これは恋愛小説でした
エレーヌはフォーに、老婆から聞いた話をしようか迷いました。その前に、ココアパウダーの件です。
「フォー。旅の1日目、別荘でのこと、覚えてる?」
ぼっ
フォーの顔が燃えるように赤くなりました。そのとき、エレーヌはフォーが発火した理由を思い出し、遅れて引火。めくるめくベッドでの密会ーーー少々響きが行き過ぎです。
「えっと。それ……」
恥ずかしさから、エレーヌの声はどんどん小さくなっていきます。続きはフォーの耳に届きません。「……じゃなくて。食事のときに蝋燭が消えたとき」
「あ。それって。エレーヌ、あの、あれは」
『あれは?』
「オレ、なんか、変だったよな」
『変?』
「その、困った……?」
困りましたとも。エレーヌは、心臓が破裂しそうでしたし、胸の奥が焦げそうで、その後、ことあるたびに、あの時間を思い出してしまう状態になりました。
「ちょっとは。」
「困ったんだ」
一気にフォーの顔がこわばりました。
「違う。違うの。嬉しかったの。嬉しすぎて、困ったの」
エレーヌの言葉を聞いたとたん、フォーはテーブルに両肘をついて自分の顔を両手で覆いました。赤くなった顔を隠すためでしょう。大きな両手の隙間から、
「かわぃぃ」
本心が零れます。
そんなフォーを見ると、エレーヌの心臓はきゅんっ、と飛び跳ねてしまいました。一緒に、カフスボタンのことも頭からぽんっと飛び出して忘れそうになります。
『冷静に』
カフスボタンのことを口に出そうとしたとたん、エレーヌの頭の中をさまざまな考えが駆け巡りました。
夜、窓から来たフォーの上着の袖口にはココアパウダーが付いていました。うっかり付いてしまった程度なら、動いているうちに取れてしまうでしょう。フォーの上着のココアパウダーは、はっきりと器の縁と同じ線になっていました。ラインハルトの袖口にも同じように線。
ココアパウダーが袖に付いていたから、老婆を招待したのはフォーかラインハルトです。ラインハルトだったとしたら、親友のフォーに伝えているのではないでしょうか。ならばなぜ、フォーはエレーヌに老婆の話をしないのでしょう。それは、カフスボタンの持ち主がフォーだったとしてもです。
仮にラインハルトがフォーに話していないとしたら、どのような目的があるのでしょう。1番目の兄ファウストは、央の国を取ってでも女系継承を変える、と言いました。
後継の出自は国が揺れる大事。正当性がなければ、新しい王が誕生するのです。それは、誰かが王家を滅ぼす理由になり得ます。例えばファウストの、フォーの、ラインハルト一族の。
「フォー、もし、私とフォーが本当の兄妹じゃなかったら……」
エレーヌは、フォーが母親を倒すことなど想像もできません。
「え。エレーヌも」
『”も”って、それってフォーは私のこと、本当の兄妹じゃなかったら恋人にしたいって思ってくれてるの? いつでもどこでも困るくらい思い出しちゃって、どきどきとかとくんとくんとかきゅんってしちゃうってこと?! きゃーーー♡』
脳内が乙女バグっているエレーヌは、すぐ話題の主旨がどこかへ行ってしまいます。
「……。ごめん。オレ、浮かれてるわ。すっげー」
「フォー……」
『私こそ。冷静に』
老婆を招待したのは誰なのか、誰がどこまで知っているのか。なぜ、目的は。熱に浮かされていたような頭がすぅーっと冷えてきます。好きという感情と信じることができるかどうかは分けなければなりません。
ようやくエレーヌの心が落ち着いてきました。
老婆の話は、フォーの心が分からないので保留です。最も相談したい人に話さないのは辛いことでした。
食後、エレーヌとフォーは、ラインハルトのいる間を訪れました。部屋の一角には天井までの書棚があります。暖炉の上に紋章つきの盾。その少し離れた場所には、家族が寛ぐための、ゆったりしたソファ。ラインハルトはソファに寝転んで、大きな書物のページをめくっていました。
「エレーヌ様、フォー」
ラインハルトはエレーヌとフォーに気づくと、書物を閉じ、びしっと直立しました。絹糸のような銀の髪は、起き上がっただけで何度もブラッシングしたように艶やかに整ってしまいます。
エレーヌは改めてラインハルトに、助けてくれたことについて丁寧にお礼を言いました。
「とんでもありません。我が一族の努めです」
ラインハルトの一族は先祖代々、海軍を率いています。央の国の東の果ては、東の島国や南の島々、海賊からの攻撃を受けやすい場所。それを防いでいるのです。
あまりに畏まった言葉に、フォーが笑います。
「友達の妹なんだから、もっとフランクでいいって」
「そっか」
エレーヌもお願いしました。
「友達の妹で、学園の後輩ですので」
いきなりはムリでしたが、3人で話しているうちに、だんだんとラインハルトの口調がフォーと同じ感じになってきました。
「さっき、何見てた?」
何気なく、フォーはソファに置かれたままの書物を手に取りました。
「ああ、それ、家系図。絵師が作ってくれてさ」
大きな書物は、イラスト入りの家系図でした。




