放て焦燥のバイオリン
「僕はさ、父のような恋愛は絶対にしない。裏切られて破滅して、それでも尚、相手を想うなんてバカげてる」
サードは言いながら、バイオリンの箱を開けました。そこにあったのは、いつもの艶やかなバイオリンではありませんでした。少し黒ずんだ年季の入った木目です。
「旅用ですか」
「ああ。ジプシーっぽいだろ? 宮廷音楽も優雅でいいが、速くて狂ったような、血が騒ぐ音楽が好きなんだ」
サードは立ち上がり、バイオリンを弾き始めました。人々がテラスの前に集まってきます。テラスはステージになりました。その音楽は、速くて、情熱的で、胸の中を掻きむしられるような焦燥感がありました。サードは、父親の運命を弦から放っているようでした。
どくん どくん どくん
エレーヌの諦めていたことがふつふつと小さな泡となって心の中に生まれてきました。
『フォー』
実の兄であるフォーへの恋です。
フォーを好きだと気づいたのはいつだったのでしょう。あまりに小さなころから特別で、友達と「好きな子はいる?」とおしゃまな会話をする歳には自覚していました。ほんの7歳ほどのころです。当時は「フォーを好き」と言ったところで、友達の反応は微笑ましいものでした。
「そうよね」
「あんなに素敵なお兄様達がそばにいたら、ね」
「基準、めっちゃ高くなっちゃうよね」
12歳のころには「フォーを好き」と言えなくなっていました。兄妹で恋愛感情を持つのは異常だと知ったからです。とりあえず友達と男の子のことを騒いではいましたが、個人名は出しませんでした。
「ご迷惑になるかもしれないから」
周りの友達は、エレーヌが次期女王であると分かっていますので、それは賢明なことだと承知してくれました。
「異常」は、なかなか辛い響きでした。自分が強姦魔やパラノイアと同じ部類なのだと思うと、吐きそうでした。更に、大きくなると、近親相姦という特別なワードがエレーヌを襲いました。禁忌のおぞましい気持ちなのだと絶望しました。
『もしもフォーと兄妹じゃないなら、許される』
そんな素晴らしい希望と同時に、それは央の国を揺るがす一大事だと憂慮します。
エレーヌがとり替えられた赤ん坊なら、央の国に正式な後継者がいないことになります。央の国は女王の国。女系継承です。それが途切れるのです。
バイオリンの音がエレーヌの心を乱します。フォーを想ってもいいのか否か。
サードが城のサロンや舞踏会で奏でるのは、優雅な調べ。格式と気品に縁取られた貴族社会に相応しい音でした。恋のBGMとしても甘く優しく。
流れている音は違います。自由で我儘で激しく、情熱的です。エレーヌが貫きたい感情のように。
割れんばかりの拍手で、臨時リサイタルが終了しました。
「今のが、本当のお兄様なのですか?」
エレーヌの問いに、サードはしれっと答えます。
「人は、反転した少ない部分を『本当』と言いがちだ。例えば常に善人なのに、ほんの一瞬悪魔的な考えを見せるとか、常に悪人なのに、たった1回善なる行いをするとか。そんなの、前者が善人に決まってるのに」
『メンドクサ』
サードは、少々、小難しいのです。美しい外見のせいか浮き名を流し、社交界のスキャンダル担当。相手は年上マダムばかり。年上でなければ包容しきれないのでしょう。
年上マダムに磨かれているだけあって、様々なことを知っていますし、お付きの者がいなくても、何でも自分でします。まあ、これは、人妻に手を出しまくるので、お付きの者がギブアップして成り手がいないのですが。
今回も、大国、央の国の王子なのに、たった一人で南の国まで流れてきたようです。
「途中まで、伯爵夫人の馬車で来たけど」
「え、伯爵夫人って、あの?」
「そ。南の方に領土があるから。伯爵んとこに帰るとき一緒に」
エレーヌは、呆れてしまいました。伯爵は、夫のいる屋敷に戻る道中、若い愛人と一緒だったというわけです。貴族社会は、後継を産み終えた女性の恋愛が盛んです。家のために結婚するので、後継を産むという大役を終えると、晴れて自由の身?になるのです。
「お兄様は伯爵夫人が好きなの?」
「まあ、好きだよ」
「どんなところが?」
「脇腹のホクロかな」
「な%&$」
「ははは」
ジジが言ったように、世の中にはクズが、、、女性が避けるべき男性が一定数いるのでしょう。
「はい。これが大まかな日程。星宿る海ってことだから、海を見なきゃいけないんだけどさ、ずっと海岸線では日にちがかかりすぎる。ルートはここからここ、ところどころ内陸の道を使おう。馬車は手配しておいた。今、馬は馬宿に預かってもらってる。南の国の国王への挨拶の手土産は用意したよ。で、これが、央の国のお菓子。食べたかっただろ?」
『さすが。これが年上マダム達に育てられただけあるわ』
サードの有能執事ぶりに、ジジと護衛と御者は大喜びでした。




