』/未来屋 環
「ありがとうございましたー」
空のカップを受け取り、俺はレジの端にあるコーヒーサーバーへと向かう。
カップをセットして45秒、マシンから吐き出される黒い液体を眺めながら、俺は今日の予定を頭の中で組み立てていた。
朝一の業績会議を終えたあとは顧客先に行き、午後オフィスに戻ってから各部門の業務報告会、夜は会食――会社のドアを潜れば目まぐるしい一日の幕開けだ。
年々忙しくなっていく日々に気疲れしないと言えば嘘になるだろう。
それでも「求められる内が花だ」と思って、とにかくやりきるしかない。
サーバーから流れるミッション完了の音で現実に引き戻され、俺はカップを手に取った。
そのまま出口へと向かう途中で、視界に馴染みの顔を捉える。
「いらっしゃいませー」
店員のかけ声と共に店内に入ってきた彼女の表情は、今日も明るい。
外の寒さで頬は赤く染まり、その童顔がより幼く見える。
ふむ、本日も快晴なり――そんなことを思いながら、俺は彼女と入れ違いでコンビニを出た。
こうして毎朝すれ違う彼女は、先月別の支社から転勤してきた若手社員だ。
確か情報システム部の朝来野さん――そんな名前だった。
といっても、現段階で俺と彼女に仕事上の接点はほとんどない。
こうして毎朝コンビニの入り口ですれ違うだけだ。
この店はオフィスの開錠時間である7時にオープンするが、彼女は毎朝この時間にやってくる。
いつもニコニコ、楽しそうな顔をして。
――毎度のことながら、朝から元気でうらやましいな。
一人エレベーターでオフィスに向かいながら、そんなことを思う。
若さのなせる業だろうか。
いや、俺は若い頃から元気はなかったな――マスクの下でひとり苦笑した。
執務フロアに到着し、エレベーターのドアが開く。
瞬間、意識をカチリと切り替え、俺はフロアに足を踏み入れた。
***
昨日の会食が長かったせいか、今日は少し頭が重い。
普段より10分程遅れて俺は目当てのコンビニへと辿り着く。
入口に近付いたところで、透明なドアの向こうに朝来野さんの姿が見えた。
あいかわらずニコニコ微笑む彼女の手には、色鮮やかな紫色のドリンクが握られている。
――何だ、あれは。
いつものように無言ですれ違いつつも、俺の意識はそのドリンクに釘付けだ。
彼女が店を出て行ったあと、どうすべきか迷った挙句に俺は店員に訊いてみることにした。
「あぁ、ベリースムージーですね。よろしければいかがですか?」
――なるほど、今はコンビニでそんなものも作れるのか。
なんだか二日酔いに効きそうな気がして、彼女と同じものをオーダーした。
果物とアイスクリームらしきものが入ったカップを渡され、いつも使っているコーヒーマシンの隣のサーバーにセットし、ボタンを押す。
すると、目の前で材料があっという間に砕かれ、みるみるうちに見事なスムージーが出来上がった。
――ふむ。
マスクの下で頬が少し緩む。
たまにはこうして気分を変えるのもいいかも知れない。
そのまま出来立てのスムージーを持って店を出た。
誰もいないエレベーターに乗り、マスクをずらして一口だけ飲んでみる。
甘酸っぱさが口の中いっぱいに広がり、思わず「……うまいな」と声がこぼれた。
執務フロアへの到着を知らせる音声が鳴り、俺は即座に表情を消す。
気付けば頭を侵食していた気怠さも姿を消していた。
***
――そして今、俺の隣で朝来野さんは困ったように眉を寄せている。
「……あれー?」
どうやらスムージーの機械が動かないようだ。
その隣で俺の使っているサーバーは誇らしげにコーヒーの完成を告げる。
朝来野さんはサーバーを開けたり閉めたりしながら解決を試みていた。
店員に声をかければ――とも思ったが、品出しなどがあるからか、レジには一人しかいない。
その彼の前には数人の客が並んでおり、あまり余裕がなさそうだ。
彼女もそれがわかっているから、自力で何とかしようとしているのだろう。
――優しい子なんだな、そう思った。
「……失礼」
「あ、邪魔ですよね!? すみません、どうぞ!」
サーバーと格闘する朝来野さんに声をかけ、少し気が引ける思いでコーヒーを取り出す。
そのままその足で店内をぐるりと回り、弁当の品出しをしている店員を発見した。
「すみません。スムージーのサーバーの調子が悪いようで、お客さんが困っていました」
「失礼しました。すぐ対応します!」
慌てて彼女の元へと向かう店員を横目に、俺は店を出る。
席に着いてコーヒーを一口飲むと、なんだかいつもよりうまい気がした。
***
「ありがとうございましたー」
店員から渡されたカップを持って、俺はスムージーのサーバーへと向かう。
最近会食の翌日はコーヒーではなくスムージーを飲むようになった。
単なる思い込みだろうが、なんとなく身体に優しい気がする。
サーバーのスイッチを押すと、カップの中身が滞りなく液体へと姿を変えていく。
どうやら無事に直ったらしい。
朝来野さんもあの日スムージーにありつけたならいいが――。
すると、突然「あ!」と声がした。
振り向くと、そこにはまさに朝来野さんが立っている。
普段すれ違うばかりの相手とこうして対峙するのは、なんだか不思議な気分だ。
どう反応しようかと思ったところで、彼女はぺこりと頭を下げた。
「先日は店員さんを呼んで頂いて、ありがとうございました」
そのまま笑顔で隣のサーバーにカップを置く。
今日はコーヒーの気分らしい――と思いきや、押したのはホットココアのボタンだった。
きっと甘党なんだろう、少し微笑ましい気分になる。
「いや、そんな大したことは……」
そんなことを言っている間に、スムージーが完成した。
俺がカップを取り出すと「そのスムージー、おいしいですよね」と朝来野さんが続ける。
「えぇ、身体にもいい気がします」
「私もです! まぁ今朝は寒いのでホットココアにしちゃいましたけど」
そう言って彼女はまた楽しそうに笑った。
そんな様子に、思わず「いつもお元気ですね」と言葉が洩れる。
すると、朝来野さんが「えっ、本当ですか?」と目を丸くした。
――変なことを言ってしまった。
「すみません、悪い意味ではなく……」という俺の弁解にかぶせるように、彼女は続けた。
「そんな風に見えていたら嬉しいです! そう心掛けているので」
「そうなんですか」
「はい。実は私先月転勤してきたんですけど、まだ慣れなくて……たまに会社に来るのが憂鬱になるんです」
「――えっ」
突然の告白にどきりとする。
しかし朝来野さんの表情は明るいままだ。
「だから、会社に来る楽しみを見付けようと思って――それで毎朝このコンビニでスムージーを買うようになったんです。今朝もおいしいスムージーが飲めるから頑張るぞ! って、自分に気合を入れるために」
単純ですよね、と照れ笑いをする彼女。
なるほど、確かに慣れない職場ではストレスも多いだろう。
彼女の表面しか見ていなかったことを恥じつつ、俺は「いや、大切なことですよ」と返した。
「自分のモチベーションを維持するのは意外と難しいですから。そう言われてみると、私もスムージーを飲んだ日は気合が入るかも知れません」
そう返すと、朝来野さんが嬉しそうに「おんなじですね」と微笑んだ。
そのタイミングで彼女のホットココアが完成したので、ふたりでオフィスに向かう。
「あれっ、同じオフィスだったんですね」
「えぇ、そのようです」
偶然ですねぇ、と笑う朝来野さんに、俺もマスクの下で微笑んでみせた。
そのままふたりでエレベーターに乗り7階を押すと、彼女は「えっ」と目を丸くする。
「同じオフィスどころか同じフロア! ん? そしたら、会社も同じ……?」
「ふふ、本当に偶然ですね」
「すごいです! 私、情報システム部の朝来野といいます。どちらの職場でいらっしゃるんですか?」
「はい、私は関東支社の夜井と申します」
「夜井さん――って、えっ……?」
朝来野さんが固まった。
――あぁ、なんだか申し訳ない。
顔を半分隠していたマスクを外して、俺は彼女に微笑みかけた。
「今日もお互い頑張りましょう、朝来野さん」
エレベーターが7階に到着する。
恐縮する彼女と二言三言交わしてから、俺は支社長室のドアを開けた。
(了)
最後までお読み頂きまして、ありがとうございました。
テーマが『すれ違い』だったのでせつない系のアイデアばかりが浮かんだのですが、冬で気分も塞ぎ込みがち……ということで、ちょっと明るい話にしてみました。
日々の楽しみ、私はすぐ食べものに走ってしまいます……笑。
ちなみに翌朝も夜井支社長と朝来野さんはコンビニで顔を合わせましたが、すぐに打ち解けて笑顔でお話できる仲になったようです。
めでたしめでたし。
以上、お忙しい中あとがきまでお読み頂きまして、ありがとうございました。




